第4話 塩商人の影
砦の鐘の音が止んだとき、門の前に立っていたのは五人の男たちだった。
深い紺色の外套、腰には金具で飾られた剣。粗野な山賊とは違う。
彼らの背後には馬車が二台、荷を覆う布の下には樽の形がいくつも見える。
「王都塩商会の使者である」
中央の男が名乗り、胸を張った。
短く刈り込まれた髪に、脂の光る笑み。
商人というよりは役人に近い雰囲気だ。
「この度の補給の遅れ、遺憾に思う。だが、道中の危険を考えれば致し方ない。……ただし、我らは塩を届けた。代価はこれまでの三倍でお願いしたい」
ざわめきが兵たちに広がる。
三倍。もはや暴利と言ってよい。
老将が卓を叩き、怒声を上げた。
「ふざけるな! 我らを飢え死にさせる気か!」
しかし使者は揺るがない。
むしろ余裕の笑みを浮かべ、低く言った。
「塩なくして兵糧は持たぬ。戦う前に兵は死ぬ。……お忘れなきよう」
そのとき、サラが一歩進み出た。
灰色の瞳は冷たく光り、腰の剣に手がかかる。
「この城には塩に頼らぬ方法がある。腐敗を止める術を、我らは得た」
使者の眉が動く。
俺に視線が集まった。
「……まさか、そやつか」
嫌な空気。
笑みの裏に潜む牙が、はっきりと見えた。
その夜、砦の一室。
サラと俺は卓を挟んで向き合っていた。
「彼らは必ず動く。あなたの力を奪おうと」
「奪う? 俺の力は俺自身のものだ」
「そう思うだろう。しかし商人にとっては違う。技も術も、利を生むなら道具だ。……だから警戒してほしい」
サラの声は静かだったが、眼差しは真剣だった。
俺は肩をすくめる。
「俺は戦えない」
「私が護る」
即答だった。
その確信に満ちた響きに、思わず笑みがこぼれる。
「護られてばかりじゃ格好がつかないな」
「ならば、あなたは食を守れ。兵を、生を。……それがあなたの剣だ」
言葉の重みが胸に響いた。
俺に剣はない。だが、保存庫が剣になるなら――。
翌日、砦の広場で公開の試験が行われた。
商人たちが見守り、兵士たちがざわめく。
卓の上には二つの肉塊。
一方は塩漬け、もう一方は俺の〈保存庫〉に仕舞っただけのもの。
「二日置いた」
兵糧係が説明する。
「塩漬けはやや酸味が強く、保存は利いている。だが……」
刃が肉を割く。
塩漬けの断面はやや黒ずみ、匂いに刺激があった。
対して保存庫の肉は、昨日仕舞ったかのように瑞々しい。
試食した兵が、目を見開き叫んだ。
「こっちの方が旨い!」
歓声が広がった。
兵たちは口々に俺の肉を求め、次々と頬張る。
商人たちの顔から笑みが消えた。
会議室に戻ると、商人の使者は低く唸った。
「なるほど……塩が不要と? それでは我らの商いは潰れる」
「なら潰れろ」
サラが切り捨てる。
使者の目に、冷たい光が宿った。
「……潰れるぐらいなら、潰すまでだ」
その言葉に兵たちがざわつく。
俺は思わず立ち上がった。
「潰す? 食を守る術を? それで誰が得をする!」
「得をする者だけが生き残る。それが商いだ」
その瞬間、俺は悟った。
彼らにとって命は数字であり、塩は札束だ。
俺の〈保存庫〉は、利益を奪う怪物に見えている。
夜。
砦の灯りが落ちたころ。
廊下を歩く足音があった。
扉の影に、影が三つ。
「……来たか」
サラが剣を握り、囁いた。
扉が蹴り破られる。
刃を持った影が雪崩れ込む。
商人の手先だ。
「保存庫を渡せ!」
俺は咄嗟に手を差し入れ、布袋を取り出す。
中身は乾いた香草粉と唐辛子。
床に投げると煙が弾け、刺激臭が充満した。
「ぐっ、目がっ!」
混乱の隙に、サラの剣が走る。
鋼の閃きと悲鳴。
残りは逃げ去った。
荒い息を吐き、サラが俺を振り返る。
「大丈夫か」
「……助かったのは俺じゃない。保存庫だ」
俺の声は震えていた。
けれど胸の奥では、別の炎が灯っていた。
奪われるぐらいなら――守る。
それが、俺にできる唯一の戦いだ。
夜明け前、砦の見張り台。
霧の向こうに、馬車の群れが見えた。
数十台。
旗には塩商会の紋章。
「……本気で来たな」
サラが呟いた。
商人はもう取引をやめた。
力で潰すつもりだ。
俺は拳を握った。
静かに暮らす夢は、遠ざかるばかり。
だが、今はもう迷わない。
保存庫は、飯を守る。
飯を守れば、人が生きる。
それが俺の剣だ。
「サラ。準備をしよう。俺もできる限りやる」
灰色の瞳が、朝の光を受けて輝いた。
「共に戦おう、保存庫の人――いや、リオン」




