第3話 辺境守の城門
平原を越えると、土と石を積み上げた砦が見えてきた。
辺境守の拠点――北辺を守る最初の壁。
灰色の石は苔に覆われ、塔の上では見張りが角笛を抱えていた。
俺とサラは城門前で足を止める。
門兵たちは無骨な槍を構え、俺を警戒の目で見た。
「その者は?」
問われ、サラは一歩前に出る。
外套を翻し、銀の紋章を掲げた。
「私の客人だ。辺境守サラ・ヴァルトの名において保証する。保存の技を持つ」
兵士たちの目が一瞬揺れる。
だが、俺に向けられた視線の鋭さは消えない。
知らない男が「食料」に関わると聞けば、疑うのは当然だ。
門は軋む音を立てて開いた。
中には土の匂いの漂う広場。荷馬車、干し草、鎧を叩く音。
ここで人々が暮らし、戦い、塩を求めている。
サラに案内された先は、砦の奥にある兵糧庫だった。
石壁の中には袋詰めの麦、干し肉、樽の漬物。
だが、鼻をついたのは酸っぱい匂い。
樽の蓋を開けると、漬物は既に変色していた。
「三日前から、次々と腐敗が進んでいます」
兵糧係の初老の男が肩を落とす。
「塩が薄く、保存が効かない。兵は飢え、士気も下がっている。……嬢さん、この若造で本当に大丈夫なのか?」
「若造ではない」
サラがきっぱりと返す。
「彼は昨日、塩なしで肉を持たせた。今朝も鮮度は変わらなかった」
「塩なし……? そんな馬鹿な」
兵糧係の視線が俺に突き刺さる。
俺は一歩進み出た。
「試してみるか?」
〈保存庫〉を開き、昨夜の肉を取り出す。
断面を見せると、兵糧係の眉が跳ね上がった。
焼き石を借り、香草と胡椒で軽く炙る。
香りが広がる。
兵士たちが喉を鳴らす。
一口、兵糧係が噛みしめる。
沈黙の後――。
「……腐っていない。旨い、だと?」
どよめきが兵糧庫に広がった。
誰もが目を丸くし、声を上げ、俺を見た。
夜、会議の席。
辺境守の将たちが集まった。
粗末な木の卓に灯りが揺れ、地図が広げられる。
「塩の補給線は既に三度途絶えた」
「北の山賊に狙われている。商人も足を止めた」
「兵糧が尽きれば、守りきれぬ」
重苦しい声が飛び交う。
そんな中、サラが俺を示した。
「解決の糸口は、彼だ。保存庫のリオン」
「異邦の男を信用できるか」
「王都で追放されたと聞くぞ」
疑いの視線がまた刺さる。
だが、俺は口を開いた。
「俺は英雄でも救世主でもない。ただの流れ者だ。けど、食べ物を腐らせずに済むなら、命は繋がる。戦う力はないが、飯を守ることはできる」
静寂。
やがて、老将が深く頷いた。
「……飯が守られれば、兵は戦える。それで十分だ」
サラが目を細める。
彼女の瞳は灰色に燃えていた。
会議が終わった後、廊下でサラが声をかけてきた。
「ありがとう。あなたの言葉は、兵の心を動かした」
「俺はただ、静かに暮らしたいだけだ」
「なら、なおさら守らねばならない。静けさは、戦の先にしか訪れない」
彼女の言葉に、俺は返せなかった。
静かに暮らすために。
それが、戦に巻き込まれる理由になるとは思っていなかったのだ。
その夜、俺は〈保存庫〉を開き、再び肉を仕舞った。
暗い空間に沈む肉の塊を見て、心の奥で思う。
――俺の望む「静けさ」とは、何なんだろう。
翌朝、砦の鐘が鳴った。
見張りが叫ぶ。
「塩商人の使いだ! 城門に現れた!」
俺とサラは顔を見合わせる。
不穏な影が、霧の中から歩いてきていた。
(つづく)




