第15話 二つ目の村 ― 水の呪い
翌朝、俺とサラは王都から南に半日の距離にある村へと向かった。
そこは湖に面した水の豊かな土地のはずだったが、近づくにつれ異様な臭気が漂ってきた。
「……腐ったような匂いだ」
俺が鼻を押さえると、サラは眉をひそめた。
「湖が汚れている。水が腐れば、食糧よりも先に人が倒れる」
村の入口にたどり着くと、住民たちの顔は青白く、咳き込む声があちこちから聞こえた。
水瓶の中を覗くと、濁った水面に薄い油膜が浮いている。
「これじゃ飲めない……」
子供が弱々しく手を伸ばし、母親が必死に押しとどめる。
水が毒になっていた。
村の長老が痩せた体で近寄り、震える声で言った。
「旅の方……王都から来た方か。もしや、保存庫の……」
その言葉にざわめきが広がる。
俺は深く息を吸い、頷いた。
「俺がやる。だが、水を保存できるかは……まだ試したことがない」
サラが肩に手を置き、灰色の瞳で真っ直ぐに見つめてきた。
「あなたならできる。保存庫は物の性質を整える。なら、水だってきっと」
その言葉に背を押され、俺は湖のほとりに立った。
保存庫を開き、濁った水を瓶ごと沈める。
暗闇の中で白炎が揺れ、瓶を包み込んだ。
冷たさでも熱でもなく、ただ性質を整える光。
――静かな脈動。
やがて瓶を取り出すと、水は澄みきっていた。
透き通る青が光を弾き、腐臭は消えている。
「……本当に?」
長老が恐る恐る口をつけ、一口飲む。
次の瞬間、目を見開いた。
「清らかだ……! 毒が消えている!」
歓声が村に広がる。
人々が列を作り、瓶を手にしては涙を流した。
だが、その喜びは長く続かなかった。
村の外から蹄の音が響き、黒装束の一団が現れた。
胸にはまたしても塩商会の紋章。
「保存庫の水……渡してもらおう」
矢がつがえられ、村人たちが悲鳴を上げる。
俺は即座に保存庫に手を入れ、香草粉と油を取り出した。
煙幕を張り、敵の視界を奪う。
「サラ!」
「任せろ!」
彼女の剣が閃き、敵の矢を叩き落とす。
俺は保存庫から清らかな水を次々に取り出し、村人たちに渡した。
守るべきは剣ではなく、水そのもの。
戦いは短く、敵は退いた。
しかし、その中に一人だけ違う姿があった。
赤い外套を羽織り、仮面で顔を隠した男。
「……水まで清めるか。やはり放ってはおけんな」
低い声を残し、闇に消えていった。
ただの傭兵ではない。
貴族か、あるいは王都の術師か。
夜。
焚き火を前に、村人たちは笑顔で水を飲み交わしていた。
俺は保存庫を閉じ、深く息を吐く。
「……水まで扱えるとは思わなかった」
サラが隣で頷き、静かに言った。
「あなたの保存庫は、もう食糧庫ではない。命そのものを整える器になりつつある」
その言葉に背筋が震えた。
力が広がるほど、狙う者も増える。
そして、王の“試練”はまだ終わっていない。
「残る村はあとひとつ。……必ずやり遂げる」
白炎が保存庫の奥で揺れ、まるで「前へ進め」と囁いているようだった。
(つづく)