第10話 評議の影
砦の決戦から三日後。
青白い炎を呑み込んだ夜の衝撃は、すでに辺境を越えて王都へ届いていた。
早馬で伝令が駆け、街の噂は「塩よりも強い力が現れた」と膨れ上がる。
――そして、王都。
大広間に集うのは、貴族たち。
煌びやかな衣をまとい、重苦しい香の煙を纏った評議の場。
玉座の代わりに円卓が据えられ、そこに座る十数人の侯爵や伯爵が口々に騒いでいた。
「保存庫? 馬鹿げている!」
「だが、塩商会が崩れかけているのは事実だ」
「塩の利権を失えば、財も軍も立ち行かぬ!」
言葉が飛び交う中、カーヴェル侯が立ち上がった。
顔にはまだ砦での敗北の影が残っている。
「奴は炎をも呑み込んだ。術師すら恐れる力だ。……我らは放置できぬ」
ざわめきが広がる。
やがて一人の老貴族が、重い声で告げた。
「ならば――王の名で召し出せ。従わねば反逆と見なす」
一方、砦。
俺は兵糧庫の奥で保存庫を開いていた。
中に沈む白い炎は、もう冷たさを失い、静かに灯火のように揺れている。
その光は肉や麦を包み込み、以前より鮮やかな色合いを与えていた。
「……旨味が増している」
試しに取り出した干し魚を炙ると、香りがふわりと広がった。
兵が一口食べ、驚きに目を見開く。
「昨日より柔らかい……!」
白炎はただ保存するだけでなく、食を“磨く”。
性質を整える力が、さらに強まっているのだ。
「これなら兵糧は尽きぬ。むしろ、戦えば戦うほど強くなる……」
呟きながらも、胸の奥に不安が渦巻いた。
力が増せば増すほど、王都は放っておかない。
広場ではサラが兵を集めていた。
彼女の声は凛として響く。
「敵は退いたが、平和ではない。王都の貴族が次に動く。だが恐れるな。我らには保存庫がある!」
兵たちが歓声を上げる。
その視線が俺に注がれる。
英雄を仰ぐような目。
だが俺は英雄じゃない。
ただ静かに暮らしたいだけなのに――。
夜。
砦の天守で、俺とサラは星を見上げていた。
「リオン。王都からの召喚状が届くだろう」
「無視したら?」
「反逆とされる」
灰色の瞳が揺れる。
彼女は剣を握るよりも、その瞳で人を射抜く。
「あなたはどうしたい?」
俺は息を吐き、空を仰いだ。
静かに暮らす道は、もう遠い。
だが逃げ続ければ、追っ手は際限なく増える。
「……王都へ行く。俺の目で見極める」
サラの瞳に光が宿った。
「ならば私も行こう。辺境守の名において、あなたを護る」
心強さと同時に、胸の奥に重みが残る。
王都は塩と権力の都。
そこに保存庫を持ち込めば、必ず争いを呼ぶ。
それでも――行かねばならない。
翌朝。
砦に早馬が到着した。
封蝋には王家の紋章。
「保存庫の持ち主、リオン・グレイを直ちに王都へ召し出す」
文を読み上げた瞬間、兵たちがざわめいた。
俺は深く息を吸い、サラと目を合わせる。
「……行こう」
「ええ。だが覚悟を。王都は辺境よりも、ずっと厄介だ」
霧が晴れ、道は王都へと続いていた。
その先に待つのは、静けさか、さらなる嵐か。
(つづく)