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時宮  作者: 鷹凪 悠
緑眼ノ章
7/26

陸-神ノ住処-





神の住処は深き森。


何十億と過ぎし時を生きる木にこそ時は宿る。


其の名は薺。神名をトキノヤマツキヒメノミコトという。








「娘。これ以降、決して焔の手を離さぬよう。時のほころびに転がり落ちてしまうゆえ」


「はい?」


「ここは本来主らが認識できぬ世界。姫の御力があってこそ、主らはお互いを認識し、お互いを存在させることが出来る」


その後の説明を要約すると、つまりここは精神世界に近い物で、お互いを意識し合わねば意識されなかった存在はあっという間に時の狭間とやらに落ちてしまうらしい。そこで時を認識できる者に出会えれば助かるが、その可能性は低く、それ以降何万年もの時を一人彷徨うことになるのだとか。


「妾は元々この場所に住む者、こやつも……まぁ似たような者じゃしの。妾と焔が話し込んでしまえば、部外者のそちはあっという間に忘れられてしまうぞ。まぁ、どこぞの宮に入るまでの辛抱じゃ」


「はぁ……」


天女は紫苑のその反応に何故か声を上げて笑った。

ちなみに、彼女の両脇に控えていた子供達は今はいない。「どこか宮を用意するように」と言われて、二人で仲良く手をつないで、出てきた廟の方へ走り去ってしまった。


「この者の見た目なら気にせぬよう。この焔に何を言われたかは知らぬが、主らからすれば立派に化け物の部類じゃ。特にこやつは姫に目を掛けられておるからの、主らの時間軸から見れば、もう六千年は生きておる」


「あぁ」


やっぱり。という目で焔を見ると、彼は困ったように笑った。


「焔の中ではずば抜けて長生きじゃ。妾や姫の時間の感覚から見てもの」


「だから、古狸とか呼ばれてたんですね」


「ほほほ。サネの奴じゃろう。この二人は昔から仲が悪い故のう……おや?」


紫苑の表情が硬くなったのを見て、鳳天女は目を細め、そんな紫苑の表情を視線を合わせてのぞき込んでくる。高い下駄を履いた天女は、紫苑と頭一つ分も身長が違うから、腰をかがめて丁度良いぐらいの高さになった。


「サネが心配かえ?それとも、主を突き放したサネが憎いかえ?」


「憎いだなんて。だってサネは、私に家の大事を知らせてくれたのだから」


「果たしてそういえるかの。サネはの、主の両親が殺されることを知っておった」


紫苑が目を見開くと、目の前の美しい女性は首を傾いでチリンと頭の鈴を揺らした。その仕草は正しく鳥がするもののようで、彼女の本当の姿は鳥なのではないかと想像させる。


「サネが一度でもその事を口にしたかえ?今日は早く帰れと、促しただけでは無かったかえ?あの時主にこれから起こることを伝えていれば、主はそこな焔の言葉に惑わされ恐ろしい夢を見ることも、その夢に急かされて家を離れることも無かったろうにの」


「それは……サネには分からないことです」


「わかっておったよ。全ての。あやつは主が焔に時宮の話を聞くことも、その所為で時宮について考え夢を見ることも、その所為で家を離れることも、全て知っておった」


「……どうしてそんな事があなたに分かるんですか」


彼女はすいっと背を伸ばして、分かるとも、と紫苑に背を向けた。来たときと同じように、ゆったりと廟の方へ歩を進める。それに併せて焔は紫苑の手をとり、彼女の後に続いた。


「時宮はその土地の時を決める者ぞ。これから起こること全て、過去に起こること全て、その時宮の命ある限りの情報を知っておる」


「……でも、じゃあなんで……」


「さての。だからこそ、恨んでおらぬかと聞いたのじゃ」


何故サネが何も言わなかったのか。それは紫苑にだって分からない。けれどサネの事だから、きっと紫苑のためを思ってのコトだったのだろうと信じている。


「まぁ、そう思うのであれば、サネを探してみるがよかろう。どうせ主の願いを叶えるためには、まずサネを探さねばなるまい」


「どこに行けば会えるんですか?」


「さぁ、時宮は時を行き来できる。あの狼藉者のような者はともかく、殆どの時宮は自身の土地の安寧に左右する場所にしか行かんものじゃがの……。じゃが、あの者が今どの時間にいるのかは分からぬ」


「あなたでも?」


「分かればとっくにあの狼藉者の居所も知れよう」


「知っているから、彼を送り込んだのではないの?」


ちらりと何も言わない焔を見ると、彼は笑みを浮かべたまま鳳天女の背を見ていた。


「そこな焔が言ったはずじゃ。見つけ次第捕らえるとな」


そうじゃの、と言い置いてから、彼女は手に持った扇を閉じて、目の前に迫った廟の扉を叩いた。すると向こうから、とんとんと同じように叩く音が返ってくる。


「主にとって時とは流れるものであり、繋がっているものと思うが、我ら薺に遣える者にとって時とは、無数に存在する引き出しのようなもの。それは区切られた幾万分の一秒であり、それがこの世の始まったときよりこの世の終わりにまで保存されておる。その数がどれほどのものになるか分かるかえ?」


紫苑はこの空間いっぱいに広がる引き出しのついた棚を想像した。

何処までも高く、何処までも続くこの世界の果てまで、両壁のごとく連なる小さな引き出しの群れ。その中から一つの出来事を探す。その中からたった一人の人を探す。そんなこと、出来るはずがない。


「いたちごっこじゃの。我らが我らに連なる誰かを見つけることは、そういうことと心得よ」


扉が開く。両開きの扉が何の力もなしに押されて、その向こうの世界が現れた。

眩しいほどの緑の光。紫苑が知っているあの山よりも、遙かに多くの蟲たちが宙を舞い、その向こうには信じられないほど鮮やかな木々の緑が溢れている。

苔むした岩畳の間を水が流れ、その岩畳が創る道には、かつては朱色だったと思わせる鳥居が幾つも幾つも連なっていた。

そしてそんなに高い場所だとも思えないのに、真っ白な雲が流れている。まるで生きているようにふわりふわりと形を変えて、時には足下を隠し、時には緑に重なって、正しく天上の世界のように思えた。


廟はとてもじゃないけど、こんな空間を収められるほど広いものじゃない。別の空間なのだと当然のことのように飲み込めてしまえるほどに、紫苑はいい加減超常現象に慣れていた。


「わぁ……」


紫苑が漏らした感嘆の声に、蟲たちが反応して一斉に空高くへ上っていく。その美しさたるや、どんな言葉も見つからぬほど。


「来や。焔の手を離さぬよう」


焔は大丈夫だよ、と首を傾いで、少し強めに手を握った。紫苑はすぐに向き直って、「はい」と返事をする。そうして彼女に続いて一歩門から踏み出すと、柔らかく暖かい風が身体を包んだ。


どこか遠くで、子供が笑っている声がする。


「ここにはどれぐらい人がいるの?」


さぁ、と答えたのは焔だ。


「ここにいるのは、とりあえず大君に遣える者だけだけど、鳳天女が纏める仙女達やこの世界を護る焔や、この世界の時を維持している時守達だけでも三百人程度だと聞いている。私はそんなに会ったこと無いけどね」


「時守と時宮は違うの?」


「多くは変わらないが、時宮よりも位は上かな。時宮の中でも特別大君の信頼篤い者からなる一族で、この世界の要所要所の時を維持している」


「要所要所?」


「多くはこれから案内される幾つかの宮だね。この世界の時は大君に管理されているけれど、正直彼女に合わせていたらぐちゃぐちゃになってしまうから」


「いい加減なの?」


違うよ、とやんわり否定され、紫苑は少しだけ恥ずかしくなった。神様がいい加減では紫苑のいた世界だって成り立つはずがあるまい。


「彼女の生きる時は私たちとは全く違うから。世界は基本的に彼女の心の流れによって時が定められているけれど、彼女だけに任せていたら至る所に穴が出来てしまうんだよ。この世界にみたいに、認識されなかった者は時の狭間に落ちて何億もの時を流離うことになってしまう。だから時宮がいるのだね」


「ふぅん……薺様は、その事をしっかり理解しているということよね」


それが彼女が神たる所以なのだろうと、何だが漠然と感じていた。


「なんだか、人間と変わらないのね。私神様に会うって言うのに、全然気負いしてないもの」


「変わらないよ。元は人間だもの」


「え?」


「八百万の神には、元人間の者が多い。元人間の者が死んだ後、神格化されて神になる。彼女も元々はその一人」


子供達の笑い声が、近づいては離れている。鬼ごっこでもしているのだろうか。


「そうだね、人間らしいと言えば、どの人間よりも人間らしいのかも。我が儘で、矜持高くて、人一倍自尊心が強い」


「そんな人が神様で大丈夫なの?」


「そこに神と呼ばれる部分が作用するわけだよ。人の中には学ばない者が多いが、彼女は知ったことを全て吸収し実戦する。自分で出来ないと思ったことをしっかりと理解して、出来る者に任せるのだね」


「でもそれって、本来自分の仕事であることを他者に丸投げしてるってコトにならない?」


「ならないよ。彼女は自分が出来ないと思ったことであっても、とりあえず挑戦はするし、そこで失敗してもやらなければならないと思ったことは必ずやり遂げる。けれど自分よりも上手く土地を収めることが出来ると分かっているものに任せられることは任せた方が、世も安泰になるというものだ」


「姫様は常に、世の平穏を考えられているということね。でも、神様に出来ないことがあるなんて、なんか不思議ね」


そう言うと、黙って聞いていた天女が軽やかに笑った。


「主らの想像する神とは全知全能であらしゃるからな。天津神の方々であれば主らの言う神にかなり近いが、国津神の姫様とは遠き話よの」


「国津神?」


「人から神になった者のことだよ。天津神は、最初から神だった人たち」


「上の方々は確かに全知全能であらしゃるが、あまり世には関与せぬ。人の世に関与するのは殆どが国津神。天津の方々は、もっと根本的なことを司っておる」


「根本的なこと?」


「世界のありよう。その基盤。光、闇、風、水、土、火じゃの。そして人の世以外の時も管理しておる」


「水や火や土や風など、自身が司るもの時を管理しているということだよ」


人の世以外ってなに?という質問を口にする前に、焔の注釈が入った。


「春になれば新芽が土より出で、天より降る雨により恩恵を受けて花開き、やがて実をつけその実は土へと潜る。そう言う時のこと」


「まぁ、上の方々の仕事は妾達からすれば随分と大雑把なものよ。絶対的な時の流れを決めてはおるものの、最終的にはそれぞれの土地に合った時の流れ方をさせねばどこかで歪みが出来るゆえの」


「へぇ」


「さぁ、石段も終わる。足下に気をつけよ」


さして長くない石段を登ると、足下は木のような素材になった。ささくれた信じられないほど大きな木肌。幅は焔が両手を広げて、三人並べるほど広い。


それはひたすら巨大な樹木の、たった一本の枝だった。


「………………!」


声も出ない。顔を上げると、葉の切れ目から遙か下方に峰が広がっているのが見える。真下には太いという形容詞すら烏滸がましいほど巨大な幹が下っているが、この木の根は厚い雲に遮られて全く見えない。


雲の上の神の住処。天上界とはこういうことかと、納得する。


遙か天高くに張られた木の枝。下界は真っ白な雲の海が広がり。その枝より伸びた橋の先には、美しい宮が幾つも葉の間から見える。


「落ちたら誰も助けられないから、気をつけて」


焔のその注意に、紫苑はにっこり笑って、「私が落ちたらあなたも真っ逆さまだものね」と言い返した。


「枝が折れたら大変ね」


「そういうことはないんだよ。神の住まう土地だからね」


「ふぅん」


長い枝の道を天女に続いて歩き、やがて一つの宮に通された。銀と青の塗料で波が描かれた沖ノ宮と呼ばれる宮らしい。そこでやっと紫苑は焔から手を離して、まるで貴族の屋敷のようなその部屋を堪能した。


「ここでしばらく休むがよかろ。焔はすぐに来るよう。姫様が待っておられるゆえの」


「はいはい。……あぁ紫苑」


一度入った部屋をすぐに後にしようとして、焔だけが一度足を止めて振り返った。

初めて名を呼ばれた気がするのは気のせいだろうか。


「私は恐らくこれでここには戻らない。後はしっかりやるんだよ」


「え?え?もう会えないの?」


聞きたいことが沢山ある。私はこれからどうすれば良いのか、とか、一体何をすればあの家族とサネがいる時間を取り戻せるのか、とか。

それにここまで連れてきてもらったお礼も言ってない。


そう思って慌てて座り込んでいた椅子から立ち上がり、彼の袖を引っ張った。


「ここまで連れてきてくれてありがとう。でも私、この先どうして良いか分からない」


「大君が良いようにして下さるよ。ただ忘れないで、キミの望みが何なのか忘れないように。言っておくけれど、ここの人たちはとても意地悪だよ。いつも正しいことを言うけれど、決して答えを与えてはくれない。しかもあえて人を惑わすようなことを言う」


紫苑はさっき天女が言っていたサネの話を思い出した。

その天女は今、少し離れた宮の入り口でゆったりとこちらを眺めている。


「キミはあの忌まわしき女に壊された家族との時間を取り戻すのだし、当然、キミにとって家族当然のサネも取り戻すんだ。ただ、それだけを考えているように」


「わかった。ねぇ、また会える?」


「連れてきたのは私だから。キミが助けを求めていれば、必ず助けに行ってあげるよ」


「ほんとう?」


「本当だとも。まぁ、キミが時を渡るようになったら、恐らくキミを護るための焔が一人着くことになるだろうから、私は必要ないかもしれないけれど」


「そうなるように頑張るわ。本当に色々ありがとう。あの女も、捕まると良いわね」


捕まえてみせるよ、と彼は笑って、天女について宮を出て行った。

天女と焔の、カロカロと鳴る下駄の音が遠のくと、部屋には一気に静寂が訪れる。宮の外では美しい鳥の声や、風にさざめく葉の音なんかが聞こえるのだけれど、人の声が聞こえなくなると何故か一気に不安になった。


「……子供なのよね」


一段高い所に敷かれた布団。細かい刺繍が施されたその布団の上に身体を放り出して、紫苑はその沈黙に耐えるように目を閉じた。


「大丈夫よ。みんな元に戻る」


神様に愛されているという焔がそう言ったんだもの。神様が力になってくれるのだもの。叶わない事など無い。何も恐れる事はない。


でも……と、考えたくはないことが頭をよぎる。


あの二人は、随分と神が万能でないことを強調していた。何でもかんでも出来ると思ったら大間違いだと言わんばかりに。


「信じて何が悪いのよ……」


それ以上何も考えたくなくて、紫苑は布団の中に潜り込んだ。


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