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時宮  作者: 鷹凪 悠
金風ノ章
20/26

金風ノ拾―家族―


「母様は病気だったんだ。婆様は俺に黙っていたけど、もう治らないって言われてた」


「どこが悪かったの?」


田畑の外れに、樹齢を訊きたくなるほど大きなクヌギの木がある。その下には地蔵があって、紫苑とレンはその隣の小さな石に腰を下ろして空を見ていた。


「さぁ。いろいろあったみたい。でも一番は心臓だって」


「ふぅん」


「俺はもう母様が死ぬって知ってたけど、でも婆様はそれを俺に隠していたいようだったから、俺は母様が治るって希望を失わないように振る舞ってた。医者が来る日は俺は薬草取りに行かされて、俺は山で必死に薬草探しをしたんだ」


「それは、どこの山?」


「あそこの山だけど」


そう指さした先は、四方を囲う低い山のうちの一つ。紫苑たちが来た町のある方向から、少しずれた場所の山だった。


「古い祠があってさ、その前の小さな泉の周りに馬鹿みたいに薬草が生えてんの。あんな所があるなんて知らなかったけど、でも助かったよ。たくさん持って帰れば、婆様はそれだけで俺が何も知らずに母様が治ることを信じてるって思ってるようだったから。五年間通い続けた」


「……お母様は本当に治らないの?」


「治らないどころじゃない、もう死んでるよ」


驚愕した目で淡々と母の死を告白する少年を見ると、彼は呆れたようにため息をついた。


「なんだ、本当にごまかしてるわけじゃなかったんだ。母様が同じ時間を繰り返し生きてること。じゃあ、この場所がもう何度も同じ時間を繰り返してることか?」


「え……えぇ。でもお母様がまだ死んでるかどうかはわからないんじゃない?」


確かに紫苑のまだ見ぬ小夜という人物は何度か息を引き取っているようだけれど、そんなことで諦めてしまったら紫苑はどうなる。彼女の両親など生き返ってすらいない。そんな彼女の目から見れば、もう四度も生き返っているレンの母親の方がずっと希望にあふれて見えた。


それでも少年は抱いた膝の上に顎を置いて、死んでるよ、と言う。


「でも、今は生きているのでしょう?」


「あんなの、生きてるなんて言わない」


「どういうこと?」


少年は一度口をつぐみ、目を眇めてずっと続く田を見つめた。


「……俺五年前のこの時期に、酷い熱出して寝込んだんだ。まだ母様は身体を起こせた時で、ずっと俺の隣に身体を起こしたまま一晩中看病してくれた。身体を起こせるったって、やっぱり負担はかかるから寝てて欲しかったのに、でも俺はそれも言えないぐらい苦しくて、意識が朦朧としてた。その意識の中でずっと、母様が俺の名前を呼ぶのが聞こえてた」


「そう。いいお母様ね」


「うん。でも、今の母様に俺の姿は映ってない。もう何を言っても届かない。だから優しかった母様はもう死んだんだ」


「そう……」


簡単に諦めちゃうんだな、とは言わなかった。ここで諦めちゃ駄目だなんて言って、お母さんはきっと良くなるだなんて無責任なこと言って、この少年をがっかりさせたくはない。彼がそう心の中で折り合いを付けているのなら、敢えてそれを問い詰める必要はない。この少年と自分とは違うのだ。


「母様、今も俺が隣にいるように半身起こして心配そうにしてる。それを俺と婆様が心配してみてるんだ。俺が病気だったときはわかんなかったけど、母様本当に苦しそうで、あんなにやせ細って……見てるこっちが辛い。もう楽にしてやりたいよ」


「そうね」


「姉ちゃん。あんた何者?あの兄ちゃんも。ここ数年村の外から人が来る事なんて無かったのに。もう五年も帰ってこなかったあいつを連れて、何しに来たんだ」


「さぁ」


「はぁ?」


「私も良くわかんない。でも、ここへは時を直しに来たんですってよ」


「時を……直す?」


きょとんとした表情で見返す少年に、紫苑は困ったように笑って見せた。


「良く理解できないのよね。でも確かにここは、私と狗それに直崇さんがいた場所からはだいぶ時間がずれている。あまりお父様を責め立てるもんじゃないわ。外ではまだ、一ヶ月しか経っていないのよ」


「一ヶ月って……あいつがここを出てから!?」


「そうよ。ほんの数日で帰る予定だったんですって。でも帰れなくなっちゃって、一ヶ月も取引先の酒屋さんで待ちぼうけしてたらしいわ」


「なんだよ、それ」


「ねー。私も全然理解不能。詳しいことが知りたければ狗へお聞きください」


「姉ちゃんと兄ちゃん、夫婦なのか?」


紫苑は大爆笑した。


「そう見える?」


「見えねぇから訊いたんだよ。兄ちゃんの方がずっとしっかりしてそうだったから」


「あんた生意気ね」


まぁそれは事実なのだけれど。


それで紫苑はそれ以上何も言わずにいると、ふと視界になにやら黒いものが見えた。稲穂の金に蟲の黄を帯びた緑の色。そして空の赤。日が暮れているから東から少しずつ闇が迫ってきてはいるものの、そんな秋の夕暮れに突如現れた黒はあまりに異様で、紫苑は顔を上げてそちらの方を見たのだけれど、見えたと思った黒はそこにはない。


「なぁ、姉ちゃんたち、どこから来たの?」


「え?あぁ」


紫苑はもう一度そちらの方を確認して、やはり何も見えずに気のせいだと判断した。


「町の向こうの山からね。旅をしてるの」


「ふーん。何のために?」


「今はいろんな経験を積むため。そうして自分で何でも出来るようになったら、私がいたい場所を取り戻すため」


「姉ちゃん、自分の村から追い出されたのか?」


「そう言う訳じゃないけどね。でも大切だと思っていた場所も、ただ苦しかった場所も、私が本来いるべき場所であると思ったところが根こそぎ奪われてしまったってかんじかな」


「良くわかんねぇ」


そうかもね、と紫苑は笑う。


「私も良くわかんないだもの。でもそうね、私にも母様がいるの。父様もいたし、たくさんの使用人たちもいた。私、お嬢様だったのよ」


少年は、あーそんな感じ、と納得したように視線を泳がせた。それがどうにも可笑しい。


「でも私、家族が嫌いだった。小さい頃から仕事仕事でちっとも構ってくれなくて、私が具合が悪いときも、看病してくれたのは使用人の人だったわ。それでまぁ、ひねちゃって、成長してみれば山に一人で遊びに行っちゃう放蕩娘のできあがりって訳よ」


「山?」


「そう。山にとっても優しい女性が住んでいたの。お婆さまが死んで以降、私の唯一の理解者だった。とても強くて、綺麗な人。私はあの人からたくさんのことを教わったわ。毎日一人で暮らす彼女の元へ通って、毎日他愛のない話をした。私にとって本当の母様はあの人だったのよね」


「ふーん。それで?」


「ある日全部消えちゃったのよ。家族も、その理解者である女性も。それでまぁ、不思議よね、その女性のことは当然いなくなってしまって悲しかったのだけど、何故か嫌いだったはずの家族まで消えてしまうと悲しいの。思い出すのは冷めた家庭のいやーな思い出だけのはずなのに、時折それをかき消してしまうぐらい暖かい記憶があるのよね」


「嫌いだったのに?」


「そう。それで思った。例え構ってくれなくたって、何にも理解してくれてくれなくたって、そこにあるだけで大切なものっていうのがあるんだってね」


家族は不思議だ。あれば当たり前になってしまって冷たさばかりが目立つのに、無くしてしまえばその大切さが露呈する。父も母も、別に紫苑のことが嫌いで遠ざけているわけでも無かったし、暴力だって振るったことはなかった。あの二人はあの二人なりに、一生懸命紫苑が住むべき家を守ろうとしていた。


「人って、欲張りな生き物だから、与えられてしまえばその大きさに気がつかず、すぐ別のものが欲しくなるのよね。自分がいて、自分を育ててくれる人がいて、例え不器用でも心配をしてくれて、それだけでいいはずなのに。そんな家族がいたからこそ私はあの森で優しい女性に会う機会が与えられたというのに、そんなこと、気にもとめなかった」


「……家族は大切にしろって事?」


ふてくされたように言う少年の頭を軽くたたいて、その通り、と言ってやる。


「例え嫌いな家族でも、やっぱりいる理由はあるんだわ。例え顔を見たくないと飛び出しても、きっとそれは飛び出す理由を与えただけ。気づくのは本当に難しい。そして気づいたときにはもう遅い。だからそれがわかるまでは、家族を大切にした方がいいわ。現に直崇さんはあなたたちの生活を守るために家を留守にしたんだし、ちょっと不遇があっただけ」


むぅっと納得出来ない顔で地蔵とにらみ合う少年を見やったとき、また視界の端で黒いものが蠢いた。今度は気のせいなんかじゃない。

そちらの方を見るが、はやり何も見えない。たださっき同様の場所から、黒い気配のようなものが溢れ出してくるような感覚が伝わってくる。ここに入るとき手で触れた波のように、黒々しい波紋が沸き上がっては押し寄せる。


「狗?」


波紋が押し寄せてくる方向は、レンの家の方だ。恐らく沙代を診ているはずのあの家から、間違いなく溢れ出てくる。


「レン!家に戻ろう!」


「は?なんかあったのか?」


「いやな予感がする。何もなければいいんだけど」


鼓動のように視界が揺れて、目に見えぬ感覚に、深い深い闇が見えた。


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