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天使は恋をする  作者: 水瀬 凛
第16章
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その名前を、まだ呼べない

今日も、空は青かった。

人間の世界の空は、思っていたよりもずっと広い。

天界から見下ろしていたときよりも、

この高さで見る空のほうが、なぜか遠く感じる。


 


教室の窓から差し込む光が、ノートに影を落とした。

静かなはずの自分の呼吸音が、やけに大きく聞こえる。


 


──このざわめきに、まだ慣れない。


 


人間たちは、朝からこんなにも話すのか。

挨拶、笑い声、噂、冗談。

言葉が絶え間なく交わされていることに、戸惑いを感じる。


 


僕は静かに席に座り、文字を書く。

ノートに書かれた日本語は、まだどこか形ばかりで、

意味と感情をきちんと結びつけることができていない。


でも書くことで、少しずつこの世界に触れていける気がしている。


 


「ねぇ、聞いた? 昨日、天野くん屋上にいたって」


「ほんと? 誰かと一緒だったって話もあるよね」


 


……また、僕のことが話題になっているようだった。


人間たちの声は時に鋭く、心に刺さる。

でも今日のそれは、不思議と遠く感じた。


 


──彼女が、この教室にいるからかもしれない。


 


みう。

昨日、屋上で出会った少女。


静かで、けれど心の奥に強い風を感じる子。

言葉少なでも、その眼差しは確かに、何かを語っていた。


 


彼女を初めて見たとき、

どうしてか、空よりもそちらに目が向いた。


それが「感情」なのかどうかは、まだわからない。


でも、あの場所で、彼女の声を聞いたとき、

この世界に“寄り添う”という意味を、少しだけ知った気がした。


 


今日も彼女は静かに席に着いていた。


髪が揺れる。指先が膝の上でそっと動く。

そのささいな仕草に、僕の視線は自然と引き寄せられる。


 


──彼女は、きっと何かを背負っている。


話さずとも伝わるもの。

沈黙の中にある声。

僕はそれに気づけるようになってきた。


 


彼女の視線を感じた。


ふと顔を上げると、目が合った。


わずかに驚いたような表情をしたあと、

彼女はすぐに目をそらした。


でも、ほんの一瞬だったその視線に、

僕は確かに“やさしさ”を見た。


 


──どうして、そんな目をするんだろう。


 


僕はまだ、彼女の名前を口に出して呼べない。


名前とは、魂に触れる鍵のようなものだと教わった。

それを簡単に口にするには、まだ僕の心は整っていない。


でも、心のどこかではもう、彼女のことを「みう」と呼んでいる。


その音を、大事に、大事に、胸の奥にしまっている。


 


誰にも知られずに、彼女を見守りたい。


ただそれだけなのに、

どうしてこんなにも、心が揺れるのだろう。


 


今日も、屋上の風が恋しい。

でも、彼女がいるこの空間もまた、

いつか僕にとって“居場所”になるのだろうか。


 


それを決めるのは、きっと──彼女の笑顔なのかもしれない。


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