知らない温度
「……また、空、見に来る?」
その言葉が、帰り道の中で何度も反響していた。
ただの誘い。
それだけのはずなのに、
胸の奥が、まだほんのり熱い。
歩く足音。
夕焼けに染まるアスファルト。
自動販売機の光。
全部が、いつもと同じ景色のはずなのに──
なにかが、少しだけ違って見える。
「……そなたくん、ほんと変な人」
口に出してみても、誰もいない道では空しく響くだけ。
けれど、それでも口にしたのは、
胸の中のざわつきを、少しでも追い払いたかったからだ。
自分から声をかけたのは、
ただ、確かめたかっただけ。
あの時の屋上が、あの空が、
ほんとうに“幻”じゃなかったと──信じたかっただけ。
なのに、
あんなふうに、笑われたら。
「僕は、話せて嬉しいです」
って、まっすぐ言われたら──
どうしたらいいか、わからなくなる。
“嬉しい”なんて、簡単に言わないでよ。
そんなふうに言われたら、期待しちゃうじゃない。
私のことを、誰かが必要としてくれてるって、
そんな風に思いたくなってしまうじゃない。
──でも、ほんとうは。
ほんとうは、私の方こそ……
あの一言が、少し、救われたんだ。
“居場所を探してる”って言ってた。
あんなこと、誰にも言わないような顔をしてるのに。
私にだけ、見せてくれた気がした。
それはただの勘違いかもしれない。
でも、もし少しでも――私の存在が、彼にとっての“居場所の一部”になれるなら。
……って。
どうして、そんなことを思ってるんだろう。
家に帰って、自室に入り、
ドアを閉めた瞬間、深く息を吐いた。
机の上に、ノートとスケッチブックが開きっぱなしになっていた。
ふと、鉛筆を手に取る。
ページの片隅に、小さく線を描いた。
風に揺れる髪。
まっすぐな目。
不器用な言葉。
気づけば、その“後ろ姿”を描いていた。
誰にも見せられない。
でも、消すこともできない。
まるで心の奥に、あの人の存在が焼きついてしまったみたいだった。
「……ほんと、ばかみたい」
ぽつりと呟いた声が、
さっきより少し、優しかった気がした。
それでも、
この想いにはまだ、名前をつけられない。
だから今はただ──
「また、空を見に来る?」の言葉を、
何度も、心の中で繰り返していた。
……たぶん、行くと思う。
自分で認めるのが怖くて、
でも、否定しきれない気持ちが、
胸の中でゆっくりと輪郭を持ち始めていた。