世界のためじゃない、私のために
「あの……お聞きしてもいいですか」
小さく手をあげたのはミレーヌだった。
「その、お家の方は平気だったんですか?探されたり、連れ戻そうとされたりは……。それにいままでの生活をすべて捨てることにためらいはなかったんですか?」
揺れる瞳でためらいながらも真剣にたずねるミレーヌ。
彼女もいいお家のお嬢さまだけあって色々と思う所もあるのかもしれない。
そんなミレーヌにおっとりと笑いかけたママは「それは当然あったわ」とまたもあっさり答えた。
「いざこざもあったし、ためらいも不安もあったわ。だけど私は私の幸せのために選んだの」
「……選んだ」
「ええ。人の幸せはそれぞれよ。豪華な暮らしや立場より私にとっての幸せはパパといっしょにいることだった。だからぜんぶ捨てて逃げることを選んだの」
「…………かなり強引な方法だったけど」
いよいよ遠い目でポツリと呟くパパ。
「ママ……なにしたの……?」
「駆け落ちしてすぐに見つけだされちゃったから「彼といっしょになれないなら死んでやる」って首に刃物つきつけただけよ?」
一同絶句。
当時を思い出したのか額を押さえるパパの横でにこにこしたままのママをガン見した。
「あと万が一パパに危害でも加えたら「家ごと巻き込んで自滅してやる」って説得したの」
「なにやってんの、ママ?!」
再びエマは叫んだ。
さっきより強く、ガタリと席を立ちながら叫んだ。
それ説得ちがう、確実に脅迫やん……。
「ポイントは本気度を示すことよ。ただの脅しじゃダメ、熱意って大切だもの」
「……さすがはエマの母親」
「たしかに」
「ちょと、クルトにレオンさま?どーいう意味ですか??目ぇ逸らしてんじゃないやい。ハリソンさんもですよ」
失礼な反応を示す男性陣につっこめば、露骨に目を逸らされた。
プンプンしながら席に座り直せば、横から伸びてきた手がエマの髪をなでる。
「ママ?」
「逃げることもひとつの方法なのよ」
さっきまでとはまた違う柔らかな笑みを浮かべ、言い聞かせるように語られる声の内容にとまどう。
「こんなことを言ったら怒られちゃうかもしれないわね。けどね、覚えていてほしいの。本当にムリだと思ったら、逃げてもいいの。逃げたことを後悔せずにいられるなら、代わりに失うものと天秤にかけてそれを選べる覚悟があるのなら、逃げ出すことだってひとつの勇気だわ」
なにを言われているのかわかって、目を見開く。
だって誰も言ってくれなかった。
選ばれたんだから……拒否権なんてないと諦めていた。
髪を撫でていた手がエマを優しく抱きしめる。
その柔らかさに、体温に、喉の奥が熱くなる。
「そのときはママたちもいっしょよ。どこまでだってあなたといっしょに逃げてあげる。だってエマは私たちの大事な娘だもの」
肩を包む手に顔をあげれば、優しく頷くパパの顔が見えた。
「そうだよ、エマ。パパにとってはママもエマも世界と同じぐらい大切だからね」
仮にも王子さまと騎士さまが居る前で不敬極まりない発言だ。
だけどそれをいさめる言葉とか、言い訳だとかはぜんぜん思いつかないで……ただ熱く込み上げるものを押さえるのに必死だった。
唇がふるふると小さく震える。
気を抜くとじんわり潤みそうになる涙を必死に堪えた。
旅立ちは笑顔で、ってそう決めていた。
だから表情筋を叱咤してぎこちない笑顔をつくる。
「ありがとう。パパ、ママ。もしものときはお願いね」
こちらからもぎゅっと手を伸ばして2人に抱きついた。
みんなが微笑ましそうに見ているのがいたたまれないけど、恥ずかしさをこらえて顔をうずめるように抱きついたあとで顔をあげた。
「だけど後悔しないようにがんばってみる!」
正直、世界を救うとかいまだってピンとこないし、勘弁してよって思ってる。
だけど…………。
パパやママや常連さんに街のみんな、大好きな人たちとこの生活を守るためなら…………がんばれる気がした。
「「いってらっしゃい」」
店の外まで見送ってくれた2人に、声をかけてくれる街の人々に。
エマは今度こそ満面の笑みを浮かべて答えた。
「いってきます!!」