本当はずっと役に立ちたかった-後
凜夜にとって主人の次に心を砕いているのが、下の兄妹達である。幼い頃から巻き込まなくて良いものに巻き込んだ自覚はあった。次男坊である弟は、仕えたくもない相手に仕えることになり、妹は早々に跡継ぎに担ぎ上げられている。その責務をそれぞれ全うしたというのは彼等を見ていれば理解できた。
――頑張ったんだろうな
見ていれば理解できる。努力をしてきたのだ、とその佇まいから察せられた。そして、それに満足していない貧欲さ。本当に自分の下の兄妹なのかと疑いたくなるほどの勤勉さに、凜夜は信じてもいない神に感謝した。
今の彼等にならば、主人を任せても問題ない。
主人も彼等を頼ることができるだろう。それはとても喜ばしいことだ。万が一のことがあれば、凜夜が口を出しやすい。そして、凜夜が間違ったことをすれば、彼等は決して許さないだろう。必ず諫言を凜夜へ渡してくるに違いない。
諫言をもたらす存在は仲間達でも良いだろう。だが、それでは凜夜が納得できない。それでは結局意味がないのだ。最も有効な手段は主人に注意させることだが、凜夜の主人は酷くいろいろなことに寛容である。主人に直接害がないと判断されれば、凜夜の力量に任されることがほとんどだ。それで凜夜が失敗しようと、結果として主人に不利益をもたらそうと、主人はあまり気にしない。
『それはキミの努力の結果なのだろう? それならば別に構わない』
サラリとそんな風に言ってしまえる主人を、凜夜は生前からずっと慕っている。この慕っている、には下心も含まれていることは、主人を含めて周知の事実だ。間違いなく劣情を抱いているが、主人に粗相をするような間違いはしない。
その信頼のもと、主人への思いは黙認されている。
だから、妹から言われた「兄上様の悋気を許していない」というのは堪えた。
主人に関わる何某に関して、許容範囲が狭いことは自覚している。できるかぎり、主人の周りのことは凜夜が整えたいと願っていた。それゆえ、凜夜は主人に関わることを周りの者がやろうとすると気分が落ちる。事実、取りあげると不機嫌になるから止めろ、と他者に注意しているところを耳にしたことともあった。
妹が「マシになっている」と評した今でさえそれだ。生前など考えるまでもない。主人に関する何かを奪われれば、取り返そうとしただろう。
「兄上。先ほどの小百合の話なのですが」
切羽詰まったように言う弟に視線を流す。既に妹は退室しており、弟と二人でお茶をしていた。主人から渡された時間まで凜夜は主人の元へ戻れない。それを察して弟は凜夜に付き合っているのだろう。妹は予定があると言っていたので、早々に帰した。
そんなのんびりしていた場で、雰囲気にそぐわない弟の様子。思わず凜夜は首を傾げる。
「どの話だ?」
妹がいる時に交わした言葉は相応にある。距離感が掴めないな、と思ったのは最初だけで、結局話し込んだ。やはり凜夜達は血のつながりのある兄妹なのだな、と関係ないことを考えていた。大した情報にはならない雑談をのんびりと交わす。
凜夜としては弟と妹の知らない一面を見られて楽しい。
「兄上の悋気の話です」
「あぁ……」
遠くを見てしまうのは仕方がない。
妹の言葉は耳が痛かった。主人の死因が凜夜の悋気である。そう言い切ったのは妹が初めてだ。主人は餓死したことを当然のことだと言う。だが、それは防ぎようがあったことだと、凜夜は当然分かっていた。
――それを、俺が許せなかっただけだ
主人に関わる何某を、周りに任せてはおけない。凜夜の家に連なる者達が主人を裏切るわけがないだろう。そう思いながらも、常に疑っていたことは否定できなかった。もし、彼等が何某かの理由で主人を裏切っていたのならば。そう思えば、主人に関わる者はできる限り少人数であるべきだ。そう連なる者達に伝えた凜夜は間違っていない。彼等も納得していたし、凜夜もそうあるべきだと疑っていなかった。
だが、そうではなかったのだ。そう理解したのは、生憎ながら死んでからである。
ここでは主人の命は脅かされない。当然だ、もうすでに死んでいるのだから。主人が嫌だと思うことも起きない。そう認めた後も、凜夜は主人に自分以外が関わることを許容できなかった。最初は分からなかったが、今ならはっきりと理解できる。
嫉妬したのだ、主人に認められた何某に。
主人に認められた人物が死ぬほど羨ましかった。そこに立つのは自分なのだと叫びたしたいほどに。実際、主人に訴えたことがある、「もう俺は必要ないのか」と。もちろん、そんなことはないと分かっている。だが、凜夜は主人の言葉が必要になった。今でも、煩わせてしまった、と思っている。それでも後悔していないのは、決して口にはしない。
『僕は凜夜を一等信頼しているよ。それでも、キミにだけ負荷をかけるのは認められない』
はっきりと言いきられて凜夜は言いつのった。
『俺は桜様に関わることを負荷に思ったことはございません』
傍においてもらえるのなら何でもする。だから捨てないで欲しい。
そう言い募った凜夜に主人は少し困った様子を見せながら、それでも受け入れてくれたのを覚えている。
主人は凜夜を拒否しない。
この場所に導かれた後、凜夜が頭を下げて懇願したから。主人に捨てられたら凜夜は生きていけない。彼女の言葉がそのまま、凜夜の行動原理となる。
凜夜は主人を心の底から愛しているし、彼女のために一番何でもできると自負していた。
恐らく周りもそういう認識だろう。
だから、凜夜は主人から離されないし、重宝されている。
「小百合はああ言っていましたが、本当はもっと頼られたかったと思っているのですよ」
凜夜に似た顔を穏やかに緩めながら言う弟に、凜夜は小さく笑い返す。
――分かってる
生前は幼かった彼等が、主人のために学んでいたことを。主人に仕えたいと願っていたことだって。主人に仕えるために努力をしていたことを知っている。だからこそ、こうして主人に仕えられる今が幸せだということも。
「桜様や兄上に、僕達はもっと頼られたかったんです」
弟は言う。
凜夜達に頼られるほど大人でなかったから、あの悲劇は起きたのだ、と。凜夜に苦言を呈することができる人物がいなかったが問題だった。せめて、その役を自分達が負うことができれば違っただろう。
タラレバを言っても仕方がないことは分かっている。それでも、ずっとそう思っていたのだ、と彼は言う。
――なんて
綺麗な思いなのだろう。凜夜は思わずにはいられない。
「次はちゃんと頼るから」
頭を撫でてやったのは初めてだ。