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運命を捻じ曲げろ②

 陽太が引き戸を開けた瞬間、そこには鳥居に近い神社の境内ではなく大きな国道と街路樹に燦燦と太陽の光が降り注いでいる景色が広がった。

 ついさっき、水面に映っていたあの景色と同じだ。ということはここは美月の会社の近くである。

 水羽はどこだ。美月は。

 陽太は目印になるものを探すために辺りを見渡した。ぐるりと首を回すと、歩道の一角に人だかりができているのが見える。まさか、と思って背伸びをしてみると、人だかりの内側はぽっかりと隙間が空いていて、真ん中にひとりの男と美月、そしてもう一人の女性がいるではないか。

 女性は手に持ったものを地面に叩きつけながら、ぎゃんぎゃんと大きな声で怒鳴っている。周りの人は野次馬だろう。人の輪の外側では、どこかの会社の制服をきた女性たちがひそひそと何やら小声でささやき合っているのが見えた。

「やばい!」

 陽太は慌てて人だかりに突っ込んだ。後をついてきた山吹も、そしていやいや放り出された紅丸も陽太に続く。

 お天気の良い日のランチタイムに突然起こった痴話げんか、いやド修羅場に、興味津々と言った風の野次馬をかき分けて中に入ると、ちょうど女性が手に持った紙をすべて竹中に叩きつけたところだった。

「あんた! これでもまだ言い逃れしようって言うの! こんだけ証拠があるのに!」

「いや、待てって祐奈……。ほんとに、こんなのただの冗談じゃないか……。落ち着いて――」

「冗談でもやっていいことと悪いことがあるでしょう!」

 見苦しくもまだなにやら言い訳をしようとする男に対して、女性の悲鳴に似た一喝が響き渡る。

 一瞬辺りが静まり返ると、男は小さく舌打ちをした。

「……も、もういいよ、別れてやるよお前なんか。俺には小林さんがいるし」

 不貞腐れたような、しかしこの期に及んでまだどこか自信ありげな口調で男が美月を振り返る。周囲の野次馬同様に二人のド修羅場をおろおろしながらも見守っていたらしい美月は、竹中の視線に困惑したように後ずさった。その手にはやはり何枚も紙が握られていた。

「ね、美月ちゃん」

 婚約者とのド修羅場を見せつけておきながら人の彼女に何を、陽太が足を踏み出した時だった。

「ごめんなさい! 無理です!」

 こちらも悲鳴のような美月の声が響いた。普段の美月からは考えられない。思ってもみないほどの大音量で叫ばれ、陽太の足が止まる。もちろんそんな大声で拒否られると思っていなかったのか、竹中も鳩が豆鉄砲を食らったようなきょとん顔で動きを止めた。

「すいません、私今仕事が楽しくて楽しく手仕方がないので男の人と恋愛する余裕ないんです。ほんとです。それに私彼氏もいますし、でもその彼氏との関係も今ちょっと悩んでるところがあって、いやだからと言って竹中さんとどうこうなることなんて微塵も考えられなくて、いやつまり、本当にごめんなさい。ここ最近なんか距離感近いなって思ったんですが迷惑って言ったら傷つけちゃうかなって思って――」

「み、美月……?」

 勢いよく頭を下げて怒涛の説明をし出した美月は陽太の声に反応して辺りをきょろきょろ見回した。

「よ、陽ちゃん!?」

 まさか平日の日中に陽太が会社の前にいるとは思わなかったのだろう。素っ頓狂な声を上げた美月は、呆けたようにその場にへたり込んでしまった。竹中の方はと言えば狙っていた女の彼氏が出てきたことを察したのだろう。げ、と呻いた瞬間に婚約者に思い切り引っ叩かれていた。

 へたり込んだ美月は陽太が駆け寄ると、ほっとしたのかぽろぽろと涙をこぼし始めた。

「あー、すいませーん。修羅場終わりましたー」

「お騒がせしました―。どうぞ皆さんお足元お気をつけてー」

「二人とも頼んだ!」

 はいはーいこちらでーす、などと山吹と紅丸が野次馬を追い払う声を背中に聞きながら、陽太は泣いている美月にハンカチを差し出そうとポケットを漁る。こつんと指先に固いものが当たり、ハンカチを引っ張り出した拍子にそれがポケットから転がり落ちた。

「……陽ちゃん」

 転がり出たものは、美月に渡そうと思っていた指輪の小箱だった。分かりやすいその形状に、美月は顔を覆って泣き出した。その涙が、嬉しさによるものではないことを今の陽太はもう理解していた。

 今、この時において、美月の運命の相手は自分ではない。今の彼女の心は自分ではなく、仕事やまだ見ぬ自身の未来に向いている。陽太と同じ方向を見ていないことに対する申し訳なさの涙なのだ。

「ご、ごめ……陽ちゃ……。わ、わたし……今は……」

「大丈夫だよ、美月。ごめんな、なんか、俺、ぐずぐずしてた」

「ちがっ……陽ちゃんのせいじゃなくっ……て、わたし、わたし今……仕事……」

「だよな、楽しいんだよな。知ってる。いつも、仕事の話してるときすげえ楽しそうだし」

 泣きじゃくる美月の背を撫でながら、陽太は小箱をポケットに収めた。

「今度っ……海外っ……拠点のしゅっこ……チャンスだからっ……結婚とか、今は考えられなっ……ごめっ……」

「分ってる。分かってるよ。タイミングが違ったよな、俺たち」

 頑張って、と陽太は美月の肩を抱きしめた。細い肩が震えて、そして陽太に預けていたはずの体重がふと軽くなる。ああ、と陽太は空を仰いだ。

「ずっと気を使わせててごめんな。美月が思うようにやってこいよ。俺も、もっと甲斐性のある男になれるように頑張るよ」

「……戻ってきて、まだ好きだったら……」

 顔を伏せ、しゃくりをあげながら美月が囁くように未練を口にする。空を見上げた陽太はゆっくりと首を振った。

「縛る言葉は言わないよ。美月の思うように生きて、頑張って」

 そう言いながら、陽太は自分の小指に巻かれた赤い紐をほどいたのだった。



 泣き止んだ美月を会社に送り届けた陽太は、野次馬を追い払った山吹と紅丸、そして婚約者を焚きつけて竹中を締め上げて満足した水羽と合流して高天原茶房に戻ってきた。

 本当のところ、ひどく疲れていたので自宅に帰ってしまいたかったのだが時間を捻じ曲げているのでダメだと山吹に言われ、しぶしぶ茶房に戻ってこさせられたのだ。

 引き戸を開けるなり疲れたーといってソファに体を静める紅丸。興奮しすぎとキクやウカに注意をされしょんぼりする水羽。

 それらを横目に、カウンター席に座った陽太は山吹にコーヒーを一杯注文した。これを飲んだら帰ろう。

 エプロンを付けてにっこり微笑んだ山吹は、カウンターの奥に引っ込んでがさがさを作業を始めた。しばらくするとふんわりと香ばしいコーヒーのにおいが店内に漂い始める。

「どうぞ。とっておきのマメ、使いました」

「ありがとう」

 一杯目とは違うカップに注がれたコーヒーは、陽太の前で白い湯気をくゆらせていた。香りも一杯目とは違い、随分と高級そうだ。ソーサーの隣にことりとおかれた小皿には、小さなチョコレートが乗っている。

 陽太は胸いっぱいにコーヒーの香りを吸い込み、一口ゆっくり飲み込んだ。

「そういえば牧野さん、キクさまの紐は外しちゃったんですね」

「うん。美月はまだ仕事がしたいって言うし、俺にそれを縛る権利はないしね」

「ええっと、そうではなく」

 陽太がチョコレートに手を伸ばすと、山吹が少し言いにくそうに語尾を濁した。

「この場合、運命のお相手は美月さんじゃありませんでしたけど、どっかにいますよ? もう外しちゃったから出会えないかもしれませんけど」

 え。

 陽太の手が止まった。

「それ、マジ? 運命の相手って、結婚相手ってことだよね?」

「ええ、ずっと巻いたままなら近いうちに出会えたはずなんですけど、外しちゃったからなぁ……」

「それ、早く言ってくれよおお」

 思いもかけぬ告白に頭を抱えた陽太の隣に、紅丸がドカッと腰を下ろした。

「なあ、牧野サン。そういえばさ、金盥、壊れちゃったんすよね」

「ああ、そうだった。水羽が無茶しちゃったからなぁ。倉庫に予備あったっけ?」

「いやいや。もとはと言えば、牧野サンのお悩み相談から始まったことじゃね?」

 唇を尖らせた紅丸は転がっていた金盥の穴から陽太を睨んだ。

「あー。じゃあうち、金物屋だから今度新しいやつ持ってくるよ。サイズ、このくらいでいい?」

 やった、と紅丸がガッツポーズをした。要するにそれを言いたかったらしい。少年らしい仕草に陽太が頬を緩めると、じゃあじゃあと山吹が割って入る。

「フライパンも、さっき落っこちて歪んじゃったんですが!」

「ああ、それも持ってこようか。大きさは、どんなのが――」

「お玉も! お玉も壊れています!」

 カウンターの話が聞こえたのだろう。キクに絞られていた水羽が振り返って片手をあげている。

「コーヒーフィルターも、紙じゃなくて金属のやつにすると香りが違うって、本で読んだんですよねぇ。そういうのも一回使ってみたいなぁ」

「まずは盥が先決だろうよ! これじゃ水鏡も使えねえし」

「お玉! お玉です!」

 ああもう、と陽太は肩を竦める。

「入り用なものがあったら持ってくるから。ちゃんと整理して注文してよ」

 おお、と三人はにわかに色めきだった。いつの間にカウンターの中に入っていた、着物姿の小柄な老人も小さなザルをおずおずと差し出している。

 美月との結婚の縁はなかったけれど、変な縁ができたもんだな――。陽太は老人からザルを受け取って、そして「とっておきのマメ」を挽いたというコーヒーをまた一口飲んだのだった。


こちらまでお読みいただきありがとうございます。

今後も不定期ではございますが、ひとまとまりごとに更新ができたらなと思っております。


ゆっくりにはなりますがどうぞよろしくお願いいたします。

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