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眷属、出動②

「まあね、あんたが甲斐性なしってのは仕方がないことよ。でもそれを知ってて付き合ってくれてる彼女が、あんたと縁がないわけないってアタシは思うわけ。彼女の方が給料高い? そこが気になるならあっちの給料減らしてやればいいじゃないの。なんにせよ任せときなさいって!」

 いやいやいや。

 陽太は慌てて首を振った。

「縁結びって。成就ってなに! 美月の給料下げるって、どういうことだよ! もう、なんなんだよ、この店!」

 取り乱した陽太を、まあまあと山吹が宥める。その間にキクは鞄から紐を二本引っ張り出した。色は白く、紙をねじったこよりのような、糸を編んだような、不思議な質感の紐だった。キクはそれを水羽に預け、紅丸に金盥(かなだらい)に水をいれて持ってくるように言いつける。

「本殿裏の湧き水から汲んでくるんだよ!」

「ひと使い荒いっすよ、キクさまぁ」

「うっさいよ。ウカちゃんだってことの顛末が見たいに決まってるだろ?」

「ぐー、姫さんがそういうなら……しかたねえなぁ」

 どうやら紅丸はウカの名を出されると弱いようだった。カウンターの奥から金盥を引っ張り出すと、ツインテールの少女に手を振って裏口からさっと飛び出していく。

「この仕事が終わったら、アタシからあんたたちに特別ボーナス出してやるからさ」

 キクの景気の良さげな話に頷いた山吹は、水羽から紐を一本受け取るとくるりと振り返って陽太に手を差し出した。

「さ、牧野さん。左手を出してください」

「……左手? なにを」

「これです、これ」

 おずおずと陽太が手を出すと、山吹はその小指にさっと紐を巻き付けた。すると、蝶結びにされた紐が瞬く間に紅く染まっていく。

「わあ、牧野さん。これもう運命のお相手がいる印ですよ。良かったですねぇ」

「運命の、相手……」

 陽太の脳裏に美月の笑顔が蘇った。

「キクさまの縁結びの力は絶大ですからね。安心して俺たちに任せといてください」

「い、いや、でも……どうやって」

 そもそも縁を結ぶとは一体どういうことなのだろう。訳が分からず戸惑っていると、水を張った金盥を抱えた紅丸が戻ってきた。

「キクさまぁ、これでいいっすかぁ?」

 上等上等とキクが微笑むと、紅丸はカウンターに金盥を置きエプロンを脱いだ。陽太はキクに手招きされるまま金盥に近づく。中を覗くようにいわれて見るも、両手に抱えられるサイズの盥には約八分目ほど水が張られているだけだ。

 陽太が何の変哲もないただの水を眺めていると、山吹と水羽もエプロンを脱いだ。

「んじゃ、いってきまっす!」

 威勢の良い声は紅丸だろうか。どこへ、と顔を上げた陽太だったが、隣にいるキクにすぐさま耳を引っ張られて金盥の方を向かされた。いつの間にかテーブル席にいたはずのウカという少女がカウンターに入って、陽太と反対側から盥を覗き込んでいる。

「よく見ておきな。あの三人に任せとけばあんたの縁はばっちり結ばれること間違いなしってね」

「いや、だから縁を結ぶってどういう……」

「ほらごらん」

 陽太の質問を遮るように、キクが盥の中を指さした。その指の先に目を落とした陽太は息を飲んだ。そしてがばっと顔を上げて入り口のガラス戸の向こうを見て、また盥に目を落とす。

「これって……美月の、会社……」

 盥の水に映っていたのは、燦燦とした陽光が降り注ぐ日中の風景だった。街路樹の向こうにあるのは美月の勤める商社の社屋だ。何回か配達ついでに通りかかったことがあり、でかい会社だとそのビルを見上げたのはいつだったか。見覚えのある風景に陽太の胸がまた痛む。

 しかしどういうことだろう。今は日曜の夜のはずだ。夕方に美月と別れ、トボトボと歩いて神社前まで来ていたのではなかったか。夕焼け空に浮かび上がった鳥居を見たはずで、それから半日以上ここにいるわけもない。体感で一時間か、もうちょっとくらいか。

 盥の中の風景はどう見ても昼間だ。街路樹の影の短さから言えば、正午付近かもしれない。どういうことだ、事前に撮った映像でも映し出しているのかと思ったがそれもすぐ違うことが分かった。

 盥の中の風景に、山吹、紅丸、水羽の三人が移りこんできたからだ。ぶんぶんとこちらに手を振る山吹の隣にいる水羽は、白い紐をちらちらと揺らして見せている。あれはついさっき、ここでキクから受け取った紐だ。

「なんで……どういうこと……今の時間って夜じゃないのか?」

「言ったろ? ここは彼岸と此岸の境目だってあんたたちの住む世界とここじゃ、時間の進み方が違うのさ」

「じゃあ、まさかもう月曜……」

 まずい、仕事が、と陽太は腰を浮かせかけた。しかしキクががっちりと肩を掴んで離してくれない。外泊くらいは何も言われないが、仕事をサボるわけにはいかない。親父の雷を想像し、尻の下がむずがゆくなった陽太はキクの手を剝がそうと身じろぎをした。

 しかしどうやっても外れない。女性の力と侮ったからかと渾身の力でキクの手を外そうとしてもびくともしないのだ。

「心配しなくったってだーいじょうぶだって。あの子たちの仕事が終わったら元の時間に帰れるから」

 けらけら笑うウカは頬杖をついて金盥の中を指さした。

「ほら、見てなさいよ。ベニ達があんたの彼女ちゃんにあの紐を結ぶから。赤くなれば彼女ちゃんが運命の相手ってことで、安心してばーんとプロポーズできるでしょ? 赤くなんなくったって、キク姐の縁結びの力で結ぶから結婚はできるわ」

「ちょっと待てよ、あんたら、美月に何するつもりだよ!」

「いーからいーから。手荒な真似はしないって」

 ほら出てきた、とウカが弾んだ声を上げた。

 つられて盥の中を覗くと、社屋から一組の若い男女が姿を現している。ベージュのスカートスーツを着て、肩に届かない程度に伸ばしたサラサラの髪をなびかせているのは、確かに陽太の彼女である美月である。

 その隣にいるのは誰だ。陽太より背が高く、きっちりとスーツに身を包んだ男は慣れた様子で美月をエスコートし歩道を歩きだした。時間の様子から言って昼食にでも出たのだろうか。

 すると水面に映った景色がすうっと二人に近づいた。まるでカメラのズーム機能だ。二人の背後を追っているかのように動く映像に、陽太は美月の後をつけているような錯覚に陥った。

 時折見える美月の横顔は、楽し気に会話をしているようで微笑んでいた。会社の奴らはあの笑顔を毎日見ているのかと思うと、胸が苦しくなるような、腹立たしいような気分になってくる。隣を歩く男も親し気な様子だ。なにやら冗談でも言い合っているのか、男が身振り手振りをくわえると、美月が大きな口を開けて笑っている。

 ――あんな笑顔、もうしばらく見ていない。

 陽太が呆然と二人の様子を眺めていると、ウカとキクは盥の中に向かって声をかけた。

「ほら水羽! やっちゃいな!」

「ベニ! ちょっと隣の男転ばせてやりなさいよ!」

 聞きようによっては物騒な台詞である。おろおろしながら陽太が見守っていると、水面に映りこんだ三人は盥越しに頷いて前を歩く二人にそろそろと近づいていく。

 あんなに怪しい動きをしている奴らが近くにいるのに、美月も男も気が付かないのか振り返りもしない。あっという間に距離を詰めた水羽は、歩くタイミングに合わせて美月の左手の小指に紐を巻き付けた。

 ふた巻きほどぐるぐるっとすると、紐の両端を持った水羽はそれを蝶結びにする。

 陽太の時は即座に紐が赤く染まった。美月はどうだろう。陽太は思わず息を潜めた。鼻息で水面が揺れて、赤く染まる瞬間を見逃したくない。

 水羽が蝶結びにして、一呼吸、ふた呼吸。

 あれ、と画面の向こうの三人の顔に戸惑いの色が浮かぶ。

 三呼吸、四呼吸経つと、山吹が目に見えておろおろしだした。――美月の小指に結ばれた紐は、色が変わらなかったのだ。


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