眷属、出動①
「なにそれ、ダッサ」
陽太が概要を話し終えると、青メッシュの少女――水羽が冷たく言い放った。しっかり者なキャラだろうと思っていたのに、意外と毒舌なのだろうか。カウンター越しではあるが、陽太を見る目が冷静そうなものからまるでゴミくずを見るかのようなものに変わっている。
「そう言うなよぉ。男にはメンツってもんがあるんだからさぁ。まあまた今度のデートでぶちかましてやろうぜ? なあ」
「そのメンツを拗らせて相手を信じられなくなってるのがダッサいって言ってるの。どうせこのザマじゃ、次だろうがその次だろうが無理よ。言えないまま何年か経過して、呆れた彼女に振られるのがオチね」
紅丸の擁護もむなしく水羽にとどめを刺され、陽太はカウンターに突っ伏した。
なんだこの辱めは。狭いとはいえ空席がないほど入っている客全員に自分の情けないプロポーズの失敗談を聞かれ、その上で年端もいかない少女にこっぴどくやられるなんて、罰ゲームかなにかだろうか。
「まあまあ、牧野さんだってねえ、頑張ってるんですからそこは認めてあげようよ」
ねえ、と金メッシュの少年――山吹と言ったっけ、がメモを握りしめて水羽に抗議した。その隣ではキクと呼ばれていた女性が目頭を押さえながらカウンターに肘を付いている。
「そうさね、牧野の末にしちゃあ頑張った。先々代は見合いだってことごとくしくじってんだから、自分で好いた女を見つけてくるだけマシってもんじゃない?」
「でもようウカ。そんな賢い女だったら、兄ちゃんの切り出してえことくらい気づいてそうなもんだけどなぁ」
「エビちゃんは女心分かってなさすぎ~。そこを知らないふりして驚いてあげようって思ってるんじゃない? それか、知らんぷりしてフェードアウトさせたいか」
ウカと呼ばれた少女風の客は聞えよがしにきゃっきゃと笑い出した。
フェードアウトという言葉が耳に入ると、陽太はさらに落ち込んだ。胸に広がる黒い気持ちがどんどんとその濃度を増していく。やっぱり近くに男がいるのかもしれない。大卒の彼女に釣り合う学歴で、自分より稼ぎがあって、彼女が頼りにできる男がいるのかもしれない。
だってそうだろう。五年も付き合っていてここ数カ月落ち着きのない様子を見せていた陽太に気が付かないはずがない。今日だって映画の最中ですらそわそわして、手も繋げなかったのだ。美月はそれを分かっていて、あえてスルーしているのか。フェードアウトを狙っているのか。ぐるぐるとループする思考は陽太の気持ちをさらに深いところまで落としていく。
真っ青になって俯いてしまった陽太に、山吹がそうっとおしぼりを差し出した。
「まぁまぁ。牧野さんはちょっと落ち着きましょう。ウカさま、エビさま、ちょっと外野の声が大きくて牧野さんの声が聞こえなくなっちゃいますよー」
金メッシュの山吹が客席の声を窘めると、紅丸が少女風の客を庇うように抱きしめた。なんだ、彼女か。陽キャには陽キャがくっつくんだな、と陽太はあきらめにも似た気持ちで彼らから目を離した。
で、と山吹は続ける。
「牧野さんのお悩みは分かりました。そんな鬱々した気分だったら、ここに来たのも納得です」
「……納得って」
「この店、普通のニンゲンさんにはちょっと見つかりにくいところに建ってるんですよ。店に気が付くニンゲンさんっていうのが、大体今の牧野さんと同じようになんか悩んでたり、地に足がついていなかったりして、彼岸と此岸の境目にいるようなひとでして」
彼岸と此岸とはなんのことだ。彼岸と聞いて思い浮かぶのは春と秋の墓参りくらいな陽太は首を傾げた。
するとそれを見ていた水羽が山吹を押しのける。
「彼岸はあの世ってことよ。つまり、あなたは今、あの世とこの世の境目にいるってこと。死にかけなの」
「……死にかけ?」
そ、と事もなげに水羽が頷いた。
「で、あなた、彼女さんとどうなりたいわけ?」
結婚? 現状維持? と詰められた陽太はええっとと言葉を濁した。
自分だってできれば彼女と結婚したい。五年もの間付き合っている事実はあるし、その間に作った思い出は今も陽太の中で鮮明だ。可愛く、そして賢く、自分の仕事を楽しんでいる美月のことを愛している。
だが自分の中でそれが全て純粋な愛であるかと聞かれたら分からないと答えるしかない。
専門学校を卒業してから自営業を営む陽太には、学生時代のような出会いがあるわけでもない。初めての彼女である美月に執着しているだけではないかと思う時があるのだ。
これを逃したら結婚できないかもしれない。次の彼女ができる保証もない。よしんば次の彼女ができたとして、それが今の彼女よりいい女である可能性はどうだろう。美月より劣る女であれば比較してみじめになってしまうかもしれない。
なんという自己中心的思考だろう。考えれば考えるほど、美月を手放したくないと思うのと同時に自分が彼女にふさわしくないのではと思うのだ。そしてこの数カ月におよぶ躊躇いが生まれ、彼女にあらぬ疑いをかけて落ち込むということを繰り返している。
「男だったらばーんと玉砕してきなさいよ」
「君さ、簡単に言うなよ……五年も付き合って、ばーんで玉砕したらシャレにならないだろ」
「五年も付き合ってて彼女がプロポーズを受けてくれる自信を持てないほうがおかしいわ。その自信のなさを相手に押し付けようとしているのがまたダサいって言ってるの」
「水羽ぁ……それ傷口えぐってるってぇ」
カウンターの中と外で水羽と紅丸が呆れかえっている。それを受けてまた外野の客性ががやがやとうるさくなってきた。やれ玉砕しろだの、こういうのはタイミングだの、身分不相応だの、てんで他人事の言い分に陽太の心の天秤が負の方に傾いた。
そうだ。どうせ自分など年収も少なく甲斐性もない負け組だ。自信がない? そうだその通りだ。だったら玉砕覚悟でプロポーズして、盛大に振られてやる。
公開お悩み相談ショーでざっくり傷ついた陽太は、腰を上げて改めて老人に頭を下げた。
「話、聞いて下さってありがとうございました。俺、帰ります」
行きずりの相手に自らの恥部を晒し、自分よりずっと若い女の子にダサいと看破されればもう怖いものなどない気になる。さっき別れたばかりだが、美月はまだ家に帰っていないだろう。呼び出して、そして、と陽太はポケットに突っ込んでいたスマホを取り出した。
しかしだ。取り出したスマホの画面は真っ黒で、どこを触っても起動しない。壊れたか、まだ分割払いが済んでいないのにと青くなった陽太の手から、山吹がスマホを拾い上げた。
「すいませんね。この店、すまほ? 使えないんですよ」
「へ?」
「言ったでしょ? 彼岸と此岸の境目に建ってるって」
にっこり笑った山吹は、そのままスマホをカウンターに置いた。
返してもらわなければ帰れないじゃないか。陽太がそれに手を伸ばすと、それと同時にカウンターに伸びてきた手があった。がしっと陽太の手首をつかんだそれは、キクと呼ばれた女性のものだった。
あまりの力強さに驚いた陽太がキクを見ると、両目からぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。化粧は大丈夫か、と余計な心配をしているとキクは両手で陽太の手を取った。キクの背後で、紅丸が大きな口を開けているのが見える。
「あんたの悩みは分かったわ! このアタシに任せなさい!」
「え?」
「この縁結びの女神、キクリヒメの名において、あんたと彼女を末永くむすびつけてやろうじゃない! 山吹! 紅丸! 水羽! あんたたち、仕事よ!」
「は!?」
高らかに宣言した女性に対し、本日一番の「は?」が出る。縁結びの女神? キクリヒメ? 聞いたことがあるような、ないような名前に陽太の頭の中はクエスチョンマークが飛び交った。
言うに事欠いて、自称女神とは頭がおかしいのではと距離を取ろうとするが両手でがっちりと手を握られているので離れられない。陽太は助けを求めるように山吹を振り返った。
「あー。請け負っちゃったよ」
「仕方ないじゃない。キクさまにこういった話聞かせたら、そりゃこうなるわ」
山吹は水羽と肩を竦めながら陽太にウインクを寄こした。そしてメモ帳をエプロンのポケットにしまうと、ぴんっと人差し指を立てる。カウンターの向こうでは水羽も真顔になり、キクの後ろにいる紅丸もそれに倣った。
「牧野さんの縁結び、俺たち高天原茶房の三人が成就させますね」
そういってにっこり笑った山吹に、陽太はまた「はあ」と返事をしたのだった。