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牧野陽太①

 ――また今日も渡せなかった。

 夕焼けによって景気よく真っ赤に染められた西の空に、まるで影絵のように神社の鳥居が浮き上がる。それを横目に見ながら、牧野陽太はがっくりと肩を落としていた。

 朝から駅前で待ち合わせたデートは、映画を見て、ランチをして、ちょっとショッピングモールで買い物をして、お茶をして、と順調に進んだのだ。順調に進んでいたのに、やっぱりプロポーズできなかった。

 陽が傾き、いざディナーの店へというところで怯んでしまい、「じゃあ今日はこの辺で」と彼女に帰宅を促してしまった自分が心底情けない。

 陽太はジャケットのポケットに手を突っ込んだ。指先に当たる固い感触に顔が歪む。そこにあるのは婚約指輪が入った小箱だ。これを目の前に出してぱかっとやって結婚してくださいというつもりだったのに。

 でもできなかったのだ。

 原因は多々ある。その大部分は自分の自信のなさ故ということは、陽太自身がよくわかっていた。

 陽太の彼女である小林美月は、どこへ出しても恥ずかしくない、いやむしろ全世界に見せびらかしたいほど自慢の彼女である。容姿端麗、才色兼備が具現化するとこうなるのではないかと陽太は本気で思っているほど、美月はかわいく、美しく、そして賢かった。

 勤める企業も大手の商社。仕事内容は……聞いても陽太には理解ができないものばかりだったが、口ぶりから言えば給与は良いらしい。

 対する陽太はと言えば地味、平凡、普通、を煮詰めたような男だった。身長こそそれなりにあるものの肉付きは悪くひょろひょろで頼りない身体だし、顔は平たく特徴がない。少し太い眉毛がある、くらいで説明のしようもない顔だ。

 専門学校卒業後に就いた仕事は祖父の代から続く自営業。とはいえ昨今ではジリ貧の金物屋である。給料という名の小遣いは月に数万。その中からコツコツと指輪代を貯めたが、世間一般と言われる婚約指輪の値段よりうんと安いことは分かっている。

 こんな指輪を渡されて、美月はがっかりしないだろうか。

 そう考えるとどのタイミングでも「ぱかっと開けて結婚してくださいと言う」が実行できず、結局プロポーズを見送った。これで通算三回目だ。今日こそはと意気込んでディナーのレストランも予約したのに、夕方前にはキャンセルの電話をしてしまった。――彼女に帰宅を促す前に。

「あー、もう……。なっさけね……」

 陽太は両手で頭を抱え込んだ。

 分かっている。自信がないのは自分のせいだ。美月は誰にでも好かれるくらい明るい性格をしていて、自分にはもったいないほどの彼女である。同じバイト先に勤めていて知り合い、一世一代の気持ちで挑んだ告白を受け入れてくれたのは、今から五年前。陽太が専門学校生、美月が大学生の頃だ。

 お互いが学生の頃はまだ良かった。可愛い彼女ができて有頂天になったけれど、お互いの生活リズムもバイト代もそれほど変わらず、会いたいときに会えたし、遊ぶ場所も変わらなかった。

 しかし陽太が就職し、そして美月も就職すると状況が変わった。生活リズムはズレ、会いたいときに会えなくなり、そして金銭感覚にもズレが生じてきた。遊びたい場所、遊ぶ内容も変わってきた。普段は美月が陽太に合わせてくれていた。しかしふとした瞬間に出る会話の内容に、陽太の知らないブランドや高級なレストランが出てくるようになったことに気づいてからはダメだった。

 この間仕事でどこそこに行った。ショップで見つけたなになにがかわいかった。このプロジェクトが終わったら自分にご褒美しちゃおうかな。今度出張で何県に行くんだ。

 そのどれもが自分に対する当てつけの様に聞こえた。職場に別の男がいるんじゃないか、そいつと行くんじゃないかと出張や残業の連絡があるたびに黒い気持ちが胸に広がった。こんなんじゃだめだと思っても、陽太にはどうしようもできない。

 あー、と陽太はまた唸った。

 こんなに悩むくらいならいっそのこと別れてしまえばすっきりするだろうに、それもできない。美月が好きな気持ちには嘘はないし、今彼女と別れたら次の彼女ができる保証もないし結婚なんてさらに遠ざかる。何より、陽太が結婚してまで傍にいたいと思うのは美月だけなのだ。

 でも踏ん切りがつかない。

 陽太はむしゃくしゃした気持ちのまま、足元に転がっていた石を蹴飛ばした。かつん、と音がして石は鳥居をくぐりその向こうの仲見世通りへと転がっていく。そしてそのまま店先にいた小柄な和服姿の老人の足に当たってしまった。

「やっべ……」

 陽太は大慌てで鳥居をくぐって老人のもとへと駆け寄った。蹴り飛ばした石は小さく、地面を転がる程度ではあったが、地元で人にぶつけてごめんなさいも言わずに立ち去るほどの無礼を働くわけにはいかない。自営業の店の評判にも差し支えてしまう。

「す、すみません。お怪我ないですか」

 陽太が声をかけると、老人はちょいちょいっと彼を手招きして仲見世通りの端を指さした。なんだと思って顔を上げた陽太の目の前には、小さな小さな和風建築の小屋があった。柱や屋根は鳥居のような朱色をしていて社務所のようでもある。間口の狭い平屋で、レトロなガラスの引き戸には「高天原茶房」と看板がかかっていた。

「……喫茶店? 仲見世通りにこんな店あったっけ」

 陽太が首を傾げると、老人はまた彼をちょいちょいと手招きした。ついてこいということか。石をぶつけたことを叱られるのかもしれない。怯んだ陽太は後ずさりしかけたが、不思議なことに両足はどんどん前に進んでいった。

「え? あれ? ちょっと?」

 あっという間に意思とは反対方向、つまり店先にまでたどり着いてしまった。結局陽太は老人に誘われるように店内へと入ることになってしまったのだった。


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