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尾呂血《おろち》中編  作者: 谷貝
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天皇家の三種の神器の一つ、天叢雲剣の行方を探して卑埜忌村に辿り着いた皇宮警察官、天法正一とともに村に隠された秘密に迫る。

第五章 輝龍家


 卑埜忌村に足を踏み入れて四日目の朝を迎えた。今日も鈍色の雲が空を覆っている。もう随分と太陽を見ていない気がした。窓から臨む尾呂血湖は深い藍色をたたえているが、沖合の神島は相変わらず濃い霧の中だ。島を包み込む乳白色の塊に向かって大輔は自問自答した。自分は一体いつまで卑埜忌村に滞在するつもりなのだ。大輔の心は依然として揺れ動いていた。あの快活な美穂が死ぬなんて到底考えられないと思う一方で、卑埜忌村や父親に対する美穂の複雑な感情は大輔の想像を超えるものがあるようにも思えた。妊娠という不安定な精神状態の中で、衝動的にすべての懊悩から逃れたいと思ったとしても不思議ではない。せめて美穂が身を投げたという神島を訪れてみたかったが、それも叶いそうにない。そうだ、せめて湖畔にあるという分社でも訪ねてみよう。何か手掛かりがあるかもしれない。確か分社は桟橋の少し先の湖畔にあると、良枝が昨日言っていたことを思い出した。


 質素ながらも手の込んだ朝食をいただいた後、湖畔の道を歩き出した。沖からの冷たい風にのって、今日も馥郁とした香りが鼻先をくすぐる。何とも言えない優美な香りだ。

 やがて見覚えのある造り酒屋の日本家屋が視界に入ってきた。先日の店員が何やら店先で客らしき人物と揉めている。よく見ると、粗末な着物を纏った老婆が店員に向かって激しく悪態をついていた。老婆は長年櫛も通したことのないような黄ばんだ白髪を振り乱しながら目を剝いてがなり立てている。浅黒い染みの浮き上がった顔を歪めて、狂ったように叫び続けている。その風貌には見覚えがあった。卑埜忌村に着いた日に道端で酩酊していたあの老婆だ。やがて店員が乱暴に老婆を突き飛ばした。老婆が尻もちをつくと、着物の裾から骨と皮だらけの貧相な脛が露わになる。周囲をうろついていた野良犬たちが一斉に甲高い鳴き声を上げた。

「酒くらい、売ってくれてもよいだろうが」

「うるさい、鈴ばあ、あんたに売る酒はない。とっとと消え失せろ!」

 鈴ばあと呼ばれた老婆はよろよろと立ち上がると、店員を指さしながら罵りの声を上げた。

「お前のような奴には八津神様が鉄槌を食らわすことだろうよ」

「八津神様の怒りに触れたのは鈴ばあ、あんたの方だろうが。あんたには一生、黒い手紙が届くはずだ」

 鈴ばあは鬼女のような形相で店員を睨みつけると、足元にぺっと唾を吐き、何度も店員を振り返りながら歩き去っていった。

「一体、どうしたんですか?」

 鈴ばあの背中を睨みつけている店員の後ろから大輔が声をかけた。

「どうもこうもないよ、全く」

 店員はそう言いながらゆっくりと振り返った。声をかけてきたのが大輔だと気づくと、店員は一瞬、躊躇の表情を浮かべた。

「あんたか。何でもない。構わないでくれ」

 店員はそう言うと、不機嫌そうに店内へと消えていった。

 造り酒屋を過ぎると、湖畔に係留された渡し舟が見えてきた。桟橋の上では重男がどっしりとした両足を踏みしめ、今日もじっと神島の方角を見つめている。大輔が近くを横切っても重男は振り返りもせず、ただその分厚い背中をこちらに向けているだけだった。重男のその後ろ姿から大輔はふと金剛力士像を思い浮かべた。寺門の両脇を固める、あの力強い仁王像だ。その時、湖からの突然の風が重男のぼさぼさの髪を激しく揺らした。長髪に隠れていた赤銅色の首筋が露わになると、大輔の目は思わずそこに釘付けになる。そこには赤く盛り上がった刀傷の跡が毒々しく浮かび上がっていた。まるで刻印でも押されたかのように、その残痕は右耳の後ろから首筋を横ぎり左肩に向かってくっきりと刻まれている。尋常ではない傷跡だ。一体何で切りつけられたのだろうか。重男はその激しく生々しい刀傷と対極をなすような沈んだ瞳で、微動だにせず神島をただ見つめていた。

 やがてこぢんまりとした鎮守の森が現れ、湖に向かって立つ石の鳥居が見えてきた。鳥居の奥へは短い参道が伸び、正面には小さな拝殿がある。その脇には簡素な社務所が立っている。これが分社だろうか。意外にもそれは思っていたよりも小さなものだった。鳥居をくぐり白い砂利の敷かれた参道を進むと、社務所の脇で竹箒を手に落ち葉を掃いている一人の老人と目が合った。真っ白い髪と髭、白衣に紫色の袴、見覚えのある人物だ。卑埜忌村に着いた日に、郵便局で山根家までの道を教えてくれたあの老人だ。

「やあ、また会いましたな」

 老人は竹箒を脇に抱えると、顔を柔らかく崩した。

「あっ、先日はありがとうございました」

 大輔もぺこりとお辞儀をする。

「今日はこちらに参拝ですか?」

「はあ、せっかく卑埜忌村に来たものでせめて分社にでもと」

「それは、それは。申し遅れましたが、私は輝龍秀胤、ここの宮司を務めております」

 そうか、この老人が良枝の話していた分社の秀胤さんか。少し話を聞かせてもらえるといいのだが。

「もしお時間が許すようなら、狭い所ですが社務所に上がってお茶でも一服いかがかな?」

 秀胤は大輔の心の内を見透かしたかのように社務所を指さした。

 大輔は拝殿で簡単に参拝を済ますと、秀胤に誘われるまま社務所に上がり込んだ。そこは居宅も兼ねているようで、通された六畳ほどの空間は神社の事務室というよりは、一般家庭の和室のような趣だった。日に焼けた畳はかなりの年季が感じられたが、日々の掃除が行き届いていることはすぐに分かった。部屋の中央には見事な漆塗りの座卓、おそらくは村内で作られたものだろう。都会のデパートでもなかなか目にすることのない逸品だ。脇に置かれた緋色の座布団に腰を下ろすと、窓からはちょうど拝殿正面の鈴と賽銭箱が視界に入る。やがて秀胤が抹茶椀を二つ持って現れた。わざわざ点ててくれたようだ。

「お口に合いますかどうか」

 そう言いながら秀胤は黒い抹茶椀を大輔の前に丁寧に置いた。大輔は再びぺこりと頭を下げ、両手を椀に伸ばした。抹茶は程よく泡立ち、冴えた緑色をしている。一口、口に含むと抹茶特有の芳醇な香りが鼻に抜け、気品のある豊かな旨味が舌の上に広がった。あまりお茶に詳しくない大輔にも、その抹茶がただの粗茶でないことはすぐに分かった。

「なかなかのものですね。見事なお茶です」

 大輔の言葉に秀胤が相好を崩す。

「この茶は卑埜忌村で栽培しているものです。近年、茶葉栽培は近代化が進み化学肥料と農薬を使って無理やり茶木を育て、機械を使って乱暴に刈り取ったり挽いたりするところがほとんどです。なんせ、手がかかりますから、茶の栽培は。しかし、ここ卑埜忌村では昔ながらのやり方で今もやっております。有機肥料だけを与えて微生物に栄養豊富な土壌を作ってもらい茶の木が本来持つ免疫力を高め、病気や害虫に強い茶の木を育てるのです。それでも出現する害虫は人が丁寧に一匹一匹手で捕獲します。茶葉の刈り取りも新芽だけをきめ細かく収穫するために全て手摘みで行っています。そして茶葉は石臼でゆっくりと挽きます。粉砕機を使うほうが速くて簡単なのですが、機械の熱で茶葉に負担がかかり風味が劣化しますから」

 秀胤はそこで一口お茶を含み、舌の上で転がすように味わった。

「ただ、手をかければそれだけ生産量は限られてしまいます。だからここでは村で消費する量しか作ることはできません。村の外の人はこの味を知ることはないでしょう」

 大輔はもう一口、抹茶を含んでみた。先ほどよりも更に香りが開き、芳醇さが増したようだ。そして旨味の奥から姿を現したほのかな甘みが舌全体をまろやかに包み込んだ。

「いかがですか、時間と共に茶の香りと味が移ろうように変化していくのが分かりますか」

 秀胤の言葉に思わず頷く。

「お茶だけではありません。卑埜忌村では米も野菜も化学的な物は一切使わずに、土壌微生物の力を借りながら全て人が手をかけて丹念に作っているのです。ただ、手間がかかるので自分たちが食べる量を作るのが精一杯ですが」

 大輔は樵荘で供される滋味あふれた料理の品々を思い出し、納得した。そういえば卑埜忌村に入ってからは一度も持病のアトピーが出現していない。

「我々は昔からそうやって、他の村とはあまり交流をせずに全て自給自足でやってきたのです。舘畑さんのように外からやってきた方にとっては、いささか閉鎖的で息が詰まるところもあるでしょうが」

 秀胤が同情するような笑みを大輔に向けたその時、シャランシャランという澄んだ音色が境内に響いた。音の方向を見やると、樵荘の女将が拝殿正面の鈴緒の前で深く腰を折りお辞儀を繰り返している姿が目に入った。やがて手を打つ乾いた音が境内に響きわたる。

「皆尾和子さんです。そういえば舘畑さんは皆尾さんのところに滞在しているのでしたな」

 女将は両手を合わせたまま、拝殿の前で固まったように動かない。

「卑埜忌村の住人は皆、尾呂血神社の氏子なのです。その中でも和子さんは信心深く、特に次男の竜二君を(ひじり)(さま)として神島に奉じてからは、一日も欠かさずに毎日参拝にいらっしゃっているのですよ。」

「聖様?」

 その時、あの白い額縁に納められた少年の顔が思い出された。彼がその竜二君なのだろうか。秀胤は大輔の問いかけに一瞬困惑した表情を見せ、かすかに首を横に振った。

「いや、いずれまた、お話しする機会もあるかと」

 秀胤はそう口を濁すと、窓の外に目をやった。女将は何かをブツブツと口ずさみながら、相変わらず熱心に祈りを捧げている。かすかに香気を帯びた風が境内を駆け抜け、樹々を揺らした。葉擦れの音が収まるのを待って、再び秀胤に質問を投げかける。

「卑埜忌村では皆が神道を信仰しているということでしょうか?」

 大輔の声に秀胤は再び視線を戻し、かすかに首を傾げるそぶりを見せた。やがて言葉を選ぶようにして、ぽつりぽつりと話しだした。

「神道と言ってよいのかどうかは分かりません。もしかしたら舘畑さんがイメージされている一般的な神道とは少し異なるかもしれませんな。我々は皇室の祖先を祀っているわけでもありませんし。尾呂血神社の創建は三世紀中ごろと言われています。まだ出雲大社も創建される前のことです。現代の皇室につながる大和朝廷も、その頃はまだ確立されておりません。皇室の祖先神である天照大神を祀る伊勢神宮を総本山とする神社神道が確立するはるか前から、我々は独自の信仰を培ってきました」

「輝龍家もその頃から続いている古い家柄なのでしょうか」

 秀胤は厳かな表情で頷いた。

「私の父の秀全が第八十三代の宮司です。今は巳八子様が第八十四代の宮司となられています」

 気の遠くなるほど連綿と続く血脈に思わずため息が漏れた。

「それでは、尾呂血神社の御祭神は?」

 大輔は眼前の老人の深い皺に覆われた顔を正面から見据えた。一瞬、秀胤の瞳がギラリと光を帯びたような気がしたが、その淡々とした口調は変わらない。

「尾呂血神社の御祭神は八津神様です」

 秀胤は大輔から目を逸らすと窓の外を見やった。女将はようやく祈りが終わったのか、深く腰を折ってお辞儀をしている。八津神様、確かその言葉を女将の口からも聞いた記憶がある。

「八津神様とは一体?」

 逸る大輔をはぐらかすように秀胤はお茶を口に含み、一呼吸置いた。ゆっくりと茶碗を座卓に戻すと、再び話し始めた。

「八津神様は八津神様です。長い歴史の中で八津神様の元々の由来は忘れられてしまいました。しかし今でも村人たちは大いなる力の象徴として八津神様を深く信仰しています」

 怪訝な表情を見せた大輔に対して、秀胤が顔を崩した。

「ははは、今の説明では納得されていないようですな。それではもう少し私の戯言にお付き合いください。実は私は八津神様とは八岐大蛇やまたのおろちのことではないかと考えています。あくまで私の推測ですが」

 口を半開きにしたまま自分を見つめる大輔の姿に満足したように、秀胤が目を細めた。

「八岐大蛇とは、あの須佐之男命に退治された、頭が八つある怪物です。須佐之男命が降臨したと言われる船通山麓には、八岐大蛇に関する言い伝えが多く残っています。八津神様の八つという数字から、八つの頭を持つ八岐大蛇と関連があると考えるのは自然なことではないでしょうか。舘畑さんも八岐大蛇の神話はご存知でしょう」

「はあ、昔、学生の頃、ちょっと読んだくらいですが」

「古事記と日本書紀とでは若干、詳細部分の記述は異なりますが、大体の物語は以下のようなものです。高天原を追放された須佐之男命は現在の鳥取県と島根県との県境にそびえる船通山に降臨します。船通山とはこの卑埜忌村から目と鼻の先にある古代からの霊峰です。須佐之男命は渓流沿いで老夫婦に出会い、自分たちの娘の奇稲田姫くしいなだひめが八つの頭と八つの尾を持った怪物に狙われているという窮状を訴えられます。須佐之男命は奇稲田姫を嫁にもらうことを条件に、八岐大蛇を退治することを請け負うのです。そして須佐之男命は八つの樽を強い酒で満たし、八岐大蛇が現れるのを待ちます。やがて現れた八岐大蛇は八つの頭を八つの樽に突っ込んでしこたま酒を飲み、酔いつぶれてしまいます。須佐之男命は寝込んでいる八岐大蛇を霊剣十握剣(とかつのつるぎ)でずたずたに斬り刻みます。そして尾を斬った時に何か硬いものに刃が当たり十握剣が欠けてしまいます。そこで尾を裂くと中から一振りの剣が出てくるのです。須佐之男命はその剣に付着していた血を湖で洗い流すのですが、その湖が尾呂血湖だと言われています。尾呂血という湖の名前もこの逸話に由来しているのでしょう。そして尾から出現したその剣が天叢雲剣あまのむらくものつるぎ、またの名を草薙剣くさなぎのつるぎとも呼ばれています。須佐之男命はこの剣を姉の天照大神に献上し、これがのちの天皇家の三種の神器の一つとなるわけです」

「はあ」

 中学の頃に何かで読んだ記憶が蘇ってきた。

「もちろん、八つの頭と八つの尾がある怪物など現実には存在したはずはありません。諸説ありますが、私は八岐大蛇とは当時の人々を悩ませていた斐伊川ひいかわの氾濫を指しているのではないかと考えています。斐伊川とは船通山を源流として日本海に向けて流れる一級河川です。昔から度々甚大な洪水被害を起こしてきました。奇稲田姫とは丹精込めて育ててきた稲田のことで、この伝説は当時稲作に従事してきた人々が度重なる水害に悩まされていたことを示唆しているのでしょう。斐伊川はくねくねと多くの支流に分かれていますので、これが八つの頭と八つの尾をもつ大蛇として表現されているのではないでしょうか」

「それでは八津神様とは治水の神様ということでしょうか」

 秀胤が我が意を得たりという表情で頷く。八津神様という言葉の響きから何かもっとおどろおどろした由来を想像していた大輔は、いささか拍子抜けした。それが伝わったのだろうか、秀胤が

「ただ、」

 と言葉を続けた。秀胤の瞳が再びギラリと光る。何を言い出すのかと大輔が秀胤の口元を見つめる。

「ただ、今のはあくまで私の推測です。神島にある尾呂血神社の本殿の中には、輝龍家に代々伝わる重大なものがご神体として今でも大切に祀られているはずです。それを確認すれば、もしかしたら私の推測とは全く異なることが明らかになるのかもしれません。ただ、本殿の中には代々、輝龍家の当主しか入ることが許されておらず、そして当主は本殿の中で目にしたものに関して決して口外をしてはならないという厳しい掟があるのです。だから、八津神様に関する本当のことは当主しか知らないのです。残念ながら私は分社の宮司に過ぎず、当主ではありません。私の父、秀全が当主を務めた後、巳八子様が当主を継承されましたので、私は神島の本宮で生まれ育ったにもかかわらず本殿の中のことは全く知らないのです」

 大輔の心の中にむくむくとご神体に対する興味が湧き上がってくる。千八百年という気の遠くなるような時間、本殿の中に一体何を大切に祀ってきたのだろう。

「私は神島の尾呂血神社に参拝することはできないのでしょうか」

 輝龍家の一員である秀胤に頼めば何とかなるのではないか。しかし秀胤は申し訳なさそうに首を横に振るだけだった。

「お恥ずかしい話ですが、私は一介の分社の宮司に過ぎません。神島に渡るには当主の巳八子様か、氏子総代の稗田さんの許可が必要なのです。お力になれなくて申し訳ない」

 秀胤が力なく視線を逸らしたその方向を、大輔もつられて無意識に見やった。すると、ふと意外なものに目が留まった。漆塗りの小机の上に、紫色の袱紗が広げられている。その上に数珠が一つ、大切そうに置かれているのだ。連なった珠は朽葉色に変色し、長年にわたって使い古された痕跡が伺える。神社の社務所で仏教の法具である数珠を発見するとは意外だった。思わず疑問が口をつく。

「秀胤さん、あの数珠は?何故、神社に法具が?」

 秀胤は視線の先を確認すると、何でもないことのように呟いた。

「ああ、あれは叔父の形見です。私の叔父は米子近郊の古寺で住職をしておりました」

「輝龍家の血筋の方が住職とは、意外ですね」

「いや、叔父に輝龍家の血は流れておりません」

 秀胤は一旦大輔に視線を戻した後、再び窓の外に視線を移し、遠い目つきをして見せた。

「少し長い話になりますが、お付き合いください。私の母、清子には五つ下に新吉という弟がおりました。母は二十歳の時に私の父、秀全に嫁いだのですが、その時、まだ十五歳だった新吉も連れて一緒に神島に移り住んだのです。二人は本当に仲の良い姉弟だったと聞いています。まだ戦後の窮乏期で両親が病弱だったということもあったのでしょう、新吉の将来の為には秀全のもとで育ったほうが本人の為にもよいということだったようです。新吉は薪割りから境内の掃除、村への買い出しなどいろいろな雑務を黙々とこなしていたらしいのですが、ある日偶然、尾呂血神社本殿の鍵を見つけてしまいます。まだ十代の好奇心旺盛な年ごろです。つい本殿扉を開錠し、中を覗いてしまったらしいのです。運悪くその現場を父に見つかり、ひどい折檻を受けることになります。見てはいけないものを二度と覗くことのないよう、父は真っ赤に焼けた火箸を新吉の瞳に押し当てたそうです。母が咄嗟に火箸を素手でつかみ途中で止めたのですが、新吉は片目を失いました。母も手に大火傷を負います。そして新吉は村を追放されたのです。父が村に出入りしていたトラック運転手に命じて新吉を米子の駅前に、まるで犬猫でも捨てるように放り出させたのです。新吉は米子の闇市で何とか食いつないだそうです。片目を失った可哀そうな少年ということで、周囲の商店主たちから幾分かの同情を得ることができたのでしょう。やがてある寺にもらわれていきます。当時はまだ街に浮浪児が溢れていた時代で、戦災孤児救済のために多くの寺院が敷地内に養護施設を併設していました。その中の一つ、龍久寺という古刹に拾われました。結局そのまま出家し、その後は慈雲と名乗り僧侶としての人生を歩みます。先代住職亡きあとは、そのまま龍久寺の住職を引き継ぎました。母の清子とは密かに手紙のやり取りを続けていたので、消息が分かったのです。そして母の死後は、ぽつりぽつりと忘れた頃に私宛に手紙を送って近況を伝えてくれていたのですが、つい数年前に病で亡くなりました。その時に身に着けていた数珠を形見としていただいたという次第です。確かに神社の中に保管しておく物としては場違いですな」

 秀胤はその柔らかい視線を大輔に戻した。

「新吉さんは本殿の中で何を見たのでしょうか」

 一瞬、秀胤の視線が固くなる。

「わかりません。叔父は生涯、そのことは誰にも話さなかったようです。下手なことを言って自分の姉が秀全にひどい仕打ちを受けることを恐れていたのかもしれません」

 しばらくの沈黙の後、ボーンと柱時計が鳴った。

「おや、もうこんな時間ですか。つい、長話をしてしまいました。すっかりお引き留めしてしまったようですな」

 そう呟くと、秀胤は座卓の上の茶碗を片付け始めた。


 秀胤に礼を言って社務所を出ると、既に女将の姿はどこにも見当たらなかった。再び拝殿の前に立ち何気なく建物を見上げると、正面の欄間を飾る龍の彫刻が目に入った。見事な宮彫りだ。大きな瞳をカッと見開き、口元からは鋭い牙を覗かせ、繊細な鱗が全身を覆っている。そして龍を取り囲むように大小さまざまな蛇の姿が周りに彫られている。蛇は様々な表情を見せており、怒っているもの、笑っているもの、驚いているものなど、いささかユーモラスに描かれている。どれも見事な彫りだ。大輔は興味を持ち、蛇の宮彫りを目で追いながら拝殿の側面にも回ってみた。宮彫りは建物側面の欄間にもずっと続いていた。その時、一人の男が建物側面の外廊下に腰かけていることに気がついた。秀胤と同じように白衣に紫の袴を身に着けているが、秀胤よりはるかに若い。よく見ると、手元からはタバコの煙が立ち上っていた。男は大輔に気づくと、チッと舌打ちしてタバコをもみ消した。恐らく社務所からは死角になっている拝殿の側面に隠れてタバコを吸っていたのだろう。男はそそくさと携帯灰皿を胸元にしまうと、見下すような視線を大輔に向けた。

「あんた、確か舘畑さんと言ったっけ」

 やはり村の皆が既に大輔のことを知っているようだ。

「はい、先程まで秀胤さんにお茶を一服いただいていました」

 神職が木造の社に座って喫煙をしているということにいささかの不快感を覚えたが、そのことが顔に現れないよう言葉を返した。

「何か面白い話は聞けたかい?」

 男はあらぬ方向を見ながら投げやりな調子で聞き返してきた。

「尾呂血神社の由来と輝龍家の話を少々」

 大輔がそう答えると同時に男は不愉快そうな声を発した。

「何が輝龍家だ。親父はただの分社の宮司さ。先代当主の一人息子だったのに巳八子なんかに当主の座を奪われ、神島を追い出された情けない男さ。おかげで俺もただの分社の禰宜だ」

 この男が秀胤の息子の秀栄か。良枝の手厳しい人物評価を思い出した。秀栄が外廊下の柵を飛び越えて地面に降り立ち、無言で大輔の脇を歩き去っていくと、ニコチンの残り香が鼻をついた。


 大輔は分社を後にすると、門脇食堂に向かうことにした。もう一度、あのカレーライスを味わっておきたいと思ったからだ。店舗脇の草地には今日もたくさんの村外ナンバーの配送車が停まっており、何台かの車の窓からは食事を終えた男たちの紫煙が立ち上っている。    

 暖簾をくぐると狭い店内は今日も作業服の男たちで混んでいた。炒め物の香りに交じる土と汗の匂い。カウンター席に目を向けると年配の男が一人座っており、厨房の源三と何やら熱心に話しこんでいる。薄鼠色の作業服に地下足袋を履き、首筋は赤黒く焼けている。大輔はその男から一つ間隔を開けてカウンター席に腰を下ろした。源三は大輔に気づくと、

「今日もカレーにするかい?」

 と聞いてきた。同時に隣の男も大輔に視線を向ける。長年の肉体労働に耐えてきた精悍な顔つきの老人だ。

「舘畑さん、こいつは俺の木こり時代の仲間で三郎っていうんだ。じじいのくせにまだ現役で山に入っていやがる」

 三郎と呼ばれた老人が軽く目を細めて会釈をすると、目尻の深い皺が際立った。大輔もぺこりと頭を下げる。そこへ良枝が水の入ったコップを持ってやってきた。

「舘畑さん、今朝は早速、分社に行ったんだって?」

 驚いた。もう伝わっているのか。

「情報が早いですね」

 大輔が苦笑いしながら答えると、良枝は幾分得意げに頷いた。

「それで秀胤様には会えたかい?」

「はい、わざわざ社務所でお茶を点ててくれました」

 その後秀栄にも会ったと続けようかと思ったが、何となくそこで言葉を切った。

「秀胤様は素晴らしいお方だよ。誰にでも分け隔てなく接してくれる優しいお方」

「秀胤様は確かにいい方だが、秀全様の功績には遠く及ばないさ」

 三郎が突然会話に入ってきた。顔を横に向けると、三郎と目が合う。昔飼っていた柴犬を思い出させるような混じり気のない黒い瞳。

「まあ、確かに秀全様は別格だね」

 良枝も同意する。厨房では源三も大きく頷いている。

「秀全様とはどのような人だったのでしょうか?」

 三郎と良枝を交互に見やりながら聞いてみた。良枝は譲るように三郎に視線を向ける。三郎は咳払いを一つすると滔々と話しだした。

「今の卑埜忌村があるのは全て秀全様のお陰だよ。秀全様は尾呂血神社の宮司だけでなく、ずっと長く村長もおやりになっていた。村の為に本当に尽くされたお方だ。公民館も、温泉施設も、小中学校の新校舎も、図書館も、みんな秀全様の時代に建ててくれたものだ。その上、村の財政も立て直してくれ、今じゃ秀全様の時代に蓄えてくれた基金の利子収入で、小中学校の学費も医療費も全て無料で賄えている。まさに卑埜忌村の恩人だ」

 三郎の話を受けて、厨房から源三も加わってきた。

「俺のお袋は昔、山菜を採りに峠に入った時、秀全様が復員してきたところにばったり出くわしたそうだが、それは、それは神々しいお姿だったと生涯繰り返し言っていた。秀全様は確か俺のお袋より二つ上だから大正十四年のお生まれのはずだ。復員してきたときはまだ二十歳そこそこの若者だ。六尺を超える立派な体躯を陸軍の軍服に包み、颯爽と馬に乗って峠を越えてきたそうだ。腰に下げた美しい刀が今でも目に焼き付いているとずっと言っていた」

 大輔は数日前に歩いたあの峠道を軍馬で駆け下りる若い軍人の姿を思い浮かべた。確かにそれは壮観な光景だったことだろう。

「秀全様は十数年前に忽然とそのお姿をくらましてしまったけど、今でもどこかであたしたちを見守って下さっていると信じている」

 良枝が遠くを見るような眼つきでポツリと呟いた。

「しかし、倉瀧の兄貴も一体どうして秀全様に対抗しようなどと考えたのだろうか」

 突然、三郎が沈んだ声を出した。

「ああ、昭和五十五年の村長選挙の時のことか」

 源三も重苦しい声を漏らす。

「倉瀧さんとは?」

 大輔の問いかけに源三と三郎はしばらくお互いを見合っていたが、やがて源三が口を開く。

「倉瀧重吉さんは俺たちがまだ木こりの見習いだった頃に何かと面倒を見てくれた当時の森林組合長さ。村の中では最大の檜林も所有していた。六尺を超える大男で、秀全様と並んでも決して見劣りすることはなかった」

 源三によると、卑埜忌村から伐採される原木のほとんどは村内の需要を賄うために使われており、村外へ搬出する量はごく限られたものだったそうだ。しかし重吉は組合長として村の林業を発展させたいという強い熱意を抱き、村から土蜘蛛口のバス道路までの林道の舗装整備を強く主張した。原木を大量に積める大型搬出車が通れないことが、村の林業発展の最大のネックだと考えていたのだ。しかし村長の秀全はこの案に強く反対する。他村との交通の便の改善は、不要な災いを村に招くというのがその理由だった。両者は一歩も譲らずに激しく対立する。やがて重吉は自らが村長になって林道整備を強引に推し進めようと、現職の秀全の対抗馬として村長選挙に立候補することを決意する。激しい選挙戦が繰り広げられていたさなか、重吉の所有する森林が全焼する事件が起こる。重吉の森林に雷が落ちたのだ。火は勢いよく燃え広がり、あっという間に重吉の森林を焼き尽くしたのだった。やがて村に不穏な噂が流れはじめる。重吉の計画が八津神様の怒りにふれ、その報いとして雷が重吉の森林を焼き尽くしたと。村人は重吉との交流を避け始め、やがて黒い手紙が重吉に届くようになる。結局、選挙は秀全の圧勝で終わった。重吉は所有していた森林の全てを失った上、村八分になったことを悲観してふさぎ込むようになり、ある晩一家心中を図る。妻と当時十歳になる一人息子の重男を鉈で襲い、自分は猟銃自殺をしたのだ。幸い重男は首を大きく切られたにもかかわらず、何とか一命をとりとめた。しかし村人は誰も八津神様の怒りに触れた重吉の息子を引き取ろうとはしない。そんな中、独り身の渡しの留吉翁が重男を不憫に思い、引き取ることになった。それ以来重男は学校にも行かず、留吉翁のもとで渡しとして生きていくことになる。そして重男は言葉を失ってしまったかの如く、ほとんど口をきかなくなった。留吉翁が亡くなると、重男が渡しを引き継ぎ今に至るそうだ。

 今朝ほど湖畔で目にした、重男の首筋に残る生々しい傷跡が脳裏に蘇った。あれは実の父親に鉈で斬られた痕跡だったのか。重男がその異形の風体から醸し出す何とも言えない雰囲気、深い諦念とでも言えばよいのだろうか、または底の見えぬ虚無、その理由の一端が見えた気がした。

「あれ以来、誰も秀全様に異を唱えるものはいなくなった」

 三郎がポツリと呟いた。


第六章 皇宮警察官


 大輔が樵荘に戻った時はまだ空はかろうじて明るく、鱗のような雲が一面に広がっていた。玄関を上がると、食堂から人の声が漏れ聞こえてきた。ふと興味を持ってそちらを覗くと、割烹着姿の女将と赤いジャージ姿の静香が並んで食卓に座っている後ろ姿が目に入った。卓上にはノートやらプリントやらが広がっている。二人は大輔が帰ってきたことにも気づかない様子で、真剣なまなざしをノートに向けている。静香は鉛筆を持つ手にグッと力を入れ、ノートと女将の顔を交互に見やっている。恐らく学校の宿題でも手伝ってもらっているのだろう。あまり覗き見するのもどうかと思い、大輔は二人の後ろ姿を尻目に二階に続く階段をそっと上った。

 部屋に入り畳の上に仰向けに横たわり天井を見上げた。一人になるとどうしても美穂のことを考えてしまう。美穂もほんの一週間ほど前、今自分がいるこの部屋に滞在していたのだ。美穂はあの天井板を見上げ何を考えていたのだろう。自分のせいで不遇な死を迎えた父親のことか、それともお腹に宿った新しい命のことか。一人で悩んでいたのではないか。何故、俺に一言相談してくれなかったのか。ここ数日、繰り返し頭の中をよぎる答えのない疑問が噴出してくる。俺との生活を幸せだと恵美子さんに綴ってくれた美穂、俺の作家としての未来を信じてくれた美穂。深い喪失感がひしひしと胸の中に広がる。瞼を閉じると目頭が熱くなり、目尻から温かいものがツツッとこめかみに流れた。美穂、本当に死んでしまったのか。

 その時突然、階下から女将の険のある声が響いてきた。

「村の中で暮らすのが一番じゃ。村を出てはいかん」

 静香を諭すように発せられたその声は、館内に大きく響き渡った。恐らく大輔が二階にいることに気づいていないのだろう。女将の声に続いて静香が何かを言い返しているようだが、泣きじゃくっていてうまく聞き取れない。再び女将の声が響く。

「村の中におる限り、八津神様がお守りしてくれる。疫病も地震もなく無事に過ごせる。昔から皆、そうしてきたのじゃ。静香、どうして分からんのじゃ」

 女将の尖った声に続いて静香の泣き声が聞こえた。やがてドタドタと静香が走り去る音が続く。


 夕食前に風呂をいただき浴衣に着替えた。持参した数少ない下着を洗いハンガーに干す。当初は一泊程度の短い旅程のつもりだったが、既に卑埜忌村に来て四日目だ。携帯もネットもつながらない中、随分と長い間、現実世界から切り離されて不思議な夢の中を彷徨っているような気がする。俺は一体いつまでここにいるつもりなのだろう。このまま卑埜忌村に滞在し続けることに、果たして意味があるのだろうか。依然として美穂に関する手がかりは何も得られていない。言いようのない焦りがこみ上げてくる。

 丹前を羽織り一階の食堂に下りていくと、今日は珍しく先客の姿があった。その男は先ほど到着したばかりといった様子で、まだスラックスにセーターという出で立ちのまま、背を向けて既に食事を始めていた。都会的な品の良さを感じさせる後ろ姿だ。軽く男の横顔に会釈をした瞬間、男の耳に目が留まった。左耳の上部が欠けている。まさか。男も大輔に気づき顔をこちらに向けた。男と目が合った瞬間、大輔は体がグッと強張るのを感じた。男も同様に驚いている様子で口を開けたまま固まっている。何年かぶりに見る顔。真由美の弟、天法てんぽう正一だ。何故ここに?途端に真由美と一緒だった頃の苦い記憶が蘇ってくる。


 大輔は東京のあまり有名ではない大学を卒業すると、中堅の出版社である青雲堂にかろうじて職を得ることができた。本当は大手出版社を目指していたのだが、学費を賄うためのバイトが忙しかったせいで大学の成績があまり芳しくなく、大手はどこも大輔の提出した応募書類には興味を示さなかった。いや、そもそも大学名だけで相手にされなかったのかもしれない。しかし中堅出版社とはいえ、正社員の職を得られたことはありがたかった。当時はひどい就職氷河期で、大輔の周りでも二人に一人はフリーターや非正規社員という不安定な立場で社会の荒波に漕ぎ出さざるを得なかった時代だ。大輔は青雲堂に入社すると編集部への配属を希望したが、残念ながら広告部配属の辞令を受け取ることになる。日々広告代理店に顔を出し、青雲堂の出版物へ広告を入れてもらう営業をすることが主な業務の部門だ。青雲堂の経営は、その出版する書籍雑誌の売り上げと出版物に掲載される広告料とで成り立っており、大輔は広告部での仕事も会社の屋台骨の片翼を支える大切な業務だと自分に言い聞かせて日々業務に励むことにした。

 配属後数年が経ち広告部の仕事にも慣れてきたある日、日参していた築地の大手広告代理店の雑誌局で懇意にしていた布村英樹から合コンに誘われることになる。布村は慶応大学アメフト部の出身で、派手な社員が多いその会社の中でも一際目立つ存在の男だった。父親は大手クライアントの宣伝担当役員をしており、明らかに強力なコネを使って入社してきたくちだ。生まれてこの方、苦労などしたことがないという眩しいオーラを纏っている男だ。本来なら大輔とは正反対のタイプなのだが何故かウマが合い、たまに二人で飲みに行くような間柄だった。お互いに自分の持っていないものを相手の中に見ていたのかもしれない。布村の持ってきた合コンの相手は丸の内の大手商社のOLたちだった。皆、一様に煌びやかな流行ファッションに身を纏い、自信に満ちた笑顔を隙のない化粧で華やかに彩っていた。大輔は気後れしながらも、その中の一人の女性とまた会う約束をこぎつける。それが天法真由美だった。真由美は小学校から広尾のミッション系女子校に通い、付属の短大を卒業した後、大手商社の役員秘書室に勤務していた。歳は大輔より二つ下だった。読書が趣味という真由美は文学に強い興味があるようで、大輔の語る様々な本の書評に興味深く耳を傾けてくれた。お互い若かったからだろう、あまり深く考えずにそのまま結婚に突き進んでいった。

 結婚の挨拶のために真由美の実家を訪れた時に正一と初めて会った。事前に真由美から「変わった弟だけど気にしないで」と言われていた。天法家の居間で正一がぎこちない笑みを浮かべながら落ち着きなく両親の隣に座っていたことを覚えている。正一の左耳が欠けていることに気づいたのはその時のことだ。真由美によると、正一は幼い頃から発達障害を患っており、知能や言語能力には全く問題がないのだが、対人コミュニケーションがひどく苦手とのことだった。そのせいで小学校の頃は随分と同級生たちに虐められたそうだ。ある時、捕獲された野犬を収容している檻に閉じ込められ、耳の一部を食いちぎられたそうだ。歳は真由美の二つ下で、確か東大の日本史学研究室を卒業し、国家公務員をしていると言っていた。

 結婚後、真由美の実家には毎年正月に訪れたが、正一はいつも無口でただ大輔をじっと観察するように見つめているだけだった。一方、大輔の実家へは結婚初年度のお盆に真由美を連れて帰ってみたのだが、母親も真由美もぎくしゃくとしてお互いにひどく気疲れをしてしまったようで、翌年からは自然と足が遠のいてしまった。都会育ちの真由美と典型的な田舎人である母とでは、共通の接点が全くなかったのだろう。

 結婚して数年が経ち、大輔は相変わらず青雲堂の広告部で働いていた。毎年、編集部への異動申請を出していたのだが相変わらず聞き入れてもらえずにいた。ただ、仕事の関係で広がった出版界のネットワークを生かして、趣味で書いていた社会批評やエッセーを幾つかの会社に持ち込んでみたところ、企業の広報誌や顧客会員誌などにぽつぽつと採用されるようになっていた。大輔の書くものは社会で声を上げることのできない弱い者たちに優しく寄り添いながらも鋭い考察に富んでいると、徐々にその評判が広がっていった。やがてこうした副業からの収入が青雲堂からの給料の八割くらいにまで到達した頃、大輔は大きな決断をする。退社しライターとして独立するというものだ。真由美はひどく心配した様子だったが反対はしなかった。独立後しばらくは順調に執筆の依頼が舞い込んできたが、やがて米国の大手投資銀行の破綻に端を発したひどい不景気が日本を襲う。多くの企業の財務は悪化し、それまで顧客サービスとして発行していた会員誌や広報誌の休刊を余儀なくされる。以前は大輔の文章を高く評価してくれていた企業の広報担当者たちも、潮が引くように連絡をしてこなくなっていった。真由美が仕事を続けていてくれたことは不幸中の幸いだった。収入が大きく目減りしてしまった大輔にとって、真由美の稼ぎは二人の生活を維持していくためになくてはならないものとなっていたのだ。しかしこのような状況は当然、二人の関係に大きな変化をもたらした。それまで大輔のライターとしての才能や独立して自ら人生を切り開いていく才覚を頼もしいと捉えていた真由美は、徐々に大輔の才能を疑い始め、無謀に独立した軽率さを非難するようになっていく。一方の大輔も、妻の稼ぎに依存している自分に対して強い自己嫌悪を覚えるとともに、真由美に対して卑屈な感情が湧き上がってくるのを抑えることができなかった。徐々に二人の会話は減っていき、些細なことでの喧嘩が増えていく。仕事の減った大輔は時間を持て余して自宅に籠り、真由美はそんな大輔と顔を突き合わせることを避けるように商社の友人たちと飲み歩くようになる。いつしかお互いの肌に触れることもなくなっていった。

 ある晩、真由美が酔って帰宅した時に、大輔は思わず抑えていた言葉を口にしてしまった。

「こんな遅くまで誰と飲んできたんだ?」

 大輔は稼ぎの乏しい自分と異なり、国際的な舞台でバリバリと稼いでいる商社マンたちに囲まれている真由美をいつしか疑い始めていたのだ。何の証拠があったわけでもない。今思うと単に自分の卑屈な劣等感から生まれた疑念だった。真由美は一瞬、ぽかんと口を開けて大輔を見つめた。やがてその瞳に軽蔑するような色を浮かべると、静かに言い放った。

「私、負け組と結婚した覚えはないわ」

 何かが大輔の中で音を立てて崩れ落ちた。それが六年前のことだった。


 大輔は一度大きく深呼吸をすると、言葉を失ったように固まっている正一に向かって話しかけた。

「正一君か、久しぶりだな」

 なるべく普通に声を発したつもりだったが、頬の辺りが強張っているのが分かった。正一も箸を持つ手が震えている。正一は何度も細かく頷いた後、か細い声を発した。

「だ、だ、大輔さん、お、お久しぶりです」

 正一の顔にさっと血が上り、耳が赤くなった。

「真由美は元気にしてる?」

 無理に何か言葉を繋げようと、聞きたくもなかった質問が思わず口をついた。

「さ、さ、昨年、し、商社の方と再婚して、い、い、今はニューヨークにいます」

 正一が手元の箸を見つめながら答えた。やはり聞かなければよかったと後悔する。

「まさかこんなところで会うとは思わなかったよ。一人かい?」

 正一が細かく何度も頷く。

「観光?」

 正一がブルブルと首を横に振った。

「し、し、仕事です」

 卑埜忌村に仕事の用事があるとは驚きだった。国家公務員をしていると聞いていたが、一体何の用でこんなところに来ているのだろうか。

「確か正一君は国家公務員をしているんだっけ?」

 正一は頷くと、震える手で懐から名刺を一枚差し出してきた。


 皇宮警察本部 皇宮護衛官 警視正 天法正一


 そこには馴染みのない文字が並んでいた。

「皇宮警察?」

 大輔が思わず呟くと、次第に正一の体の震えが治まっていくのが分かった。それまでおどおどと揺れていた瞳にやがて力強い光が現れる。そして正一は人が変わったように説明を始めた。

「皇宮警察本部とは警察庁の一機関で、天皇、皇后、その他皇族の護衛及び皇室財産の警備を任務としています。皇宮護衛官とは公安職国家公務員の官職で、特別司法警察職員として活動しています」

 発達障害の特徴の一つとして、自分の専門や興味のある分野に関しては人並み外れた能力を発揮することがあると何かで読んだことがある。正一はまだ三十代半ばのはずだ。その若さで既に警視正という肩書を持つということは、なんらかの特殊な才能を評価されてのことかもしれない。

「つまり皇室をお守りすることが任務の正一君が、どうしてまた卑埜忌村に?」

 正一はチラッと台所に目をやると、声を潜めて呟いた。

「そ、そ、それは、こ、ここでは言えません」

 しばらくの沈黙の後、正一が口を開いた。

「だ、だ、大輔さんはどうしてここに?」

 正一は頬を紅潮させ、再び落ち着きのない態度を見せた。特に秘密にする理由もなかったので、大輔は簡単に今日までの経緯を説明した。大切な女性との連絡が途絶え一人で卑埜忌村に来たこと、その女性が舟を使った形跡もないのに神島で身を投げたとされていること、大輔としては神島に渡ることもできずそろそろ帰京を考えていること、などである。正一は大輔と視線を合わせず、聞いているのかどうかも分からない様子で下を向いていた。大輔の話が終わっても正一は何も言葉を発せず、やがて黙々と食事をし始めた。しかし、ふと見ると正一の目尻からは涙が溢れ、勢いよく頬を伝っているのが分かった。大輔の話を自分のことのように受け止め、悲しんでくれているのか。発達障害の罹患者は一般的には他人の心情を察することが不得手と言われているが、たまにその真逆の症状を持つことがあるらしい。正一は恐らくその後者のタイプで、人並み外れて鋭敏な感受性を持っているのだろう。正一が、大切な女性を失った大輔に寄り添うように共感してくれていることをありがたく思うとともに、正一に対する印象が大輔の中で柔らかく変化していく。きっと繊細で温かい心を持った男なのだろう。やがて正一は食べ終わるとうつむいたまま小さな声で、「お、お先に」と呟き、大輔と目も合わせずに静かに部屋に戻っていった。


 その晩、大輔がそろそろ床に入ろうかと思っていた時、襖の向こうから囁くような声が聞こえた。

「だ、だ、大輔さん、ま、まだ起きていますか?」

 正一だった。襖を開けると浴衣姿の正一が暗い廊下に佇んでいる。風呂上りなのか、額には大粒の汗が浮かんでいる。

「ちょ、ちょ、ちょっとお話があるのですが、い、いいですか?」

 大輔は敷いてあった布団を隅に寄せ、代わりに座布団を二枚用意して正一を迎え入れた。正一は座布団に腰を下ろすと、落ち着きなく目を瞬かせている。大輔は急須にお湯を注ぎ、湯呑みを二つ用意した。茶葉が開くまでの数分の間、二人の間に沈黙が流れる。大輔は湯呑みにお茶を注ぐと、正一の前に一つ差し出した。相変わらず正一は目を伏せて黙っている。

「正一君、話って?」

 いつまでたっても話し出さない正一にしびれを切らして、大輔が促す。正一は自分を落ち着かせるようにお茶を一口すすると、湯呑みに視線を落としたままようやく口を開いた。

「だ、だ、大輔さん、そ、そ、そろそろ帰京を考えていると言っていましたけど、も、も、もう少し滞在を延ばしてもらうことは、で、できませんか?」

 正一の欠けた耳がサッと紅潮し、膝の上で組んでいる両手が強く握りしめられる。今更、数日帰京するのを遅らせたところで、編集部の面々の怒りが変わることもないだろう。しかし何故、正一はそんなことを言ってくるのか。首を傾げながら次の言葉を待った。

「で、で、できたら、ぼ、僕の仕事に同行してほしいのです。こ、この村では周りの視線がき、き、厳しくて、ひ、一人で歩いていると心が参ってしまいそうなので」

 確かに村人のよそ者に対する排他的な視線や態度は、大輔にとっても心地よいものではなかった。ましてや繊細な心を持つ正一にとっては、辛辣な視線を浴びながら道を歩くだけでもさぞかし精神的な負担となるのだろう。

「そ、そ、それに、の、野良犬が多くて」

 正一は忌まわしいと言わんばかりに顔を歪めた。子供の頃のトラウマがある正一にとっては、人懐っこいとはいえ、あの野良犬たちにまとわりつかれることはとても耐えられないことなのだろう。

「別に構わないけど、何をすればよいのかな?」

 大輔の言葉を聞き、正一の顔にぱっと安堵の色が広がる。

「た、た、ただ隣にいてくれればいいのです。こ、こ、この村で何人かの人に会わなくてはならないのですが、ず、ずっと僕と一緒に行動をしてくれれば助かります。そ、そして、い、い、犬が僕に近づかないようにしてください」

 正一がやっと視線を大輔に向けた。そこには、すがるような心細さが浮かんでいた。

「分かった、お安い御用だ。ところで誰と会う予定なの?」

 突然、猫背気味だった正一の背中がすっと伸びる。

「まずは稗田宗子、そして次に輝龍巳八子という人物です」

 先程までとは打って変わって毅然と答える正一の瞳からは心細さが消え、代わりに力強い光が溢れていた。まるで別人だ。正一の口から輝龍巳八子の名前が出たことにも大輔は驚いた。正一と一緒に輝龍巳八子に会えるというのか。大輔は俄然興味が湧いてきた。ただ、神島にどうやって渡るつもりだろうか。

「輝龍巳八子は神島にいるはずだが、我々よそ者が神島に上陸するのは難しいのでは?」

 先日の稗田の非協力的な態度を思い出した。

「大丈夫です。既に皇宮警察本部から氏子総代の稗田宗子に話はつけてあります」

 これが中央官僚の力なのだろう。恐れ入った。神島に行けば、美穂に関して何らかの手掛かりも掴めるかもしれない。

「それで正一君は、一体何を捜査しているんだい?」

 正一が湯呑みを口に持っていく姿を固唾を飲んで見守る。正一は湯呑みを畳に置くと、背筋を伸ばし正面から大輔を見やった。

「大輔さんは僕の義兄です。残念ながら姉とは別れることになってしまいましたが、今でも僕は大輔さんを義兄だと思っています。今から話すことは大輔さんの中だけにしまっておいてください。決して口外してはいけません。国家の根幹に関わることだからです。約束してもらえますか?」

 正一のやけに大げさな前置きに思わず身震いをした。一体、この辺境の村に国家の根幹に関わるどのようなことがあるというのだ。

「約束する。決して口外しない」

 正一の目を見つめて答えた。本心だった。正一の口元がふっと緩むのが分かった。

「大輔さんが信頼できる人だとは前から分かっています。僕はこう見えても人を見る目はあると思っていますので」

 正一の人並み外れた強い感受性は、相手の内面を見極める力にもつながっているのだろう。若くして警視正に上り詰めた要因もそこにあるのかもしれない。

「大輔さんは月影国光という刀匠の名前を聞いたことはありますか」

 正一は唐突に聞き覚えのない人物の名前を口にした。思わず首を横に振る。

「まあ、普通の人が知らないのは当然でしょう。ただ少しでも刀剣に興味を持っている人ならば、月影国光を知らない人はいないはずです。現代の最高の刀匠の一人として活躍していた人物です。夕食時に説明した通り、皇宮護衛官の仕事として皇室財産の保護警備というものがあります。ご存知かもしれませんが、皇室財産には御物ぎょぶつと言われる貴重な刀剣が数多く存在します。一般公開される類のものではないので人々の目に触れることはまずありませんが、御物は皇位の継承と共に歴代の天皇に引き継がれてきた大変価値の高いものばかりです。例えば天下五剣の一つである鎌倉時代の名刀鬼丸国綱(おにまるくにつな)、それから平家一門の家宝とされた小烏丸こがらすまる、または歴代の皇太子が立太子された証として相伝されてきた壺切御剣つぼきりのみつるぎなど。しかしこういった名刀も定期的に手入れをしないとやがて錆が出て劣化してしまいます。その為、その時代その時代の最高の腕を持つと言われる刀匠たちがこれら御物の修復を手掛けてきました。そして最近まで御物の修復手入れに携わっていた刀匠が月影国光なのです」

 正一は何故いきなり刀匠の話をしだしたのだろうか。一体、卑埜忌村と何の関係があるというのか。大輔は話の行く先が全く見えぬまま、ただ正一の話に耳を傾けた。

「国光は五年前に亡くなったのですが、死の数日前に宮内庁の御物管理担当官に一本の電話をかけています。国光はその時、素性の知れぬ一般の依頼者から預かっていた刀剣の修復を手掛けていたらしいのですが、電話で妙なことを聞いてきたのです。ある御物が現在無事に保管されているか、その存在の有無を至急調べて欲しいとのことでした。自分が今、手元で修復している刀剣がその御物なのではないかと、かなり取り乱した様子だったと聞いています」

「その御物の刀剣とは?」

「御物の中でも最高位に位置付けられている刀剣です。それも、ただの刀剣ではありません。古代から続く現皇室の正統性を象徴するレガリアとして代々伝世されてきたものです」

「まさか天叢雲剣?」

「さすがは大輔さん、その通りです。ご存知の通り天皇家は代々、皇位継承の正統性を示すために八咫鏡やたのかがみ八尺瓊勾玉やさかにのまがたま、そして天叢雲剣を三種の神器として相伝してきました。鏡は知、勾玉は仁、剣は勇と、天皇の持つべき三徳を表しています。現在、八咫鏡はご神体として伊勢神宮の内宮に奉安されています。八尺瓊勾玉は皇居の剣璽けんじの間に保管されています。そして天叢雲剣はご神体として熱田神宮の本宮に安置されています。国光はこの三種の神器の一つ、天叢雲剣が盗まれ、修復のために自分の元に持ち込まれたのではないかと疑っていたのです。宮内庁の担当者は電話を切ると慌てて名古屋に赴き、熱田神宮に天叢雲剣の存在を確認しに行きました」

「それで?」

 握っていた拳に思わず力が入る。

 その時突然、携帯電話の呼び出し音が部屋に響き渡った。正一は素早く懐から携帯を取り出し耳に当てた。何度か頷いていたかとおもうと、やがて潜めた声でぼそぼそと何かを呟いた。かすかに「静脈麻酔薬」という言葉が漏れ聞こえてくる。正一が電話を切るのを待ち構えていたように大輔が尋ねた。

「正一君、ここは圏外なのにどうして君の携帯はつながるの?」

 正一は穏やかな笑みを浮かべながら、懐から小さな箱のような物体を取り出した。

「衛星通信ルーターです。我々は日本中、どこにいても連絡が取れなければなりませんので」

 さすがは皇宮警察のエリートだ、用意がいい。

「ええと、どこまで話しましたっけ」

 正一が再び姿勢を正した。

「熱田神宮に剣を確認しにいったところだよ。それで剣は?」

 大輔は再び、正一の語る奇妙な物語に引き込まれていく。

「それが、正確には分からないのです」

「えっ、分からないとは?」

 正一の返答がもどかしく、つい声が大きくなった。

「天叢雲剣は漆塗りの木製の櫃の中に厳重に納められているのですが、古来より何人といえどもその櫃を開けて中を見ることは許されていないのです。歴代の天皇といえども開けることはできません。もちろん、熱田神宮の宮司も同様です。徳川綱吉の時代に数人の神官が剣を盗み見たという記録が残っていますが、全員、原因不明の病で亡くなったそうです。つまり、何人も櫃を開けて剣の有無を確認することはできないのです」

「櫃を開けなくても、今の時代ならX線とかで中を調べることができるのでは?」

「大輔さん、熱田神宮の神聖なるご神体である剣にX線を放射するなど、許されるわけがないじゃないですか」

「そりゃそうか」

「ただ、櫃には厳重に天皇の勅封がされているのですが、宮内庁の御物担当官が櫃を調べたところ、その勅封紙が何者かによって破られていることが分かりました。しかし結局、櫃の中身の確認は行われないまま、今生陛下の名において新しい勅封がなされました」

「じゃあ、実際に盗難に遭ったかどうかは分からないということ?」

「表向きはそうなっています。政府も何も公式発表をしていません。だからほとんどの人はこのことを全く知りません。ただ、その後も皇宮警察本部では極秘に捜査を進めています」

 ふと大輔は令和の新天皇即位時に宮殿松の間で行われた剣璽等承継の儀のニュース映像を思い出した。侍従たちが剣と勾玉が納められた木箱を頭上に恭しく掲げ、壇上に立つ燕尾服姿の新天皇に捧げるというものだった。

「しかし剣璽等承継の儀では確か天叢雲剣の納められた箱が新天皇に捧げられたのをテレビで観たが、五年前に既に盗まれていたとするとおかしいじゃないか。あの木箱の中は空っぽだったのか?」

「いいえ、ちゃんと入っていました」

「えっ、どういうこと?」

「剣は二本存在するのです」

 頭が混乱してきた。正一は何を言っているのだ。

「元々の天叢雲剣はもちろん一つしか存在していません。古の時代、大和朝廷の黎明期には天叢雲剣は宮中にて天皇の寝所に保管されていたのですが、記紀によると四世紀初めの崇神天皇の時代、神剣と同居するのは畏れ多いという理由で形代かたしろが作られたのです。形代とは言ってみればレプリカのことですが、ただのレプリカではありません。伊勢神宮で天照大御神の御霊を宿す儀式を経た神聖なるものです。それ以来、本物の剣は熱田神宮に、形代は宮中に保管されるようになりました。大輔さんがテレビで観た木箱の中には、宮中にある形代の剣が納められていたのです」

 正一は立て板に水のごとく、言葉を続けた。

「形代の話が出たので参考までにもう一つ。平安時代末期、源平合戦に敗れ都落ちした安徳天皇が壇ノ浦で海に身を投じた時、一緒に海中に沈んでしまった天叢雲剣も宮中から持ち出した形代でした。この形代はその後の海底捜索にも関わらず発見できず、結局、朝廷は新しい形代を伊勢神宮から献上されています。現在の宮中に奉安されている形代はこの時に献上された物です」

 そこまでしゃべると、正一は休憩するようにお茶をごくりと飲み干した。沈黙が流れる。大輔は剣を巡る気の遠くなるような悠久の物語に思いをはせた。人の目に触れることなく千数百年にわたり大切に相伝されてきた剣、想像もつかない世界だった。

 再び正一が口を開いた。

「宮内庁からの連絡を受け、僕はすぐに国光の鍛刀場を訪ねました。そこで床に倒れている国光を発見したのです。既に息はありませんでした。後日行われた検死の結果では、持病の動脈硬化による心不全とのことで事件性はないと判断されています。直前まで国光が修復作業を行っていた刀剣は見当たりませんでした。既に依頼者が引き取った後だったのでしょう」

「その依頼者に関する手掛かりは?」

「あります」

 正一の瞳がギラリと光る。

「現場にガラスのコップが一つ残されており、そのコップの表面に国光とは異なる人物の指紋が残っていました。早速、過去の犯罪者指紋データと照合しましたが、残念ながら該当者はいませんでした」

「それで、正一君が卑埜忌村に来ることになった理由は?」

「大輔さん、急かさないでください。順を追ってお話いたしますので。先ほど、天叢雲剣を納める木製の櫃の勅封が破られていたという話をしたと思いますが、この勅封は明治十四年に当時の太政大臣であった三条実美が明治天皇の名において封印したものでした。櫃の勅封には和紙と麻紐が使われているのですが、その切断面の酸化状況を科学的に分析したところ、勅封が破られてからおおよそ七、八十年が経過しているということがわかりました」

「今から七、八十年前と言うと、ちょうど太平洋戦争の頃かな」

 正一の目が再びギラリと光る。

「その通りです」

 その時、階下から柱時計の鐘の音が響いてきた。ボーン、ボーンと鐘が鳴る間、正一は黙って大輔を凝視している。鐘が十一回で鳴りやむと、正一は再びゆっくりと話し始めた。

「刀狩りのことは聞いたことがありますか?」

「刀狩りって、豊臣秀吉の?」

「いえ、違います。終戦直後のGHQによる刀狩りです。GHQは占領政策の一環として、日本人の精神性の象徴である日本刀を執拗に接収して破棄していきました。恐らく日本刀を軍国主義と皇国史観のシンボルと捉えたのでしょう。接収した日本刀を万力で破壊したり、ガソリンをかけて火をつけたり、海中に投棄したりと、それはひどい扱いでした。全国の神社などに奉納されていた歴史的名刀も例外ではありません。この悪名高い刀狩りによって我が国の多くの貴重な刀剣が失われてしまったのです。そして皇国史観の最高位に崇められていた剣が天叢雲剣です。昭和天皇はGHQによって天叢雲剣が接収破棄されることをひどく恐れ、侍従の小出英経に命じて極秘に剣を熱田神宮から岐阜の水無神社に移すことを決断します。この時に実際の移送とその警護を任されたのが、帝国陸軍の東海軍管区司令部の岡田資中将でした。極秘任務だったため、岡田中将は目立たぬよう若い兵士を二人だけ連れて警護に当たりました。そして天叢雲剣は昭和二十年八月二十二日から九月十九日までの約一か月間、熱田神宮を離れ水無神社に隠されることになります。やがて日本政府の必死の説得により、GHQも美術品としての日本刀の価値に理解を示し、刀狩りは収まることになります。そして天叢雲剣も再び熱田神宮に戻ることになるのです」

「つまりその時の移動時に誰かが勅封を破って剣を奪ったと?」

 正一がゆっくりと頷いた。

「僕はその可能性が高いと考えています。普段は厳重に熱田神宮の本宮に勅封されている天叢雲剣です。この時を除いて外部の人間が櫃に触れることができた機会は他にないはずです」

 正一はきっぱりと答えた。確かに敗戦でそれまでの日本のあらゆる統治機構が瓦解し、連合国軍もまだ上陸してきたばかりの無政府状態に近い混乱期のことだ。どさくさに紛れて剣を奪うことは可能だったのかもしれない。

「その時、岡田中将と共に天叢雲剣の移送警護に関わった二人の兵士の名簿が宮内庁に残っていました。一人は酒井勝重少尉です。ただ、酒井少尉は九月十八日に水無神社で不慮の事故で亡くなっています。翌日に剣を熱田神宮に戻すという、まさにその前の日の晩です。宮内庁の記録には、酒井少尉は落雷に遭って心肺停止となったとだけありますが詳細は不明です。不思議なことに気象庁に残るデータを調べると、その晩東海地方は快晴だったと記録されていますので、落雷死というのはいささかおかしな話なのですが。そして同行していたもう一人の兵士の名前が」

 そこで正一は一呼吸置き、大輔を真正面から見つめた。大輔は思わずごくりと唾を飲み込んだ。

「当時まだ二十歳だった輝龍秀全一等兵です」

 大輔の全身に鳥肌が広がり握っていた拳がブルブルと震えた。尾呂血神社先代宮司、輝龍秀全、やっと正一の話の全貌が見えてきた。

「それでは輝龍秀全が剣を奪ったと?」

 思わず声が上ずった。

「今の時点では、あくまで僕の推測に過ぎません。より踏み込んだ確証を得るために今回、卑埜忌村まで来たという次第です」

 そう言いながらも、その瞳は自信に溢れていた。

「でも、そんな重要な極秘任務に当時二十歳の若い兵士を抜擢するというのも変な話だな」

 気になった疑問が自然と口をついた。

「いえ、あながち不思議ではないと思います。当時は護衛任務を任せられる健康な兵士が本土にはもうほとんど残っていなかったという事情もありますし、大切なご神体である剣の移送に宮司の家柄の秀全が選ばれたということも考えられます。それに岡田中将と輝龍秀全は同郷です。岡田中将は鳥取生まれで、陸軍士官学校に入るまでを地元で過ごしています。恐らく、同郷出身の秀全に目をかけていたのではないでしょうか」

 正一はそう言うと浴衣の懐から一枚の紙のようなものを取り出し、そっと大輔の前に置いた。それはセピア色に変色したモノクロの古い写真だった。詰襟の軍服に勲章を幾つもつけた初老の男が軍刀を手に中央に座っており、それを取り囲むように立つ四人の兵士の姿。

「終戦間際に東海軍管区で撮られたものです。中央の人物が岡田中将。そして左の隅に立っているのが輝龍秀全です」

 大輔は左隅に写っている男に目をやった。カメラを射抜くような鋭い瞳、強固な意志を感じさせる厚い唇、そして周りの男たちと比べても抜きんでた剛健そうな体躯。写真の中からでさえ、その男の放つ強いオーラがこちらに伝わってくる。大輔は写真の中の秀全と岡田中将の姿を交互に見やりながら呟いた。

「秀全が実際に剣を盗んだとすると、岡田中将もそのことを知っていたのかな?」

「それは分かりません。岡田中将は直後にB級戦犯としてGHQに拘束され、その後、巣鴨プリズンで絞首刑となっています。今となっては、闇の中です」

 正一は深いため息を一つつくと、更に話を続けた。

「この輝龍秀全という人物はなかなかのやり手だったようです。戦後すぐに尾呂血神社の宮司職を継ぎ、三十歳になると村長選挙に立候補し当選しています。その後、長きにわたり村長職にとどまり、村の発展に貢献してきたようですが、その裏ではかなりきな臭い噂も付きまとっていたようです」

「きな臭いとは?」

「恐喝です。当時は今とは比べ物にならないくらい、地方政治の場では腐敗や利益誘導が日常茶飯事に起きていた時代です。県会議員や知事が票の買収などの公職選挙法違反をしたり、県予算の発注権限を悪用して談合業者から裏金を得て私腹を肥やすようなことも度々あったようですが、まだオンブズマン制度なども存在せず、こういったことはほとんど公にはなりませんでした。秀全はそういった情報を目ざとく手に入れ、裏で鳥取県政の重鎮たちを恐喝していたようです。ただ、恐喝と言っても秀全自身が私腹を肥やすわけではなく、交付金や補助金といった形で卑埜忌村への多額の財政支援を引き出していたのです。秀全はそうやって増額支援された財政資金で村の公民館や学校などを整備するとともに、余剰金の投資運用にも力を入れていたようです。証券会社から怪しい損失補填などの便宜も引き出していたようですが、結局、バブル崩壊前に全てを売り抜け潤沢な村の財政を築き上げたのです。今ではその時に築いた豊富な余剰金を基金として、村内の医療費や教育費などの無料化に成功しています。まあ、卑埜忌村の住民にとってはありがたい貢献者と言えるのでしょう」

 崇めるように秀全について語っていた三郎の顔を思い出した。

 再び階下から柱時計の鐘の音が響いてくる。正一は鐘の音を数えるかのように目を閉じた。鐘はゆっくりと十二回続いた。鐘が鳴り止むと正一は再び瞳を大輔に向けた。

「今日はもう遅いので、これにて失礼します。明日はどうぞよろしくお願いします」

 正一はそう言うと写真を懐に戻し、立ち上がろうとした。

「正一君、できたら先程の衛星ルーターをちょっとだけ貸してくれないかな。仕事の電話やメールが溜まっていないか確認したいので」

「分かりました。明日の朝にはお返しください」

 正一はルーターを大輔に渡し、静かに自分の部屋に戻っていった。


 大輔は早速、自分の携帯電話をルーターに接続した。心のどこかで美穂から連絡が入っているのではないかと期待したが、それらしいものは何も見つからない。その代わり編集部からの幾つかのメールと留守電が残っていた。まず留守電を再生するといきなり編集長の怒声が耳に飛び込んでくる。原稿締め切りが過ぎているにもかかわらず連絡一つよこさない、とすごい剣幕だ。お前の代わりはいくらでもいるぞ、との捨て台詞でその怒声は途切れた。メールの中身も概ね似た内容だった。いつもの大輔なら青くなるところだったが、今はそれどころではなかった。美穂のことがもう少しはっきりするまではとても原稿を書く気にならない。そのままメールを閉じた。

 電気を消して横になったが、先程正一が語った突飛な話が頭の中を駆け巡り、とてもすぐには眠れそうになかった。仕方がないので再度携帯をルーターに繋ぎ、剣に関して少し調べてみることにした。

 須佐之男命に退治された八岐大蛇の尾から出てきた天叢雲剣は、姉の天照大御神あまてらすおおみかみに献上され、八咫鏡、八尺瓊勾玉とともに三種の神器として大和支配家の統治の正統性を表すレガリアとして伝世されていく。そして四世紀初頭、伊勢神宮が創建されると剣は伊勢神宮に奉安され、代わりに宮中には形代が置かれるようになる。四世紀中期の景行天皇の時代、天皇の妹である倭姫命やまとひめのみことは東征に出かける日本武尊やまとたけるに天叢雲剣を授ける。野中で火攻めに遭った日本武尊は剣で草を刈りはらい炎を退けた。この時より天叢雲剣は草薙剣とも呼ばれるようになる。日本武尊の死後、妻の美夜受比売みやずひめは尾張の地に熱田神宮を創建し、剣を奉安する。その後、剣は熱田神宮のご神体として祀られ続けるのだが、七世紀後半、熱田神宮で剣の盗難未遂事件があり、天智天皇が一時的に剣を宮中に移管するという騒ぎが起きる。そして弟の天武天皇は即位すると剣を宮中の内裏に移すのだが、間もなく病に倒れ崩御する。一説には、あまりに身近に剣を置いたことにより剣の祟りを受けた為とある。剣の引き起こす災いに対する恐怖から剣は再び熱田神宮に戻され、櫃の中に厳重に収められ二度と開けられることはなかった。以後、剣は熱田神宮を離れることはなく、唯一の例外として正一が語った通り昭和二十年の八月から九月にかけて一時的に水無神社に奉遷されただけだ。

 大輔は天叢雲剣のおおよその歴史を辿ってみたが、ある記述が妙に頭に引っかかった。天武天皇が剣を身近に置いたための祟りで崩御し、その後、災いを恐れて剣は熱田神宮に戻されたという記録だ。天叢雲剣は天皇家を守護する存在ではないのだろうか。何故、手元に置くと災いが起きると恐れられたのだ。そもそも皇室のレガリアであるにもかかわらず、天皇本人でさえ剣を実際に目にしてはいけないということも奇異に思える。どうも納得できなかった。


第七章 尾呂血神社


 卑埜忌村に入って五日目の朝を迎えた。今日も幾重もの重苦しい雲が空を覆い、幕が下りたように乳白色の霧が神島を覆っている。朝食後、早速正一と連れ立って稗田医院へ向かうことにした。身を切るような風が吹きつける湖畔の道を並んで歩く。早速、何匹かの野良犬がしっぽを振りながら寄ってくると、隣を歩く正一の体が硬直するのが分かった。可哀そうに、顔色は蒼白だ。近くに落ちていた木片を拾い反対方向に思いきり投げると、犬たちは競ってそれを追いかけ去っていった。

 道中、大輔は稗田を先日訪問したことを簡単に話した。しかし正一は聞いているのかどうか分からない様子で、ただ何度も振り返りながら犬たちが再び寄ってこないかを気にしていた。そして、時たますれ違う村人たちから刺さるような視線を受けるたびに、小柄な正一は大輔の陰に隠れるようにして目を伏せた。

 やがて見覚えのある白い木造建築が視界に入ってくる。

 呼び鈴を鳴らすと程なくして先日の若い看護婦が現れ、二人を見ると驚いたように奥へと走り去っていった。やがて白衣を着た稗田が現れ苦々しげな視線を二人に向けた。まずは大輔を睨みつけ、それから正一に視線を移した。正一は大輔の後ろに隠れるように小さくなっている。

 稗田は、今回は渋々と二人を室内に招き入れてくれた。前回来た時には気づかなかったが、稗田は足が悪いらしく杖を片手によたよたと片足を引きずっている。稗田に続き誰もいない待合室を抜けて奥の診察室に入る。ツンとした消毒液の匂いが漂う中、重厚な黒革の診察椅子、白いシーツに覆われた診察台、様々な形のガラスの容器、内臓各部が露出した等身大の人体模型が目に入る。色鮮やかなステンドグラスからは柔らかい光が木の床に注がれている。大輔は幼少の頃お世話になった郷里の診療所を懐かしく思い出した。

 稗田は二人に丸椅子に座るように勧めると、自分は黒革の診察椅子に深く腰を下ろした。再びギロリと二人を睨めつける。隣の正一はずっと下を向いたままだ。やがて稗田が忌々しそうに口を開いた。

「皇宮警察本部から連絡があった。神島に渡りたいそうじゃな」

「は、は、はい」

 正一が下を向いたまま、消え入りそうな声を発した。

「あんたが皇宮警察から派遣されてきた天法さんか?」

 正一は細かく何度も頷くと、震える手で自分の名刺を稗田に手渡した。欠けた耳がさっと赤く染まる。稗田は半ば呆れたような顔で、受け取った名刺と正一の顔を交互に見やった。

「中央からどんな猛者が来るのかと思ったら、随分と頼りなさそうな輩が来たものじゃ」

 稗田は鼻で笑いながらそう言うと、ごみでも捨てるかのように名刺を机の上に放り投げた。

「巳八子様はお会いになるそうじゃ。渡しの重男には既に申しつけてあるので桟橋から渡し舟に乗るように。他に話がなければこれで」

 稗田が立ち上がろうとすると、突然、正一が顔を上げた。先ほどまでのおどおどとした表情はいつの間にか消えており、代わりに毅然とした瞳が稗田をまっすぐに捉えている。

「待ってください稗田さん、この写真を見ていただけますか」

 正一はよく通る低い声でそう言うと、鞄から一片のクリアファイルを取り出した。中には昨日大輔が目にしたセピア色の写真が挟まれている。稗田は突然様子が変わった正一に一瞬、驚いたようだったが、言われるままにクリアファイルを受け取った。そしてしばらくまじまじとその古い写真に目を落とした。やがてゆっくりと視線を正一に戻すと、吐き捨てるように呟いた。

「若かりし頃の輝龍秀全」

「その通りです。秀全さんは十七年前に忽然と行方不明になったということですが、何かご存知のことはありませんか」

 クリアファイルを持つ稗田の手がかすかに震えた。

「いや、何も」

 クリアファイルを正一に返しながら、稗田が小さな声で呟く。

「あいつはろくな男じゃなかった」

 意外だった。卑埜忌村に来て以来、秀全を称える声ばかりを聞いていたが、初めて否定的な声を聞いた。それも氏子総代から。

「秀全さんはどのような人物だったのでしょうか」

 正一の質問に稗田は黙ったまま、不愉快そうに首を振った。

「あの男のことは思い出したくもない」

 稗田はそう言うと黙ってしまった。沈黙が流れる。柱時計の振り子の揺れる音だけが規則正しく室内に響いている。

「それではもう一つ質問します。天狗岩で山根美穂さんの靴とハンドバッグを見つけたのは稗田さんで間違いないですね」

 大輔は驚いて正一を見やった。美穂の死に関しては今回の正一の任務とは関係がないはずだが。稗田が強張った顔で正一を睨む。

「ああ、わしが見つけた」

「その日はどのような用件で神島に?」

 膝の上で握りしめている稗田の拳がかすかに震え出す。

「巳八子様との打ち合わせじゃ。わしは氏子総代だからのう、色々と巳八子様と相談することがあるのじゃ」

「天狗岩にはどうして行かれたのですか?」

 稗田の顔がみるみる赤くなる。

「あんた、わしを疑っておるのか。巳八子様との打ち合わせの帰りに、たまたま通りがかっただけじゃ」

 稗田が目を剥いて正一を睨みつけた。しかし正一は全く動じる様子を見せない。

「ところで稗田さん、近々手術を執刀するご予定でも?」

 一体正一は何を言い出すのだろうか。途端に稗田の肩がわなわなと震え出した。

「お前の知ったことではない」

 稗田の鷲鼻が怒りで赤く染まる。

「分かりました。いずれまた詳しくお伺いさせていただきますが、今日のところはこれで結構です」

 正一は涼しげにそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。大輔も慌てて立ち上がる。正一の後に続いて診察室を出ようとした時、ふと壁に掛けられている古い賞状に目が留まった。そこには見覚えのある名前が記されていた。


 第三十五回鳥取県木工工作コンクール中学校の部

 県知事賞 葦原啓一殿


 何故、啓一の賞状が稗田の診察室に飾られているのだろう。振り返ると、稗田はその骨ばった長身を診察椅子に投げ出していた。

「稗田さん、何故、葦原啓一さんの賞状がここにあるのですか」

 稗田は白髪の間から疲れたような瞳を大輔に向けると、抑揚のない声で呟いた。

「啓一はわしの甥っ子じゃ。わしの妹、千代の子じゃ。啓一が三歳の時に千代が亡くなり、わしが引き取ってここで育てたのじゃ」

 そうか、恵美子の夫の啓一は稗田の甥だったのか。啓一の整った顔が頭に浮かぶ。そう言えば顎のあたりの輪郭が稗田に似ているような気もする。

 稗田は鉛のような倦怠感を顔に漂わせ、診察椅子に体を投げ出したまま二人が出ていく姿をぼんやりと見ていた。


 稗田医院を出ると、二人は桟橋へ向かうことにした。早速、先程の件で正一に質問をする。

「正一君、美穂の死に関して何か不審な点でも?」

 正一はしばらく考えているように黙っていたが、やがてゆっくりと大輔を振り返った。

「いや、まだ何も。いずれもう少し何か分かる時が来るでしょう」

 正一はそう言うと、しばらく稗田医院の方角を見つめていたが、不意に大輔を振り返った。

「大輔さん、確か美穂さんの遺品は神島に残っていたにもかかわらず、渡しの男は美穂さんを乗せていないと言っているのでしたね」

「そうなんだよ。一体どうやって神島に渡ったのだろう。目撃者がいるので美穂が神島に渡っていたことは確かなようなんだけど」

「簡単なことです。舟を使っていないのなら、他に島に渡る手段があるというだけのことです」

 正一はさも何でもないことだといった様子で大輔を見上げた。

「えっ、他の手段とは?」

 正一は何を言い出すのか。

「大輔さん、この辺りの地層には石灰岩が多く含まれていることをご存知ですか。石灰地層は長年の降雨や地下水の浸透によって少しずつ浸食され、地中に空洞が広がっていくという特性があります。俗に言う鍾乳洞ですね。湖の下を通って神島に通じる鍾乳洞が形成されているとしても不思議ではありません。恐らく卑埜忌村のどこかにその入り口があるのでしょう」

 正一は神島にその視線を向けた。

「僕がより興味があるのは、何故美穂さんは神島に渡ったのかということです」

 正一はそう言うと桟橋に向かって歩き出した。大輔も慌てて後に続く。ふと、先程正一が稗田に投げかけた言葉がひっかかった。

「正一君、さっき、手術がどうのと言っていたけど、何のこと?」

 並んで歩く正一が前を向いたまま答える。

「ああ、あれですか。実はこちらに来る前に稗田医院の周辺を少し調べてみたのですが、稗田は十一月十一日に全身麻酔用の薬剤を米子の薬剤問屋に発注しています。稗田は米子医科大学の出で、専門はたしか精神科のはずです。どうして外科手術用の全身麻酔薬剤が必要なのか、ちょっと気になったもので」

 確かに稗田医院はどう見てもかかりつけ医のような町医者だ。専門の精神科以外の診療は風邪などの簡単なものに限られるのだろう。全身麻酔薬が必要とは思えない。

 湖から吹きつける寒風を顔に受けながら歩くこと数分、やがて古い造り酒屋の日本家屋が見えてくる。藍染めの前掛けをした若い店員が軒先から警戒するようにこちらを睨んでいる。正一は途端に顔を曇らせると、男の視線を避けるように大輔の体の陰に身を隠した。先程までの自信に溢れた正一とはまったく別人のようだ。大輔は目まぐるしく豹変する正一の態度に驚くとともに、正一が集中して自分の任務に取り組めるよう、その他のことからはできるだけ正一を守ってやりたいと思った。


 舟着き場に着くと、桟橋の上に重男の大きな後ろ姿があった。今日も仁王立ちをして神島の方角を凝視している。湖を渡る風が重男のぼさぼさの髪を激しく揺らしている。大輔たちが桟橋の上に降り立つと重男はおもむろに振り返った。感情を喪失したかのような瞳で二人を一瞥すると渡し舟に向かって顎をしゃくった。乗れということなのだろう。

 二人が舟に乗り移ると重男はもやい綱をほどき、器用に船尾の櫂を操りながら湖に漕ぎ出した。舟はかすかに左右に揺れながら滑るように湖面を進んでいく。

 舟の上から湖面を見下ろすと、はるか深いところまで覗き見ることができるほど水は澄んでいた。水深はかなりあるようで、ある一定の深さから先は暗く闇に沈んでおり湖底の様子までは伺えない。恐らくあの暗闇の先には、千何百年にもわたり湖に葬送された村人たちの屍が折り重なっているのだろう。湖底を覗き込んでいた大輔はそのまま永遠の闇に吸い込まれてしまうような錯覚に陥り、慌てて視線を前方に戻した。

 やがて舟は深い乳白色の霧の中へと飲み込まれていく。周囲が真っ白になり何も見えない中、ぎしっ、ぎしっと規則正しい櫂の音だけが響き渡る。隣に座る正一は先程から身を振り返らせて、舟尾の重男をじっと見つめたままだ。ふとその横顔を見ると、瞳に涙が浮かんでいることに気づいた。感受性の強い正一には、重男の中に封印されている底知れぬ深い悲しみが分かるのだろう。

 やがて乳白色の霧の中から、何とも言えない幽玄な香りが漂ってきた。遠い昔に心をさらっていくような不思議な香り。舟が進むごとにその香りは確かなものになっていく。そしてその香りに合わせるかのように笛の音が流れてきた。むせび泣くような繊細な音色が湖を包み込む。その音は鼓膜ではなく全身の毛穴から体の中に染み入ってくるようだった。このままどこか遠い時空に誘われてしまうような危うい音色だ。真っ白な世界の中、まるで夢の中を彷徨っているかのような錯覚に襲われる。雲のようにふわふわとした霧の中を漂っているうちに全身の重力が消えていく。

 突然、前方にぼんやりとした光が見えてくる。最初はあたりを覆う乳白色の帳の中にかすかに滲むだけだったその橙色の光は、やがてその姿をはっきりと現してくる。それは神島の舟着き場に掲げられた松明だった。程なくして桟橋の全容が現れる。そしてそこから奥の森に向かって続く参道がぼんやりと浮かび上がってくる。参道の両脇には無数の朱塗りの灯籠が続いている。火袋の中では和蝋燭の炎が揺れており、霧の立ち込めた参道を妖美に照らしている。笛の音はその参道の奥から誘うように流れてくるのだった。

 重男は慣れた様子で舟を接岸させると軽やかに桟橋に飛び移り、素早くもやい綱を結んだ。そして桟橋から無言で二人を見上げると、再び顎をしゃくった。降りろということなのだろう。

 舟を降り立った大輔と正一は一瞬顔を見合わせると、黙ったまま参道に足を踏み入れた。長年の風雨で摩耗した石畳が暗い森の奥へと続いている。周囲の灯籠の灯りが、石畳の上に繁茂した色鮮やかな深緑色の苔を照らしている。水分を含んだ苔で足を取られないように注意しながら歩いた。参道の周囲には楠やブナなどの見事な巨木が鬱蒼とした森を形成している。

 やがて、それらの巨木の根元付近に無数の石板のような物が林立していることに気づいた。腰くらいの高さまである墓標のような物体だ。それぞれの石板の表面には文字が彫られている。どれもかなり古く、表面は風雨に浸食されひどく摩耗し苔で覆われている。膨大な数の石板は参道を取り囲むように左右の森の奥にまで延々と広がっていた。恐らくこれが御霊碑なのだろう。亡くなった卑埜忌村の住人の肉体が湖に沈められた後、再び卑埜忌村に生を受けるまでの間、その魂が安らぐ場所。まるで蛇が脱皮するように同じ場所で延々と生まれかわり続ける魂の連鎖。御霊碑は千何百年に渡る輪廻転生の礎石なのだろう。

 切々とした笛の音が森の中を高く低く駆け巡る。湿った石板のカビ臭い匂い、苔と土の混じった大地の香り、巨木が発散する樹液の薫り、そして香木の幽香がまとわりつくように二人を包み込む。

 ふと森の奥に目をやった時だった。無数に林立する御霊碑の間を動く何ものかが目に入った。動物だろうか。石板の高さとさほど変わらぬ大きさの白いものがせわしなく動いている。大輔はその方向に目を凝らし、思わずぎょっとした。何とそれは人間だった。背丈は一メートルほどだろうか。髭を生やした者、頭髪が薄くなった者など、どう見ても子供には見えない。体に比して不釣り合いに大きな顔。小人だ。それも一人ではない。御霊碑の間に見え隠れする白い影を数えると、全部で七人いる。全身白装束を纏い、頭には白頭巾をかぶり、白足袋に草履という出で立ち。ある者は手に白い布巾を持ち御霊碑を一心不乱に磨いている。別の者はスコップとツルハシを使って倒れかけた御霊碑を直している。大輔たちには気づいていないようだ。隣の正一の視線も小人たちに釘付けになっている。

「正一君、あれは」

「恐らく成長ホルモン分泌不全による障害ではないでしょうか。一昔前までは小人症と呼ばれていたものです」

「彼らは一体何者だろう」

「分かりません。ただ、この参道を進めば色々なことが明らかになるはずです」

 正一はそう言うと、再び参道を歩き出した。笛の音に誘われるように、二人は再び霧の奥へと足を進めた。

 やがて前方に摩耗した石段が現れ、その向こうに苔むした鳥居が見えてきた。通常の鳥居ではない。二本の太いクヌギの縦柱は皮が剥かれることなく表面には古い樹皮がそのまま残されていた。樹皮の表面は灰汁色にくすみ、その全面を苔が覆っている。最も原始的な鳥居様式の一つ、黒木鳥居だ。石段を登りながら思わず鳥居を見上げた。実際に黒木鳥居の実物を目にするのは初めてのことだった。悠久の時を経た原初信仰の名残り。この太古の鳥居は古より変わらぬ姿で本宮を守り続けてきたのだろう。

 鳥居をくぐるとにわかに空気が張り詰め、ついに見事な社殿が正面に姿を現した。周囲の灯篭と建物内部の雪洞の灯りによって内外から煌々と照らしだされた社が、乳白色の霧の中に幻想的に浮かび上がっている。それが尾呂血神社の拝殿だった。柔らかな曲線を描く切妻造りの茅葺屋根には幾本もの鰹木が置かれ、建物正面のしめ縄からは三枚の紙垂が下がっている。正面に張り出した向拝には木彫りの龍が今にも天に飛翔していくかのように激しく躍動している。よく見ると、龍の二つの目には色鮮やかな緑碧石がはめ込まれており、境内の灯篭の灯りを妖しく反射させている。そして開け放たれた拝殿の奥に座る一人の女の姿。浅葱の袴に緋色の広袖表着を羽織り、瞳を閉じて一心に竹の横笛を奏でている。傍らに置かれた雪洞の灯りが女の漆黒の長い髪と白い頬を艶やかに照らしている。笛の音色は霧に覆われた境内を縦横無尽に飛翔していた。

 大輔と正一はその女の姿に目を奪われたまま、しばらく拝殿正面に佇んで笛の音色に身を預けた。その音色は全身の血管の中に直接浸透し、心臓を激しく揺さぶった。そして濃密に漂う香木の香り。長い時間が経ったのか、それとも一瞬だったのか、やがて笛の音が静かに鳴り止んだ。突如、猛烈な静寂が襲ってくる。女はゆっくりと瞳を開き、その切れ長の瞳を二人に向けた。こちらの胸の内までをも見通すかのような透徹した眼差し。思わず正一が大輔の後ろに隠れるように後ずさりをする。

「龍笛の音色はお好きですか」

 高くもなく低くもない、よく通る声が境内に響いた。

「この横笛は龍笛と言います。低音から高音までを自在に奏でることができ、天と地の間を自由に飛翔する龍の鳴き声を表しています。さあ、どうぞ拝殿にお上がりください」

 そう促され二人は靴を脱いで拝殿に上がり、女と相対して畳に腰を下ろした。部屋には幾多の雪洞が灯され、柔らかい桃色の光が周囲を妖しく照らしている。女の背後には鶯色の縁取りが鮮やかな御簾が下がり、その奥の様子は伺えない。その向こうには本殿に通じる扉があるのだろう。香木の香りはその奥から流れてくるようだ。

「申し遅れました。尾呂血神社第八十四代宮司、輝龍巳八子です」

 女は拝殿に響きわたる声でそう言うと、大輔と正一を交互に見やった。新雪を思わせるような白い肌の中央で、その黒い瞳は際立った存在感を放っていた。見つめられるとそのまま吸い込まれてしまいそうな、深い湖の底のような瞳だ。沈黙が流れた。隣の正一は自らを落ち着かせるように深呼吸を繰り返しており、なかなか口を開く気配がない。仕方なく、大輔が先に口を開いた。

「舘畑大輔です」

 軽く頭を下げながらそう言い、隣を見る。正一はかすかに震える手で名刺を取り出すと、巳八子の前の畳に置きながら小さな声で呟いた。欠けた耳が真っ赤に染まっている。

「て、て、天法正一です」

 巳八子は膝の前に置かれた名刺を一瞥すると、再び視線を二人に向けた。

「氏子総代の稗田から話は聞いています。何なりとお尋ねください」

 湧き水のように淀みのない声が拝殿に響く。再び沈黙が流れる。猫背のまま俯いていた正一は徐々に呼吸を取り戻してきている様子だ。次第に体の震えが止まり、膝の上で固く握りしめていた拳の力がふっと抜けるのが分かった。やがてゆっくりと背筋を伸ばし、強い光を宿した瞳を巳八子に向けた。

「輝龍さん、今日は我々を迎え入れてくれてありがとうございます。お目にかかれて光栄です」

 先程までとは別人のような正一がそこにいた。口元にかすかな笑みを浮かべた巳八子は、微動だにせずに正一を見つめている。

「早速ですが、実はこの人物に関してお聞きしたいのですが」

 正一はそう言うと懐からクリアファイルを取り出し、巳八子の前に置いた。巳八子はしばらく品定するように正一を見つめていたが、やがて視線をクリアファイルに落とし、大切なものでも扱うかのようにそっと両手を伸ばした。そして胸元にファイルを掲げ、中に挟まれたセピア色の写真をしばらく見つめていた。その姿を大輔は注意深く観察してみたが、巳八子の整った表情は全く変わることはなかった。やがて巳八子の瞳だけがぎろりと動き、正一を見やった。

「私の父です。正確に申し上げると、血はつながっておりませんが」

 正一が満足そうに頷く。

「そうでしたね、あなたは神の子として、ここ神島に産み落とされたのでしたね」

 巳八子は表情を変えず、ただ黙って正面から正一を見つめている。相変わらずその顔からは感情を読み取ることができない。正一はお構いなしに話を続けた。

「秀全さんが終戦の頃、陸軍の東海軍管区司令部に所属していたことはご存知でしょうか」

 巳八子がゆっくりと首を横に振った。

「父はほとんど自分のことは語らなかったもので」

 巳八子はそう言うと、秀全の写真に再び視線を落とした。

「戦後、秀全さんが卑埜忌村に戻ってきたとき、何か重要なものを持参していたというような話をお聞きになったことはありませんか」

 巳八子がサッと視線を正一に向ける。先ほどまで穏やかだった瞳に一瞬、強い光が宿る。

「さあ、存じません。何分、私が生まれる何十年も前の話ですので」

 落ち着き払った巳八子の声が拝殿に響く。正一は相手の表情を読み取ろうとするかのように、しばらく巳八子を見つめたまま黙っていた。拝殿を取り囲む鬱蒼とした樹々の間を風が通り抜け、ざわざわと葉がこすれ合う音が境内に流れる。

「秀全さんは神隠しに遭ったと聞きましたが、その時の状況を教えていただけませんでしょうか」

 巳八子はふっと小さく息を一つ吐くと、再び写真の中の秀全に視線を落とす。整ったまつ毛が雪洞の灯りを受けて際立った。

「あれは私が二十歳の時でした。ある朝、いつまでたっても父は起きてきませんでした。父は大抵朝は早く、寝坊することなど一切ない人でしたので、心配になって寝室を覗きに行きました。襖を開けると父の寝具は敷かれたままの状態で、本人の姿はどこにもありません。それっきり、父は姿を現しませんでした」

「その時、秀全さんはお幾つだったのでしょうか」

「七十九だったと思います。父は年齢の割に元気で、とてもその歳には見えませんでしたが」

 再び沈黙が流れた。巳八子は写真の中の秀全を見つめたままだ。

「ところで尾呂血神社の創建はかなり古いようですが、御祭神は?」

 再び巳八子が視線を上げ、正一を見つめる。

「尾呂血神社は三世紀の創建以来、八津神様をお祀りしています」

「八津神様とは?尾呂血湖という名前から八岐大蛇との関連を想像しますが」

 すかさず正一が尋ねた。巳八子がかすかに口元を歪める。口紅を塗っているのかいないのか、その唇は瑞々しい緋色に輝いている。

「八津神様とは古より我々を護ってくださるありがたい存在です。八岐大蛇は後世に作られた、ただの伝説上の怪物に過ぎません」

 巳八子は射抜くような瞳で正一を見やると、再び笑みを浮かべた。

「そちらの御簾の奥はご本殿でしょうか。八津神様のご神体を拝ませていただくことはできませんでしょうか」

 巳八子の表情が一瞬固まったように見えたが、口元には先ほどからの笑みが張りついたままだ。

「申し訳ありませんが、古より本殿には輝龍家の当主しか入ることが許されておりません。どうかご遠慮ください」

 巳八子はそう言うと、笑みを残したまま再び強い視線を正一に浴びせた。風の流れる気配に続いて再び樹々のざわめきが境内に響く。

「卑埜忌村には色々と変わった風習があるようですね。例えば住人は村の外へ移り住むことが禁じられているとか」

 正一が幾分挑発するような視線を巳八子に向けた。

「変わった風習と言われましたが、生を受けた村の中で一生を過ごすというのは、古代からずっと日本各地で当たり前に続けられてきたごく自然な生活様式です。ほんの百年ほど前までは村境を越えて引っ越す人などほとんどいなかったはずです。それのどこが変わっているのでしょうか。皆が自分を生み育んでくれた共同体に感謝し、大人になった後は自分がその共同体を支える主体となって次の世代につないでいこうと考えることは、当然のことではないでしょうか」

「しかし、村を出た人間は家族もろとも村八分となるわけですか」

 正一がまっすぐに巳八子を見据えながら言い放った。いつの間にか巳八子の口元からは笑みが消えている。

「村八分は決して褒められた風習ではありませんが、共同体を守るための抑止力として必要悪なのではないかと考えています。誰もが自分勝手にふるまうようになると、タガが外れたように共同体は崩れてしまいます。近年、そういった自覚が失われたことによって、日本各地の市町村が過疎に悩まされ限界集落として消滅の危機に瀕していることは、天法さんもよくご存知でしょう」

 淀みなく発せられた巳八子の言葉を聞きながら、大輔は遠い故郷の町の近況を思い浮かべた。確かに巳八子の言う通り、大輔の育ったあたりも駅前はシャッター通りと化し、今では若者の姿を見かけることはほとんどない。皆、故郷を捨てて都会に出てしまったのだ。大輔自身も生まれ育った共同体に対する責務を投げ出してしまった一人なのだろう。郷里で一人暮らしをしている母の姿が思い出され、チクリと心が痛む。

「婚姻に関しても、いささか変わった風習があるようですね」

 巳八子から目を逸らさず、再び正一が挑発するように言い放った。

「それに関してもそう言われるのは心外です。卑埜忌村では八津神様のご加護のもと、最適な縁組を私と氏子総代とで決定しています。これも日本各地で古代からつい最近まで行われてきた縁組みや仲人制度と何が違うと言うのでしょうか。人は往々にして最適な伴侶を見極めるだけの思慮分別を持たずに結婚適齢期を迎えてしまいます。そして誤った判断をしてしまうものです。天法さん、日本では三組に一組の夫婦が離婚しているという事実をご存知ですか。ここ卑埜忌村では離婚する夫婦は皆無です。どちらが健全なのでしょうか」

「しかし、本人たちの自由意思はどうなるのですか」

 正一が高い声で言い返した。

「近年、巷では個人の自由とか権利という言葉が声高に叫ばれていますが、今の日本社会がここまで堕落してしまったのは個人の身勝手な自由を認めすぎてしまったからではないでしょうか。人は決して一人で生きているわけではありません。他者や共同体に対する責任も負っているはずです。皆が勝手気ままにふるまってしまうと、社会秩序は簡単に崩れてしまいます。自由に結婚して、無責任に離婚する。その結果、片親になってしまう子供たちは心に深い傷を負うことになります。たとえ離婚したとしても、夫婦は自分の子供の養育成長にずっと責任を持つべきなのです。ところが今の民法では、離婚した後の親権は夫婦のどちらか一方にのみしか生じません。もう一方の親は平気で養育を放棄することができてしまうのです。昨今のシングルマザーの貧困問題をご存知でしょうか。親の身勝手の犠牲になるのはいつも子供たちです。自由であることが全て正しいと考えるのは、いささか無理があるのではないでしょうか」

 巳八子は毅然とした姿勢を保ったまま、そう言い放った。

「それにこの制度は村人に公平をもたらします。全てを自由に任せてしまったら、結局は生まれ持った容姿や財力に恵まれた者だけに婚姻機会が訪れ、それ以外の者は蚊帳の外になってしまいます。今、希望しても結婚できない者たちが日本中で増えていることはご存知でしょう。この国の生涯未婚率は既に二割を超えています。何かがおかしいと思いませんか。裕福な家に生を受けたり容姿に恵まれるのは本人の努力とは全く関係なくただの偶然です。その偶然で得をしたり損をしたりすることは不公平だと思いませんか」

 大輔は思わず心の中で唸った。巳八子の言うことは大輔が常々抱いている問題意識ともつながっており、頭から否定することはとてもできなかった。

「村人の情報摂取に関しても自由を否定されているようですね」

 正一は巳八子を試すかのように矢継ぎ早に質問を投げかけていく。

「開明館のことですか」

 動じない巳八子のまっすぐな声に、正一がコクリと頷いた。

「デジタルデバイドをご存知ですか。情報技術は既に多くの人々がついていけないほどのスピードで進化しています。放っておけば、老人やITリテラシーのない者たちはどんどん取り残されてしまうでしょう。そんな彼らでもインターネットの恩恵を受けられるようにするのが開明館なのです」

「しかし検索を全て蒙導師経由で行うということは、村人たちが何に興味を持って何を調べたいと思っているのかが全て筒抜けになってしまいます。プライバシーに対する懸念はないのでしょうか」

「残念なことですが人はその容姿や財力と同様、生まれもった能力や資質に関しても埋めることの難しい差があるのが現実です。皆が正しい判断を下すことができ、倫理に沿った行動ができるとは限りません。今のインターネット上には様々な悪質な情報が氾濫しています。違法薬物、闇バイト、爆薬や拳銃の製造方法など。誰もが自由にこういったサイトにアクセスできるようにした結果、今、世の中で何が起こっているかは天法さんもよくご存じのとおりです。蒙導師は確かな倫理観を持つ最も優秀な者たちで構成されています。何にアクセスして良いか悪いかを、彼らがしっかりと判断してくれるのです。それが結局は村人の為なのです」

 揺るぎない瞳が正一を見据えた。正一も無言で巳八子を見返している。境内を囲む大木の間からざわざわと葉擦れの音が聞こえてくる。雪洞の蝋燭が大きく揺れ、巳八子の瞳の陰影が深くなる。やがて長い静寂が訪れた。大輔は目の前で交わされている問答がまるで夢の中の出来事のような気がしてきた。

 最初に口を開いたのは正一だった。

「先ほど、御霊碑を磨いている白装束の方々を目にしましたが」

 突然、正一が質問の矛先を変えた。正一は何を言い出すのだろう。

「あれは聖様ひじりさまです」

 巳八子の顔が一瞬、強張るのがわかった。

「聖様?」

 巳八子はふっと視線を逸らし、境内を覆う巨木群に目をやった。しばらく葉擦れの音に耳を傾けているようだったが、やがてゆっくりと視線を畳に移す。雪洞が三人の長い影を畳に落としていた。

「何事にも光と影があるものです」

 そう言うと、巳八子は表情の消えた顔で正一を見つめた。正一も黙ったまま、巳八子を見つめ返す。

「卑埜忌村では千何百年にわたり、村内で婚姻を繰り返してきました。代々の家系図を元になるべく血の遠い者同士を結ばせるようにしてきましたが、どうしても弊害が出てしまう時があるのです」

 傍らの雪洞の炎が風に揺れ、巳八子の顔を深い陰影が覆う。

「この村では血が濃くなりすぎると大抵、同じような症状が発現します。背丈の成長が一メートルほどで止まり、知能の発達は六歳ごろに止まります」

 御霊碑を一心不乱に磨く白装束の小人たちの姿が浮かんだ。

「彼らは穢れのない聖様として崇められ、神島に設けられた天祥館で共同生活を送りながら、村人の為に御霊碑を磨いたり直したりする行に日々励んでくれています」

 再び一陣の風が境内の樹々をざわめかせると、雪洞の炎が激しく揺れた。拝殿で向かい合う三人の影が畳の上で大きく揺れる。風がおさまるのを待つように再び沈黙が流れた。雪洞の炎がじりじりと蝋を吸い上げる音が聞こえる気がした。

 やがて正一が再び口を開く。

「もう一つお聞きます。天狗岩はどこにあるのでしょうか」

 大輔の拳に思わず力が入る。

「島の裏側にあります。桟橋から見ると、ちょうど尾呂血神社を挟んで反対側になります」

「山根美穂さんの遺品が天狗岩で発見された日、輝龍さんは稗田さんと会われていたのですね」

「はい、氏子総代の稗田とは定期的に会っております。あの日は確か新たに初潮を迎えた者の婚姻先に関して決めておりました」

「稗田さんは打ち合わせの後、たまたま天狗岩に通りかかったと言っていましたが、稗田さんは脚が悪いにもかかわらず何故まっすぐに桟橋に向かわず、わざわざ天狗岩まで遠回りをしたのでしょうか」

 大輔はようやく正一が言わんとしていることを理解した。確かに杖を持ち脚をひきずりながら島の反対側まで行ったとすると、当初から何らかの目的があったはずだ。

「それは、天狗岩の先に建つ天祥館に用があったからでしょう。聖様の中にはたまに症状が不安定になる者がおります。稗田は定期的に天祥館を訪れ、必要な処置をしているのです」

「必要な処置とは?」

 畳みかけるように問いを発した正一を、巳八子はただ無表情に見つめ返すだけで何も答えなかった。

「天狗岩を案内していただくことはできますか」

 思わず大輔が横から口を挟んだ。美穂の遺品が残っていたという場所を何としてもこの目で見てみたかった。巳八子が横目でギロリと大輔を一瞥する。そして軽く頷いた。


 巳八子の案内で神社の裏手の道を進んだ。樹齢数百年を超えるような大木の生い茂る森の中は薄暗く、先を行く巳八子の緋色の広袖表着だけが鮮やかに浮かび上がっている。樹木の発するむせるほどの森林臭に包まれて十五分ほど歩いた頃だろうか、いきなり視界が開け白波の立つ湖が眼前に現れた。強風が巳八子の黒髪を舞い上がらせ、白く細い首筋に巻きつく。巳八子は片手で髪を押さえながら更に湖岸の道を進んだ。やがて前方に大きな岩が見えてくる。湖に突き出るように飛び出たその形状はまさに天狗の鼻のように見える。

「これが天狗岩です」

 巳八子は岩の手前で立ち止まると、ゆっくりと二人を振り返った。大輔は引き寄せられるように岩の上に足を踏み入れた。そこは畳二十畳ほどの大きな平場となっていた。ここに美穂の靴とハンドバッグが遺されていたのか。そして、ここから美穂は湖に身を投げたと言うのか。思わず岩の先端まで歩を進め、眼下に広がる暗い湖面を覗き込んだ。それから手を合わせ瞳を閉じて黙祷をする。依然、美穂の死に関して半信半疑ながらも、今は美穂の魂の安らぎを祈らずにはいられなかった。

 その時だった、突然背後の森の奥から奇異な声が聞こえてきた。驚いて振り返ると、樹々の間を白装束の聖様たちが行進している姿が目に入る。作業の帰りなのだろうか、一列になって各々肩にツルハシやスコップを担いでいる。そして声を合わせて歌っている。

「ハイホー、ハイホー、仕事を終えて家に帰ろう」

 聖様たちはそのように歌っていた。大輔たちには気づかずに、皆、楽しそうに森の中を行進している。ある者はステップを踏むように小躍りしながら、別の者は白い布巾を歌に合わせて振り回している。

「最近、聖様たちはディズニーに夢中なのです」

 ふっと柔らかい笑みを浮かべながら、巳八子が二人を振り返った。

「天祥館にはアニメのビデオがたくさん置いてあります。聖様たちは暇を見つけてはそれらを観て楽しんでいらっしゃるのです」

 それは何とも言えない異様な光景だった。霧に覆われた太古からの原生林の中を嬉々として行進する白装束の小人たち。満面に笑みを湛え小躍りしながら声を合わせて歌っている。その甲高い声が森の奥にこだまする。大輔と正一は言葉を失い、聖様たちの姿が森の奥に消え去るまでただ無言でその様を見つめていた。


 桟橋に戻ると、重男が仁王立ちをしたまま二人を待っていた。舟に乗りそのまま真っ白い霧の中に漕ぎ出る。ぎしっ、ぎしっという音だけを聞きながら乳白の中を進む。やがて霧が薄くなり徐々に前方の視界が開けていく。晩秋の寂しい空の下、岸の向こうに素朴な田園風景が現れてくる。同時に、歪んでいた時間と空間の感覚が消えていく。

 重男に礼を言い桟橋を後にすると、急に腹が減っていることに気づいた。時間を確認すると、既に昼の一時を回っている。大輔は、正一を連れて門脇食堂に向かうことにした。


第八章 もう一つの風土記


 食堂脇の駐車スペースには境港ナンバーのトラックが一台停まっているだけだった。既に大方の客は昼食を終え、午後の配送へと出発した後なのだろう。

 その時、店の裏口から一人の老婆が出てくるのが見えた。痩せた体に粗末な着物、ばさばさの黄ばんだ白髪、浅黒い染みだらけの顔、いつぞや造り酒屋の店先で鈴ばあと呼ばれていたあの老婆だ。老婆は裏口から出ると店の中を振り返り、欠けた歯を露にしながら顔をくしゃくしゃにして何度もお辞儀をしている。よく見ると、腕には白い徳利を大事そうに抱えている。酒でももらいに来たのだろうか。

 白い暖簾をくぐるとやはり店内は空いており、カウンターに青い作業着姿の男が一人座っているだけだった。良枝が化粧気のない笑顔で迎えてくれる中、今日は正一と二人なので隅のテーブル席に陣取ることにした。カウンターの奥から源三が人懐っこそうな笑みを投げかけてくる。早速、良枝が水の入ったコップを二つ持ってやってきた。大輔は迷わずカレーを注文し、正一を見やった。正一は一通り壁のメニューを眺めた後、恐る恐るといった様子で口を開いた。テーブルの上に置かれた正一の指先は落ち着きなく動いている。

「あ、あのう、せ、せっかく、み、湖の近くにいるので、さ、さ、魚料理はありますか」

 正一の欠けた耳がサッと赤く染まる。大輔は正一につられて壁のメニューに視線を這わせた。ハンバーグ、カレー、肉野菜炒め、生姜焼き、鶏のから揚げ、ラーメン、オムライス…今まで気づかなかったが、壁のメニューに魚料理は見当たらない。

「お客さん、ごめんね、うちは魚料理、出してないの」

 良枝が申し訳なさそうな顔を見せた。

「目の前にあんなにきれいな湖があるのに。さぞかし新鮮な魚が捕れるのじゃないのかな」

 大輔も思わず口走った。

「ここでは湖での漁はずっと昔からご法度なのさ。だって、亡くなった者たちが帰っていく神聖な場所だろ。だからこの村では魚を食べる習慣がないのさ。そもそも村では舟を持つことも禁止されていて、重男の渡し舟以外に舟は存在しないのさ」

 そう言うことか。確かにご先祖さまが代々葬送されてきた湖で漁をするわけにはいかないだろうし、そこで捕れた魚を食べたいとも思わないだろう。結局、正一は大輔と同じものを注文した。

 良枝がカウンターの奥へ消えると、大輔は早速正一に尋ねた。

「正一君、何か成果はあったかい」

 正一は一度大きく深呼吸をすると、呼吸を整える仕草を見せた。落ち着きなく震えていた指先の動きが徐々に収まっていく。欠けた耳の血が徐々に引いていく。やがてゆっくりと顔を上げ、正面から大輔を見つめた。その瞳には強い光が浮かんでいる。

「はい、成果はありました。まず、稗田宗子と輝龍巳八子の指紋を入手することができました」

 そうか、写真の入ったクリアファイルを渡したのはそれが目的だったのか。

「この後、鳥取県警本部の鑑識課に二人の指紋を持ち込み、月影国光の鍛刀場に残されていたコップの指紋と照合してみるつもりです」

 正一は目の前のガラスのコップに手を伸ばし、しばらく眺めた後、半分ほど飲み干した。コップをテーブルに戻すと再び話出す。

「それから、輝龍巳八子は何かを隠していると思います」

「隠しているって、美穂のことで?」

 一瞬、正一が柔らかな瞳を大輔に向けるのが分かった。

「大輔さんが一番気になるのは、当然そこのところですよね。大輔さんのお気持ちはお察しいたします。ただ、輝龍巳八子が美穂さんの話をした時に見せた態度は僕には自然な反応に見え、そこにあまり不審な点は感じられませんでした。僕が違和感を抱いたのは、秀全に関する質問を彼女にした時です。僕にはどうも彼女が意図的に感情を抑えながら話しているように思えました。何か心の中で暴れようとする想いに無理やり蓋をしながら話しているような、そんな感じです。ただ、あくまで僕の直感に過ぎませんが」

 正一は謙遜するが、恐らく常人には持ちえない鋭敏な感覚が何かを察知させているのだろう。

「もし輝龍秀全が本当に天叢雲剣を奪って村に持ち帰ったとするなら、剣は本殿の中に安置されているのだろうか」

「その可能性は十分にあると思います。古より輝龍家の当主しか入ることのできない本殿なら、剣を隠しておくにはうってつけの場所ですからね。ただ、捜査令状もない中、あれ以上強く要求することはできませんでした」

 その時、良枝が二人の前にカレーを置き、ごゆっくり、と一言残して去っていく。

「正一君の仮説が正しいとすると、そもそも秀全は何故、天叢雲剣を奪うなどという大それたことをしでかしたのだろうか。物が物だけに、売ってお金にするというわけにもいかないだろうし。単に刀剣に対する興味からなのだろうか」

 ずっと気になっていた疑問を口にした。もし自分が秀全だったら、危険を冒してまでそんなことをするだろうか。金が目当てならもっと換金しやすい物を狙うだろうし、秀全に特段、刀剣収集の趣味があったという話も聞かない。正一は一口カレーを口に含み、美味しい、と満足げな声を漏らすと大輔を見上げた。

「秀全としては奪ったつもりはなく、取り戻したということだったのかもしれません」

 正一がポツリと呟いた。

「えっ、取り戻した?」

 正一の言っている意味が全く分からなかった。正一を見つめ、次の言葉を待った。正一はスプーンを皿に戻し水を一口飲むと、正面から大輔を見つめた。

「大輔さん、出雲大社の御祭神が誰だか知っていますか」

 何故いきなり隣の島根県の出雲大社の話になるのだろう。でも、それくらいは知っている。

大国主命おおくにぬしのみことだよね」

「その通りです。では、大国主命がどのような人物だったかをご存知でしょうか」

 子供の頃に読んだうろ覚えの日本神話を思い出す。

「詳しくは知らないけど確か、国譲りをしたということだったっけ」

「おっしゃる通りです。大国主命に関する記述は古事記と日本書紀とで若干異なる部分もありますが、共通していることは高天原に住む神々の要請に従って、それまで自分が統治していた国を明け渡したということです。高天原に住む神々とは天照大御神を祖とする大和族、つまり現在の皇室を頂点とした日本の権力層の源流のことです。国譲りと言われていますが、恐らく実際のところは武力で無理やりに国を奪われたのでしょう。大国主命は国譲りをした後は冥界を治めることになったとありますが、これはつまり殺されたと解釈するのが自然です。出雲大社は一般的には滅ぼされた大国主命を供養するために建立されたと言われています」

 正一はそこまで話すと、話についてきているかを確認するようにしばらく大輔を見つめた。大輔は何度も頷いて見せ、先を促した。

「そもそも古代の出雲地方にはかなり高度な独自文化が存在していたことが分かっています。その影響範囲は船通山を中心として現在の島根県東部と鳥取県西部に渡って広がっていて、この地域からは大量の古墳や銅鐸、そして豪華な装飾品などが発見されています。このことからも当時の統治者の権力の大きさと文化レベルの高さを窺い知ることができます。当時各地に勢力を伸ばし始めていた大和族と区別するために、彼らはしばしば古出雲族と呼ばれています」

「それじゃ大国主命は滅ぼされた古出雲族の象徴ということ?」

 話にしっかりとついてきている大輔を見やり、正一が満足そうな表情を浮かべた。

「それが現在主流となっている学説です。僕が東大で古代史を研究していた時の指導教官も同様の学説を唱えていました。ただ、」

 正一はそこで言葉を切ってスプーンに手を伸ばした。

「ただ?」

 思わず大輔は身を乗り出した。

「大輔さん、せっかくの美味しいカレーが冷めてしまいますので、まずは食べてしまいませんか。話は食べた後にまた」

 そう言うと、正一は厨房の方を見やりながら目配せした。振り返ると、こちらを見ている源三と目が合った。カレーが冷めてしまうことを心配していたのだろう。せっかくの自慢のカレーを蔑ろにしてはいけない。大輔はもどかしい気持ちを抑えながらカレーを口に運ぶことにした。早く正一の話の続きが聞きたくて、あっという間に皿を空にし、正一が食べ終わるのを待つ。正一は最後のカレーの塊を口に運ぶと、水を一口飲んでから姿勢を正した。

「ただ、僕は違った見方をしています。古事記によると、大国主命は須佐之男命の六世の孫、日本書紀の一書では七世の孫と記載されています。この辺りの正確なことは分かりませんが、いずれにせよ重要なことは大国主命が須佐之男命の子孫だということです。須佐之男命はご存知の通り天照大御神の弟です。つまり大和族の主要メンバーです。ということは、大国主命もしょせんは大和族の血筋の人間だということになります」

 正一が大輔を正面から見つめた。

「僕は、古出雲族は大国主命の時代には既に滅ぼされており、大国主命の国譲りの逸話は単に大和族内で生じた権力争いを表しているにすぎないのではないかと考えています。大和族及びその後に連なる大和朝廷の支配層は、しばしば自分たちの権力争いの犠牲になった者が恨死した後に怨霊となって祟ることをひどく恐れました。今では考えられないことですが、当時の人々にとって怨霊は日常に存在する最大の恐怖だったのでしょう。その為、怨霊の祟りをおさめ霊を慰めるために恨死者を神格化して神社に祀るということをしてきました。有名なところでは朝廷内の内部抗争で敗れ讃岐に流された崇徳天皇を祀る白峰宮や、太宰府に左遷され不遇の死を遂げた菅原道真を祀る太宰府天満宮などがこれに当たります。ただ、これらは皆、あくまで大和族の血を引く身内の中での争いの場合です。敵対していたとはいえ、自分たちと同じ大和族の血が流れている相手だからこそ、手厚く神格化するに値する存在と考えたのでしょう。須佐之男命の血、つまり大和族の血筋を引く大国主命の場合も同様の考えから出雲大社が建立され、手厚く祀られたのだと考えています。一方、相手が大和族以外の人々だった場合は、全く事情が異なります。古代から平安時代にかけて大和族は日本の支配権を確立していく中で、多くの地場民族を容赦なく殲滅してきました。九州の熊襲くまそ、東北の蝦夷えみし、そして山陰の古出雲族などです。大輔さんの故郷は確か奥州でしたよね。阿弖流為あてるいをご存知ですか」

 阿弖流為、確か幼い頃に祖父からその名前を聞いた覚えがあった。

「何となく名前だけは聞き覚えがあるけど」

「東北地方は平安時代になってもまだ大和族の力が及ばぬ地域で、縄文の昔から蝦夷と呼ばれる地場民族が独自の文化圏を築いていたところです。阿弖流為はその最後の族長です。平安時代になる頃には大和族はようやく関東以西をほぼその手中に収め、最後に残る東北地方の征服に乗り出します。桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷征伐を命じたのです。東北の地で壮絶な戦いが繰り広げられたのち、阿弖流為はこれ以上の無為な殺生を避ける為に坂上田村麻呂に同行して平安京に講和に赴きます。しかし大和朝廷の公家たちの画策により裏切られ、無残にも斬首されてしまいます」

 阿弖流為の名前を誇らしげに語っていた祖父の顔を思い出した。

「阿弖流為の存在はそれ以来、長く歴史の中から抹消されていました。大和族の血筋ではない、まつろわぬ者たちは存在しなかったも同然だからです。大輔さんが学んだ頃の日本史の教科書にも阿弖流為の名前は出てこなかったはずです。国家権力である文部科学省がその内容を検定しているわけですからこれは当たり前です。ほんの十五年くらい前から東北の復権運動の後押しもあって、ようやく歴史教科書に阿弖流為の名前が載るようになったのです」

 胸の奥がざわついた。大輔は自分の体の中に流れている東北人の血を実感した。こんなことは初めてだった。

「こういった異なる血筋の人々は大和族と同じ人間としては扱われず、滅ぼされた後はしばしば歴史の中で単に鬼、妖怪、土蜘蛛などといった蔑称で記されているだけです。どのような非業の死を遂げたとしても神格化して祀るなどもってのほか、人間として供養する価値もない存在ということだったのでしょう。平安時代の絵画などでは大抵、凶暴で醜い風貌を持つ異形の存在として描かれています。僕は古出雲族も同様の末路を辿ったのだと考えています」

「正一君、大国主命の時代に古出雲族は既に滅んでいたとすると、一体誰がいつ滅ぼしたと考えているの」

 大輔を正面から見つめる正一の瞳に力が入った。

「滅ぼしたのは大和族の主要メンバーであった須佐之男命だと考えています。そして滅ぼされた古出雲族は八岐大蛇という醜い怪物に変えられて、中央の朝廷によって綴られた歴史書の隅に残っているだけです。ただ不思議なのは、当時まだ地方豪族の一つに過ぎなかった大和族と比べて古出雲族はかなり高度な産業基盤と文化を持っていたはずなのに、何故、滅ぼされてしまったのかということです。山陰地方は朝鮮半島までほんの三百キロという位置にあります。その地の利を生かして大陸との交易も盛んで、当時としては最先端の知識と技術が国際交易の表玄関であった山陰地方に流入していたことは明らかです。特に注目すべきは、傑出した製鉄技術です。古出雲文化圏を貫くように流れる斐伊川は別名黒い川と呼ばれるように、この地方では古代より良質な砂鉄が豊富に取れ、それを使ったたたら製鉄が盛んだったところです。鉄で作った刀剣や武具はそれまで主流だった青銅武具とは比べ物にならないくらい強固です。また、鉄で作った農具は農作物の生産性を飛躍的に高めたはずです。古出雲族は最先端の鉄製武具や農具により圧倒的な武力と経済力を保持していたはずです。記紀では須佐之男命の持つ十拳剣は銅剣だったとあります。これが八岐大蛇の尾の中にあった鉄剣に当たって折れたという逸話は、まだ青銅技術しか持たなかった大和族に対して、古出雲族が当時としては最先端だった製鉄技術を既に持っていたということを暗喩しているのだと解釈できます。結局、大和族は滅ぼした古出雲族の製鉄技術を吸収して、その後急速に力をつけ、その支配地域を全国に拡大していくことになります」

「正一君、ところで今の話と先ほどの秀全の話とはどうつながるの」

 話の行き先が見えず、思わず尋ねた。

「大輔さん、大和族は当然、自分たちが滅ぼした異族である古出雲族を供養したり史書に残したりすることなど考えなかったはずです。むしろ自分たちの統治支配の正統性をより強固にするために、古出雲族が存在していたこと自体を否定し、ただ醜い大蛇の怪物を退治したということにして歴史の彼方に葬り去ったのではないでしょうか。ただ、もし誰かが、千年の時を超えて、大和族に代わって古出雲族を供養し続けていたとしたらどうでしょう。」

 正一の頬が紅潮し、瞳がギラリと光る。

「まさか尾呂血神社が?」

 正一が無言で頷いた。

「大輔さん、古い資料を色々と調べてみたのですが、尾呂血神社にはちょっと妙なところがあるのです。一応、神社と名乗ってはいますが、どうも普通の神社ではないというか、そもそも神社と呼んでよいのかどうか疑問です。神社の定義にもよりますが、少なくとも伊勢神宮を本宗とする日本の神道世界に尾呂血神社は属していません。神社とは一般的には神道の信仰に基づく祭祀施設であり、山岳や河川などを対象とした自然崇拝、または天照大御神などの現天皇家の祖先と言われる神々、および先ほど申し上げたように大和族内の権力争いに敗れて非業の死を遂げた怨霊を祭神として祀っているのが大半です。しかし尾呂血神社の祭神、八津神様とは一体何なのでしょうか。宮内庁に残る古い記録を色々と調べてみたのですが、八津神様に関する記述は公式の記録の中には一切出てきません。そして尾呂血神社は長い歴史を持っているにもかかわらず、その存在は中央政府からは徹底的に無視されてきているようなのです。尾呂血神社が古代から存在していたことは、奈良時代初期に編纂された出雲風土記に、既にその時点で何百年も前に創建された古社として記載されていることからも間違いないでしょう。ここで注意すべきことは、出雲風土記があくまで当時の出雲の地方官が中央政府に送った報告書だということです。つまり中央の視点では書かれていないということです。面白いことに出雲風土記には八岐大蛇の話は出てきません。八岐大蛇はあくまで時の中央政府が編纂した勝者の歴史書である古事記や日本書紀にしか出てこないのです。このことからも、八岐大蛇という怪物伝説は中央政府によって作られたということが推測されます。その後も朝廷側の資料には一切尾呂血神社の名前は出てきません。平安時代に天皇の命により全国の神社を一覧としてまとめた延喜式神名帳という資料がありますが、そこにも尾呂血神社の名前はありません。そして現在、日本各地の神社を統括する神社本庁組織にも尾呂血神社は属していないのです。歴代の中央権力は何故か執拗に尾呂血神社の存在を無視し続けているのです」

 正一はそこまで一気にまくし立てると、時計に目をやった。

「正一君、つまり尾呂血神社は歴代の朝廷、そして現在の日本政府が神道の祭神としては適切ではないと判断しているものを祀っているということ?八津神様とはつまり大和族に滅ぼされた異族である古出雲族の神?」

 正一がニコリと頷いた。

「あくまで僕の仮説ですが、八岐大蛇の尾から出現した鉄剣とはつまり当時のたたら製鉄の最高技術を駆使して生み出された、古出雲族の権威の象徴として祀られていた宝剣だったとしたら。脈々と現代まで古出雲族を密かに供養し続けている者たちが、古代に須佐之男命に奪われた宝剣を取り戻す機会を伺っていたのだとしたら」

 正一はそこで言葉を切った。大輔は口を半分開け、唖然とした顔で正一を見つめた。正一は楽しそうな表情でそんな大輔を観察していたが、再び口を開いた。

「この仮説を裏付けることができる資料があるかもしれないのです」

 正一は時計に目をやり、今度は今までよりも早口で話し出した。

「先程説明した通り風土記とは奈良時代初期に元明天皇の命により各地の地方官がその土地の歴史伝承や文化風土を記録編纂して朝廷に提出した報告書のようなものです。当時、朝廷の勢力範囲であった関東から九州までの約六十地方の風土記が編纂されたようですが、現在では原本は全く残っておらず、出雲風土記を含め幾つかの写本が残っているだけです。風土記の面白いところはあくまでそれぞれの地方の独自視点でその土地の歴史伝承がまとめられているということです。そのため朝廷が中央の視点で編纂した古事記や日本書紀とは異なる伝承が多く残されており、朝廷によって葬り去られてしまった本当の歴史の断片が垣間見えるということです」

 正一はそこで水を一口含むと、目を大きく見開いた。

「実は出雲風土記とは別に、伯耆地方で古代に風土記が編纂されていた可能性があるのです」

「そこに古出雲族に関する記述があると?」

 正一がうれしそうに微笑んだ。

「実はここに来る前に宮内庁に残る古い資料をしらみつぶしに当たっていたのですが、書陵部の極秘文書の中に気になる記述を幾つか発見しました。極秘文書とは秘密保全の必要性が高く、その漏洩が国家または皇室の安全及び利益に重大な損害を与える恐れのあるもののことです。もちろん、一般にはまったく公開されないどころか、その存在すらも隠されている文書です」

「君は極秘文書にもアクセスできる権限を持っているのか」

 正一はただ悪戯っぽい笑みを返しただけだった。

「一つは江戸中期の太政大臣九条尚実(ひさざね)が残した諸国時事日記抄という文献です。そのある部分だけが極秘文書扱いとなっているのです」

「そこには一体何が書かれているの?」

 大輔は思わず唾を飲み込み、体を乗り出した。

「鳥取藩でのある切腹事件に関して記されていました。天明五年、つまり西暦一七八五年に藩のお抱え国学者、天鬼玄白あまきげんぱくが藩主池田治道の命により切腹したという記述がありました。ただそれだけです」

 大輔はきょとんとした表情で正一を見つめた。

「僕も初めて聞いた名前だったので、早速天鬼玄白に関して色々と調べてみました。すると、なかなか興味深いことが分かりました」

 大輔が興味を持ってくれていることが楽しいらしく、正一は満足げな表情を見せている。

「国学とは日本の古典を研究し、儒教や仏教の影響を受ける前の古代日本にあった独自の思想や精神世界を明らかにしようとする学問です。十八世紀後半に本居宣長が大成させたと言われています。大輔さんも宣長の名前は聞いたことがありますよね」

「ああ、たしか何十年もかけて古事記の解読に成功し、世に古事記の価値を高めた人だったよね」

 正一が嬉しそうに頷いた。

「その通りです。宣長は古事記研究を通して、中国や朝鮮の文化に影響される前の元々日本にあった精神世界や文化の再評価に努めた人物です。そして宣長が特に大事にしたのは大和ごころという概念です。古代から脈々とヤマト民族の中に伝わる心の持ちようのようなものです。そんな宣長にとって許せない人物、それが天鬼玄白だったのです」

 正一がそこで深呼吸をした。ずっと興奮して話し続けていたために息が切れたのだろう。

「天明三年、切腹の二年前のことですが、天鬼玄白は伯耆地方の旧家の蔵から古い編纂物を発見します。火之木国ひのきこく風土記です。そしてそれが古代伯耆国の風土記の写本だと主張したのです。当時も現代も、風土記の写本は出雲国、常陸国、播磨国、豊後国、備前国の五つしか存在していないことになっています。そんな中、六つ目の風土記写本が発見されたと当時は大騒ぎになったようです。しかし既に国学界の大御所となっていた宣長は、何故か天鬼玄白を激しく糾弾します。発見された風土記はまったくの偽書だと、そして天鬼玄白を狂学者扱いしたのです。日本人のルーツとしてのヤマトを崇高なものとして称える宣長にとって、許せない何かがあったのでしょう。結局、藩主の池田治道は藩がとばっちりを受けることを恐れ、天鬼玄白に切腹を命じたのでした」

 不意に正一の顔が悲しげに曇る。話しているうちに天鬼玄白に感情移入してしまったのだろう。

「そしてもう一つの極秘文書が、昭和八年に当時の宮内省で侍従長を務めていた鈴木貫太郎が鳥取憲兵隊司令官に出した指令書です。鳥取の旧家である甘木家の蔵を検分するようにという指示内容でした。検分には甘木家からは当主の甘木玄正が対応したと記録されています。しかし結局、何も見つからなかったようです」

「甘木?」

「そうです。調べてみたところ天鬼家は維新後、甘木と改姓していました。そして改姓時の当主甘木玄永には息子ができず、娘婿に米子近郊の古刹龍久寺の住職の次男をとったようです。その人物が甘木玄正、憲兵隊が検分した時に対応した当主です」

 そこで正一が正面から大輔を見やった。

「大輔さん、宮内庁上層部はこれらの資料をどうして極秘扱いしていると思いますか」

 これまでの話から、その理由は容易に想像ができた。

「正一君、君の先程の極秘文書に関する定義をそのまま流用すると、国家または皇室の安全及び利益に重大な損害を与える恐れのあるものがそこにあるということだね」

 正一がうれしそうに大きく頷いた。

「これは僕の推測ですが、天鬼家は玄白が切腹に処せられた後も、恐らくはその写本を大切に保管していたのでしょう。ただし、極秘に。その写本を保管していることがばれたら再び天鬼家に災いが降りかかることは明白だからです。維新後に甘木と改姓してからも、人知れず保管し続けていたのでしょう。先祖の玄白が命にも代えて主張した歴史学説の論拠となるものだからです」

「でも、鳥取憲兵隊が検分した時は、甘木家からは何も発見されなかったんだろ?」

「甘木玄正が憲兵隊の検分を事前に察知し、安全なところに隠したとは考えられませんか。大輔さんだったら、どこに隠すのが安全だと思いますか?」

「実家に?」

「そうだと思います。いくら憲兵隊と言えども、仏様のお膝元にあるものをむやみに検分するわけにはいきませんから」

 正一はそこで一旦言葉を切り、再び時間を確認した。

「大輔さん、今日の午後、鳥取県警の者たちが僕を迎えに樵荘にやってきます。僕は県警本部でクリアファイルの指紋の照合に立ち会った後、龍久寺を訪れる予定です。できるだけ早く卑埜忌村に戻ってくるつもりですが、大輔さん、それまで卑埜忌村で僕を待っていていただけませんでしょうか。身勝手なお願いで恐縮なのですが、ここでの捜査にはどうしても大輔さんの助けが僕には必要なのです」

 ここまで来たら乗りかかった船だ。それに正一に同行していれば美穂に関しても更に何か新しい発見があるかもしれない。ところで正一が口にした龍久寺、どこかで耳にしたことがある、そうだ、秀胤さんの話に出てきた慈雲が住職を務めていたという寺だ。

「正一君、それは構わないけど、今、名前の出た龍久寺、確か秀全の義理の弟が最近まで住職を務めていた寺だと聞いたことがある」

 正一の瞳の光が強くなった。

「何か関係あるのかもしれませんね。いずれにせよ、数日後にまた」

 正一はそう言うと、いそいそと店を飛び出していった。


第九章 禁じられた恋


 正一の背中を見送った後、店内を見回すと既に客は誰もいなかった。厨房の源三は洗い物をしながらレジ横に立つ良枝と何やらひそひそと言葉を交わしている。

「昔は色白の美人だったのだけどなぁ」

 源三の声が漏れ聞こえてきた。

「だけどお父ちゃん、隠れてお酒の世話なんかしていることが分かっちゃったら、うちもとばっちりを受けるかもしれないんだよ」

 良枝の潜めた声が続く。何気なく二人に顔を向けていた大輔の存在に気づき、源三が目尻に柔らかな皺を寄せた。

「時間があるならゆっくりしていきな。コーヒーでも飲むかい?」

 正一が戻ってくるまでの数日間、あり余るほどの時間ができた。今日の午後はとりあえずゆっくり過ごすことにしよう。遠慮なくコーヒーを頂くことにした。

 コーヒーミルのグラインダー音が聞こえると同時に香ばしい香りが漂ってくる。やがて良枝がコーヒーカップを運んできた。ぼってりと厚みのある土ものの器の表面には釉薬の跡が大胆に残っている。

「なかなか味のある器だろ。村の工房の窯で焼いた物だ。外の人は卑埜忌焼きなんて聞いたことはねえだろうけど」

 源三が厨房から誇らしげな声を放つ。陶器の手触りは柔らかく、一口含むとコーヒーの味も程よいまろやさに鎮められている。

「コーヒーと器が一体化していますね」

 大輔の言葉に源三が満更でもなさそうな表情を見せた。ふと、先程の二人の会話が気になり、尋ねてみる。

「聞くとはなしに耳に入ってしまったのですが、先程の話は鈴ばあという方のことですか?」

 源三は一瞬、良枝と顔を見合わせた後、驚いた表情を見せた。

「何だ、舘畑さん、鈴ちゃんを知っているのかい?」

 その鈴ちゃんという呼び名には親しみが込められていた。

「いえ、知っているというほどでは。先日、酒屋で店の人から乱暴に追い払われていた姿を目にしただけです。その老婆が先ほど、こちらの裏口から出てくるのが見えたのでちょっと興味を持ちまして」

 再び源三と良枝が顔を見合わせた。

「お父ちゃん、だから言ったじゃないか。誰が見ているか分からないんだから、まったく」

 良枝が非難げな声を上げた。

「ああ、見られちまったかい。舘畑さん、黙っておいてくれよな。鈴ちゃんには明るいうちは来るなと言っているんだが」

 それ以上立ち入って聞いていいものかどうか迷っていると、源三が再び口を開いた。

「まあ、あんたなら構わないだろう。あの婆さんは鈴ちゃんといってなあ、俺の親父の木こり仲間の娘で、小さい頃は俺にとって妹分のような存在だった。鈴ちゃんはお袋を早くに亡くし、しょっちゅう俺の家に夕飯を食いに来ていたものだ」

 そう言うと源三は懐かしそうに目を細めた。

「ああ見えても、若い頃は色白でべっぴんだったんだがなあ。まあ、それが災いしたのかな。尾呂血神社に決めてもらった婚約者がいたにもかかわらず、他の男と駆け落ちしちまったんだから。相手は内村健二という村の外の男さ。鈴ちゃんは卒業すると村の小学校で働いていたのだが、ある年、臨時教員として村外から赴任してきた内村といつの間にか深い仲に陥ってしまい、内村の任期が終わると一緒に村を出ちまったんだ。駆け落ちだ。まあ、そのまま幸せになってくれたならまだ良かったのだがな」

「お父ちゃん、何言っているのさ。尾呂血神社のお決めになった婚約者を置いてけぼりにして村を捨てた女だよ。幸せになんかなれるわけないさ」

 一瞬、美穂の顔が浮かぶ。源三はかすかに口元を歪めると、良枝を無視して言葉を続けた。

「秀全様は鈴ちゃんの駆け落ちの件を知ると、それは、それは立腹したそうだ。すぐに県の教育委員会に働きかけて、内村の新しい赴任先の学校に圧力をかけたそうだ。やがて内村は赴任先に居づらくなり他の学校への転勤を余儀なくされるのだが、それでも秀全様は決して許さず、次の学校にも圧力をかけるということを執拗に繰り返した。結局、内村はどこの学校にも受け入れてもらえずに職を失い、自分に災いをもたらした卑埜忌村を恨み、いつしか鈴ちゃんのことも疎んじるようになっていったらしい。二人は結局別れることになり、失意の鈴ちゃんは他に行くところもなく村に帰ってきたのさ。そして、自分のせいで父親が木こり組合から除名され、実家に黒い手紙が届き始めていたことを知る。二人は村から完全に遮断され、ひっそりと暮らしていたのだが、やがて親父が病気で亡くなると、鈴ちゃんは一人でマムシが原のあばら家に住むようになった」

「マムシが原?」

「村の外れにあるススキの密生した場所よ。昔からマムシが出るということで、あそこには村の人間は誰も寄りつかないのさ。今じゃ、野良犬の巣になってるよ」

 良枝が源三に代わって説明してくれた。

「それ以来鈴ちゃんはあばら家の前に小さな畑を作り、自給自足をしながら生活している。俺はそんな鈴ちゃんが不憫でなぁ、酒くらい飲ましてやってもいいだろ」

「お父ちゃん、鈴ばあは村を裏切ったのだから自業自得なのよ。酒なんか渡しているところを誰かに見られたら、うちにまで黒い手紙が届くかもしれないんだよ、まったく分かってないんだから。とばっちりはごめんだよ。」

 良枝がさも不満そうに口を尖らした。


 コーヒーの礼を言って門脇食堂を後にすると、まだ宵には早い時間だというのにあたりは既に薄暗く沈んでいた。冷たく湿った風を受けながら、何の気なしにぶらぶらと湖畔の道を辿った。 

 その時突然、湖を渡る風に乗って龍笛の音が流れてきた。深い霧に閉ざされた神島の森の奥で巳八子が奏でているのだろう。ただそれは朝方大輔が尾呂血神社で耳にしたものとは異なり、より沈痛な趣を伴っていた。重々しく悲しげで厳粛な響き。音色に誘われて湖の方角に目をやると、霧に覆われた湖上に一艘の舟がゆらゆらと見え隠れしていた。舟首にはかがり火が焚かれており、舟上に立つ大男を朱色に照らし出している。重男だ。重男は何やら白い布で包まれた大きなものを抱えている。やがてゆっくりと舟べりに移動すると、その抱えていたものをそっと湖面に下ろした。白い布に包まれたものは音もなく静かに水中に消えていく。その瞬間、龍笛の音がまるで天に昇るように強く哀しく鳴り響いた。

「葬送の儀です」

 突然、背後から誰かに話しかけられた。驚いて振り向くと、薄暮に浮かび上がる色白の端正な顔が目に入った。啓一だ。

「やあ、驚かせてしまいましたか」

 啓一は爽やかな笑みを浮かべた。柔らかそうな髪が湖からの風を受けて揺れている。大輔もぺこりとお辞儀をした。

「村を捨てて出ていったままの息子を持つ母親の葬儀です。村から遮断されて一人で生活していましたが、昨晩、寝床で冷たくなっている状態で発見されました。息子にはまだ連絡はついていません」

 啓一は沖のかがり火を見つめたまま抑揚のない声を発した。

「可哀そうなことですが、仕方ありません。村の秩序を守るためです。御霊碑は用意されませんが、龍笛による哀悼に送られて湖には還っていくことができます」

 人の死を淡々と語る啓一の言葉に、ざらつく違和感が腹の底に広がる。啓一はふさふさした髪をかき上げると、その整った顔を再び大輔に向けた。

「舘畑さん、外の世界は大変でしょう。新自由主義に席巻された弱肉強食の世界は」

「はあ」

 確かに生まれ落ちた時から勝ち組負け組に二極化している今の格差社会を生きるのは容易なことではない。

「ここでは皆が助け合って生きています。そして次の世代の為にも、皆が村に残って求められる役割を果たすのです。村で必要なものは分担して作り、村の中だけでも経済が完結するように村の産品の購入が奨励されています。私が木工製品を作りながらなんとか生活できているのも村のお陰です。古代から続くこの村のシステムを守っていくためには、皆が最低限のルールを守る必要があるのです」

 啓一は自分の言葉をかみしめるように何度か頷いた。

「舘畑さん、労働の目的について考えたことはありますか」

 突然の啓一の質問に、大輔は咄嗟に返す言葉がでてこなかった。

「もちろん生活の糧を得るということはありますが、実はもっと大切なことは健全に生きていくのに必要な尊厳を保つことができるということではないでしょうか。自分の体を使って何かを創り出し、それにお金を払ってくれて喜んで使ってくれる人がいるということ。この満足感が自己を肯定したり自分の尊厳を確認することにつながるのです。私は誇りを持って木工職人をやっています。ここでは山で働いている者も畑で働いている者も皆同様です。そして労働にはそもそも貴賤はないはずです。ですから卑埜忌村ではどの職業もほぼ同じ待遇と敬意を得ることができます。都会ではマネーゲームに走る人々とエッセンシャルワーカーとの貧富の差が激しく、縁の下の仕事に従事する者に対する敬意もないと聞きます。どちらが社会を支えているのかは明白です。何かが間違っている気がしませんか」

 啓一の発した尊厳という言葉を耳にして、母の姿を思い出した。母は郷里の寂れた駅前のシャッター街で今でもほそぼそと洋裁店を営んでいる。母は女学校の洋裁科を出て数年間、仙台の洋裁店に住み込みで修業をした後、地元に戻り洋裁店を開いた。大輔が幼い頃、自宅にはいつもピカピカに磨かれた職業用の足踏みミシンがあり、大輔の服も全て母の手作りだった。どこの誰が作ったのか分からない吊るしの安ものを買うのは自分で作る技能のない者だけだというのが母の口癖だった。もう客などほとんど来ないにもかかわらず、今でも母はあのミシンと尊厳だけは失っていないのだろう。

「ところで、天法さんは何をしにいらしたのでしょうか。確か皇宮警察本部にお勤めとか」

 啓一は口元に笑みを残しながらも鋭い視線を大輔に向けてきた。

「彼は僕の義理の弟でした。過去形なのは、僕が彼の姉と離婚してしまったもので」

 軽く頭を掻きながら苦笑いをして見せたが、啓一は鋭い視線を向けたまま黙っている。

「偶然、樵荘で再会しまして。彼の仕事のことはよく分かりません。私はただ暇つぶしに付き合っているだけです」

 しばらく沈黙が流れる。やがて啓一は湖に視線を移し、ポツリと聞いてきた。

「滞在を延ばしたと聞きましたが、お仕事の方は大丈夫なのですか」

「はあ、自由業なもので何とか」

 啓一はそれ以上何も聞いてこなかった。龍笛の音色が静かに流れる中、暗い湖上では煌々としたかがり火が霧の中で揺れていた。


 かろうじて宵闇が訪れる前に樵荘に戻った。二階に上がると正一の滞在していた部屋の襖が開け放たれており、がらんとした室内が丸見えだった。その時、部屋の隅に置かれた鏡台の前で赤いジャージが動いているのが見えた。静香だ。イヤホンをつけて鏡の前でダンスの練習をしている。一生懸命に鏡を見ながら小刻みにステップを踏んでいるその姿は、何とも言えず愛らしかった。思わず廊下に足を止め見惚れていると、やがて大輔の視線に気づいた静香が動きを止めた。急いでイヤホンを外し、はにかんだ笑みを浮かべながら「やだぁ」と頬を赤らめた。そして傍らに置いてあったサコッシュを大切そうに肩から提げた。

「NiziUの練習かい?」

 静香は表情を輝かせ、おさげ髪を縦に揺らした。まだ少し息が上がっており、紅潮した頬の辺りから甘酸っぱい匂いが漂ってきた。

「今日も肌身離さずにそのかばん、いや、サコッシュを提げているけど、一体中には何が入っているのかな?」

「静香の宝物」

 静香は両手をサコッシュに添えながら、きらきらとした瞳で大輔を見上げた。

「そうか、宝物か。どんな宝物?」

 静香は小さな前歯を見せながらしばらく考えている様子だったが、やがてサコッシュのジッパーを開け、中から小さな紙包みを一つ取り出した。そしてそのモミジのような手のひらの上で慎重に紙包みを開いた。すると中から押し花のように平たく乾燥した草緑色の葉が現れた。クローバーだ。

「四葉のクローバー」

 静香が目を輝かせながら両手を大輔の顔の前に掲げた。

「すごいなぁ、四葉のクローバーか。目にするのは初めてだよ」

 大げさに驚く大輔の反応を見て、静香が嬉しそうに破顔する。

「そうだ、舘畑さん、明日の午後、静香と一緒に四葉のクローバーを探しに行こうよ。静香、いい場所を知っているの」

 断る理由はない。正一が戻ってくるまで時間はいくらでもある。

「よし、行こうか」

 静香はうれしそうに頷くと、大切そうにクローバーをサコッシュにしまった。そして右手の小指を突き出して大輔の胸元に掲げた。指切りだ。大輔も自分の小指をその白魚のような小指に絡ませた。

「あっ、そういえば」

 静香はふと何かを思い出したようにジャージのポケットを探り、中から小さな封筒を取り出した。

「今日も恵美子おばちゃんが舘畑さんを訪ねてきたよ。出かけてるって言ったら、これを渡してくれって」

 静香はそう言うと、封筒を大輔に手渡した。白い封筒の表には見覚えのある丸文字で、舘畑様、とある。裏を見ると、葦原恵美子、という文字が目に入った。

 部屋に戻り、封筒を開けてみた。中には小さな便せんが一枚入っている。広げてみると、青インクの丸文字が並んでいた。


 舘畑様、東京にお戻りになる前にご相談したいことがございます。

 明日の午前十時に山根家でお待ちしています。葦原恵美子


 相談とは一体何だろう。何故、先日会った時にしなかったのか。それとも、あの時は何らかの理由でできなかったのだろうか。


 翌朝、山根家に向かう緩い斜面の畦道を再び辿った。水を抜かれてカラカラにひび割れした田んぼ、黒いマルチシートの中から伸びる葉物野菜、落穂目当てのカラスの群れ、まとわりついてくる野良犬たち。周囲の状況は五日前と何ら変わらない。しかし、もうすぐ美穂に会えるはずだと逸る気持ちを抱えながら坂を上っていたあの時とは、大輔の心情は大きく変わっていた。大輔は未だ美穂の死を信じることができないでいた。いや、頑なに信じることを拒否していると言った方が正確かもしれない。しかし気を許すとつい弱気な自分が出現し、美穂の抱えていた懊悩を辿ってしまう。自分のせいで村八分となった父。そして医者にもかかれずに一人寂しく亡くなった父。予期せぬ妊娠による不安定な精神状態。悲しみの中、衝動的に身を投げてしまったとしてもおかしくないのかもしれない。いや、あの美穂に限ってそんなことはない。あの快活で前向きな美穂が自殺するなどあり得ない。思考は常に堂々巡りを繰り返すだけだった。そのたびに胃の底に鉛のような重いものが広がっていく。

 ぼぉっとしていたため気づかなかったが、いつの間にか前から農夫が歩いてきていた。すれ違いざまに男と目が合う。見覚えのある顔。美穂の霊璽を発見して山根家を飛び出した後、無理やり扉を叩いて美穂のことを尋ねた隣家の男だった。男は警戒するような視線を大輔に浴びせた後、吐き捨てるように呟いた。

「あんた、まだいたのか」

 大輔は無言で目を逸らした。

 やがて見覚えのある粗末な平屋が見えてきた。軒先に掲げられていた表札は既に外されており、風雨による変色を免れていた下地がそこだけ明るく浮き上がっている。その痕跡もいずれ人々の記憶と共に色褪せていくのだろう。滑りの悪い木戸を横に押し開くと、かすかなカビ臭が鼻をつく。恵美子はまだ来ていないようだ。靴を脱いで小さな居間に上がり周囲を見渡す。美穂の写真も旅行鞄も祖霊舎も、生前の主の残渣物は既に片付けられた後だった。がらんとした室内の真ん中に冷え切った囲炉裏だけが残されている。黒い手紙の燃えカスも見当たらない。

 約束の時間を十五分ほど遅れて、息を切らせた恵美子が戸口に現れた。ジーンズの上に蜜柑色のジャンパーを羽織り、顔を隠すようにフードをかぶっている。

「舘畑さん、お待たせしちゃってごめんなさい。人に会わないように裏道から来たら、思いのほか時間がかかっちゃって」

 恵美子はそう言うと、ペロッと赤い舌を出して笑った。

 恵美子は大輔の向かいに正座をすると、おもむろにジャンパーを脱いだ。かすかに甘い香水の香りが漂い、襟元にフリルのついた白いブラウスが露わになる。恵美子はフードで乱れた髪に手櫛を入れると、人懐っこそうな瞳で大輔を見つめた。

「突然お時間をいただいちゃってごめんなさいね」

「構いませんよ。どうせ時間を持て余しておりましたので」

 恵美子は大輔を見つめたまま、かすかなためらいを見せた。やがて勢いをつけるように軽く息を吸うと大きく吐き出した。

「先日は隣に主人がおりましたもので、お話しすることができませんでした。普段は来客があっても離れの工房から出てくることはめったにないのですが」

 何か啓一に聞かれたくない話なのだろうか。黙ったまま恵美子の次の言葉を待った。

「実は葬儀が終わった後、美穂にあることを相談していたのです」

 恵美子はそこで言葉を切ると、そっと視線を畳に落とした。

「あること?」

 しばらく畳の上に視線を泳がせていた恵美子は、やがて決心したようにゆっくりと視線を大輔に戻した。

「こんなこと、舘畑さんにお話しするのは恥ずかしいのですが」

 恵美子はそこで一旦言葉を切り、両手で髪をかき上げた。ブラウスの中で豊かな胸がぶるんと揺れる。

「夫の啓一のことなんです。実は私、啓一が浮気をしているのではないかと疑っているのです。美穂は東京で有名人のスキャンダルなどを調査していると言っていたので、力になってもらえないかと」

 想像もしていなかった話の展開に、大輔はただ唖然として恵美子の言葉を待った。恵美子は吹っ切れたように言葉を続けた。

「そうしたら美穂がいいものがあると言って、GPS付きの小型ICレコーダーを見せてくれたのです。それを啓一の上着に忍ばせておけば、どこへ移動して誰とどんな会話をしたかが分かるというのです。私、最初はそんなことはできないと断ったのですが、だって、そんなスパイみたいなこと、ねえ」

 恵美子は同意を請うようなねっとりとした視線を大輔に向けると、かすかにシミの浮き出た手の甲をさすった。真っ赤に塗られた爪だけが妙に浮いている。

 確かに美穂ならそのような小道具を使って啓一の行動を監視することなど、すぐに思いついたことだろう。

「でも、結局美穂に強く説得されて、私、そのレコーダーを受け取り、啓一が出かける時に上着のポケットに忍び込ませたのです」

 そこまで話し深いため息をつくと、甘い香水の匂いが周囲に広がった。恵美子は目を伏せたまま、ただ右手のひとさし指で畳をいじっている。しばらく沈黙が流れた。

「啓一さんの相手の方に心当たりはあるのですか」

 こちらからあまり立ち入ったことを聞くことは気が引けたが、無言で恵美子と向き合っていることに若干の居心地の悪さを覚え、思わず質問が口をついた。下を向いていた恵美子は待っていたかのように大輔を見上げた。

「はい、あります」

 恵美子の瞳に強い感情が浮かび上がった。

「輝龍巳八子です」

 意外な名前を耳にし、言葉を失った。幽玄な霧の立ち込める中、雪洞の灯りに照らしだされた巳八子の白い顔が脳裏に蘇る。

「実は啓一と輝龍巳八子は若い頃に付き合っていたのです。輝龍巳八子が二十歳になると、啓一は秀全様に二人の結婚を願い出たのですが、秀全様はお許しにならなかったそうです。結局二人は別れ、後に啓一は私と結婚することになります」

 恵美子はそこまで話すと、唇を噛んだまま黙りこんだ。乾いた風が戸口をガタガタと揺らす音だけが室内に響く。

「恵美子さんはその関係が今でも続いていると疑っているのですか」

 一瞬の間の後、コクリと恵美子が頷く。

「時折、啓一の体からかすかに伽羅の香りがするのです。伽羅はとても貴重な香木で、そこらで焚かれるようなものではありません。卑埜忌村で伽羅を焚いているのは尾呂血神社だけです」

 恵美子は力なく囲炉裏に視線を落とし、再び唇を噛んだ。風音も止み、室内に静けさが戻る。

「それで、そのICレコーダーは?」

「啓一が伽羅の残り香を纏って帰ってきた日、そっと上着から取り出し、美穂に渡しました」

「それで?」

「それっきりです。直後に美穂が亡くなってしまったもので。レコーダーが今どこにあるのかも分かりません」

 そこで恵美子は大輔を正面から見やった。

「舘畑さん、私、美穂が自殺をしたとはどうしても思えないのです。あの美穂が自殺なんて」

 かすかに潤んだ瞳で恵美子はすがるように大輔を見やった。

 結局、恵美子の話はこれで全てだった。恵美子は話し終えると、再びフードをかぶり人目を忍ぶように出ていった。大輔は一人、山根家の居間に座ったまま、美穂が最後に残した留守電を思い返していた。「ひょんなことから、とんでもない事実を探り当ててしまったかもしれない」。そうだ、美穂はレコーダーを再生し、とんでもない事実を知ったのだ。その事実とは一体何だろう。恐らく啓一の浮気の証拠をつかんだくらいでは、とんでもない事実とは言わないだろう。それは何かもっと重大なことだったはずだ。そしてそれが啓一に仕掛けられたレコーダーに録音されていたということは、啓一がその重大なことに関わっているということだ。美穂はその事実を知ってしまったことが原因で口を封じられたということはないだろうか。ゾクゾクっと背筋に鳥肌が立った。いずれにせよ、啓一は要注意だ。そして、レコーダーは今どこにあるのだろうか。美穂の遺骸とともに既に処分されてしまったのだろうか。それとも、美穂は危険を察知してどこかに隠したのだろうか。そうだとすると、どこに?

 これ以上はいくら考えても、思考が進まなかった。


 昼前に樵荘に戻ると、玄関先で静香が首を長くして待ち構えていた。大輔の姿を見つけるや、その顔をぱっとほころばせながら走り寄ってくる。途端に甘いミルクのような匂いが漂う。そうだ、今日は四葉のクローバーを探しに行く約束をしていたのだった。静香はいつもの赤いジャージの上にピンクのジャンパーを羽織り、赤い運動靴を履いて準備万端の様子だ。そして肩からはNiziUの面々がプリントされたサコッシュ、外出する時もいつも一緒なのだろう。

「ばあちゃんがお昼のおにぎりを作ってくれたよ。舘畑さんの分もあるの」

 静香は小さな前歯を見せると、得意げに紙袋を上に掲げた。

 冷たい風を受けながら二人並んで湖畔の道を歩きはじめると、静香が手を繋いできた。大輔の手の半分にも満たない小さな手、強く握ると壊れてしまいそうな頼りない手だった。しかし、そのもみじのような頼りない物体はしっとりと温かく、溢れんばかりの生命力に満ちていた。

 最後に子供の手を握ったのはいつのことだっただろうか。記憶を手繰ったが思い出せなかった。突然、恵美子の言葉を思い出す。舘畑さんはご存知だったのでしょうか、美穂のお腹のことを。本当だったら握ることになっていた、より小さな手。思わず目を瞑り、膨れ上がろうとする思考を無理やり封印する。静香はそんな大輔の動揺には全く気づく様子もなく、繋いだ手を前後に大きく振って楽しげに歩いている。

「舘畑さん、原宿のミルクのお城に行ったことある?」

 静香が吹きこぼれるような笑顔で大輔を見上げた。

「ミルクのお城?」

「ふわとろの生クリーム専門店、この前テレビで紹介されてたの。すっごく美味しそうなのよ」

 静香が小さな赤い舌でペロッと唇を舐めた。

「行ったことないなあ」

「それじゃあ、幸運のパンケーキは?」

 再び、弾けるような笑顔が吹きこぼれる。

「ごめん、それもないなあ」

 静香が大げさに頬を膨らませた。

「静香は東京に詳しいんだね」

「食べ物屋さんだけじゃないよ。静香、ジブリとかイチマルキューとかみんな知ってるよ。いいなあ、東京って何でもあるんでしょ」

 静香が陶然とした瞳を見せる。

「確かに便利なところではあるかな」

 しかし、東京には本当に何でもあるのだろうか。

 突然、静香の足が止まり、握っている手に力が入るのが分かった。どうしたのかと静香を見やると、その目は斜め前方を睨みつけている。その視線に沿って通りの向こうを見やると、造り酒屋の日本家屋が目に入った。店先には先日の若い店員の姿があり、その傍らにはもう一人、見覚えのある男が座っている。鼠色のつなぎに長靴。純平だ。簡易に設けられた机の上には半分ほどになったコップ酒。門脇食堂を出入り禁止になり、ここで飲んでいるのだろう。

「あのおじさん、毎日玄関の前で美穂姉ちゃんを待ち伏せしてたんだよ。美穂姉ちゃんは会いたくなかったみたい。だから美穂姉ちゃん、いつも裏口を使って出入りしていたの」

 酔いつぶれているのだろう、純平はだらしなく両足を前に投げ出して揺れている。静香は汚いものでも見るように純平を睨みつけていたかと思うと、何かを言いつけるような表情で大輔を見上げた。

「あのおじさん、心中の方法を調べようとしていたのよ」

 静香の口から心中などという物騒な言葉が発せられたことに驚き、思わずその顔を覗き込んだ。

「蒙導師のお姉さんが教えてくれたの」

「静香も開明館に出入りしているのかい?」

「うん、時々ユーチューブのNiziUのビデオを観に行くの。ばあちゃんには内緒だけど。舘畑さん、ユーチューブって知ってる?」

「知ってるよ。おじさんもたまに音楽ビデオを観てるよ」

 静香が満足そうに頷いた。

「この前、開明館に行った時、あのおじさんが真っ赤な顔をして出てきたの。あとで蒙導師のお姉さんに聞いたら、心中の方法を調べてくれと頼んだらしいの。でもお姉さんに却下されたみたい。だって、そんなこと調べるのはいけないことでしょ」

 純平はやはり美穂と心中をしようとしていたのだろうか。暗澹たる気持ちを振り払うように空を見上げると、どんよりとした空一面にはひつじ雲が広がっている。沖の神島は今日も深い霧の中だ。

 小さな鎮守の森が現れ、杉木立の中に石の鳥居が見えてきた。尾呂血神社の分社だ。静香は、「こっち」と言うと、慣れた様子で鎮守の森の手前の細い道を入っていった。あまり人が通ることもないのだろう、道のあちこちに雑草が生い茂っている。しばらく細い道を歩くとやがて視界が開け眼前に広い草地が広がった。静香はおさげ髪を揺らしながら勢いよく草地の中へと駆け出していった。

「ここが秘密の場所よ」

 こちらを振り返ると、静香が両腕を大きく広げながら得意げな表情を弾けさせた。足元を見ると、確かに地面一面に若緑色のクローバーが密生している。そしてあちらこちらで野良犬たちが思い思いの姿で寛いでいた。よく見ると、子犬に授乳している母犬たちの姿が目立つ。どうやらそこは野良犬たちの子育ての場所でもあるようだった。何匹かの子犬が静香の後をチョコチョコと追いかけて一緒にはしゃぎ回っている。


 小一時間ほど静香と草地に四つん這いになって四葉のクローバーを探してみたが、これがなかなか見つからない。一息つこうと空を見上げると、厚い灰色の雲が目まぐるしく動いていた。隣を見ると、静香は真剣な表情で一心不乱に地面を睨んでいる。

 そうこうしているうちに腹が減ってきたので、昼食を食べることにした。静香は持参した紙袋からビニールの敷物を取り出すと草地に広げ、その上におにぎりの入った包み紙と水筒を広げた。まるでおままごとでもしているように始終楽しそうな笑みを浮かべている。何匹かの野良犬が興味津々と言った様子で寄ってくる。

「あっ、そうだ。鈴ばあも呼んであげよ」

 静香はそう叫ぶと草地の奥へと勢いよく駆け出していった。えっ、鈴ばあ?静香の背中を目で追うと、草地の奥には広大なススキの密生地帯が広がっており、その中に一軒のあばら家が見え隠れしていた。静香は自分の背丈ほどもあるススキの中を、そのあばら家目指して一目散に走っていく。あの家が鈴ばあの住処だとすると、あのススキの密生している地帯がマムシが原なのだろうか。

 やがてススキの中から静香が一人の老婆と手を繋いで戻ってきた。見覚えのある粗末な着物、黄ばんだ白髪、染みだらけの浅黒い顔。

「うちに泊まっている舘畑さんよ」

 静香は鈴ばあに向かってそう言うと、今度は大輔を見上げた。

「鈴ばあよ。四葉のクローバー探しの名人なの」

 大輔が軽く会釈をすると、鈴ばあは警戒したような視線を大輔に向けただけだった。

 結局、静香を挟んで並んで座り、三人でおにぎりを頬張ることになった。静香はおにぎりを片手に、四葉のクローバー探しのコツを熱心に鈴ばあに聞いている。鈴ばあによると、四葉のクローバーは植物にとってストレスのある場所に出現することが多いらしく、日当たりが悪かったり人や動物に踏まれやすい道路脇を探すのがよいそうだ。鈴ばあはそう説明しながらも驚くほどの食欲を見せ、結局半分以上のおにぎりを一人で平らげた。静香は自分は少ししか食べずに、余らせたおにぎりをせっせと子犬たちに与えていた。

 食べ終える頃には、灰色だった雲は薄墨色へと色を変え空全体を厚く覆っていた。湿った風がススキ原を乱暴に吹き抜けていく。

 昼食後、鈴ばあも加わり三人で四葉のクローバーを探していると、突然遠くの空が激しく轟いた。同時に冷たい突風が草地を横切る。急にパラパラと大粒の雨が降ってきた。そしていきなり稲妻が光ったと思うと、バケツをひっくり返したような土砂降りが三人を襲ってくる。静香が声にならない悲鳴を上げた。

「わしの所に来んしゃい」

 鈴ばあがススキ原のあばら家を指さした。躊躇する間もなく、三人はあばら家目指して駆け出していく。背後では雷が続けざまに鳴り響いている。

 雨に追い立てられるようにあばら家に逃げ込んだ。粗末な木戸の向こうには狭い土間があり、その奥は暗く沈んでいる。雷光にくらんだ目が暗い室内に慣れるまでしばらくかかったが、やがて奥の空間が徐々に浮かび上がってくる。畳はなくむき出しの板の間の中央に粗末な囲炉裏があり、その脇に万年床のように薄い布団が敷かれている。枕元には見覚えのある白い徳利が転がっていた。門脇食堂の裏口で目にしたものだ。家具らしいものはほとんど見当たらない。

 三人は上がり框に腰を下ろして一息ついた。稲光が弾けるたびに暗い室内に三人の顔が蒼く浮かび上がる。数秒遅れて空が割れるような轟音が続く。粗末な板戸は突風を受けてガタガタと悲鳴を上げ、トタン屋根は大粒の雨を受けてやかましく鳴っている。真ん中に座る静香は左右の手で鈴ばあと大輔の手をしっかりと握っている。轟音が鳴り響くたびに静香の小さな手にぐっと力が入るのが分かった。

「静香よ、何も恐れることはない。大した雷ではない。わしは若い頃、もっと恐ろしい雷を見たことがある」

 鈴ばあが雨に濡れた顔を片手でごしごしと擦りながら呟いた。

「それはどんな雷だったの?」

 下を向いて目をつぶっていた静香がそっと鈴ばあを見上げた。

「もう四十年も前のことだ。あれは不思議な雷じゃった。雲一つない青い空に突然稲光が発生し、轟音とともに幾つもの激しい雷が落ちてきて森を焼き尽くしたのじゃ。あれを青天の霹靂というのじゃろうか。あんなに恐ろしい雷を見たのは後にも先にもあの時だけじゃ。まるで雷が意思でも持っているかのように、次々と大木をなぎ倒していったのじゃ」

「鈴ばあはどこでその雷を見たの?」

 静香が興味津々といった様子で、まん丸く目を開いた。

「よく山菜取りをさせてもらっていた重吉さんの森林じゃ。可哀そうに、重吉さんの森林はその雷に全てを焼き尽くされてしまった」

 鈴ばあは目を閉じたまま、眉間に深い皺を寄せて俯いた。何気なく二人の会話を聞いていた大輔は、重吉という名前に反応する。四十年前?もしや村長選挙の年の話だろうか。

「重吉さんというのは森林組合長だった倉瀧重吉さんのことですか」

 突然、横から口を挟んだ大輔に鈴ばあが驚いて目を見開いた。しばらくぽかんと大輔を見やると、再びぽつりぽつりと話を続けた。

「そうじゃ、倉瀧重吉じゃ。重吉さんにはわしが小娘の頃から随分と可愛がってもらってのう。重吉さんの森林では山菜がごまんと採れてな、わしは毎年、千代と二人で山に入らせてもらったものじゃ。フキノトウ、タラの芽、コシアブラなど何でも採り放題じゃった」

 鈴ばあはそう言うとヨッコラショと言いながら難儀そうに板の間に上がり、敷きっぱなしの布団の脇に転がっていた古い巾着袋の中から藁色の紙封筒を取り出した。ゆっくりと上がり框に戻ってくると、封筒の中から一枚の古い写真を取り出した。

「わしは過去のものは全て捨ててしまった。物も、思い出も、感情も。ただ、唯一この写真だけは捨てられなくてなあ」

 微かに変色した写真の中央には作業着姿の大きな男が意志の強そうな瞳でカメラを睨みつけており、その両脇では二人の色白の少女が屈託なく微笑んでいる。背景には新緑の森の景色が広がっている。

「わあ、きれいな女の人。これ、鈴ばあの若い頃?」

 静香が写真を覗き込みながら歓声を上げた。

「右の小娘がわしじゃ。真ん中が重吉さん」

 写真の中の鈴ばあは、持て余すほどの希望に満ち溢れた表情をしている。添えられた鈴ばあの皺だらけの指と汚れた爪が同時に目に入り、歳月と運命の残酷さを目の当たりにする。左の少女も同様に生き生きとした笑みを浮かべているが、その目元にはどこか見覚えがあった。色白の肌に涼しげな瞳。最近、どこかで目にしたはずだ。

「左の女の人はだあれ?」

 写真に見入っていた静香が、大きな瞳で鈴ばあを見上げる。

「それは千代じゃ。稗田千代、結婚してからは葦原千代。わしの幼い時からの唯一の友達じゃった」

 そうだ、その目元は啓一に似ていたのだ。

 鈴ばあは大切そうに写真を封筒にしまうと、ポツリと呟いた。

「皆若くして死んでしまった。わしだけが醜く生きながらえておる」

 鈴ばあが両手で顔を覆った。静香が心配そうに鈴ばあを覗き込む。暗い室内に重たい沈黙が充満していく。

 空を揺らしていた轟音は徐々に遠ざかっていき、屋根を激しく打っていた雨音も静かになっていった。

「そうじゃ、重吉さんの森を襲う激しい雷の中、わしは幻を見た」

 突然、鈴ばあが何かを思い出したように声を張り上げた。そして何も映っていない空っぽの瞳を中空に向けた。

「次々と炸裂する雷が周囲の大木をへし折り全てを焼き尽くしていく中、鬼の形相の秀全様が森の中を駆け抜けていたのじゃ。右手に持った剣を高々と天に掲げながら、まるで雷を先導するかのように。それは、それは、恐ろしい光景じゃった。わしはあの時、夢でも見ておったのじゃろうか」


 あばら家を後にした時、既に草地は午後の陽ざしを受けてきらきらと輝き始めていたが、足元はまだひどくぬかるんでいた。

「これじゃ、膝をついて探すことができないから、今日は帰ろうか」

 大輔の言葉に静香が渋々と頷く。静香はススキ原を振り返り、あばら家に向かって手を振った。鈴ばあが家の中からこちらを見ているのかどうかは分からなかった。

「あのススキ原は確かマムシが原と呼ばれて村の人は誰も立ち寄らないと聞いたけど、静香はマムシが怖くないのかな」

 静香はおさげ髪を揺らして首を横に振った。

「鈴ばあはもう何十年もあそこに住んでいるけど、一度もマムシなんか見たことはないって言っていたよ。マムシなんていないってさ。だから静香も全然怖くないの」

 静香はそう言うと、ふと何かを思い出したようにあばら家とは違う方角のススキ原に顔を向けた。

「でも、ちょっと怖いかな」

「マムシがかい?」

 静香は首を横に振り口を真一文字に結んだまま、ある一点を見つめている。不安げに大輔の手を握ると、声を潜めて話し始めた。

「静香、あそこでお化けを見たの」

 静香はそう言うと、視線の先を指さした。

「この前、夢中でクローバーを探していたらいつの間にか日が暮れて遅くなっちゃって。ばあちゃんに叱られるから早く帰ろうと急いで歩いていたら、ふと、ススキ原の奥で光が動いたの。何だろうと思ってそちらを見ると、お化けがススキ原の中を歩いていたの。暗かったけどあれは絶対お化けよ。でも静香がびっくりして悲鳴を上げたら、お化けも光も消えちゃった」

 お化け?誰かが明かりを手にススキ原の中を歩いていたのだろうか。しかし、通常村人はここには足を踏み入れないはずだ。では一体誰が、何の用で?

「この前って、正確にいつだったか覚えている?」

 静香はうーんと唸ると、ぱっと顔を上げた。

「覚えてるよ。美穂姉ちゃんが帰ってこなかった日。うちに帰ったらばあちゃんが夕食が無駄になったと怒ってたから」

 美穂の遺体が神島で発見される前の日ということか。何か関係があるのだろうか。胸の奥で何かが引っかかった。



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