なんと、世界を滅ぼすはずの魔王が仲間になりたそうに、こちらを見ています。仲間にしますか?→良い子に出来るなら、私が養ってあげる。
あ……そういう感じね。
いつもと同じように、過ぎていくと思っていた日。
日用品の買い物中だった私は、まるで全身がボロ布のようになって道に横たわっている男性を見て、彼が誰であるかを冷静に悟った。
……あれ。十中八九の確率で本編中で、世界を一度は滅ぼしてしまう魔王だわ。
確か……最終決戦の魔王の回想エピソードに、こんな場面あったと思う。別角度からになるけど、アニメの中でも、この風景なんだか見たことあると思った。
獅子が我が子を千尋の谷へ叩き落とすように魔王は、まだ魔族として覚醒もしていないために、魔力も使えず身を守るすべも無い我が子を、その身ひとつだけで欲望渦巻く人間界へと送った。
ギュスターヴは人の母を持ち、生粋の魔族でない。亡き母の死を悼む優しい心の持ち主で、誰とも戦いたくない争いたくないと、いつも泣いていたからだ。
けど、そんな魔王ギュスターヴは、これから人間界でひどい迫害受けて人を憎むようになり、世界を滅ぼすという流れになってしまう。
こうしてぼろぼろの姿の時に拾われ、悪人の奴隷に堕ち良いように使われてしまった彼は、人の邪悪面を散々に見て「人など要らない。滅ぼすべきだ」と決意し、魔族としての覚醒後、魔界へ戻ると魔王軍の全権を握るため、父親すらも自らの手で殺めてしまう。
こればかりは、私だって同じ人としては何の言い訳のしようがない。つまり、人は滅びてしまう原因を、自ら自分たちで作り出してしまったことになる。
……まさに、自業自得の出来事だった。
唐突に道ばたからむくりと半身を起こした彼は、自分を見ていた私に目を向けて、何かを期待するようにして、じっと見つめていた。
見るからに、私の仲間になりたそうにしているわね……なんだか、捨てられた子犬みたいな、可愛らしいきらきらした目をしている。
うーん……私は今自分の居る状況を、冷静に考えた。
面倒はごめんだわとばかりに、ここで彼を見捨てることだって可能だけど、本編だと一回世界滅ぶのよね……そして、私の幼馴染である勇者レックスが時を戻して、それを阻止することになる。
だとすると、このギュスターブが魔王になる世界に居る私って、一回死ぬことになる……わよね。
タイムリープな法則が、何がどう作用するのか、まったくわからないけど、ここに居る私が死ぬことを阻止される私なのか、一回死ぬ私なのか、いまいちはっきりとしない。
そして、この世界で健気でいじらしいデルフィーヌとして、幸せになりたいという明確な目的があり……まだ、死にたくはなかった。
……だから、私は今にも泣きそうな目をした未来の魔王に近づいて、無言で手を伸ばしたのだった。
◇◆◇
自分が異世界転生したと自覚したのは、まだ幼い六歳程度のこと。
私の幼馴染レックスが私を庇って怪我をしてしまった時に、やけに綺麗に見えた血の赤に魅せられて、鮮やかに小説の世界観だけが記憶に降りてきた。
ううん……その時の現象を例えるならば、幼い女の子の頭の中に何十万字にも及ぶ情報の波が、いきなり押し寄せて来たのだ。
すぐになんてそんな情報量を処理出来る訳もなく、私は呆気なく倒れ、知恵熱で何日か寝込み、周囲は「怪我をしたのはレックスなのに」と不思議そうにしていたらしい。
記憶を取り戻した私は、これはあまり良くない転生先だと、まずは大きくため息をついた。
なんだか、誰もが初めましてをしても、どこかで聞いたことのある名前だなと思っていたけど、私ったらアニメ化までされた超長編小説の脇役に転生していたのだった。
私自身の前世のことは、なぜか記憶がもやがかかったようになり、判然としない。幸せではなかったような気がする。こうして、転生しても記憶に蓋をしたくなるくらい。
せっかく生まれ変われたなら、幸せになりたいと思った。
そして、私はそれ以来、猛然と薬師としての勉強を始めて、同世代の子たちと遊ばなくなった。
なぜかと言うと、勇者レックスの幼馴染役であるデルフィーヌには、魔法薬師としての物語上とある重要な役割があった。
彼女は冒険に旅立つ幼馴染みレックスたちをこころよく送り出した後、いつか戦闘職のレックスを自分が助けたい一心で魔法薬師になり、なんと皮肉なことに、それを使って彼女の恋のライバルである聖女エレオノールの命を救うことになるのだ。
恋愛にはてんで鈍感な勇者レックスと、育ち良く清純な聖女エレオノールがお互いに恋心を抱いていることを悟り、私こと勇者の幼馴染デルフィーヌは何も言わずに身を引くことになる。
読者である私たちは、健気なデルフィーヌの切ない恋心が、いつか報われますようにと祈ったものだ。
けど、デルフィーヌは長い長い本編にもそれっきり姿を見せないし、何個かある後日談の番外編にも姿を見せない。
勇者レックスが長い冒険を終えて、故郷の村に帰った時にも当たり前のように居なかった。
そして、彼女が失踪してしまう直接の原因となったレックスも「あいつも、もしかして、誰か良い人見つかったのかな」と、呑気に仲間と話していた。
……私は、その場面を読んで、本当に悔しかった。
最後の扉の鍵を体内に持つ聖女エレオノールの命が救われ、世界を守れたのも全部全部、デルフィーヌがレックスを好きだったから身につけた魔法薬の知識のおかげなのに!!!
レックスは、何も知らない。だからこそ、読者は報われないデルフィーヌのいじらしさに涙してしまった。
レックスは「悪い悪い。デルフィーヌ、遠いところ来てくれてありがとなー。お前が来てくれて本当に良かった」で済ませても、何の文句も言わず微笑むデルフィーヌは、十何年間好きだった人に失恋しても、彼の幸せを祈って身を引いちゃう健気な可愛い女の子なんだよー!!
レックスは、豆腐の角に頭ぶつけろー! ……まあ、豆腐なんて、この異世界には存在しないんだけどね。
という訳で、私はいち早く魔法薬師になって、聖女の命が助かる薬をレックスに持たせておき「何かピンチになったら、これを開けてね!」と、遠出の際にお守りに何万円か仕込んでおく心配性の親のようなことをしようと思っていた。
だって、将来失恋して辛い思いをするってわかってるし、絶対叶わない恋の相手レックスのことを、宛もなく想い続けるなんて嫌だもの。
どうせ小説の主人公レックスは、これから聖女と最終的に結ばれるまでだって自分中心のチーレムを形成するんだから、私一人くらい抜けても問題ないと思う。
だから、物語上の主要な役目だけをさっさと済ませて、それからは自分の好きな事をして生きようと思っている。
私の生まれ変わった転生先デルフィーヌは、将来に魔法薬師の道を選ぶだけあり、実家は薬草屋だった。その上に、彼女は貴重な回復魔法の適性もあった。
チートな仕様の魔法薬師になることだって、可能なのだ。
どんなに尽くしても、ほかの女に走る不実で鈍感なレックスのことなんて忘れてしまえば、条件の良い嫁入り先なんていくらでもありそうだし、なんなら自分で巨額の財をなす事だって出来そう。
転生してきた私の使命は、彼女以外誰にも知られることもなく、捨てられることになる勇者の幼馴染デルフィーヌを救済することではないかと思った。
世界全体の救済は、私の知らないところでやってくれれば良いわ……少々の切ない感情ムーブを発生させるだけの要員で、勇者パーティの一人でもなんでもないもの。
……なんて、思っていた矢先に、道端に落ちていた魔王を拾ってしまった。
親へ頼んで、特別に作って貰った勉強用を兼ねた薬草調合用の小屋……いわゆる、受験生が庭にプレハブの勉強部屋を作って貰った感じかしら。
そんな私の秘密基地とも言える部屋に入ったギュスターヴは、興味深そうにして棚に置かれた無数の薬草を見ていた。
「君……名前は?」
「ギュスターヴ」
間髪入れず偽名も使わずに名前を答えた未来の魔王に、私は心の中で頭を抱えた。本来ならば覚醒できていない魔族は、誰にも本当の名前は教えてはいけない。
力なき魔族は、本当の名前を使うことで簡単に縛れてしまうからだ。
純粋で無垢なギュスターヴに強い魔族の血が入っていることを知った悪い奴隷商は、名前で縛り、口に出すのもはばかられるような酷いことを沢山させた。
……そうだった。ギュスターヴは、本当に無垢で純粋なのよね。
だからこそ、邪悪な部分を持つ人は滅ぼしてしまうべきだと、決意する。
彼にとっての、純粋過ぎる無垢な感情でもった正義でもって。
純粋だからこそ、ギュスターヴは魔王として厄介なのだ。彼は世界を滅ぼすことを、悪事だとは思っていなかった。
むしろ、人間界に住む生き物たちへ魂の救済だと考えていたようだ。
「ギュスターヴ。私は、デルフィーヌよ。あの……貴方、魔族の血が入っているわね?」
「えっ」
私が慎重な口振りでそう切り出すと、ギュスターヴは目に見えて動揺した。何も知らない彼だって、人間界で敵とされる魔族がどういう扱いをされるかを知ってはいるんだろう。
「驚いているようだけど、身体から魔力が少しずつ漏れ出ているわ。私も同じように魔力を持っているから、それがわかるの。貴方は魔族なのだから、私以外には決して、名前を明かしては駄目よ……良いわね?」
これは、魔族が人間界に来た時に、一番に教えねばいけないことだ。
父親の魔王は魔族なのに、甘ったれた性格だとギュスターヴを毛嫌いしていたけど、結局のところ、突然変異の魔力を持つギュスターヴは魔界でも最強と言えるほどの魔物となる。
たとえ幼生だとしても、そんな彼を縛れてしまうという危険性は、排除しておかねばならない。
「はい……ですが、僕の名前はギュスターヴです。他になんと名乗れば良いんでしょうか」
ギュスターヴは私の言葉に頷いて、首を傾げて不思議そうに言った。
その時の私は、なんだか、真っ白の雪原の幻想を見たような気持ちになった。
嘘もついたことがないから、自分で決めることだって、わからないのね。この子は私が拾ったことで魔王にはならないはずだし……勇者レックスたちが倒すのは、彼の父親になるはず。
私はこの純粋な子を、出来るだけ守ってあげたい。
彼が魔族の王族として覚醒するのは、まだまだ先のはずだし……実は人に友好的な良い魔族は魔王軍の幹部にも居たりして、後々仲間になったりもする。
寝返った魔族はサブキャラの一人と恋仲になり、仲良く暮らすようになって、ほのぼの後日談にも登場していたはずだ。
……うーん。ギュスターヴには、グスタフとも読める場合もあるって、小説にも書いていたわよね……。
「これからは、グスタフと名乗りなさい。今のところ、ギュスターヴという名前は、私しか知らないから。良いわね。グスタフ……」
「はい!」
「良い子にしてたら、私が養ってあげる。ちゃんと、言う事聞ける?」
「もちろんです!」
ふさふさのしっぽがぶんぶんと振れているような幻影が見えた。
そんな訳で可愛い子犬のような目をした成人男性を、私はこの日から面倒を見ることになった。
◇◆◇
「デルフィーヌ!」
「あ。レックス。久しぶりね。どうしたの?」
勇者パーティは勇者レックス含む幼馴染三人なんだけど、彼らはまだ冒険の旅に出発していない。
旅に出ても彼ら四人は、大きな功績で名を上げたりした節目節目に故郷へと何度かは帰って来る。けど、出来るだけ早く魔法薬を作れるようになって、勇者の幼馴染デルフィーヌのお役目を果たして置きたい。
「なんか、最近……付き合い悪くない? 何か気に入らないことあった? 誰かに何か言われた?」
王道ハイファンタジーヒーローらしく、集団の中ではぶれた子も気になってしまうリーダータイプの性格のレックスは優しい。本当に優しくて、彼にはいやらしい下心が見えない。
本当に、誰にだって優しいのだ。にくらしくなるくらい。
けど、私はレックスが可愛い女の子には全員に優しくて、困ったことがあれば率先して助けてくれる男だって知ってる。
私は私にだけ、優しい人が良い。万人に優しい男ではなくて。
「そんなことないわよ。けど、最近将来的なことを考えるようになったの。私も早く一人前になって、お金を稼げるようにならないといけないから」
「……それって、最近デルフィーヌの家の薬屋に住み込みすることになった男に関係ある? グスタフだっけ?」
耳が早いと思ったけど、それも当たり前のことかしら。この街はあまり人も居ないし、人間関係は密接で誰かが何か変わったことをすれば、一日も経たないうちに全員が知っている。
「グスタフは関係ないわ。けど、あの子はとても良い子よ。レックスも仲良くしてあげてね」
ギュスターヴことグスタフは、ボロ布のようになっていたけど、お風呂に入れてあげたら見違えるように素敵になった。流石、世界を滅ぼすラスボスなのにヒーローレックスと人気投票一位を争っていただけのことはあると思う。
黒髪黒目で人形のように整った顔立ちに、どこか妖しさを感じる色気。それに、何も知らないという純粋さと天真爛漫さ。危うい均衡の中で、なんだか不安になってしまう魅力。
「……良い子なのか?」
レックスはいぶかしげに聞いたので、私は不思議になった。どうして、そんなことを彼が言ったのか、本当にわからなくて……。
「すごく、良い子だけど……え。どうしたの?」
私はようやく隣に居たレックスを真っ直ぐに見たので、やっとこっちを向いたと思ったのか、彼は嬉しそうににかっと笑った。
……心臓に悪い。
だって、前世の記憶を取り戻すまでレックスのことを本当に好きだった訳だし、私には好きだという記憶が残っている。
けど、冷静に考えて、どんなに大好きな人でも、絶対に叶わない恋ならば、未練なく身を引きたかった。
レックスは金髪碧眼で凜々しく精悍な顔で、逞しく鍛えられた冒険者らしい身体を持ち、誰もが勇者と聞いて想像するようなTHEヒーローと言える外見を持っている。
まあ……控えめに言っても格好良いし性格良いし、世界救っちゃうくらい意志だって強いし、女の子にモテない訳がないよね。
レックスのことは嫌いでないから、厄介なのだ。彼の傍から離れないと、すぐにより好きになってしまいそうで。
「いや、それなら良いけど。最近、俺らの狩り場で魔物がよく倒されててさ……なんか、変なんだよなー」
レックスは頭をかきながら、話題を変えた。
「え。それって、良い事じゃない。魔物が減った方が旅に出る人だって襲われる心配はないし」
「良いのかな……いや、良くないよ! 俺らそれで儲けてんのに」
レックスは口を尖らせて、いかにも気に入らないといった様子だった。
今はレックスは冒険者をしつつランクを上げている状態だから、そういう時には魔物を倒した戦績が重要になる。だから、彼らには強い魔物がいる方が良いし、効率的に強くなって冒険者としてのランクも上げられてしまう。
「……冒険者には、そうかもね。私は採取に安全に行けるし、平和な方が嬉しいし……」
私は近付いて来たレックスから、距離を取った。止めて止めて。女の子に対してそういう無意識に懐に入ろうとしようとするの、止めてよ。
私に……好きになられて、どうするの。私以外にも、これからいっぱいそういう人が出て来るんだから、そっちと幸せになってよね。
「……なー。デルフィーヌ。俺が、なんか悪いことした?」
最近レックスや幼馴染みの集まりには、私は参加していない。レックスは皆で楽しく仲良くしよう! と、真顔で言っちゃうような真の陽キャだから、一人はぐれたようになっている私が気になっているようだ。
私はもうはぐれてて良いのよ。将来的に誰にでも優しい男を好きになって、不幸になりたいなんて、思わないもの。
「……してないわよ。レックス。私だって、いつまでも貴方の後ろに付いてまわる訳でもないし」
「それって、グスタフっていう男に何か関係ある?」
やけに、グスタフのことを気にしている?
……いいえ。自分のことを好きで好きで堪らなくて、いつも纏わり付いていたデルフィーヌが居なくなって、少しさみしいのかしらね。
冒険の旅に出たなら、いくらでも慰めてくれる可愛い子にいっぱい出会えるから、安心してね。
「グスタフが? 何のことなの? ううん。あの子とは、そういう関係じゃないわ」
「……あの子? あの男は、そんなに幼いようには見えないが」
私たちは今十七歳で、来年には成人になる。グスタフだって、魔族だけど同じ世代に見える。そして、数ヶ月後にはレックスだって、もうすぐ冒険の旅に出る。
そうしたら、私たちは年に何度かしか会えなくなるんだから、何を気にしているんだろうと思う。
……私のことは、幼馴染みで妹みたいな大事な存在なんでしょう。女性として好きでもないはずのに、放っておいてよ。
「事情があるのよ。レックスには関係ないでしょ」
「ふーん。そうか……」
レックスは何故か偶然会って帰るだけの私を家まで送って、戸締まりについて何度も注意してから帰って行った。
……変なの。
旅に出れば、すぐに忘れてしまう幼馴染みの一人私のことなんて、放っておけば良いのに。
「ただいまー!」
「あ。おかえり。デルフィーヌ! 遅かったね」
家に入るとソファに寝そべって、グスタフが分厚い本を読んでいた。うちの両親も気に入って、すぐにすんなり我が家に溶け込んだし……本当に、可愛いし性格が良くて良い子なのよね。
「ごめんね。お腹すいてる? これ食べて。今日は魔核が質が良いのが取れたって聞いたから」
私は本を読んでいたグスタフへ、魔物から取れる魔核の入った袋をあげた。
なんと、魔族が覚醒するには、同族同士で心臓の中にある魔核を奪い合う必要がある。小説の中では魔王ギュスターヴは偶然、奴隷商を営む主人の宝物庫で巨大な魔核を発見し覚醒することになる。
けど、私はそこまでお金持ちにはなれないから、冒険者が売り払った魔核を買ってグスタフにあげるしかない。
「……僕、魔族としてなんて、覚醒したくないよ。デルフィーヌ」
私の勉強部屋にある書物を早々に読み終えてしまったグスタフは、うちの薬屋を手伝ったり、家事を手伝ったりしたお駄賃で購入した高度な学問の書かれた書物にまで手を出している。
私も今、彼が読んでいる書物をちらっと見たけど、複雑な数式が書かれていてパッと見でなんて全然理解出来そうもない。
「また、そんなこと言って! 私は貴方が立派な魔族として独り立ちが出来るまで、ずっと養ってあげるから……魔力が限定されて使えないままなんて、不便でしょう?」
「けど、デルフィーヌと居られなくなる……嫌だよ」
グスタフはうるうると保護欲をそそる目になったので、私は安心するように髪を撫でてあげた。
彼はまだまだ、何も知らない幼い子どもと同じ。早くに人の母を亡くして、魔族の父にも役立たずだと見捨てられていた。
そんなギュスターヴの手を、無責任に離したくない。
「……貴方がさみしいなら、一緒に居てあげるから。魔族だって人と共生出来るんだから、一緒に暮らせば良いわ」
「本当に!? ……デルフィーヌが、誰かと結婚しても?」
「だいじょーぶ! 私が結婚するなら、グスタフと一緒に暮らしてくれる人をまず条件にするから、何も問題ないわ」
「良かったー……」
可愛らしい笑顔で微笑んだので、私はまた彼の頭を撫でてあげた。
◇◆◇
「あー……もう……やっちゃった。これだと上がれないし……どうしよう」
私はいつもの薬草取りに行っていた時、崖上の道で足を踏み外し、小さな崖から落ちてしまった。
足をくじいてしまったから、とっかかりを利用してなんて上がれないし……深い森の中で薬草取りの目的でもないとこんな場所に通りかかるはずもない。
いくら道がある辺りを見上げても、誰も通る訳もない。
私が薬草取りに行っていることは、家族やグスタフだって知っている。あまりに帰りが遅いと思えば、きっと迎えに来てくれるはずだし……。
「デルフィーヌ! 大丈夫か? 今から、そっち行く!」
「え……レックス!? なんで、こんな場所に?」
ひょいっと上から覗いた顔が見えて、私は驚いた。
ここに迎えに来てくれるとしたら、きっとグスタフだろうと思っていたからだ。彼はこの先の薬草が採れる高原も教えているし、私が薬草採りに行った事だって知っている。
「お前がなかなか帰って来ないから、皆探してる。俺は手分けして……この森に来た」
レックスはなんでもないことのように、私の居る崖の下までタンっと音をさせて降り立った。
「そうなんだ……ありがとう。レックス」
もごもごしてお礼を言うしか出来ないけど……レックスとは、二人きりであまり会いたくなかった私は、喜び満載という笑顔にはなれなかった。
「いや……助けに来たのが、俺じゃない方が良かった?」
予想外のことを聞かれ、私は驚いた。そんなこと、レックスに言われるなんて、思ってもみなかったから。
「え? ……何言ってんの。そんな訳ないでしょう。レックスに来て貰えて、嬉しいよ。怪我して上がれなくて」
「ふーん……まあ、別に良いけどさ。最近俺と話してくれないから。デルフィーヌ」
「……レックスは私以外にも、仲良しな子、いっぱい居るでしょう」
私はその他大勢として勇者レックスが大好きな女の子たちの中に、加わるつもりなんて絶対ない。
「なんだよ。その言い方……俺はデルフィーヌを、誰とも比べたりなんてしないよ」
「そんな事言ってないってば。レックスは、私じゃなくても……たくさん居るでしょう」
ほら……そろそろ知り合う予定の本命の聖女様とか、ツンデレ魔法使いとか、スタイル抜群のエルフ族とか。
「居ないよ。何の話? 俺のこと、そんなに嫌なの?」
「良いのっ……もう、帰りましょう」
私は小説の内容を知っているけど、レックスは知らない。
知らない人に説明する訳にもいかないし、何を言っても一緒だ。レックスはいなすように話を終わらされてムッとした様子だったけど、私の前に跪き、くじいた足首の治療をしてくれた。
「……はい。背負うから、俺の首に手を回せる? 絶対に離すなよ」
「離さないわよ。私が死んじゃうもの」
心配性のレックスに、私は揶揄うように言った。彼は小さな突起を器用に足場として使って、いとも簡単にするすると崖を登っていく。
「あ。胸当たってる。大きくなった?」
「成長してるんだから、ならないと、おかしいでしょ? 手を離して良いの?!」
揶揄うように笑って彼が怒った私の顔を見た瞬間、レックスの顔色が変わった。
「まずい……デルフィーヌ。急いで上がるから、絶対に俺を離すなよ」
私はそれが不思議に思って、彼と同じように振り返れば、そこには空飛ぶ鳥の魔物。しかも、高レベルで有名で……この森では、一番に強いとされるガルーダだったのだ。
レックスは慌てて速度を上げたけど、向こうは私たちを完全に狙っている様子だったし……攻撃されるなら、私の背中だった。
何かパーンと弾けるような大きな音がしたと思えば、ガルーダは別方向へと逃げ去っていた。
「え? 良かった。レックス、助かったわ!」
その間に崖を登り切ったレックスは、肩で息をしながら、怒りの表情で呟いた。
「あいつ……」
……あいつ? 何のことかしら。ガルーダ?
「どうしたの?」
不思議に思って聞くと、レックスは慌てて首を横に振った。
「……いや、なんでもない。それより、俺が街まで背負って帰るよ。それだと歩けないだろ?」
「……? あ。ごめん。レックス。助けてくれて、ありがとう」
変な様子を見せたレックスだけど、結局はいつもの笑顔で私を見たので、私もつられて笑った。
まあ……近い将来は、可愛い女の子たちを侍らせる人だけど、今はただの素敵な幼馴染みだもんね。
助けてくれて格好良かったし、幼馴染みの役得として目の保養と心の潤いをさせて貰おう……!
◇◆◇
足をくじいたデルフィーヌはレックスと帰って来て、せめてもの礼にと彼女の両親から夕食に誘われた。
僕も一緒に夕食に参加したけど、快活な様子でユーモアある話しぶりに、まさに何処に出しても恥ずかしくない……そんな男だった。
食後の団らんも一区切り付き、僕は食器を持って井戸へと向かった。今はこれが僕の仕事になっている。
「……お前、なんで、出て来なかった?」
あれは流石にレックスには気がつかれただろうと思ったけど、こんなに早く確認されるとは思わなかった。
優しげな顔に似合わず、意外と短気なのかもしれない。
デルフィーヌの男の趣味は良いのか悪いのか、よくわからない。まあ、けど彼女が好きな奴ならば、僕はそれに協力するだけなんだけど……。
「デルフィーヌが他に気を取られたら、危なかっただろう? 別に家に帰れば僕は居るんだから、良いところはレックスさんにすべてお任せしただけだよ」
「お前……デルフィーヌの前では、やけに幼い猫被りやがって……一体、何がしたいんだ?」
僕は食器洗いを続けながら、彼の質問に答えた。
「だから、なんだよ。人前で違う性格を使い分けることに、お前に何か関係あるのか? 僕は彼女の前では良い子だろう? デルフィーヌの望むように」
こっそり集めた魔核を使って魔族としての覚醒を既に終わらせた僕は、以前より考えたり理解出来る幅が飛躍的に増えた。人間界で言うデルフィーヌの位置なんかも。
「あの子には、絶対に手を出すな……!」
「お前の恋人でもないのに、やけに彼女を気にするんだな」
僕に煽られて、レックスはわかりやすく顔を赤くした。
……知ってるよ。お前だってデルフィーヌが好きなんだろう? けど、まだ気持ちが育ちきってないから、何も言わないんだ。
それを自覚したなら、もう話は早い。
レックス。デルフィーヌを好きになれよ。そして、告白しろ。あの子はそれを喜ぶだろう。
なるべく……拾ってくれたデルフィーヌの言いつけ通り、僕は良い子になろうとした。
褒められたり喜んで貰ったり、それがどんどん進化していくと、もっとデルフィーヌの笑顔がみたくなった。
つまり、デルフィーヌを、世界で一番に幸せにしたくなった。
多くの本を読んだが、彼女の世代の女の子はレックスのような男に愛されることを望むらしい。近所の人や彼女の両親の証言も聞いた。「あの子は物心つく前から、レックスのことが大好きだからね」と。
人は結婚し愛し愛されることを望むのならば、彼女の好きな人を振り向かせれば良い。
多くの書物に書かれているセオリーによると恋愛のスパイスは、大体ライバルだ。
だから、僕はレックスを挑発し、お前が要らないなら僕が彼女を恋人として貰うと明確に示した。
単純な男の思考は、分かりやすい。強敵と争って、女性を勝ち取りたいと、より自らの中で価値を高めるのだ。
だから、僕はレックスの前でデルフィーヌを好きなことを隠さない。けど、彼女を手に入れたいとは思わない。
僕を汚らしい世界で保護してくれた天使、デルフィーヌは誰よりも尊い。
すべては、デルフィーヌの幸せのために。
……だって、僕は彼女のために、この世界に存在しているんだから。
Fin
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
もし良かったら、評価を頂けましたら嬉しいです。
それでは、また別の作品でもお会いできたら幸いです。
待鳥園子