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コメディー〔現実世界〕

鶴などの恩返し

作者: 剣月しが

 昔々、あるところに一人の青年が住んでいました。


 青年は若くして両親を亡くしていましたが、幼い頃から手先が器用だったこともあり、丈夫な木の皮を編んで笠や(かご)を作ったり、木片を削って見事な工芸品を作ったりしては、町に売りに行くことで糊口(ここう)(しの)いでいました。


 その日も青年は、淡雪の降る初冬の山道を抜けて、人里から離れたあばら家まで帰ってきました。


「いやぁ、それにしても今日はたくさん売れた。これでしばらくは暮らしていけそうだ。あの町の人達はみんないつも優しい。本当にありがたいことだ」


 青年は生来口下手(くちべた)で、商いが得意な方ではありませんでした。


 しかし、誠実で思いやりのある人柄と持ち前の器量のよさで、町に暮らす人々の心を鷲掴(わしづか)みにして放しませんでした。


「暮らしを心配され、土産に(いわし)までいただいてしまった」


 青年は風呂敷に包まれた鰯に視線を落とし、申し訳ない気持ちになりましたが、腹の虫が鳴いたので、感謝の気持ちと共に夕餉(ゆうげ)支度(したく)に取り掛かりました。


 すると、そのときのことでした。


 コンコンと静かに戸を叩く音が聞こえてきました。


 普段この豊かな自然に囲まれたあばら家には訪ねてくる者もおらず、青年は(いぶか)しげな表情になりながら戸に近付きました。


 風の音ではありません。そこには確かに生ける者の気配がありました。


「何者か」


「道に迷って途方に暮れていたところ、明かりを見つけまして……」


「なんと、それは」


 思わぬ女の声に、青年は驚きました。


 外はすでに暗くなっており、古くから妖怪変化の住むと噂される山の夜道は女一人ではとても危険でした。


 青年は、脳裏にぼんやりと「鶴の恩返し」の話を思い浮かべながらも、いやいやあれはただの昔話だと打ち消しつつ、戸に手を掛けました。


「中に入られよ」


 そこには一匹の鶴が立っていました。


「いや、鶴」


「はい、左様でございます。先程、貴方様に助けていただいた鶴でございます」


「鶴」


 それは(まご)うことなくタンチョウでした。頭の赤色が立派でした。


 突然の人の言葉を話す鶴の出現に、青年は妖怪変化が出たかと大層肝を冷やしました。


 しかし、今日の帰途、怪我をしていた鶴に手当をしてやったことを思い出し、落ち着きを取り戻しました。


「まっ、まぁ、入られよ」


「ありがとうございます……」


 鶴はそう言って頭を下げると、羽に積もった雪を丁寧に落とし、青年の家に上がりました。


 夕餉の支度が途中だったこともあり、台所の方から焦げた臭いが漂ってきました。


「やや、鰯が」


「あのう……」


「しまった、鰯が」


「あの、すいません……」


「どうした」


「今日の恩返しに、向こうの部屋で布を織らせていただきたく……」


「そんなことより、鰯が」


 青年は育ち盛りでした。


 それに加え、優しい町の人達からの贈り物が灰燼(かいじん)に帰してしまったのではないかと気が気ではありませんでした。


「向こうの部屋で布を織らせていただきたく……」


「分かった分かった」


 青年はそう言うと、火柱の上がる鰯の元へと急ぎました。


 なんとか消火に成功し胸を撫で下ろしていると、鳥類に特有の鋭い視線を感じました。


 そちらに顔を向けると、鶴が向こうの部屋へと繋がる扉の前に立って、青年を見詰めていました。


「何か」


「絶対に中を(のぞ)かないで下さい……」


「いや、すでに鶴」


 青年はそれを口に出してすぐ、野暮なことを言ってしまったと反省しました。


「鶴の恩返し」の話でも似たようなことがあったが、あれはきっと鶴の姿ではなく(はた)織りをしている姿を見られたくなかったのだろう、と。


「いいや、なんでもない。覗かない。約束する」


 青年がそう言うと、鶴は満足そうに向こうの部屋へと姿を消しました。


 青年はそれを見届けると、焦げた鰯を皿に盛り、遅い夕餉にすることにしました。


 しかし、次の瞬間。


 再び、何者かが戸を叩く音が聞こえてきました。


 空腹に身を支配されそうになっていた青年は、渋い表情になりながら戸に近付きました。


 風の音ではありません。そこには確かに生ける者の気配がありました。


「何者か」


「道に迷って途方に暮れていたところ、明かりを見つけまして……」


「またか」


 思わぬ女の声にも、青年は驚きませんでした。


 ただ、青年は、道中で助けた鶴は一羽だけであったことを思い返しながら、おそるおそる戸に手を掛けました。


 すると、そこには一羽の鶴が立っていました。


「いや、また鶴」


「はい、左様でございます。先程、貴方様に助けていただいた女でございます」


「女」


 それは紛うことなくタンチョウでした。頭の赤色が立派でした。


 突然の人の言葉を話す鶴の出現に、青年は今度こそ妖怪変化が出たかと大層肝を冷やしました。


 しかし、今日の帰途、怪我をしていた女に手当をしてやったことを思い出し、どうして鶴の姿で現れたのかと大いに困惑しました。


「まっ、まぁ、入られよ」


「ありがとうございます……」


 鶴はそう言って頭を下げると、羽に積もった雪を丁寧に落とし、青年の家に上がりました。


 夕餉が途中だったこともあり、居間の机の上から焦げた臭いが漂ってきました。


「鰯……」


「あのう……」


「鰯……」


「あの、すいません……」


「どうした」


「今日の恩返しに、向こうの部屋で布を織らせていただきたく……」


「鰯……」


 余りの既視感に、青年はもう焦げた鰯を(あわ)れむことしかできませんでした。


「向こうの部屋で布を織らせていただきたく……」


「分かった分か……いや、その部屋には先約がある。なので、その隣の部屋で頼む」


「承知致しました……」


 すんでのところで部屋の重複を避け、約束を守ることができたことに胸を撫で下ろしていると、視線を感じました。それは鳥類に特有の鋭いやつでした。


 そちらに顔を向けると、鶴が向こうの部屋の隣の部屋へと繋がる扉の前に立って、青年を見詰めていました。


「何か」


「絶対に中を(のぞ)かないで下さい……」


「……」


 青年はもう何も言い返しませんでした。


 ただ一度だけ力強く頷き、大丈夫だという熱い思いを目で伝えました。


 鶴は満足そうに向こうの部屋の隣の部屋へと姿を消しました。


 青年はそれを見届けると、焦げた鰯を無心で頬張りました。


 鶴(鶴)が布を織っている部屋の隣で、鶴(女)が布を織っている。


 そんな不可思議な状況に、頭が真っ白になっていました。


 今は鶴の姿で恩返しに来るのが流行(はや)りなのだろう。


 青年は取り敢えずそう思うことにしました。


 ただ、しかし。


 やはり、次の瞬間。


 本日三度目、何者かが戸を叩く音が聞こえてきました。


 どうせまた鶴だろうと、青年は無表情のまま戸に近付きました。


「何者か」


「道に迷って途方に暮れていたところ、明かりを見つけまして……」


「鶴か」


 青年の予想通り、女の声でした。


 道中で助けた鶴は一羽であったし、助けた女も一人であったし、他に助けた者はあったかと冷静に思い返しながら、戸に手を掛けました。


 すると、そこには、鶴ではなく――美しい女が立っていました。


「いや、女」


「はい、左様でございます。先程、貴方様に助けていただいた狩人でございます」


「えっ? かりっ、えっ? 狩人?」


 それは紛うことなく見目麗しき黒髪の乙女でした。どこからどう見ても狩人には見えませんでした。


 突然の人の言葉を話す女の出現に、青年はついに妖怪変化が出たかと大層肝を冷やしました。


 さらに、今日の帰途、怪我をしていた筋骨隆々たる男の狩人に手当をしてやったことを思い出し、より一層肝を冷やしました。


「入られては困る」


「それは困ります。とても困ります。困ります、とても」


「圧が凄い……。はっ、入られよ」


「ありがとうございます……」


 屈強な男の狩人であったはずの女はそう言って頭を下げると、肩に積もった雪を丁寧に落とし、青年の家に上がりました。


 片時も油断ならない危機的な状況に、緊張で渇いた青年の口から鰯の焦げた臭いが漂ってきました。


「あー……。その……。なんだ……。今日の恩返しに、向こうの部屋で布を織りたいのであろう……」


「よくお分かりで……。左様でございます……」


「しかし、その部屋には先約がある。その隣の部屋にも。なので、隣の隣の部屋で頼む」


「承知致しました……」


 あばら家の割に部屋が多くて本当によかった、と青年が胸を撫で下ろしていると、視線を感じました。


 そちらに顔を向けると、女が向こうの部屋の隣の部屋のそのまた隣の部屋へと繋がる扉の前に立って、青年を見詰めていました。


「大丈夫。絶対に中を覗かない。絶対にだ」


「よくお分かりで……」


 狩人であったはずの女は満足そうに向こうの部屋の隣の部屋のそのまた隣の部屋へと姿を消しました。


 青年はそれを見届けると、今はもう狩人も布を織る時代か、と副業の在り方について思いを()せました。


 そして、ふと今日のことを思い出しました。


 そういえば自分も怪我をして山道で動けなくなっているところを助けてもらったなぁ、と。


「……よし、今から恩返しに行くか」


 青年はそう呟くと、あばら家の戸を開き、吹雪の荒れ狂う夜の闇へと姿を消しました。


 その後ろ姿は、頭の赤色が立派な、紛うことなきタンチョウの姿であったという。

お読みいただき、ありがとうございました。


気に入っていただけていたら幸いに存じます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 何度も吹き出してしまいました。 斬新な題材なのに、構造はコントで鉄板の天丼で安定感があって、センスある台詞回し。 完成度高かったです。 タイトルの「など」ってなんだろうと思っていましたが、…
2021/08/15 08:06 退会済み
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