二
「起きろ」
忠明の頬を叩く。往復三回でようやく目を覚ました。体を起こして見回すとそこは小屋だった。腰が少し痛むがそれもまた懐かしい。
「あの程度で気を失うな」
「そんなこと言われても。突然体がちくちく痛むし、すごい速さで空を飛んだんですよ!? あれで気を失わないほうが無理です! 前もって言ってくれればよかったのに」
「うるさい。一気に話すな」
面倒くさそうにため息をついた。それでも忠明の愚痴は止まる様子はなかったが、男が太刀を抜いたところでようやく止んだ。
「外に出ろ」
男がそう言って小屋から出る。立ち上がれるまでに回復した忠明もそれに続く。
外は全方位が木で囲まれていた。とても静かで木の葉がなびく音まで聞こえる。それはとても新鮮なものだった。それでもやはり空は暗いのは同じであった。
男は忠明に太刀を鞘ごと投げた。危なっかしげにそれを捕まえる。抜いてみるとそれは忠明のものではなかった。
「えっと、これで何をすれば?」
「足元に枯れ葉が落ちているだろ。全身の力を手に集めて、それを刺せ」
「全身の力を? ……わかりました」
鞘から太刀を抜いて、大きく息を吸って目を閉じる。
溢れるばかりの力が手に集まってくる。体がどんどん熱くなっていく。特に胸の辺りが熱い。小さな炎があるようだ。なんだろうこの感覚は。
そのまま目を開き、太刀を枯れ葉に突き刺す。すると小さな青い火が着いて、静かに葉を焼いた。しかしそれは消えることなく、地面まで焦がし始めた。
忠明は狩衣を抜いであおいだり、土をかけてみたが消える気配はない。何が起こっているのかわからなくなり、頭を抱える。
それは男も同じだった。
こんな力、見たことがない。こいつは何者だ?
考えながら異様な青い火を見つめた。
色だけでもおかしいというのに、まったく熱気を放っていない。炎であるが炎ではないということか。
ようやく男は口を開いた。
「お前、名前はなんだ」
そう言われると火に土をかけるのをやめて、
「忠明です。そういえばまだ名乗っていなかったですね。あなたの名前は?」
「義通だ。……忠明、お前をこれから俺の師匠の元へ連れて行く」
「え、はい、わかりました。でもどうして?」
「お前が異端者だからだ」
「俺が異端? えっと、小さいときにいたずらばかりしたからかな……」
「そういうことではない。とにかく家に入れ。説明することが山ほどある」
義明は燃え続ける火を横目に小屋へと入っていった。忠明も太刀を鞘にしまい、それを持って火を見つめた。土を蹴ってかけるがやはり消えない。
本当にこれを俺が?
忠明は疑った。
この太刀に、何か細工されていたのかな? でもそれなら義明さんが驚く理由がないし。
「早くしろ」
そう急かされると今度こそ忠明は小屋へと入っていった。依然と火は風に揺れている。
*
物の怪。それはある日黄泉の国から突如現れた存在で、人々の魂を原動力に邪気と災難をばらまいて不幸をもたらす。これらが原因で病が流行り、飢饉や争いが起こり、あげく物の怪に殺されて、都だけではなく全国が悲惨なことになった。
その物の怪は何種類かに分けられる。
一つは憑依式といったもので、死体に残った恨みや未練を食いつつそれを操って人を襲う。下級であるから弱い。義通が倒したのはこの種類である。
二つは獸式といって、これは人に直接襲いかかって魂を食う。そしてそれを原動力にして病を振り撒くなど様々な災いを引き起こす。この二種類が物の怪の中でほとんどを占める。
そして最も少ないのが人式である。さっきの二つとは桁外れの強さということしか知られておらず、不明な点が多い。
都を襲ったのは主にこの憑依式と獸式である。しかし都は全国の中でも死人が多すぎる。より大きな力を得ようと、人が多い都を人式が襲っていたとしても不思議ではない。
そしてこの物の怪を倒す方法だが最も有名なのは特殊な金属、黒錬鉄で作られた武器で急所を着くことである。義通はさっき憑依された体の首を斬った。それによって本体は二度目の死を迎え、取りついた物の怪は黒錬鉄で打たれた太刀によって浄化された。この黒錬鉄は手に入れることもが加工も難しいため、持っている人が限られている。
他にも術によっての浄化もあるが、それらを使えるのは陰陽師という存在のみ。しかもそれらはどこにいるのかわからず、身内以外に術を教えていないため実用性には乏しい。
これらの説明を義通は顔色一つ変えずに忠明にした。そこで忠明は疑問を持った。
「物の怪はどうやって黄泉の国から来たんでしょう。まったく手掛かりとかもないんですよね」
「そうだ。それが分かれば今頃は怪滅隊が根絶やしにしている」
「怪滅隊っていうのは義通さんも入っているんですよね。それでも無理だなんて」
「怪滅隊は俺の他に百人程度が所属している。本当はお前を鍛えてから試験を受けさせ、隊に入れようと思っていた。しかし――」
「俺が異端だからそうはいかないってことですよね」
「そうだ。お前の存在が危険ではないと判断できない限り、隊には入れられない。そしてその判断は俺にもできない」
義通は続ける。
「師匠は偉大な方だ。隊にいた頃は五本の指に入るぐらいに強かった。だがやはり病気と老いには勝てない。今は戦いからは身を引いて、隊員を育てたり相談役をなさっている」
それから暫く師匠について話した。話すにつれて義通の顔には柔らかな笑みが浮かんできた。冷ややかな態度以外の義通を忠明は初めて見た。しかしそれについては何も言わずただ黙って話を聞く。
本当に尊敬しているんだな。早く会ってみたいな。
忠明も自然と嬉しい気持ちになった。このような楽しい時間を増やしていけたらどんなに素晴らしいことだろうか。災難が伝染するならば、幸せも広めることができる。忠明はそう考えると心が軽くなった。
ここでようやく義通の話は終わった。物の怪について知らないことを多く知れた。そして、それを倒すことがいかに難しく、並大抵の覚悟で倒すことはできないということも。靄のように漠然とした夢がわずかに形を持ち始めた。ようやく一歩を踏み込めた。やめたとはいえ検非違使になってよかったのかもしれない。そうでなければ死にかけることもなかったが、夢は夢のままで、その場で立ち尽くすことしかできなかった。
義通が忠明に食事を出した。餉とわずかな量の漬物もだけれども、忠明にとってはご馳走である。それらを食べると疲れがやってきてあっという間に寝てしまった。義通は羽織をかけてやり、自分も寝に入った。