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忠明が夜藝  作者: 秀美
1/2

 都はいつものように黒い雲に覆われていた。

 雨がさあっと音を立てて落ちている。そんな中、朱雀大路を傘もささずに青年が歩いていた。

 検非違使であるこの男は、太刀を横に身につけて周囲の見回りをしていた。時折壊れた家々をぼんやりと眺めて目を閉じる。見たことのない明るい風景を想像する。だが現実は残酷で道には瓦礫の山ばかり。都から華やかな空気は百年前に消え、時が経つにつれて汚くなって淀んでいく。雨は汚れを洗い流すどころか心を暗く染める。

 忠明が足を止めた。

 目の前にあるのは羅城門。この上には引き取り手のない無数の死体が転がっているという。素性も知らない死体にはふつう、誰も近づかない。しかし、それをいいことに死体の髪の毛を抜いたり服を剥いだりして金稼ぎをする者がいる。その行為を忠明は許せなかった。

 塗装が剥げた門の横にあるはしごを登る。雨で濡れていて滑るが軽い身のこなしであっという間に頂上へと着いた。

 聞いての通り、そこには多くの死体が転がっていた。ぶわっと一気に腐った臭いが押し寄せる。ハエが何匹も不愉快な音を立てて飛び交い、足元の女にはうじ虫がたかっていた。

 鼻を押さえながら見回してみる。すると後ろのほうに何かが動く音がした。


「誰だ!」


 声を出して振り返ると、一人の体が這うようにこちらへ近づいてくる。

 忠明は息を飲んだ。その光景があまりにも異様なものだったからである。

 腰を低く身構え、柄に手をかける。じりじりと距離が縮まっていく。忠明が静かに瞬きをすると、見るにも恐ろしい顔が目の前にあった。顔の半分は溶け、剥き出しの目玉がギョロギョロと舐めるように忠明を睨む。思わず震えて体から力が抜けていく。

 なんなんだこれは……まさか――!

 突如、腹のあたりに今まで感じたことのない、激しい痛みが襲った。

 おそるおそる忠明が目を下にやると、自分の腹を腐った腕が貫いていた。

 口からは血が吹き出して視界は白と黒で点滅する。

 ここで倒れ込むことさえできればどれほど楽であろうか。しかしその腐った腕が忠明をそうさせてくれなかった。

 ここで忠明の目の前は醜い顔から懐かしい風景へと変わった。走馬灯である。

 無邪気に走り回ったあの日のこと、幼いときに病気で死んだ父の顔。

 人は死ぬとどこへ行くんだろう。楽園に行くことができるのだろうか。それとも、ここよりもひどい地獄へと連れていかれるのだろうか。

 死にたくない。華やかな都を一度は見てみたい。

 けれども忠明の願いとは裏腹に意識はみるみる薄れていき、ついには目を閉じた。

 それとほぼ同時に、暗い空からどおっと光が落ちた。

 物の怪は腹に腕を刺したまま振り返る。

 忠明は目を開けなかった。目を動かす力すらも残っていなかったのである。まだ自分が死んでいないということを確認するのに精一杯だった。

 光が落ちた場所は黒く焦げ、一人の男が立っていた。長い太刀を背負い、藍色の羽織の下に白い狩衣を着ている。物の怪を睨んだまま太刀を抜いて一閃すると、忠明を貫いていた腕が落ち、もう一振りすると物の怪の頭が真下に落ちてそのまま消し炭になって消えた。

 男は太刀をしまい、小走りで忠明の元へと駆け寄る。腰に掛けた袋から黒い粒を取り出して、竹に入った水と一緒に飲ませた。

 最初、忠明は苦しそうに咳き込んだ。けれども徐々に痛みが和らいで気がつけば傷はふさがっていた。


「あなたが俺を?」


 死体の横で寝転んだまま男にそう尋ねる。

 男はため息をついて答えた。


「そうだ。おかげで貴重な薬がなくなった」


「す……すみません。俺なんかのためにそんなものを使っていただいて」


「ただの気まぐれだ。あと少し遅かったらお前もここの死体になっていただろう」


「ですよね。小さい頃の思い出とかいっぱい見ました」


「そんなことより、お前は検非違使か?」


「はい。まだなったばかりですが」


 それを聞いて男はため息をついた。

 そういえばこいつ、あれにまったく反応できていなかった。このままだと確実にこいつは死ぬ。またここの死体の量は増えることなる。

 男は忠明の横に座って水を置いて訊いた。


「なぜお前は検非違使になった」


 忠明は考えることなく答える。


「物の怪をこの世から消すためです」


 まっすぐ曇りのない瞳で男を見た。さっきまで死にかけていたものとは思えない生気を忠明から感じられる。


「俺が物の怪を倒して都を守れば、その間に再建が進んで、ここが昔話のような綺麗な場所になると思うんです」


「そんな甘い戯れ言、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくる」


「戯れ言だろうといつかは叶うかもしれません。俺はそう信じています」


 男ははっとした。忠明に一瞬だけ違う男の面影が宿った。目を擦るとその影は消えた。もともといるはずがないのだと男は自分に言い聞かせる。

 戯れ言だろうといつかは叶う、か。あいつもそんなことを言っていたな。

 この青年はどこか心を浮かせるような、変な違和感を与えてくる。

 尚更あいつに似ている。それならば――、


「俺のところへ来い」


 男は立ち上がってそう言った。


「ですが、俺には検非違使の仕事がありますし」


「そんなものはやめてしまえ。お前の命を縮めるだけだ。そもそも、今の都はもはや、検非違使ではどうにもできない。さっきお前が何もできていなかったのがその証拠だろ」


 さっきと違って忠明はすぐに返答できない。

 忠明は迷っていた。本当にこの男のことは信用できるのだろうかと。自分に、何か汚いことをさせるのではないかと。しかしこの男はあの恐ろしい物の怪から自分を助けてくれた。救われた命でできるせめてもの恩返しは信頼することだ。それができない者が都を再建に繋げるなど、それこそ戯れ言である。


「わかりました」


 忠明はそう言い立ち上がろうとしたがふらついた。あの薬は良いものであるが、一度死にかけた男を回復させるにはまだ時間がかかる。

 男はふらついた忠明を受け止め、軽々と肩に担いだ。身長は二人とも同じぐらいだが、忠明は軽すぎた。ろくな食事をもう数日は食べていなかった。

 すうっと息を吐いて男が体に力を入れると、二人は一筋の光となって暗い空を飛び、彼方へと飛んで行った。


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