第六十七夜 雷架
ーー水竜と獅子との睨み合い。
エメラルドグリーンの鱗に包まれた竜は、細長い蛇に似た身体を、くねらせた。
前に立つ水月にその頭を近付ける。
細長いその顔は、獣に似てはいるが痩せ型だ。獅子や虎よりは狐寄りの顔をしている。シャープな、鋭い面持ち。
美しいその顔を近付けると
「水月。僕は役に立たない。」
と、そう言った。
声はとても低く恐そうなのだが、その喋り方はとても幼い。
子供が話す口調によく似ている。
「えっ!?」
水月は驚いて振り返った。
アクアマリンの様な深い蒼い色をした眼と、水月のライトブラウンの瞳が、ぶつかる。
「だって……僕は水竜だから。」
水竜は、酷く申し訳なさそうにそう言ったのだ。
その顔はしょげている。悔しそうと言うよりも、哀しそうであった。
「どうゆうこと!?」
水月がそう叫んだ時だ。
葉霧が、ハッとした様な顔をしたのだ。
水月に視線を向けた。
「“五大元素”か。」
そう言った葉霧の顔は、何処か全てを納得した様な顔でもあった。
だが……
「五大元素!? なんだそれっ!?」
少し頭の弱い楓は、葉霧にそう言ったのだ。
非常におったまげた顔をしている。
ツバまで出そうな程の叫び声だ。
葉霧は、楓ではなく獅子に視線を向けた。
黄金の身体が未だ、宙に浮き自分達を見下ろしている。
不敵な笑みをその口元に浮かべながら。
「この世界の“カタチ”だ。」
葉霧はそう言った。
“五大元素”は、
世界を形作るとされた5つの「元素」
“地、水、火、風、空”の五つで、五大という。
仏教では“地”を最低、“空”を最上の境地としており、“般若心経”の「色即是空 空即是色」もこの空の境地を表していると言われる。❨仏教の理❩
陰陽道では、
“木、火、土、金、水”の五つ。
これら五元素(五行)が互いに生みあい消しあう(相生・相克)ことで万物が生じるとされている。
「さよう。世界はそれで形成されている。だが……“お前らの力と、我等の力”は少し違う。“四代元素”とも言われているな。考え方は陰陽道と同じだ。」
獅子は、丘の上に降り立った。
金色のその身体を、輝かせながら。
「“地、水、火、風”……。それに“光、闇、霊力”これらを入れて“七大元素”と、呼ばれる。遠い国インドの教えだ。彼等は、四代元素の他に、“苦、楽、霊魂”を構成要素として考えていたと言う。」
獅子のその声は、相変わらず野太いものであったが、その口調は、優しく説明する様なものであった。
「今は“苦、楽、霊魂”を、“闇、光、霊力”と捉えている。そこに更に……“自然元素”。つまり、我の様な“雷”。北のヌシ……“氷瑚の吹雪”…つまり、“氷”。更に“重力”なども、あると聞く。」
獅子は、亜里砂に視線を向けた。
金色の頭を少し低くさせながら。
亜里砂は、その視線に気づくと真っ直ぐと見据えた。
逃げない。その強い視線から。
「お前の様な“森”の力。霧のガードとは中々やるな。」
「これでも、元ヌシなんで。自分の地を目眩ましに霧に包むのは、初歩的なチカラよ。」
ふんっ。と、亜里砂は馬鹿にされたと思ったのか、そっぽ向いた。
ふっ。獅子の口元は緩む。
「四代元素を元に形成された力関係。だが、それも時代と共に変化した。今は……様々なチカラがあるとも聞く。“科学の力”それ等を融合させる力もあると言う。」
獅子は、そう言うと少し哀しそうな眼をした。
葉霧を、見つめたのだ。
「退魔師。お前は……この世に一人しかいない“光”だ。本気になれば、我等とてお前には敵わん。だからこそ……螢火の皇子は、格別。玖琉一族は、特別視されてきた。」
葉霧は、獅子をずっと見つめていた。
その“碧の眼”で。
「千年……。」
獅子は、空を見上げた。
懐かしむように。
「誠……難儀なことだ。力になれなかった。」
そう呟いたのだ。
獅子は、葉霧に視線を向けた。それは、鋭い眼差しだ。
「来い。お前が#本当に我等の思う退魔師か、見定めてやる。」
その低い声は響いたのだ。
その身体は、獲物を狩るかの様に身構えた。
今にも飛びかかりそうだ。
葉霧は、スッ……と、前に出た。
「ちょっと待て!! 殺るならオレが!」
ぐっ。
刀を構えた楓の右肩は掴まれた。
葉霧が、楓を見つめる。
「大丈夫だから」
そう言うと、獅子の方に歩いて行くのだ。
とても強い眼差しだった。
「葉霧……」
楓は、何も言えなかった。
誰もが、戦況を見つめるしかなかった。
獅子と、葉霧の一騎打ち。
互いに睨み合い。
獅子は、身体を宙に浮かせることなく頭を低くし、雷槌を身体に纏い始めた。
それは白と紫が混在する雷槌の柱。
バチバチと、身体を突き刺す様に空から降って纏う。
獅子の身体は、稲光に包まれたのだ。
(あれはきっと、氷瑚の吹雪のガードと同じ形状なのだろう。あの時、俺の力は跳ね返された。)
ぐっ。
葉霧は、右手を握りしめる。
その手は、白い光に覆われた。丸く光り包む。
空は紫色。黒い雲が頭上を覆う。
そこから獅子の身体を覆う様に、雷槌の柱は降り注ぐ。
遠くでは、雷鳴轟き稲光が鳴り止まない。
まるで地走り。
無数の雷槌の柱は、葉霧に向かって地面を削る様にしながら
向かってくる。
葉霧は、その無数の雷槌の柱めがけ白い光の波動を放った。
カッ!!ーー
閃光と爆風ーー。
雷槌とその波動は、ぶつかり合う。
獅子は身体を起こし、更に葉霧の頭上から雷槌の柱を突き落とす。それは、落雷。
大木に落ちる様ないかづちが、葉霧に落とされたのだ。
「葉霧!!」
楓が駆け出そうとしたのを、灯馬がその右肩を掴んだ。
ぐっ!と。
楓は、振り返るが……灯馬のその顔は、真剣な表情だ。
何も言わず、首を横に振る。
ただ、眉間にシワを寄せ、苦渋に満ちていた。
楓は、その顔にその気迫に動けなかった。
カッ!!ーー。
楓にもその光の閃光が届く。
ハッとして、視線を向けた。
いかづちは消えていたーー。
そして、葉霧は地面に膝をつきその腹部から、血を流していた。
腹部を抑え葉霧は、そこにいた。
地面には、葉霧の腹部から流れる血が落ちていた。
辺りには、風が吹く。
「葉霧!!」
灯馬の腕を振り払い、楓は駆け寄った。
直ぐに、しゃがみ肩を掴みその顔を覗き込む。
口元から垂れる血ーー。
楓の表情は、一瞬で変わる。鬼の様に変わる。
「楓。手を出すな。」
「え!?」
その声に、楓は目を見開いた。
鬼の様な形相も緩んでしまった。
「これは……“俺の闘い”だ。」
葉霧は、そう言うと血の流れる腹部を抑えながら、立ち上がった。
楓の手からーー離れたのだ。
「葉霧……」
楓には、それ以上。
何も言えなかった。葉霧のその顔は、いつもの優しい顔では無かった。大丈夫だ。と、笑ってくれる顔ではない。
“手を出すな”
それは、楓にとってはじめて見る葉霧だった。
言われた事もない。
覚悟ではない。
揺るぎない意志。それを気迫に交えて放っていた。
葉霧の奥底に眠るーー心情。
それを、感じ取ったのだ。手が出せなかった。
追いかける事も出来なかった。
ゴホ……。
葉霧は、口から血を吐いた。
地面に血がーー飛んだ。
ベチャッとーー。
腹部のライトブルーのワイシャツは、血で滲み変色してしまっている。それだけでも痛々しい。
ふらふらと獅子の前に立ちながら。
だが、その右手には白い光が大きく光輝いた。
「ほぉ? 我のいかづちに穿かれてもまだ、生きてるか?それはそれは。よく、脳天を避けたな? 褒めてやる。」
獅子の顔は嬉しそうにも見えた。
目の前の立ち塞がる人間が、強く……立ち向かってくるのが、わかったからか。
獅子の顔は緩む。
真紅の眼は、更に光を増した。
「試すにも程がある。久々に“キレた”」
葉霧は、碧の眼を煌めかせながらそう言った。その表情は、もう王子様ではない。
凍てついた殺意ーー。
キレたのは、本当の様だ。
「よかろう。望み通り……殺してくれる!!」
獅子の身体を纏う雷槌が、変化した。
身体全体を丸い円球が覆う。
それは黒光りしながら、円球の中に雷槌を走らせる奇妙な物体だった。
獅子は、身体を動かす事なくその円球を纏いながら、葉霧を見据えている。
大きな黒い雷槌を中に走らせる円球。
葉霧は、腹部を抑えていた左手を離す。
右手首を掴む。
(凄いエネルギーだ。離れていてもよくわかる……。アレに当たれば確実に……“死ぬ”だろう。奴の攻撃は、食らうと全身に電撃を食らった様になる。)
葉霧は、右手に白い光を溜め始めた。
それは、水竜の波動砲によく似ていて、一点に集中して光が
溜まる。
エネルギーを集中させて光輝く。
(俺の腹を穿いたのは、雷槌の矢だ。だが、殺傷能力はかなり高い。耐性なのか、死にはしなかったが……。アレはまともに食らえばヤバい。)
獅子の口が開く。牙をむきだしに。
「死ね!! 退魔師!!」
そう、叫ぶと同時に獅子の身体を纏っていた黒光りの円球は
放たれた。
大きな円球だ。中で稲光の走るその不気味な球体が、葉霧に向かって放たれたのだ。
「葉霧!!」
楓は、叫んだ。
(この力を抑えるだけの……俺の力をぶつける。)
葉霧の右手に溜まっていたエネルギーの円球は、一気に放たれた。
ドォォォン!!
それはとてつもない力のぶつかり合いだった。
爆音、爆風……。
そして閃光ーー。
正に、辺りは包まれた。
「きゃあっ!!」
吹き飛ばされそうな水月を、灯馬が支える。
技藝も隣の亜里砂を支えていた。
森が揺れる。
淡桃のミストに包まれた馬車は、至って平気。
辺りの木々が、波打つ様に揺れてもそこだけは、何も起きない。
楓は爆風の中、夜叉丸を握り葉霧が、その中で吹き飛ぶのを見つめていた。
葉霧は、爆風に煽られボロボロの姿で吹き飛んできたのだ。
「そんなものよのぅ?」
獅子は、何もかもが消えたあとに、そう笑った。
「葉霧……。葉霧っ!!」
楓は、夜叉丸を地面に置き、雷槌でまるで焼けた様に制服が
ボロボロに、なってしまっている葉霧の側に、駆け寄った。
葉霧は、地面に倒れたまま楓が、その身体を抱き抱えるまで、目を閉じていた。
「葉霧!!」
楓は、葉霧の身体を抱き抱えそう叫んだ。
葉霧は、目を開けた。
ハハ……と、力無く笑う。
楓の頬に手を添えた。
「手を出すな……とか言っといて……このザマだ。俺は……いつになったら……楓を護れるんだろう。」
葉霧はそう言うと、楓の頬から手を離した。
するっと……。
そのまま目を閉じた。
優しく……微笑んだまま。
(護る?? 違う! 葉霧がいるからオレは強くなれるんだ。オレたちは……強いんだ。護る者があるから、強くなれるんだ! 護りたいと思う者がいるから強くなれるんだ! 実際とか関係ない! その気持ちがチカラをくれるんだ!)
楓は、葉霧の身体をぎゅっと抱いた。
(……オレは葉霧を、護る為なら何にでもなる)
楓は、その眼を獅子に向けた。
獅子は、その気迫と威圧感に少し身体を引いた。
(鬼……か。厄介なヤツらだ。コイツらは……“無属性”。何にでも変れる。つまりーー……“最強”)
獅子の顔色は変わる。
楓が、葉霧を地面に寝かせるとゆらりと、立ち上がったからだ。
楓は、置いてきた刀を握る。
ふぅ。
息を吐く。
刀は銀色に光輝く。
「てめぇだけは許さねぇ。」
楓は、獅子を睨みつけた。
獅子は、右の前足をじゃり。と、掻く。
爪が、地面を削る。
「その刀で、歯向かうか?」
獅子のその顔が笑う。
馬鹿にした様に、その声も頭の中に響く。
ザッ……
足音たてて、楓は獅子に歩み寄る。
地面の闘いの爪痕は、砂利を産んでいた。
「うるせぇよ。久々に“キレた”」
楓は、刀を握り獅子の前に立った。その顔は怒りを露わにしていた。眉間にシワを寄せ険しい。
だが、何処か美しい。
「殺すつもりで来い。鬼娘。」
獅子の身体に、雷槌が纏う。
「ぶっ殺してやる!!」
楓は、蒼い眼をギラつかせながら地面を蹴り上げ、刀を握り
獅子に、真っ向勝負。
正面から突っ込んだ。
その頭を斬りつける勢いで。
ガキィィィンーー。
刀と雷槌がぶつかる。
だが、楓にはそれはお見通し。直ぐに刀を引くとそのまま
首元を薙ぎ払った。
「!!」
獅子は、血を噴き出しながらその眼を、楓に向ける。
空から振り下ろされる雷槌。
楓にめがけ、その雷槌は落とされる。
「!!」
楓は、その雷槌を受けても倒れることなく、蒼い眼で獅子を睨みつけた。
電撃で身体をビリビリと、光らせながら。
「死ね」
そう言った楓のその顔は、まるで凍てつく鬼の様だった。
獅子の頭に振り下ろされる夜叉丸。
咄嗟に、雷槌を纏いガードしたものの、獅子は斬りつけられていた。
頭から血が舞う。噴水のように。
「親父!」
技藝の声が響く。
雷鳴の音の中で、勝負はついたのだ。
正に一瞬ーー。
誰もが目を疑った。
血を流し倒れる獅子と、地面に降り立つ楓。
稲光轟くーーその丘の上で、ヌシとの勝負は着いたのだ。




