第六十五夜 お前ヌシなのか?
ーー雷雨の中でピエロは、ソリの前に立つと木のステッキを振るう。
ぽんっと音をたてると、ソリは後ろ側がまるで馬車の様になったのだ。その形は、王冠。かぼちゃ型のその王冠がソリの上に、ぽんっと乗っかっているのだ。
赤と金の装飾の施された王冠の小屋だ。
本来なら手綱を引く為の、乗り場があるのだがそれは無い。
このソリを引くのは、どうやら二頭の天馬。
真っ白な光輝く身体に、大きな翼。
ペガサスが、黒革のベルトでソリを引く様だ。
「どうぞ。」
真っ赤なサテンのスーツを着たピエロは、王冠の小屋のドアを開けた。颯爽と乗り込んだのだ。
ただ、気になるのは彼の肩の周りにミニチュアの鷲が何羽も飛んでいた事だ。
さっきのテントの中にいた三羽よりも、増えていた。
楓たちは、王冠に乗った。
中は、広々としていて窓もある。手綱を引く天馬を眺める小窓も、あった。
対面式のソファーの様な椅子には、ふかふかの金色のファーが敷かれている。室内をコの字に囲む様に置かれていた。きちんと、背凭れまでついた座り心地の良さそうなソファーだ。
ただ、色は金。
中は円形で天井までも金。
ただ、毛皮だ。一面を毛皮が覆っていた。
金ピカで見ているだけで、瞬きが止まらない。
誰もがぱちぱちと、目を動かす。まばゆいのだ。
天井にはシャンデリア。そこまで大きくはないが、この室内を照らすには充分な光。きらきらと煌めき、眩しいほどだ。
「お行きなさい。」
ピエロが小窓に向かって声を掛けると、天馬は高らかに声を、あげその前脚を高くあげた。
ふわっと浮くのがわかる。ソリは、地面から浮き空を飛ぶのだ。それは、窓からよく見える。
離れるのは速かった。あっとゆう間に、空まで駆け上がってしまったのだ。稲光と雨も天馬には関係ないのか……、窓に激しく打ち付ける程の雨の中を、飛んでいるのだ。
小さな鷲は、小窓の枠やピエロの肩。その窓の側に止まっている。よく見れば十羽ほど。
手乗りインコ程の大きさの鷲に似た鳥。白い頭に焦げ茶の羽と身体。黄色いクチバシ。
結局、全員でここにいる。
(すごい……ふかふか。)
水月は、ソファーの座り心地に手で押していた。揺れる事もなく、とても気持ちがいい。ファーの触り心地もとても柔らかい。
ピエロは、すぅっと右手を自分の顔に翳した。拭う様な仕草をすると、その顔は素顔を晒したのだ。
「え!?」
一瞬の出来事に、誰もがア然。正に即興マジシャンだ。
もじゃっとした赤毛は、淡紫色の長い髪に変わる。その髪は、前髪を後ろに纏めたデコ出しハーフアップ。後ろで金のリング状のバレッタで、留めてある。
肩より少し長めのその髪は、ツヤやかでさらっとしている。
その顔は、彫りが深く美形。英国風のくっきりハッキリとした顔立ちだ。その眼は、真紅に染まる。
先程までの道化の姿が信じ難い。
だが、服装は変わらずで真っ赤なサテンのスーツ。だからか、美形なのに、異様。
「稲光がついて来てるみたいに、この周りで光ってるけど?」
亜里砂が、窓から見える稲光にそう言った。さっきから追っかけられているみたいに、窓に映り込むのだ。
飛んでいるのに、雷が遠ざかる気配すらない。
「アレは……親父です。」
男性は、ため息深くそう零した。
「親父!?」
「カミナリ親父!?」
灯馬が、叫んだ後に楓が、そう言った。
「ええ……。僕はヌシが苦手なんですよ。ずっとそこにいなきゃならないでしょう??」
と、男性は目をうるうるとさせながらそう言ったのだ。
訴えるかの様な目で、楓たちを見つめる。
葉霧は少し……考え込むと
「まさかとは思うが……迦楼羅の森のヌシとは、お前の事か?」
と、そう聴いた。
珊瑚島を出る時に、辰巳から教えて貰ったその情報を、思い出したのだ。
『変わってる……そうです。』
そう言っていたのだ。
「そうです。いかにも!」
ふんぞり返った。
「あのな。ヌシってのはそこにいなきゃならねぇんだろ?土地を護る為に。」
楓が呆れた様にそう言うと
「だから! 苦手なんですよ! ずっと永遠にそこにいなきゃならないなんて退屈だ! 僕は夢を語り夢を見せたい!」
力説ーーであった。拳を握りしめ今ここに、マイクがあれば大音量で、叫ぶであろう。そんな勢いであった。
はぁ……。亜里砂は手をあげた。
完全にお手上げ。とでも言いたいかの様なため息と共に。
(これがヌシ。だと思うと……元ヌシとしては情けないわ)
亜里砂は深いため息をついたのだ。
「けど……いなくなったら困るんじゃないの?」
水月がそう聴いた。あやかしについては初心者だ。
「困り……ますよね? だからああやって親父が……僕に早く森へ帰れと、怒りをぶつけてくるんです。その事で……人間に迷惑が掛かるから、滞在は三時間! そう決めてるんです。」
男性は、肩を落とした。
「なんで三時間なんだ?」
「親父が、僕の居場所を突き止めるのに掛かるタイムリミットです。」
灯馬の言葉に、男性は顔をあげた。ハッキリと言い切る強気な態度が、とても勇ましい。
「けど、ヌシってすげーんだな。あんな大掛かりなマジックとか、使えんだな。」
楓がそう言うと、男性はきょとん。としたのだ。
その視線は、楓の顔をじっと見つめている。
不思議そうに。
「貴女……見た所、あやかしですよね? あやかしは幻術使いみたいなものですよ? 化け術が得意でしょう?」
男性は、とても驚いている様子だ。キレイな顔も呆れ顔。
楓は、キャスケットを取った。
「オレは、化けねぇしまやかしも使わねぇ。鬼だから」
その角を、見せたのだ。
頭の上に生えてる白い角だ。にょきっと存在している。
「ああ。鬼か。」
ふんっ。と、男性は顔を背けた。がっかりした様な顔をしたのだ。どことなく小バカにしている様子でもある。
「な……なんだよ! その態度わっ! ケンカ売ってんのか!?」
「楓。」
拳振り上げ立ち上がろうとする楓を、葉霧が隣で肩を掴み宥めた。落ち着け。と、言わんばかりに。
「鬼なんて欲望の塊です。なんて可愛そうな生き物なんでしょう。」
男性は、哀れむ様に首を振りそう言ったのだ。
「てめぇ!」
「楓! 貴方も余り煽らないで貰えるか? 厄介なんで。」
怒鳴る楓を、葉霧はぐっと肩を抑えつける。そのまま男性に釘を刺したのだ。怒ってる訳ではないが、呆れていた。
「あ。だから、居場所をちゃんと教えてくれなかったのかな?どこにいるのかわからないから。」
ふとそれまで考え込んでいた水月が、そう言ったのだ。
男性の顔を、見つめた。
「誰かに聴いたんですか?」
男性は、水月に視線を向けた。
「ええ。珊瑚島の人ですけど……。」
水月はそう答えた。
隣で、灯馬がため息つく。膝に肘をつけると頬杖ついた。
「どーでもいいけど……いい年してフラついてんじゃねーよ。」
と、そう言ったのだ。
「フラついてる訳ではない! 僕は人間に夢を与えているのだ! 昨今の人間は忙しすぎて夢を見る時間も無いと聞く! いい夢を見るのが元旦だけとは……あ~嘆かわしい!」
男性の力説は、始まった。
まるで、自分に酔ってしまっているかの様に身振り手振りだ。
ミュージカル俳優にでも、なってしまったのかと思うほどの大袈裟な仕草で、語りだしたのだ。
「その元旦ですら、休む間もなく働くとか! 人間よ。夢を見ずして何を見るのか! 現実逃避が出来ない世界で、堅苦しく生きて行かねばならぬのならば! せめて、僕が夢を与えよう! 夢は最大の力となるのだ!」
灯馬は、バッ! と、右手を差し出されて頬杖ついていた手から、顔を離した。驚いていた。
突然、男性が、立ち上がっていたことにも。
「悪かった……。もういい。」
そう答えていたのだ。不気味すぎて。
「葉霧……。オレおっかない。はじめておっかないと思った。イヤだ。コイツ。」
楓はそう言ったのだ。とても真剣に。
「気持ちはわかる。」
葉霧は、隣でア然としつつも答えた。
楓の肩からするりと、手が離れた。自然に。
「だからサーカス?」
そう聴いたのは亜里砂だ。足を組む。
長い足を組み、ぶらぶらとさせている。
「そうだ。君達もあの世界にいると現実を忘れるだろう? それは、一時的なものかもしれないが……あの世界にいる間は、まるで催眠術でも掛かったかの様な、気分になるだろう?」
男性は、はぁはぁと息切れしながら座った。馬車の中での演技に、疲れてしまったのか、乱れた髪を上げた。
「それで、森を抜け出して全国各地を渡り……サーカスを演ってる訳か。」
葉霧はソファーの背凭れに寄り掛かった。
「そうだ。土地を護る事も大切な事だ。だが……今ここで、生きてる人間達の為に出来る事をするのも……僕は、ヌシの役目だと思う。」
男性は、葉霧を真っ直ぐと見つめるとそう言った。
それを聞くと、楓は男性を見つめた。
「ただの不気味なおっさんじゃねぇんだな。」
「おっさん言うな!」
男性が憤慨したのは言うまでもなかった。
✣
【迦楼羅の森】は、奥深い山の中にあった。
大きな湖のある森。
ここが……男性ーー【技藝】の棲む森だ。
辺りを囲む雄大な山々。
それを眺めるかの様に、湖畔は広がる。
淡い水色の湖面には、空と山々が映り込み絵画の様に広がる。
雷雲も雷雨もいつの間にか、消えていて今は青空が広がる
そこに、湯気の様に少し靄が、湖面をかする。
それが、山々に掛かる雲の様で、また美しく幻想的であった。
「いい所じゃない。」
亜里砂は、伸びをした。
湖畔に立つ……技藝を見ながら。
技藝はーーここに降り立つと、その服装までも変わった。
金色の羽織りと、淡い紫色の着物。長身で異国風の顔立ちなに、とても良く似合っている。落ち着いた雰囲気まで出ていた。
ただ、帯までも金色なのが、亜里砂には不快らしく、さっきまで、とても嫌そうな目で、帯を見つめていた。
だが、晴れ間覗くこの空の下では、どうでも良くなってしまった様だ。爽やかな空気を、吸い込んでいた。
「ええ……気に入ってます。この地を護る事も……この地も。」
技藝は、そう言うとその場にしゃがんだ。
草木が、露で濡れている。緑に囲まれた美しい湖ーー。
それを見つめていた。
「ただ……思うんですよ。繰り返される闇との戦いは、荒んでしまった心の隙間が、呼ぶんじゃないかって……。一概には言えないですが……喧騒を鎮める事も、僕達の仕事だと思うんですよ。」
技藝を、湖を囲む様に楓達もそこにいる。
亜里砂は、そんな技藝を横目に腰に手を充てた。
「いいんじゃないの? 人間に迷惑掛けない程度に夢を売れば? あのパフォーマンスは、嫌いじゃない。見てて愉しかった。夢の世界だったと思う。」
亜里砂は、笑顔ではなかったがその表情は、少しだけ解れていた。綻んだ笑みを浮かべていた。
技藝は、湖を見つめながら微笑む。
湖面が、風に揺れる。美しい水面が波打つ。
山々の、風景が揺らいだ。
「はい。」
技藝は、そう答えたのだ。
森の入口には、天馬と鷲に似た鳥たちがいる。
天馬の背中に鳥は止まっていて……技藝と楓たちを見つめていた
穏やかな風が吹く……。
技藝は、立ち上がると楓と葉霧に視線を向けた。
「僕はこの通り……何も力にはなれません。なので……親父を紹介します。」
技藝の表情は、少し堅い。だが、その目は強く二人を見つめていた。
「親父は……連れてくるタイプのヌシです。なので特定の場所を護ってる者ではありません。ただ、親父がねぐらにしている場所があります。」
技藝のその声は、さっきまでと売って代わりふざけた口調でも、無くなった。真剣そのものであった。
だからか、楓も葉霧もその表情は険しくなった。
「ここより西へ……【雷鳴轟く丘】があります。そこが、親父のねぐらです。」
技藝が、そう言うと少し強い風が、吹いたのだ。
湖面を攫う。楓たちもその風に、煽られた。
「雷鳴……? まさか……」
葉霧がそう聞くと、技藝は頷いた。
「はい。親父は雷を司るヌシです。」
技藝はハッキリとそう言ったのだ。
「か……雷のヌシっ!?」
(このフーセンみてぇな奴の親父が、まじで雷オヤジ!? どんな家系なんだよ!)
楓はア然としていた。
その隣で、葉霧もまた耳を疑っているかの様に、表情を強張らせたのだ。
「親父ならきっと……力になれるでしょう。」
技藝は、優しく微笑んだのだ。
(雷のヌシってことは……神獣か~……おっかなそうだな~)
亜里砂は、少し嫌そうな顔をしていた。




