第三十二夜 黒妖犬の棲み家
ーー水路の配管は続いていた。
地下だ。完全な。
周りはコンクリートで囲まれている。
電気が無く……光は届かない。
懐中電灯の明かりだけが頼りだ。
葉霧は足元や奥の方を照らしたりしながら進む。
時折……ガサガサ……と、地面を這う様な音がする。
その度に楓は……ビクッ!としながら歩く。
今もしっかりと葉霧の腕にしがみつく。
ぎゅぅ。と。
「ちょっと………痛いかな?気持ちはわかるが……」
恐がりなのは知っている。
「あ……だよな。ごめん。」
少し……緩める。腕を掴む手を。
カビ臭さは酷くなっていた。
それに……何よりも湿気だった。
奥に進むと葉霧は
「風……だ。」
と、そう呟く。
「あ?かぜ?ひいたのか?」
「違うよ。風が吹いてるだろ?」
(言うと思った……)
葉霧はさらっと答えつつ奥の方をライトで照らす。
微かに……光が差し込んでいた。
「出口だな……」
通路を歩き配管の先………
光が射し込む。
葉霧は懐中電灯を消した。
「工事の途中で……放置されたんだな。」
撤去作業をしようとしていたのか、トンネルは掘られ
壊されていたのだ。
崩れかけた壁の破片が、地面に落ちている。
配管も途中で切断されていた。
【危険立ち入るな】
フェンスにそう貼られたプレート。
だが……フェンスもプレートも倒れている。
葉霧は崩壊したトンネルの破片に気をつけながら
楓の手を引き外に出る。
表から見ると森の中にぽっかりと開いた空洞に見えた。
周りには緑をつけた木々がある。
森を削り……この水路を造ったのであろう。
本来ならここは水路への入口なのか……門の名残りも
ある。
ただ、崩されているのでコンクリートの壁が穴を
開けてそこにぽっかりと空洞を造ってる様にしか
見えない。
地中に埋め込まれている配管も今では所々……
剥き出しだ。
葉霧は倒れてひん曲がっているフェンスに視線を
向けた。
金網のついたオレンジのフェンスだ。
ビル建設現場の所なんかに立て掛けてある侵入を防ぐ為の
ものであった。
「食い破られてるな」
金網の部分は千切られてボロボロになっていた。
何かで……毟り取られた様になっている。
「さっきのヤツらか?もしかして……」
楓も覗き込みながらそう言った。
葉霧は……辺りを見回す。
水路のトンネルから出て来たこの場所の前は細い
道路がある。
車一台程度しか通れなそうな細い道路だ。
その向こう側も森……。
人明文化……の設備は無さそうだ。
ウォォ…………ンン……
ふと……遠吠えが響く。
葉霧も楓も辺りを見回した。
「遠いな……」
バサッ………バサッ……
チチチチ………
森だ……。羽音を立て小さな鳴き声をあげながら鳥が
飛び立った。
アォォォンン……
「!!」
今度は……ハッキリと聴こえたのだ。
楓と葉霧はその遠吠えに警戒する。
直ぐに……楓は刀を握った。
葉霧は未だ……手にしていた懐中電灯をジャケットの
ポケットにしまう。
ザザッ………
葉を掻き分けるその足音。
ハッ………ハッ………
荒い息を吐くその獣の様な息遣い。
「近い……」
葉霧は道路の方を、楓はトンネルの方を向く。
森の中は夕暮れ時ではあるが……まだ陽は高い。
この時期は……真っ暗になるのが六時半過ぎだ。
バッ!!
「葉霧!」
楓の頭上だった。
トンネルの上から二頭……。
黒い影が飛び上がったのだ。
とんっ……
黒い影は……さっきの黒妖犬であった。
葉霧の目の前の道路に軽々と飛び降りた。
もう一頭は……楓の横にいる。
離れてはいるが……体が大きい。
犬と言うよりも成長した雌ライオンの大きさだ。
楓の側を頭を擡げウロウロと歩く。
威嚇………されているのがわかった。
「主様が呼んでる。来い。」
口は動いてない。
だが……ハッキリと聴こえた。
地から……響いてくる様な耳障りな声だ。
呻き声に近い声だ。
葉霧をじっと見据える目の前のあやかしから
発せられただと……想定した。
楓の周りを近づこうとはしないが牽制するかの様に
彷徨くもう一頭のあやかし。
じろりと……まるで人間が……警戒心を剥き出しにして
敵意を露わにする様な目つきだ。
それに……彼等の眼は銀色に煌めく。
瞳が黒く……楕円に揺らぐ。
睨む度に……不気味に凝縮する。
「ヌシ?」
葉霧は警戒心をあらわにした。
穏やかな眼は……一気に鋭さを増す。
「会う必要が無い。」
目の前のあやかしは……うろうろと動き出した。
葉霧の前を行ったり来たりするかの様に。
葉霧にその眼を向けて。
「お前の意志は聞かない。ここはヌシ様の土地だ。」
グルルル………
呻き声の様な喋りが聴こえたかと思った時だ。
別の……唸り声が響いた。
「あ!囲まれてるし!」
何処からやってきたのかわからないほど……
森の中には黒い犬たちが現れていた。
楓が叫ぶのも無理はない。
その数は……尋常ではない。
見渡す限り……獣たちの姿がある。
木々の間からコチラを覗くその不気味な眼たち。
(……これは………幾らなんでも無理がある。)
葉霧は……のみ込むしかなかった。
黒い犬の……あやかしの言葉を。
✣
ーー前後左右……黒い犬達が取り囲んでいる。
近寄ってくる訳ではない。
彼等の一定の距離があるのだろう。
それを崩さない様に……楓と葉霧の後をついて来る。
ぞろぞろと。
眼だけはこちらを見ている。
森の中を歩く二人を先導するのはさっき人語を喋った
犬のあやかしだ。
楓の傍を彷徨いていたあやかしは……二人の後ろから
警戒しながらついてくる。
(……随分と古い樹ばかりだな。どれも……大きくて立派だ)
さっき居た所とは様子が変わっていた。
地面こそは枯れ葉のヤマであるが……辺りを囲む木々は
立派な大木ばかりだ。
それも緑をつけた生命力に溢れた大樹ばかり。
背が高い杉の木もある。
ガサガサ……と、人と鬼。
そして獣の足音は葉を散らしながら森を進む。
目の前に現れたのはーー小屋だった。
「え?山小屋………?」
葉霧は目を丸くした。
驚くのも無理はない。本当に山小屋だったのだ。
それも……丸太で造られたオーソドックスで
シンプルな山小屋だ。
暖炉があるのか……黒い煙突が丸太を並べた屋根から
覗く。
入口のドアまで階段もちゃんとついていた。
高床になってるのか小屋を支えているのも丸太だ。
四方を太い丸太が支えている。
避暑地にあるロッジ。
それが思い浮かぶ。
黒い犬たちはその山小屋まで案内すると
周りを取り囲むかの様に座った。
中には……伏せてしまう者もいた。
「入れ」
階段手前……先導してきたあやかしは立ち止まる。
座ることはしない。
葉霧と楓を警戒しながら頭を低くしている。
「こんなとこに住んでんのかよ?」
「気配は感じる……」
葉霧は丸太の階段を登る。
楓もその後に続いた。
木の扉。
金のドアノブ。
ガチャ……
鍵は掛かっていない。
葉霧はそれを掴み下げた。
ドアは開く。
「ようこそ」
驚いた事に中はとても広い。
外から見るよりも天井も高く……室内も広い。
造りは丸太の小屋だったが……ここは洋間だった。
そこに……大きな犬はいた。
黒い犬が。
双頭の犬だった。
「すげ……あの狐のおっさんと同じぐらいでけーんじゃねぇの?」
楓は……真っ黒な身体をした双頭を持つ犬を前に
目を丸くして声をあげた。
「だから……おかしいんだ。この小屋に入る筈がない。」
外から見た小屋よりも遥かに巨大なのだ。
妖狐……釈離は神社の社殿を寝床にしていた。
それならわかる……が、この丸太小屋は高さも
普通のコンビニ程度だ。
それにちょっと休憩に入る程度のスペースがある
ぐらいのこじんまりとした小屋だった。
どう考えても屋根を双頭の頭は突き抜けても
おかしくはない。
「この小屋は……趣味だ。」
蛇の様にうようよと動く双頭。
右側の頭は【怒】を現しているのか、険しい顔を
していて頭の上に鬣があるがそれは黒い蛇。
鶏冠の様に突き立てているのだが……蛇だから
動く。
にょろにょろと頭と首が。
胴体は無いのか……頭と首だけしか無い。
左側の頭は黒い犬であった。
先程……見かけたあやかし達と同じ狼に似た顔だ。
ただ、大きい。
「主と言ったな?」
葉霧はそう聞いた。
「いかにも。【黒妖犬の呀狼】あやかしだ。」
喋るのは左の頭だ。
口を動かし喋る。
その声は……低く太い。
それにエコー掛かっている様に聞こえる。
「なんの用だよ!オレら仲間になるとか……手下とか勘弁なんだけど!?」
楓はペルシャ絨毯の敷かれた石膏像だらけの
この部屋を見ながらそう怒鳴る。
キラキラしたクリスタルの食器やグラスが飾られた
食器棚まである。
まるで……西洋の王族がいそうな洋間だ。
フゥハハハハ………
反響する不気味な低い笑い声。
身体が……痺れそうな感覚すら与える。
ギロリ……と睨む紅い眼。
その瞳は銀色だ。針の様に細い。
「迷い犬を探しだして連れて来てくれたかと思ったら……まさか殺すとはな。」
太く低い声に楓は視線を向けた。
「迷い犬??あー。アイツ迷ってたのか?けど。向かって来たのはアイツだ。」
楓はふんっ……と、鼻息荒くそう答える。
(……迷い犬?そんな訳が無い。あのトンネルは外に通じる……。まさか……)
葉霧は呀狼に視線を向けた。
その眼は……疑って掛かる様な視線だ。
「わざと……だな?俺達に何の用だ?」
一瞬にして……葉霧の眼は鋭くなる。
氷のように冷たくなる。
「なるほど。鬼娘に絆されるただの色恋ボケのガキかと思ったが……」
呀狼は……座っていたその体制を起こすと頭を
下げた。
正に……臨戦態勢。
「お前達の……力試してくれるわ!」
双頭の犬……の頭は揺らぐ。
横に……縦に……気味悪く。
何よりもその声は一層……低さを増した。




