第四十三夜 餓鬼
ーー葉霧が学校から帰宅すると早速……奥多摩に
❨テスト最終日の為❩
向かった。
葉霧は……何ら気にする事もなく楓が燕から貰った情報を、聞くと直ぐに準備をしたのだ。
【奥多摩 日原鍾乳洞】
そこは観光地でもあり長い鍾乳洞のある有名な場所であった。
完全な山の中だ。
森に囲まれた山道を通りその場所はある。
岩壁と木々に囲まれた壁穴。
全長800メートルにも及ぶ鍾乳洞だ。
ただ、平日の昼間ともあり人が閑散としていた。
観光名所である鍾乳洞の入口の奥には
立ち入り禁止のフェンスが立て掛けてある。
山の中にぽつん。と、現れる洞窟への入口。
突然……山の中に暗い入口があるのだ。
そこを通ると……深く長い鍾乳洞を観察出来る。
奥には幻想的な世界が広がるらしく……夏でも涼しいので避暑地としても有名だ。
「どう考えてもこの入口じゃなさそうだな。」
葉霧は……その入口の前でそう言った。
例え……人が今はいないにしても中にあやかしがいて人を殺しているとすれば……騒動になる。と、
葉霧は思ったのだ。
「気配はしてんだ。たぶん……アッチだな。」
楓は立ち入り禁止のフェンスの方を向いた。
観光名所でもある日原鍾乳洞の奥にも……立ち入り禁止の洞窟は続く。
葉霧はネットで調べてきたので……穴は何処かにあると
踏んでいた。
「そうだな。」
幸い……シーズンからも外れている事もあり本当に
人が訪れないのだろう。
警備もいなかった。
楓と葉霧はフェンスを越えて山の奥に踏み込んだ。
最初こそは……森の中を歩道とは言えない地面を歩いていたが、奥に進んで行くと岩壁に囲まれる。
大きな岩壁が辺りを囲んだのだ。
とても東京とは思えない雄大な自然の中だった。
「こんな所があったのか……」
立ち入り禁止区域だから、見る事の出来ない自然。
何年も培ってきたであろう立派な岩壁は
まるで……トンネルの様に頭上を囲む。
湧き水の様な音まで聴こえる。
壁から突き刺し伸びる葉をつけた木の枝。
ここだけでも十分……幻想的だった。
葉霧は辺りを見回しながら降りてゆく。
岩と土の斜面。
滑りそうになる楓の手を取り岩壁を伝い……
二人は下った。
「近づいてる……」
楓がぽつりとそう言った。
葉霧は立ち止まった。
岩の地面に足を掛けて見上げた。
「どうした?電車の中でも……大人しかった。いつもなら……お菓子がなくなるとうるさいのに。」
楓は俯く。
葉霧は……楓の手を掴んだままだ。
「楓?」
心配そうにそう聞いた。
「なんでもねーよ……」
楓はそう答える。
ぽつりと。
ふぅ……葉霧は俯く楓に息を吐いた。
「ならいいけど。まだ……下に降りれそうだ。」
(何か……悩んでるのはわかるが……。またくだらない事でも考えてるんだろう。楓は……変にマイナス志向だ。)
葉霧は、楓の手を引きながら降りてゆく。
少し……降りた辺りでそれは直ぐに現れた。
葉霧の横手にぽっかりと穴が開いていた。
「ここだな」
暗闇の穴だ。
まるで岩壁を削り作った様な入口だった。
トンネルの入口に近い。
かなり大きな穴だった。
ひんやりとした空気が押し寄せてくる。
葉霧と楓はリュックを降ろすと中から折り畳んで、持ってきたダウンジャケットを取り出す。
それを着る。
何しろ……鍾乳洞の中は10℃前後だと書いてあったからだ。
懐中電灯を手にして葉霧と楓はリュックを背負い
中に進んだ。
無骨に露出した岩の壁が続く。
トンネルの様なその洞窟を歩いていく。
奥に入って行くと途端に道は狭くなった。
現れたのは鍾乳洞だった。
葉霧は……ひんやりとした空気を感じつつもごつごつとした、その岩肌を照らす。
押し寄せてくる様な迫力のある洞穴。
茶系食の色をした岩壁の集まり。
天井からは、つららの様な鍾乳石が伸びていた。
ぴちょーん……
雨水だろうか……時折水の音が聴こえる。
上から落ちてきているかの様な音だ。
「凄いな……」
葉霧は無風な状態の中を照らしながらそう言った。
自然の神秘をまざまざと見せつけられているかの様な気持ちになったのだ。
歴史深い鍾乳石探索もそこまでだった。
奥に進むと広い洞穴。
グチャ………
ガシャ……
何とも言えない音。
何よりも……漂う血の臭い。
湿気のある洞穴は……異様な世界が広がっていた。
「うっ………」
葉霧は腕で口と鼻を抑えた。
楓は目を背けた。
葉霧から。
後ろで見ていられなくなった。
大きな洞穴に凡そ……何体の黒い陰があるのかは
わからないが……集まり人骨を踏みつけ
正に……大勢の人間を食い散らかす世界が広がっていた。
首に噛みつき……血を啜る者。
人間の腕の肉を齧り付く者。
骨をしゃぶり崩壊した身体から臓物を引っ張りだす者。
頭を齧り付き……頭皮を引き剥がす者。
人間の足を掴みパリッと……まるで割り箸を折るかの様に折リ曲げる者。
切り裂いた腹部から臓物をつまみ肉をつまみ
食す者。
至る所で……食事は行われていたのだ。
地面には無数の人骨と頭蓋骨。
そして……死肉の破片が血の中に散乱していた。
今尚……喰われてしまっている人達をいれても
どれだけの人間が……ここにいるのかはわからない。
それ程……洞穴の地面には大量の血と肉と骨が
転がっていたのだ。
(……これが………ヒト喰い……)
葉霧は懐中電灯を照らしながらその悍ましい光景を
目の当たりにしていた。
だが……暫くするとリュックを降ろした。
ドサッ……
「楓……。」
葉霧は懐中電灯を消すとリュックの上に置く。
その声は低く響く。
「え………?」
「鬼が目を反らすな。敵は目の前にいる。」
(葉霧………)
葉霧のその声に楓は目を開けた。
その顔は嬉しそうであった。
(大丈夫だ。葉霧は退魔師だ。)
楓はリュックを置いた。
ギエッ……
ギエッ……
食事に夢中だったのか……餓鬼たちはようやく気がついたのか……頭をあげた。
さらに、葉霧と楓の方を見たのだ。
長い先の尖った耳。
細面の鬼の様な顔。
逆三角形の灰色に淀んだ眼を向ける。
バサッ……
黒い羽を羽ばたかせ浮かぶ者もいた。
全身を黒い身体が覆い……細身ではあるが筋肉質だ。
浮かぶとわかる。
細く長い手足。
手と足には爪が長く研ぎ澄まされている。
三本ずつ……伸びる爪は太く鉤爪の様だ。
額の上にツノが一本。
薄気味悪いその姿を葉霧と楓の前で晒した。
「来おったな……」
「我らの仲間をコロしたヤツだ。」
その声も様々だった。
太く響く声に甲高い声。
「コチラから向かうつもりがわざわさ来てくれるとはな」
「腹ごしらえは大事よね」
女性に似た話し方と声を出す者もいた。
ずらっと並ぶその黒い者たちが。
口元の牙は鮮血塗れ。
「楓。数が多い。俺の事は気にしなくていい。」
葉霧の眼は碧に煌めく。
「急所は……左胸だ。」
葉霧には餓鬼達の左胸に蒼く煌めく結晶体が視えた。
それは雪の結晶の様に煌めく。
その強い声に楓は背中から夜叉丸を抜いた。
「わかった。」
強く頷く。
「コロセ!」
「退魔師をコロせ!」
「我らの裏切り者をコロせ!」
「人間に寝返った鬼をコロセ!」
口々に怒号の様に叫びながら餓鬼達は向かってくる。
多勢に無勢。
一目瞭然ではあるが……楓と葉霧は立ち向かう。
先に集団に突っ込むのは楓だ。
羽を使わず地を走り向かってくる餓鬼達を
一気に斬りつけ、薙ぎ払う。
先頭を沈めるとそのまま次々に切り倒してゆく。
葉霧は上から向かってくる餓鬼に、白い光を放つ。
カッ!!
と、光るその洞穴。
辺りを照らす光の様に餓鬼達は波動に飲み込まれる。
ギャッ!!
グエッ!!
奇っ怪な声をあげながら白い炎に包まれる餓鬼たちに
後ろにいた者が、後ずさる。
「退魔師………っ!」
「まさか……こんなに力をつけてるとは……」
数体を一度に消滅させてしまったその光景に
じり……
と、後退りしながら呟いたのだ。
その眼は揺らぐ。
葉霧にはその声は聞こえていない。
向かってくる餓鬼達めがけ……連射。
カッ!カッ!
まるで大きな白い火の弾丸だ。
飛んで向かってくる餓鬼達に放ったのだ。
後から……後から飛んで向かってくる餓鬼たちを
まるで撃ち落とすかの様に弾丸は飛んでいく。
楓は……左胸が急所だと知ったので斬り払い突き刺し
次々に、餓鬼達を木っ端微塵に吹き飛ばしていく。
半数……減った辺りで向かって来る者達が
いなくなった。
皆……洞穴の奥の方で後退りしていた。
その顔は……驚いている様だった。
楓は刀を突きつける。
「逃げてんじゃねぇよ。どうせてめぇらは全員冥府に堕ちるんだ。さっさと掛かってこい」
楓は非常に好戦的だ。
普段の天然バカ娘とはがらりと変わる。
今もとても愉しそうに笑っている。
葉霧は後ろでため息つく。
(中々……減らないものだな……)
洞穴の奥にはまだ数多くの餓鬼たちがいる。
様子を伺っている様ではあるが……。
「裏切り者の鬼娘が!」
「人間に寝返った鬼娘がふざけるな!」
餓鬼たちは、一斉に向かってきた。
楓は右肩に刀の刃を乗せると
「へぇ?腐っても鬼だな。」
と、にやっと笑う。
蒼い眼はとても愉しそうに光る。
刀を振り下ろし両手で握ると駆け出した。
「一匹残らず冥府へ送ってやる!」
立ち向かってくる餓鬼たちの爪を腕を……避け左胸を、次々と斬りつけていく。
血飛沫と粉砕される閃光が鍾乳洞を照らす。
明かりなど要らない程に眩く光る。
葉霧に向かってくる餓鬼達は羽を使い飛び……
頭から突っ込んで来る者や、走って向かって来る者など様々だ。
右手を翳すと
(今夜は……湿布だらけだな……)
と、思いつつ退魔の力を放つ。
形状を変える事が出来るのもこの力特有だ。
葉霧の精神と直結しているからだ。
とにかく一度に消し去りたいと望むので、大きな波動を放っている事が多いが……
それをするとかなり体力は消耗する。
小出しにする事を覚えた。
葉霧もそれなりに力を使いこなそうと日々鍛錬中だ。
火の玉の様な弾丸で餓鬼達を迎え撃つ事……暫く。
ようやく……鍾乳洞の中は静けさに包まれた。
はぁ……
葉霧は膝を抑え深い息を吐いた。
(………疲れる……)
それしか出ないのも……身体に負荷が掛かるからだ。
楓は最後の一匹を消し去ると刀を降ろした。
目の前に餓鬼たちはいないが……無残にも殺されて
しまった人間たちの死骸が広がる。
楓は刀を鞘に納めると……歩み寄った。
(……酷いな。オレも人の事を言えた義理じゃねぇが……)
スッ………
何故そうしようと思ったのかはわからない。
だが……楓はその場にしゃがむと手を併せた。
目を閉じる。
(……人間は喰わねぇ。約束する。謝ってすむとは思わねぇが……。どうか……安らかに眠ってくれ。)
葉霧は……楓の隣にしゃがむ。
同様に手を併せ……目を閉じた。
死んでしまった人は二度と還っては来ないが……
その哀しみと無念さを感じ取る事は出来る。
二人は……せめてもの弔い……だったのかもしれない。




