令和元年9月24日(火)「これまで」日々木陽稲
昨日から可恋が寝込んでいる。
本人は憧れの人に会ったからだって笑っている。
微熱程度で心配することはないと言われたが、可恋の場合ただの風邪でも命に関わる可能性があると聞いている。
免疫系に問題があり、徹底した自己管理を行っていても、気温が下がると体調を崩しやすい。
「残暑が続いてたのに、寝込むなんて不甲斐ない」と可恋は嘆く。
「忙しかったし、運動会が終わってホッとしたからじゃない?」
「まあ、月の後半は生理があったり、病院の検査があったりでストレスが溜まる時期だからね……」
ベッドに横になったままの可恋は普段と変わらないように見える。
わたしの前だからって無理していないか心配だが、「私は自分の体調最優先で、その点については他人に気遣いなんてしないから」と可恋は笑い飛ばした。
実際、可恋はのんびり寝ていればいいのに、読書をしたり、誰かと連絡を取ったりと相も変わらぬ過ごし方だ。
それでも、「前はひとりでいても平気だったのに、最近は孤独に弱くなったから」とわたしに側にいるようにお願いしてきたのは病気の影響なのだろう。
一昨日、神瀬家とのお食事会のあと、あちらの道場へ行き、可恋たちは稽古をした。
結局、そのまま泊めていただくことになった。
キャシーをひとりで夜遅い時間に帰すのが心配で、神瀬家のご家族と相談していたらキャシーが泊まりたいと駄々をこねたせいだ。
翌朝、可恋は熱っぽい感じで、車で送ってもらい帰って来た。
旅行や外泊が苦手と話していたから、それが体調を崩す原因だったのかもしれない。
昨日は昼と夜の二回お姉ちゃんに来てもらい、食事を作ってもらった。
こういう時のために、お粥などの買い置きがあると可恋は言うが、やはりちゃんとしたものを作ってもらった方が良いに決まっている。
本当はわたしひとりで作れたらいいのだけど、可恋が心配して許してくれなかった。
可恋のお母さんの陽子先生はまだ香港から戻っていない。
可恋は一応連絡したと話すが、たいした病状じゃないから帰ってこなくていいと言ったそうだ。
こういう時のためにわたしがいるのだからと、昨夜は客間に泊まらせてもらった。
今日は運動会の代休で学校はお休みだ。
無理をすれば行けたと可恋は言うが、もう一日休めて良かったと思う。
10月に入ればすぐに中間テストがあり、10月末には待ちに待った文化祭がある。
可恋にばかり負担をかけて悪いと思っているものの、これまで準備してきた文化祭でのファッションショーの企画を成功させることは、可恋のためにも成し遂げなければならない。
「何か食べたいものある?」とスマホをチェックし始めた可恋に尋ねた。
今日はお姉ちゃんは学校なので、代わりに仕事が休みのお母さんが来てくれる。
お母さんだけまだ可恋のマンションに来たことがなかったので、電話で頼んだら楽しみにしていると話していた。
お父さんも女性しかいないお家だから玄関までしか入ったことはないのだけど。
可恋のあっさりしたものというリクエストを伝えると、お母さんは買い物袋を下げて現れた。
広々としたリビングや綺麗なシステムキッチンに感激している。
お姉ちゃんやお父さんほどではないが、お母さんも料理が好きで特に和食に関しては家族でいちばんの腕を誇っている。
家を改築してこんな豪華なシステムキッチンを入れたいわとしみじみ語りながら、そのお得意の和食を作ってくれた。
「可恋ちゃんって食事のマナーが素晴らしいわ。うちで食べている時もいつも思っていたのよ。ご家族の躾が行き届いていらっしゃるのね」
一緒に昼食を囲んでいたお母さんが絶賛する。
お母さんはデパートに勤め、人と接する機会が多いせいか、他人の何気ない仕草をよく見ている。
わたしも子どもの頃から育ちはちょっとした仕草に出るから気を付けなさいと良く言われた。
特に食事のマナーは基本中の基本らしい。
その人の本性が表れるそうだ。
「いえ、母も、大阪で同居していた祖母も、がさつでそういったことには無頓着でした。向こうで通っていた空手の道場の先生が躾に厳しい方で鍛えていただきました」と可恋は微笑んだ。
陽子先生とは朝食をご一緒することが多いが、新聞を読みながらだったりとマナーにこだわらない方なのは確かだ。
マナーなんて必要な時だけでいいのよという合理的な考え方はそんな母親同様に可恋も身に付けているが、空手を通して身に付けた几帳面さなどは可恋独自のものだろう。
お母さんは可恋から美味しいと言われ、作り方やコツを聞かれて喜んで答えていた。
「華菜は自分の方が上手くなったと勘違いして、私に聞いてくれなくなったのよ」と零すので、「わたしがお母さんの料理をマスターするよ」と言ってあげたら、「陽稲はもう少し基本を身に付けてからね」とすげなく返されてしまった。
わたしだってこの夏でかなり料理の腕が上がったのに、と口を尖らせる。
「夜は華菜に来てもらうから、陽稲は一緒に帰りなさい。可恋ちゃん、お大事にね」
お母さんはそう言って帰っていった。
わたしとしては可恋の体調が戻るまで泊まっていたかったが、明日は学校がある。
午後は可恋が寝転がって自分の超高級ベッドで本を読んでいる間、彼女の部屋に小さなテーブルを置いてそこで学校の予習をする。
テスト勉強なんて直前にノートを少し見直せば十分という可恋と違い、わたしは中間テストに向けた勉強をそろそろ始めないといけない。
それでも、テストでは緊張してしまい実力が出せなかった問題は改善されたし、苦手だった数学もかなり克服できた。
どちらも可恋のお蔭だ。
思えば、初めて可恋とあったのは2年生の1学期の始業式だ。
4月のことだから、また半年にも満たない。
数年来の友だちのように接しているが、たったそれだけでここまで深い間柄になった。
今年の1月に転校してきた可恋は三学期の間は病欠が多くて、違うクラスだったわたしとは接点がなかった。
2年生で同じクラスになり、席が前後ろということもあって話すようになったが、わたしがおたふく風邪にかかったり、北海道のお祖母ちゃんが亡くなって忌引きになったりと4月は休むことが多く、連絡先の交換さえままならなかった。
長い長いゴールデンウィークが終わってから、それまでのすれ違いを一気に取り戻すようにわたしたちは親密になっていった。
一方、可恋は中間テストやキャンプでの事件を通してクラスのリーダーとなっていく。
4月にほとんどみんなから知られていない可恋が学級委員になったことは驚きだったけど、いまでは誰もが認める存在になった。
その可恋がわたしのために提案してくれたのが、文化祭でのファッションショーという企画だった。
わたしがファッションに興味を持ち、将来の夢がデザイナーだと知り、合唱ばかりの文化祭に風穴を開けたい校長先生の思惑に乗る形でこの計画はスタートした。
生徒会を巻き込み、クラスの女子に筋トレを強制し、先生方にも働きかけた末、文化祭の大変革とともに実現に近付き始めた。
夏休みには若手デザイナー主催のファッションショーの見学にもクラス全員で行き、やる気は高まっていった。
そのファッションショーまであと1ヶ月ほどに迫ってきた。
夏休みは可恋の空手の交友関係が広がった時期でもあった。
体力を少しでもつけようと子どもの頃に空手を始めた可恋は、選手としての実力はあるのに大会出場の意欲が乏しく、それを見かねたいま通っている道場の師範代の三谷先生がいろいろと画策した。
夏休みが始まってすぐに、アメリカから来たばかりの中学生、キャシー・フランクリンが可恋の元にやって来た。
師範代の自宅に下宿しながら可恋から空手を習った陽気な黒人の女の子で、嵐みたいな存在だけど一緒にいるととても楽しい。
可恋はその奔放さに手を焼いていたものの、かなり熱心に面倒を見ていた。
更に、武道館の空手大会のスタッフをしに行った時に、師範代の企みによって演武のエキシビションを可恋が行った。
それを見た神瀬結さんと知り合いになり、彼女が出場した全中という全国大会に応援に行った。
その姉の舞さんは先日の世界大会で優勝し、一昨日初めてお会いしたちょっと失礼な感じの女性だった。
可恋はその舞さんが憧れの選手だと話すが、えーって思ってしまう。
空手のことはわたしにはさっぱり分からないので、きっととても凄い選手なんだろうけど。
全中は札幌で行われ、ちょうどわたしのお母さんの実家が札幌だったので、可恋を泊めたりもした。
また、夏休み中にはTDLに一泊し、可恋にドレスを着せることにも成功した。
でも、いちばんの思い出はわたしの”じいじ”の話を一緒に聞けたことかもしれない。
わたしの”じいじ”はロシア系の血を引いている。
その子どもや孫はほとんど日本人という外見だったが、わたしだけが白人のような容姿を持って生まれてきた。
自分に似たわたしを溺愛し、養女にという申し出までした”じいじ”はわたしの衣装代を持ってくれることになった。
裕福な”じいじ”からたくさんのお洋服を買ってもらってわたしは育った。
それが、わたしがファッションに興味を持つに至った要因であることは想像に難くない。
その”じいじ”の希望のひとつにわたしの高校の進学先があった。
臨玲という女子高は昔は関東有数のお嬢様学校で、多くの人の憧れの高校だった。
いまは人気が落ち、かろうじて昔の栄光にすがりついている状況になっている。
母が反対したことから、わたしは”じいじ”と話し合うことにした。
一緒に進学してくれる可恋も交えて。
そこで聞いた内容は驚くべきものだった。
わたしはお母さんを説得してでも臨玲に進むことを決意し、可恋も同意してくれた。
夏休みが終わってからの一ヶ月は運動会の準備で明け暮れた。
うちの学校では創作ダンスに力が注がれていて、特に各クラスの女子の数人が中心になって踊るクラスパートは運動会の華だった。
笠井さんを中心に非常に熱を入れて練習していた。
可恋は相変わらず華麗に踊り、わたしはそれを見られただけで幸せだ。
その運動会が土曜日に無事終わり、次の大きなイベントは文化祭となる。
わたしが勉強よりももの思いにふけっていると、突然、可恋のスマホが鳴った。
すぐに可恋が通話を始める。
ほぼ一方的に話を聞くだけだった可恋が電話を切ると、大きくため息をついた。
「どうかしたの?」
「麓さんがボクシングジムで他の練習生と大げんかをして飛び出して行ったって」
想像もしていなかった話にわたしは唖然としてしまう。
「少し頭が冷えた頃に連絡するよ」と可恋は苦笑した。
「それにしても可恋は大変だね。おちおち休んでいられないじゃない」
わたしが心配すると、可恋は肩をすくめてみせた。
何かと頼りにされる可恋は格好いいけど、ゆっくり休ませてあげたくなる。
「このくらいなら平気だよ。それよりも、ファッションショーにはラスボスが待ち構えているからね」と可恋がわたしをじっと見た。
「ラスボス?」とわたしは首を傾げる。
「何をしでかすか分からない、日々木陽稲っていうラスボス」と可恋が笑う。
えー! 違うでしょ。
わたしがファッションショーでやりたいことを実現するためには、可恋という強敵を乗り越えないとと思っていたのに、なんでわたしの方がラスボスなのよ!
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学2年生。小学生に間違われる小ささだが、掛け値なしの美少女。ロシア系白人の整った顔立ち、白い肌、長い手足を持つ。
日野可恋・・・中学2年生。高校生や大学生に見られることが多い。身長は160 cm台後半で姿勢が良くモデルのよう。ショートの黒髪の和風美少女だが、目つきがきついので怖がられることも。




