10
「…ってて、ごめん…これはちょっと…ダメそう」
こんな状況にもかかわらず遥は笑っていた。慌てて携帯を取り出す優希を制止し、遥は続ける。
「この事は誰にも言わないこと。例え優馬であっても。いいね?」
「ちょ、ま、まさか俺を逃がす気なのか!?アンタだってこの出血じゃ…」
遥の脇腹からはとめどなく血が流れている。背中に乗ったままの壊れた木箱を退かしてみれば、そこには幾つも木の板が刺さっている。これでは本当に命が危ない。
「殺そうとした相手が何いってんだか…大丈夫。何とかするから。…いいから行って」
笑顔で言う遥に、まだ救急車を呼ぼうとする優希へ「行け!!」と怒鳴ったのが二人の最後だった。何度も何度も振り返り、駆け寄ろうとしては遥に怒鳴られ。そうして優希は出ていった。
倉庫内は一気に静まり返る。遥の不規則な呼吸だけがこの空間の音となっていた。それがだんだんと早くなっていき、フッとすべての音がなくなる。遥が息を引き取ったのだ。
「これが全てだ」
気付いたときにはあの時計の空間にいた。横にはいつものように子供が突っ立っている。
「弟に会わせてくれ」
「……それは10年後の弟にか?」
兄と見破られ、幾度となく会ってきたあの弟。最後に彼は言った。
『きっと俺に会いに来るはずだ』
「…復讐するつもりか?」
思わず吹き出してしまった。
「そんな訳ないだろ。ただ話がしたいだけだ」
「……わかった。…残り5回だ」
その言葉と同時だった。目の前には自分の家がある。これまでずっと、寝るためだけに帰ってきていた家。
「…やっぱり来たんだね」
佇んでいた俺の背後に優希はいた。弱々しく笑う弟へ感情が溢れるのは一瞬だった。
両親が亡くなった日に、たった一度だけ優希を抱きしめた。その体はあまりに小さく、俺の両腕に収まっていたのに、今では覆いかぶさる事もできない。こんなに大きくなっていたのに、優希の心はずっと子供だった。成長することなく、叶えられない夢を大事に抱えていた。そうさせたのは俺だ。
「…っ、ぅ、ごめん…ごめんな」
我慢などできず、嗚咽を洩らしてしまった。だが、小刻みに体が揺れたかと思えば優希の両手は俺の背中へと回っていた。
「…ぅ、っ…俺こそ…ごめんなさい」
場所もわきまえず、二人で大泣きしたあとに家の中へ入っていった。今思えば玄関前で抱き合い、大泣きしている男二人なんて頭がおかしいと思われたに違いない。
「…で、全部見てきたんだね?」
「…あぁ」
「そっか…。…あの時のことを口で説明するなんて出来なくて。遥さんの気持ち、それから俺の気持ち。今も遥さんに守られて普段通り生活ができてる。あの人には感謝しかない。…なのに……っ、ごめん…」
言い終わるかどうかで優希は涙を滲ませた。
優希は優希で自分を責めていたのだ。自分の行動によって起きた出来事。そして二人の死。
初めてここへ来た時、淡々と話したのは、心に蓋をして感情を入れずに話すしかなかったからだ。感情を持ち込めば、また更に後悔に押しつぶされる。優希は自分を守ることに必死だった。
「……優希、俺は元の世界に戻る。もう二度とここへは来ない」
「えっ!?」
「俺は…記憶を全て消す。俺達がどうなるのか、お前や遥が何を思っているのか。そういうのを全部消して元の世界に帰る。そう決めた」