思い出の在り処
※創造設定あり※重傷男士(今はピンピンしてる)がいる描写あり。
「どうしたものかな」
荒れ果てた本丸を前にして、山姥切国広はあまり困ってなさそうな声を出した。
彼はもうとっくに修行を終えていて、かつて身にまとっていたボロ布はない。
そんな彼が何故ここにいるのかといえば、正直彼本人にもそれはよく分かっていなかった。
万屋に買い出しに行こうと転送装置を起動してみたら、何故かこの寂れた本丸にたどり着いたのだ。
この本丸の転送装置を起動しようとしてみたが、案の定動力は途切れていて起動する気配さえ見せない。
それでも彼が困っていなかったのは、どうせすぐに助けが来るだろうという確信と、この場所をよく知っていたからである。
この本丸は――かつて彼が住んでいた場所だった。
もちろん当時は荒れてはいなかったし、彼はボロ布を被っていた。
審神者が居て、多くの男士が居て、出陣し、遠征し、畑の手入れや馬の世話をし――他の本丸と同じような日々が送られていた。
それがこのような姿になるきっかけは、時間遡行軍による襲撃だった。
重傷者が幾人か出たものの、幸い刀剣破壊は免れ、審神者も五体満足で脱出することが叶った。
その代償として、この本丸は放棄された。
時の政府により転送装置の動力は切られ、審神者や男士達の行き来は不可能となり、この本丸は完全に孤立した。
その襲撃から何十年も経っているので、時間遡行軍はもうどこかに行ってしまったのだろう。
現に、敵の気配は感じられない。
山姥切国広が空を見上げると、かつて本丸全体を覆っていたドーム状の結解はそこにはなく、ただどこまでも透き通った青空だけが見える。
結解がない以上時間遡行軍が現れることも可能だったが、彼はその心配は必要ないだろうと判断した。
「待つか」
あまり動くとドヤされるだろうなと思い、彼はその場で待つことにした。
しかしふと、誰かに呼ばれた気がして辺りを見渡す。
明確に声が聞こえたわけではない。人の気配だってない。
それでも山姥切国広は何かに呼ばれたと確信していたし、その何かは本丸内にあると思った。
一瞬だけ眉間に皺を寄せた己の本科を想像した後、ため息交じりに「まぁいいか」と呟く。
腰の辺りまで伸びた雑草をかき分け、本丸の玄関へと向かった。
かつて多くの男士が行き交った玄関は、脱ぎ捨てられた靴がいくつも転がっていた。
襲撃は昼間だったが、屋内に居た男士の多くは靴を履く間もないまま逃げたのだ。
足元にはボロボロになった額縁入りの絵がある。
元の姿が分からない程破壊されていたが、山姥切国広はその絵の在りし日の姿を鮮明に思い出せる。
玄関の絵は季節に合わせて交換されていたが、本丸襲撃時は夕暮れの山を飾っていた。
靴を履いたまま本丸に上がり、すぐ右手にある階段の前に立つ。
天井には黒いシミがあり、階段の木は雨漏りで腐ってしまっている。
「いけ、るのか?」
彼を呼ぶ気配は明らかに二階。それもかつての自室からする。
階段はここしかないため、これを上るしかないのだろう。
「……行くか」
彼は手すりにしっかりと掴まると、比較的腐敗が少ない場所を選びつつ階段を上り始めた。
何度か足元の板が壊れたものの、なんとか二階へとたどり着く。
「くそっ、疲れるな。これは」
少しだけ荒くなった息を整え、足元を確認しながら慎重に自室へと向かう。
どの部屋も襖が時間遡行軍の手で壊されていて、引き出しや本棚を漁った跡が見受けられた。
重要書類などは逃げる際にしっかりと処分したので、奴らには何の収穫もなかったことだろう。
何か所も床板が抜けた廊下を慎重に歩き、山姥切国広は何とか自室へとたどり着いた。
他の部屋と同様にその部屋も荒れており、畳はふやけ、雑草がいくつも生い茂っている。
山姥切国広は室内を見渡し、自分を呼ぶ気配を探した。
すぐに、本に埋もれていたソレを見つける。
「あんたか。俺を呼んでいたのは」
山姥切国広はソレを抱き上げ、懐かしそうに眼を細めた。
ソレは、大きな熊のぬいぐるみだった。
水色の熊は色褪せ、埃や塵にまみれ、鼠か何かに噛まれたのか穴が開き、綿が飛び出している。
この熊は、当然彼の趣味ではない。
あれは、この本丸が発足してから、一カ月経った頃の事だった。
『山姥切さんの部屋、就任当時からあんまり変わってなくない?』
そう言ったのは、初鍛刀で顕現した乱藤四郎だった。
乱藤四郎の部屋は、愛らしい縫いぐるみが溢れんばかりに飾られ、天盤付きのベッドが置かれ、とにかく可愛らしく装飾されていた。
対して、山姥切国広の部屋は質素だった。
就任当初から備え付けられていた味気のない棚、折り畳み机とその上にある文房具は支給品、寝具はこれまた支給品の布団。
普通は一カ月もあれば部屋に個性がでそうなものだが、山姥切国広の部屋にはそういう気配が一切なかった。
『まぁ、そうかもな』
でも別にいだろう、と彼は思う。
特に困ってないし、迷惑もかけていないのだから。
『勿体ないなぁ。結構楽しいのに、模様替え。
それになんか、部屋が自分の居場所になってく感じがしていいんだよね』
当時の乱藤四郎の主張は、正直今の山姥切国広にもよく分からない。
『そうだ。山姥切さんには、この子をあげよう。
ボクとおそろいだよ。可愛がってあげてね』
と、乱藤四郎が寄越してきたのが水色の熊のぬいぐるみだった。
ちなみに乱藤四郎のは桃色で、それは今もこの本丸に取り残されている事だろう。
「置いていって、悪かった」
そっと頭を撫でながら、山姥切国広は謝罪した。
熊が作られてせいぜい数年。付喪神にはなっておらず、明確な自我というものもまだ宿っていないだろう。
それでも、刀である山姥切国広には分かる。
自我がなくても、うすぼんやりとした意識は宿っているということを。
そしてその意識の中で、山姥切国広を呼び続けていたのだろう。
「さて、戻るか。あんたを直してやらないといけないしな」
そう言って熊を抱きかかえて部屋を出ようとした時、部屋中で何かが騒めいた気がした。
「…………あー」
山姥切国広は熊を抱えたまま、片手を額に当てた。
この部屋にある物は、当然この熊だけではない。
その全てが、俺も連れてけと訴えているのである。
山姥切国広が部屋を見渡すと、彼が思っていた以上に物が溢れていた。
『部屋が寂しいと聞いてね。花でも飾るといいよ』
そう言って歌仙兼定が寄越してきて、秋田藤四郎が遠征先で見つけた花を飾っていった花瓶。
『沖縄の魔除けだ。お前は怪我が多いが、そんなお前を守ってくれるさ』
里帰りした千代金丸が、棚の上に飾っていった小さなシーサーの置物。
『兄弟の部屋が寂しいと聞いてな。何がいいか分からぬが、まぁ邪魔にはならん』
山伏国広が置いていき、結局有難く使うことになったダンベルとハンドグリップ。
『酉年だからね。鏡餅のおまけなんだけど』
堀川国広がシーサーの傍に飾り、毎年増えていった干支の置物。
『お前に物を贈るのがこの本丸のしきたりと聞いてね。郷に入りては郷に従えというだろう。大事に使いなよ』
誰かが吹き込んだ嘘に乗せられ、本科 山姥切長義が送ってきた万年筆。
乱藤四郎の行動が切っ掛けで山姥切国広に物を贈るのが流行り、そのせいで部屋には贈り物で溢れかえっていたのだ。
思い返せば、日用品以外を自分で買った記憶が山姥切国広にはない。
無下にすることもできず全て大事に使っていたのが、今回ばかりはそれが裏目に出てしまったらしい。
「…………まぁ、いいか。全部持っていってやる」
山姥切国広は苦笑すると、諦めた様子で部屋中に溢れる彼らにそう告げた。
その口元に微かに笑みが浮かぶ。
無機質だった彼の部屋は、何だかんだで思い出に溢れ、いつの間にか彼の居場所になっていたのだ。
「偽物くん! 居るか!?」
外から声がして、山姥切国広は自室の窓から外を見下ろした。
そこには雑草を鬱陶しそうに払いのけながら歩く、山姥切長義の姿がある。
「ああ、山姥切か」
「ああ、山姥切か……じゃない。お前には危機感ってものがないのかな。
こんな状況で、よく縫いぐるみで遊んでいられるね」
距離が離れているので、自然と互いに声が大きくなる。
結果少し怒ったようになるが、長義の方は本当に苛立っているようだった。
「早かったな」
山姥切国広は迎えが来るとは思っていたが、時間が掛かると踏んでいたので少しだけ驚いた。
「お前に自覚があったかは分からないけど、転送装置に誤作動が起きて、お前は時空の狭間に放り出されたんだよ。
そういう時は、大体縁のある場所に落ちるんだ。
お前は元の主にそこまで執着してないみたいだし、ならここの可能性が高いだろうと思ったまでだよ。
それで、一時的に転送装置を起動させるよう政府に依頼したんだ」
なるほど、と山姥切国広は思った。
部屋に溢れた物達――いや、この本丸自体と結んだ縁が山姥切国広をここに呼んだのだ。
「ほら、帰るよ。いつ時間遡行軍が現れたっておかしくないんだからね」
「すまない、山姥切。すぐには帰れない」
「は? お前、何を……」
「こいつらを、部屋にある物を全部持って帰る約束をしてしまった。すまんが、手伝ってくれ」
「ちょっと待て! お前、今なんて言った」
微かに長義の声が震えているのを無視して、山姥切国広は繰り返す。
「部屋の物達に、持って帰ると約束してしまった。全部に!」
「ふざけるな! なんで、お前が軽率にした約束の手伝いをしなければならない!
しかも、こんな結解もない本丸で!」
「こんなところを襲ったって、なんの得にもならないだろう。頼む」
長義の怒鳴り声に山姥切国広はそう返すと、縫いぐるみを優しく放り投げた。
難なく受け止めた長義は、ボロボロになった熊を憐れむように見つめ、「もう大丈夫だよ」と労わってやるのだった。