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日常系

作者: ムムム

かけっこをすれば誰よりも速く、チャンバラをやらせてもかすり傷ひとつ負うことなく勝利してしまう。十になる素李スイ少年にとってこの町は退屈な町なのです。そんな素李もまた〝なんでも屋〟の魔法めいた行いを目の当たりにしたひとりなのでした。

なんでも屋はなんでもできます。

雨を降らせてほしいと頼めば青空から大粒の雨を降らせ、花を咲かせてほしいと頼めば積雪の中に満開の桜を咲かし、酒がほしいと若い衆がせがめばどこからともなく酒を調達するのでした。

平穏ながら賑やかなことに乏しい町にあってなんでも屋の来訪は歓迎すべきことでした。

素李は退屈しのぎにひとつなんでも屋に何か面白いことをしてもらおうと考えました。面白いことってなんだろう? 頭をひねってみても面白いことなんてちょっと出てきません。でもなんでも屋はなんでもできるはず。それなら面白いこともなんでも屋が適当に見つけてくれるはずだ、そう思い至った素李は――なんでも屋さん、とびきり面白いことをして頂戴、そうお願いするのでした。

なんでも屋はすぐに了承しました。

しかしなんでも屋は道化になるわけでも、気を利かせるわけでもなく素李の顔をただじっと覗き込んだだけでした。針に糸でも通すように瞳を捉えて離さない。そんな力強い視線ににらめっこでも始めたのかしらと怪訝に思うと

「いいえ、ちいさなお客さん。面白いことが起きますよ。退屈になんてさせやしません」

となんでも屋は大まじめに言うのでした。

素李はからかわれた気分になり、その場をあとにしました。どうぞ今晩はよくおやすみなさい。そう背後からなんでも屋の声がしました。

その日の夜は前の日の夜となんら変わらないものでした。

明朝のことです。鏡の前で素李少年は言葉を失いました。

いいえ少年と呼ぶのは間違いです。

なぜなら鏡に映っているのは十の少年などではなく、立派に成人を迎えた凛々しい青年だったのですから。

一晩で少年の身体は十は年を重ねていたのでありました。


なんでも屋はまだこの町にいました。

少年、もとい青年はたくましく成長した身体で詰め寄りました。すると次のように答えました。

「坊ちゃんの寿命をあと七日にしました。一晩で十年年を取ります」

頬を撫でるとザラリとした感触が指に伝わります。どこからどうしたってそれは髭なのですが、本来まだ生えていないはずの刺々しい感触を朝鏡の前でそうだったように素李は呆然と確かめることしかできませんでした。

曰く、素李の寿命は八十年。

二十歳となった素李にはあと六十年、つまり六日しか時間が残されていないというのです。

早く戻してくれと素李青年は懇願しました。しかしなんでも屋は首を縦には振りません。それは無理なことだと静かに告げるのでした。なぜ無理か? なんでも屋はなんでもできるのではないのか!

なんと青年の生きるはずであった七十年は全部ほかの人間に分け与えてしまったというのです。

「いかがでしょうお客さん。退屈している場合ではないでしょう?」


次の日、青年は列車に乗り込みました。

――私は明日、この町を離れる。どうだろう、きみさえよければともに来ないかい。どうせここにいてもただ死ぬのを待つだけなのだし。

なんでも屋は、望めば自分の生きるはずであった時間でもって生き延びた人々に会わせてあげようと申し出たのです。

素李は最初、その提案を拒絶しました。どうして自分の命で生きていく人間を見なければいけないのか。自分は一週間と経たないうちに死んでしまうというのに。

しかし翌、彼を決心させたのは三十の姿をしている自分の姿でした。

人目には凛々しさと聡明さが見て取れる姿といえるのですが、二日前まで十の少年であった素李にとってそれは老化以外の何ものでもないのです。肌は乾いて、表情もどことなく疲労の色が見えて。

列車に揺られる素李の体躯は立派な大人のそれでした。大人になったら遠くに行きたいと思っていましたがまさかこういう形で叶うとは。ましてや町に残っても仕方がない、そんな消去法的な理由で故郷を離れることになるとは夢にも思わなかったことです。

だけど去ったところでどうにもならない。どういう選択をしても同じだったはず。どのような選択をしても五日後には死ぬのだから。そういう考えが素李をいじけさせました。自分が死ぬということをうまく想像することができませんでした。

まず初めに会ったのはゼギュという大商人でした。厳しい顔つきながら彼の下には何万人もの部下がおり、世界の隅々まで商品を届けているとなんでも屋は言いました。

「かの御仁は責任感の強い男だ。ゆえに日頃の心労がたたってくたばるところだったんだがきみのおかげで助かった。彼はもう二十年長生きするよ」

なんでも屋はチラリ、四十になった素李を一瞥し、そんな立派な人が長生きするのはよかったねぇと呑気に呟きましたが、素李は面白くないものを感じるだけでした。

「きみから奪った時間を戻せないというのは実は嘘だ。本当は戻してやることはできる。しかしそのためには分け与えた彼らから命を奪わなければならない」

最初から今死ぬ運命にあった人間です。素李が罪に思うことは何ひとつありません。

次に会ったのは探求心と慈愛が旺盛な三十路の薬剤師です。彼は新薬の研究に勤しみ、将来南方で猛威を振るう病原菌に効く特効薬を開発するとのことです。

「彼は情熱的な人間だ。救える命は救えるだけ救うという信条でね。しかし皮肉なことに彼もまた現代では不治の病とされる病気にかかってしまう。そんな彼に二十年」

五十になった素李は視線を薬剤師から逸らしました。

素李が助かる方法はただひとつ。彼らから自分の生きる時間を返してもらえばいいのです。

誰かのために命をかけて働く人間から取り返すのは気分のいいものではありません。が、よいのです。素李には生きる権利があるのです。ましてや命を奪われる権利なんかないのですから。

次に会ったのは初老の宗教家でした。

子供たちに勉学を教える一方、徐々に発達する文明の中で精神の充実を説きました。

「物も金も溢れるようになるこれからの世になくてはならない人間だ。しかし大災害に巻き込まれてしまう。親しい者を根こそぎ失った彼にとって生き残る二十年は辛いかもしれないがそれもまた糧にしてしまうのだろう」

「きみは覚悟が必要だよ」なんでも屋は素李の目を捉えます。

あの薬剤師よりあの大商人より、あの宗教家より人を救い人に寄与する決意。

六十代になった素李はいよいよいたたまれなくなりました。自分は一体何をしただろう? 生きてきた十年を思い返しました。十年しか生きていない素李にとってこの問は酷なものです。しかし彼にはもう時間がありません。持て余す時間なんてないのです。

「きみが立派な大人になる。そう誓えば僕もきみもなんの罪悪を抱くことなくきみに時間を戻すことができる」

 自分が何がしたいのか何をなすべきなのか素李にはわかりません。生まれてきた意味なんてなかったのかもしれない。いやみんなにこうして命を分配することが自分の役割なのかもしれない。

列車に乗った旅のはじまったとき、素李はまだ健康的な身体を持っていました。しかし今では姿勢を正すのには根気がいり、膝や腰に鬱屈とした痛みが走るようになりました。

死は確実に素李との距離を縮めているのでした。

最後に会ったのはまだ二十代の女性でした。女性のお腹は大きく膨れ中に子供がいるようでした。

「あの女性は若いながら優しく愛に溢れた人間だ。彼女は不運な事故に巻き込まれてお腹の赤ん坊もろとも死ぬはずだった。きみのおかげで十年生きられることになった。悔やまれるのはもう十年生かしてやれないことだ。だが将来、あの赤ん坊が成長すれば立派な政治家になることを人知れず恩人になったきみにだけに教えてあげよう」

素李は八十歳になりました。姿はとっくにおじいさんでした。

世界は平穏に溢れていました。だけど目を凝らせば町の片隅にはかつての素李のように手持無沙汰な少年少女の姿が目につくのです。世の中が平和の証だとなんでも屋は笑いましたが、彼らが将来、人生を喜び、生き方をしてほしいとひっそり願いました。幸あれ。サチアレ。

「きみはどうして自分がこんな悲運な道を歩まなければならないのかと途方に暮れるかもしれない。だが私だって負けてはいない。どうして私にこんな不思議な力が備わっているのかわからないのだから。平和のためだろうか? しかし平和のための能力なら私は失敗作だ。なぜならこの世の平和がどのようなものか、本当は知らないのだから。しかしこの期に及んで他人に幸せを望むなんてきみには人生への向上心がない。探求心がない。妙にませて弁えて。ガキの癖に身の丈の夢も見ない」

素李老人はまぶたを閉じ、大きく息を吸いました。

自分は死ぬ。まもなく死ぬ。でもぼくは生きている。まだ生きている。もう死ぬけどまだ生きている。

するとまぶたの裏の暗闇に強烈な光が差し込みます。

光の中にはまだ若い自分が現れたのでした。

勉学に励む自分。恋人ができる自分。仕事をする自分。夫になり父になる自分。他人に尽くす自分。困難に立ち向かう自分。愛される自分。生涯を全うする自分。様々な知らない自分が映し出されるのでした。

それはなんだかとても面白そうな光景なのでした。

「なァ、面白そうだろう?」

目を覚ますと見慣れた天井がありました。

素李は自分の家に戻っていたのです。いいえ戻っているのはそれだけではありません。身体もまた十歳の身体に戻っているのでした。


とある町があります。

その町において素李という人物を知らないものはいません。熱心で生徒思いの優しい先生。

授業中、カーテンを揺らし流れ込む風につられて教科書から目を離し、外の景色を見やります。

窓のむこうはどこまでも青空は広がり教室に流れ込む風は頬を撫でるように優しい。

心地よさに身を委ねているとにわかに止んだ先生の声を不審に思ったのか何人かの生徒が素李を覗き込みます。

みんなの顔はどれも健康的でしわひとつないきれいな顔です。不審そうに見る者、面白そうにする者、退屈そうにする者、様々です。

どうか。どうか生まれたことに卑屈になりませんように。

慰めのようであり、諦めのような。そんな言葉を飲み込みながら我に返った素李は大丈夫と声をかけ、授業に戻るのでした。


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