解答篇
「カンタ消失の謎について、最終的に僕が出した結論は二つだ」
ウエイトレスに珈琲の追加を頼むと、碓氷は優雅な動きで足を組んだ。
「ひとつは、カンタは事件が発覚した日よりも前に既に盗まれていた場合」
「カオルが手伝いに来た日、カンタはとっくに田んぼからいなくなっていたと」
「そう。けれど話を聞く限り、カオルのおばあちゃんはかなり案山子たちがお気に入りみたいだ。だとすると、草刈りのために田んぼに入ってすぐ、カンタがいないことに気付くんじゃないかと思う。おばあちゃんがカンタを探し始めたのは、作業を開始してから少し時間が経った頃。つまり、その日草刈りを始めるまでは確かにカンタは田んぼの中に立っていた可能性が高い」
「俺も同意見だな。事件より以前にカンタが盗まれていたとしたら、目ざといおばあちゃんが即座に異変を察知するだろう。草刈りの前からカンタ捜索が始まっていたと思うぜ」
「となると、だ。やはり草刈りの作業中にカンタは消失したと考えるべきだね」
碓氷は足を組み替えながら、右手の人差し指を立てる。
「案山子消失の謎を解くうえで、僕たちは重要なことを後回しにしていた」
「どういう意味だよ」
「僕たちはずっと、どうやってカンタが消失したのかばかりに思考が囚われていた。けれど、一番の疑問はどうしてカンタが消失したのか、つまり犯人の動機か肝心なのさ」
「ホワイダニット、か」蒲生は思慮深い顔で呟く。
「犯人は、なぜ案山子なんかを盗み出す必要があったのか。カオルのおばあちゃんの田んぼがターゲットに選ばれた理由は何か。そもそも、どうして盗まれた案山子がカンタだったのか。他の案山子ではいけなかったのか」
「単純に案山子そのものが狙いなら、道路の隅に立つ一体を抜き取ったほうが手っ取り早いものな」
「その通り。わざわざ田んぼのど真ん中まで分け入ってでもカンタを盗む理由が犯人にはあった。他のどの案山子でもない、カンタでなければいけなかった理由」
「犯人にとって、カンタは思い入れのある案山子だったのか。カオルのおばあちゃんと同じように」
蒲生は首を捻りながら、机上で開かれたままの手帳に目を落とす。
「蒲生、僕たちはすでに真相の一歩手前まで辿り着いているんじゃないかな」
確信に満ちた声の碓氷に、蒲生は両目を丸く見開く。
「状況はシンプルだ。田んぼの中にはおばあちゃんと孫娘のカオルが、道路の両側には近隣住民という人目があった。畦道に人はいなかったけれど、道はぬかるんでいるし足跡がくっきり残ってしまうから逃走経路には相応しくない。上空から盗み出すのも困難だろう。となると、犯人は自ずと限られてくる。仮に案山子を田んぼから引き抜く姿を見られたとしても、怪しまれるリスクが低い人物。短い時間で案山子を別の場所に移すことができる人物。田んぼのことを熟知していて、なおかつ案山子に何らかの思い入れがあり、案山子を盗む動機を持ち得る人物」
「――お前は、おばあちゃんかカオルのどちらかが、案山子消失に関わっていると言いたいんだろ」
蒲生は真っ直ぐに友人を見据えた。安楽椅子探偵の男は微笑を湛えたまま、
「正確には、孫娘のカオル。彼女がカンタ消失事件の犯人だと僕は思うよ」
「どうしてさ」
「まず、僕が今上げた犯人になり得るすべての条件を満たしていること。次に、蒲生が描いたこの図だけど」
机上の手帳に手を伸ばし、顔の横に掲げてみせる。
「畦道を挟んで、おばあちゃんの田んぼの向かいには他の住民の田んぼがあるよね。これはあくまで僕の想像だけど、もしこの住民の田んぼにも案山子がいくつか立てられていたとすれば。もし、おばあちゃんの田んぼからいなくなったカンタが、この住民の田んぼに移し変えられていたとすれば」
「カンタは盗まれたわけじゃなく、ただ隣の田んぼに移動していただけ」
蒲生は唖然とした顔で、碓氷と手帳を交互に見やる。
「でも、その住民だって突然自分の田んぼに見覚えのない案山子が立っていれば怪しく思うんじゃ。一体ごとに顔や服装だって異なるだろうし」
「おそらく、カンタを移し変えるより前に、隣の住民の田んぼからこっそり一体の案山子を盗み出し、事件当日、盗み出した案山子の代わりにカンタを置いたんだろうね。案山子の顔は、隣の田んぼから盗んだものと同じ顔を描いた布をカンタに被せておけばいい。布一枚なら制服のポケットに忍び込ませておくことは造作もない。それにカンタの着ていた半纏だけど、裏返すと別の模様になる、いわゆるリバーシブルだったとすればどうかな。半纏を裏返して着せてあげれば、まったく別の案山子が完成というわけだ。
おばあちゃんの田んぼと隣の田んぼは、細い畦道一本で区切られているだけだ。おばあちゃんは畦道に背中を向けて作業をしていたし、他の住民は少し離れた道路にしかいなかった。畦道側の目撃者はカオルただ一人。そのカオルが田んぼからカンタを抜き取って、畦道を踏み越え隣の田んぼにカンタを移動させるのに、大した時間はかからないと思わないか」
「でも、カオルはどうしてそんなことを」
蒲生が戸惑いの声を上げたのと同じタイミングで、ウエイトレスがアイス珈琲を運んできた。グラスについた水滴を見つめながら、碓氷は独り言のような口調で言う。
「親しい人が恋敵になるのは、よくあることだろう」
「え?」
「カオルちゃんが片思いしている相手と同じ名前を、おばあちゃんが案山子に付けて愛おしそうに呼びかけていたら――本当は自分だって、意中の相手を下の名前で呼びたい。おばあちゃんがカンタを抱きしめるように、自分も想い人にもっと近づきたい。嫉妬心ってさ、そうやって小さな蟠りが積もり積もって次第に大きくなるんだよ。カオルちゃんは何も、カンタに恨みがあって彼を盗み出したわけじゃない。何十歳も歳の離れた恋のライバルに対する、ささやかな抵抗だったのさ」
碓氷は少しだけ淋しそうに笑いながらグラスに手を伸ばす。砂糖もミルクも入れず珈琲を飲む友人を、蒲生は黙って眺めていた。