第一章【殺人依存】・五話:事件考察・前編
まるで、昨夜の出来事を洗い流すかのように雨が降っている。梅雨の季節に入った今、こんな雨が続いていくのだと思う。灰色の壁紙でも張ったかのように空は雲に覆われており、夕方だというのにそんな気配は一切しない。
昨夜の出来事といっても僕はまったく知らない。人が一人死んだ、それが現時点での情報。登校二日目となる学校でも事件について憶測が飛び交っていたが、それは所詮憶測という範疇を逸脱しないもので、信憑性には欠けていた。
だが、まさか初日から事件が起こるとは思いもしなかった。まるで自分の転入にあわせて起こったみたいで、そういうありがた迷惑な歓迎は嬉しくないというのが本音だ。調査をしに来たというのに早速これじゃあ、呆然とするしかない。
ふと、雨粒が靴を打つ。染み込んでくる液体は冷たく、僕の体を震え上がらせた。
早く家に帰りたい――。そんな思いで歩を早めていく。
家に帰って、濡れた靴を脱いで布団を頭からかぶってうずくまろう。そうすれば少しは温かくなる。
必死に歩を進めて、気がついたときには、アパートを通り過ぎていた。
◇ ◇ ◇
「邪魔してるぞ」
僕を出迎えたのはぶっきらぼうな男性の声だった。
勝手に侵入し、その上自分の部屋のように寝そべっている男性。彼は黒崎暁さん。僕が所属している探偵事務所の所長だ。
背丈はとても高く、横になっているだけで部屋を占拠している。髪型は俗に言うわかめヘアーという奴が肩口まで伸びており、それが哀愁漂う大人の雰囲気をかもし出していると言えばいるのだが、本人の性格は陽気そのものと言う正反対。服装はワイシャツに黒いズボンという、いかにも働いてますよ! と、いう感じなのだが、実際はだらけ癖がついており、ダメな大人という言葉がよく似合う。働き始めれば能力は一流企業のNO.1にも引けをとらないのだが……。
「どうやって侵入したんですか。僕は無用心じゃないので鍵はちゃんと掛けてましたよ」
「合鍵を作っておいたんだ。連絡があるときに玄関の前で待っているのも退屈だからな。 お前どうせ携帯持ち歩いてないだろ。ダメだぞ、せっかく買ったのにそれじゃあ宝の持ち腐れだ。――そうだな……夜へのラブコールぐらいしてみたらどうだ?」
「何を勘違いしているのか知りませんけど、僕と夜はそんな如何わしい関係じゃありませんから。それに携帯の使いすぎで通話料を事務所費に響かせて、部下に怒られた人に言われても納得できません」
黒崎さんは苦虫を噛んだような顔をしながら、それは仕事関係の電話なのになぁ、と、呟く。無論それは知っているが、反論はしておきたかった。ちなみに言っておくが叱ったのは僕ではない。
「それで今日は一体何の用事で来たんですか。用が無いなら帰って欲しいんですけど」
「そう言うなって。家賃払っているのは俺なんだから。今日は知り合いの警察関係者から三件目までの書類をもらったから渡そうと思ってきたんだ。四件目は我慢しろよ、昨夜発生したばかりでまだ調査中だから」
最後に読み終わったら返せよ、と付け足して束ねられた書類を手渡してくる。そこには現場写真、被害者の情報、およそ考えうる事件の情報全てが記載されていた。何故この人がこんなものを持っているかについては、目を瞑っておこう。
ひとまず一件目の書類に目を通してみるか。
“一件目の被害者は小野啓吾(19)無職。路上で犯人と一時格闘となり、犯人に押し倒された所で刃渡りおよそ二十センチのナイフで首を刺され死亡”
そこまで読んであることに気づく。一件目の被害者は犯人と一時格闘になったと記してある。なら犯人は証拠を残しているのではないのだろうか。例えば、爪で引っかかれたりしていれば皮膚が爪に付着している可能性もあるし、犯人の髪が路上に落ちている可能性だってある。
だが証拠については一切記されてはいない。これじゃあ――
「証拠が無いんだ。犯人の存在を証明する証拠がな」
まるで僕の心を読み取ったかのように話してくる黒崎さん。以前この人は読心術を学んだ事があると言っていたが、その類だろうか。
だが犯人の存在を証明できないという事はどういう事なのだろうか。
「それじゃあ他殺であると断言できないじゃないですか」
「お前はあほか。死体が自殺したあと生き返って自分の四肢を切断するか? そんな超常現象……起こる確立もあるが、それが残り二人の被害者も共通なんだ。三人、もしくは四人もの人間が同時期に力に目覚める事は確率的には低すぎる。だから今回は他殺の確率が高いんだよ。それに警察関係の凡人どもに、“欲望覚醒者”のことを説いてやっても信じないだろ」
納得せざる得ない。確かに力の目覚めは個々で違う。
『欲望』は覚醒するだけでも確率は低い。それが同時期に数人の身に同じ力が目覚めるなんて、それこそ超常現象だ。その数人が同じ欲望を望んでいたという確率も、これまた低い……。
だったら――
「犯人が覚醒者という確率は無いんですか?」
黒崎さんは手の平を片手の拳でなるほど、と言わんばかりに叩く。
「確かにそのほうが確率は高いな。ならやっぱりお前を呼んどいて良かった。戦闘になる確立があるんじゃ、下手に夜に調査させられないもんな」
「でも、もし強力な能力だったらどうするんですか。僕は『白純の焔』と『針止めの眼』しかありませんから能力的には貧弱ですよ」
「全てを焼き尽くす白炎に、時を止める眼なんてフルコース。そうそう覚醒するもんじゃ無いぞ。少しは誇ったらどうだ」
「じゃあ、せめて武器ぐらい渡してください。僕は武器らしい武器持ってきてないんですけど」
「武器持ってきてないのか。……仕方ない」
これを持っとけ、と黒崎さんが渡してきたのは皮の鞘に納まった刃渡り十五センチほどの、ファイティングナイフ。重量はそこそこあり、力いっぱい振れば腕の一本ぐらい一気に切り落とせそうだ。
だが、いきなり物騒な話になってきた。正直、犯人を捕まえて警察に引き渡す程度の依頼だと思っていたのに、これじゃあ夜の予想通りだ。
「でも本当に戦闘になったらどうするんですか?」
「依頼は事件を止める事だ。事件を止められるならお前の好きにやっていいよ」
それを聞いて少しほっとする。あまり相手を殺すのは好かない。殺人はいけない事――が僕のポリシーだ。
それは突き通すべき事だと思う。たとえ自分の両手が血に染まろうと、それが人間としての尊厳だ。
◇ ◇ ◇
その後、話したい事を全て話し終えたのか、黒崎さんは僕の手から書類を奪い取り足早に部屋から立ち去っていった。まるで風のような人だ。それに書類もまだ一件目までしか読んでないのだが……。
仕方なくその日はすぐに寝た。もちろん夜への電話はしたのだが、本人がもう眠りについていたと言う事なので、世話係の伏川さんに電話をした事を伝えておいてください、とだけ言って、電話を切った。
さっさと敷布団を敷き、寝転がる。今日の月は漆黒の暗雲に覆われて見えなかった。
この空模様では明日も雨だろう――。