第一章【殺人依存】・三話:比島幸祐
自宅のドアを開けると当然のごとく人はいなかった。
ここは僕の部屋だ。二階建てのアパートで老朽化が進んでおり、冬には取り壊す事が決まっている。まぁ付近には最新設備のマンションが立ち並んでいる事から、合理的な判断だろう。大家さんはお年寄りのおじいさんで、最初僕がここに引っ越すと聞いて不思議そうだった。
ここには僕以外誰も住んではいない まぁすぐ如月市に戻るのだから関係ないか。
だが関係ないと銘を打っておきながら、正直ご近所とのコミュニケーションが無いのは寂しい。
僕の部屋はこのアパートの201号室。別に201である事に意味は無いのだが、しいて言えば響きが好きといったところか。
一本道の廊下。その向こうに畳を敷いた居間がある。その他にはトイレ、風呂、キッチンも備わっており、一ヶ月程度住む家にしては高性能。テレビは無いが。
中心にポツンと置いてあるテーブルには携帯電話が置いてある。これは今回のために予め購入しておいた物で、前回は通信手段を持っていかなかったことにより帰宅後悲惨な目にあった。カメラ機能やらなんやら付いているらしいのだが、メールを見るのと電話を掛ける事ぐらいしかできない。僕は基本的に文明の利器という物は苦手だ。
それを手に取り、中のメール受信数を確かめる。見ることが出来るのであって、メールを送る事はできない。そんな悲惨な現状を苦にしないのが僕と言う人間だ。胸を張って言える事ではないのだが。
一件のメール。送り主はやはり夜だった。
『今日の学校の授業はたいした事をしなかった。この分だと幸祐が戻ってくるまであまり進まない。何時戻ってくるんだ? メールを返せ』
……夜らしいメールだ。あまり進まないと推測しておきながらその推測に必要な僕の出張期間を訊いて来るというのはどうなのだろうか。そして最後のメールを返せ……。
僕は夜にメールが送れない事は伝えたはずだ。夜も少し蔑んだような目で見るという返答を返したのだから、承知のはずだけど……。
まぁメールではなく電話だ。せめて返答はしないと血祭りにされる。
『はい。こちら黄神ですが、どなた様でしょうか?』
「比島です。夜をお願いします」
『ああ、幸祐くんか。夜お嬢様だね。今呼んでくるから』
電話の相手は世話係の伏川さんだ。夜は名家のお嬢様。黄神は如月市の華族四家の内一つで、昔からあの土地でかなりの権力を持っていた。現在もその名残は強く、如月では警察でも頭が上がらない。だが本人曰く、「周りが勝手にしてるだけだ。生きているのは今なんだから、過去の地位なんて関係ない」との事だ。
『何だ幸祐。急に電話なんか掛けてきて』
何の前置きもなく、電話口から聞こえる苛立った夜の声に面食らう。お電話変わりましたとか、色々言うべきだと思うのだが……。そこら辺の常識は必要ないものだと認識されているのだろう。
「メールの返答だよ。そっちに帰るのは一ヵ月後になりそう」
『それはメールで返せといっただろ。それに一ヶ月? なんでそんなに掛かるんだ。たかが殺人事件の捜査だろう』
どうやら僕がメールを返せないのは本当に忘れていたらしい。だが、たかが殺人事件って日夜解決に奮闘している警察官の方々にその台詞を聞かせてあげたいよ。
「殺人事件の調査には一ヶ月ぐらい妥当なの。前回もそれぐらい掛かったじゃないか。そんなに文句があるなら夜が来ればいい。夜の『真実の眼』なら一発だろ?」
『私の眼は現場を見なければ機能しない。悪いが血生臭い現場なんて死んでも御免だ。それに犯人が普通じゃなかったらどうする。猟奇殺人らしいし、そういう点から見て今回はお前の方が適任なんだよ』
その正論に僕は親に怒られた子供のように気勢を失う。電話の向こうで夜がしてやった顔で笑っているのが想像できた。
◇ ◇ ◇
その後はお互い他愛の無い会話を交わした。夜が苛立っていたのは、どうやら今日一日寂しかったらしく、それは会話をする中で薄れていった。だが最後に毎日電話しろとの要求が入り、それで会話は終了。恐らく一日でも忘れたら……想像したくないな。
ふと、窓から外の景色を眺めてみた。辺りは既に暗くなり、時計の針は八時を指していた。単純計算で夜との会話は一時間。電話代は黒崎さんが払うのは確実だ。これが三十日続くとなると、少し可哀想だ。
そんな窓から見える月はまるで異世界への入り口。そして、全てを吸い込む空洞のようで、自分のいる場所を失いそうな気がして恐ろしかった。