第一章【殺人依存】・一話:意味探し
朝の日差しが窓から差し込み、俺の机を照らす。
ここは全国区でも有名な進学校、私立朝河岡高等学校。有名大学進学率一位を目指す教師どもの巣窟だ。
周りを見渡すと人形のような表情で参考書に目を落としている奴ばかり。こいつらは数学、物理、化学、生物学などの学問でしか自己を確立できない常識人。俺たちは異常者。
あくまでこの小さな学校での常識だが。
この学校に俺のような奴は少ない。学問以外での自己の確立方法をしる者。小難しい言い方をすると特殊な人間のように思えるが、一歩学校の外へ歩み出ると俺たちは常識という名の枠に吸い込まれていく。外界での異常者が常識人となる。それがこの学校。つまりこの学校にいる者のほとんどが、異常者なのだ。
俺は別の意味で、特殊なのかもしれないが。
そんな俺の椅子に一人の男が性急な足取りで向かってくる。ズボンをはいている事から男と仮定したが、机に寝そべっている俺には男の顔が見えないので人物名は不明確だ。
「富原くん。参考書も読まずにひなたぼっことは余裕だね。そんなので次回のテスト僕に勝てるのかな? まぁ努力しても無駄だろう。今度こそは僕が勝たせてもらうよ!」
苛立ちを含んだ口調でそう言って立ち去っていく男。名前は……串永とか言ったな。
奴は二年に進級して以降、俺にテストで勝ったことが無い。話に聞くと一年のテスト順位も俺を下回っている。正直、どんなに手を抜いても奴にだけは負ける気がしない。
奴は人に関わろうとする者が少ないこの高校での異常者だ。だが塀から出ても外の常識に適応できない半端者。俺も同じ意味ではないがそれに分類される。
まぁ、最後に付け加えると前回のテストでの俺の順位は二年の生徒280名中221位。これでお分かりだと思うが俺と串永は五十歩百歩。満員の東京ドームの中心で、カブトムシが一対一で戦うのと似ている。類義語で目糞鼻糞を笑うという下品なものもある。
そんな俺の下に……素足が見えるから今度は女か。ならあいつしかいない。
「ゆーくん。おはよう!」
俺はその声に顔を上げる。朝っぱらからこんな大声を出すのは時谷冥花。俺の幼馴染といったところか。
腰まで伸びた流麗な黒髪は気品を漂わせ、純粋で無垢な瞳は闇夜の中でも輝きだしそうな黒色。幼児のような笑顔を放つそれは整った顔立ちで、成人女性ようだ。
はっきりいって上品と無邪気という二律背反が互いに鬩ぎ合う事無く成立している、不思議な存在。それが冥花だ。流石にここまで矛盾していると、たまにこれが本性か? 疑いたくなる事もあるが。
「おはよう。で何だ?」
「今度のテストどう? 今度は私に勝てるのかな〜」
無理を言ってくれる。こいつは大体50を切る順位をたたき出す。平均200位台の俺からすればグランドキャニオンをひも無しで登りきるのと同じ次元。生憎俺にロッククライミングの趣味は無い。
返答を返すのが嫌で眼をそらした俺を見て、冥花は悪戯を思いついた子供のような笑みをこちらに向けてきた。
「もしかして……串永くんにも負けそう?」
「なわけあるか!」
今まで静かだった俺が怒鳴ったからだろう。冥花は少し戸惑った表情で謝ってくる。怒鳴るなんてらしくないが、前述したとおりあいつには負けない。
プライドとかそういう類ではない。ただ惑星直列でも起こらない限り俺の敗北は無いということだ。
ここで余談だが、あいつが俺に勝負をかけてくるのはあいつが冥花に気があるからだ。だから幼馴染で仲の良い俺を眼の敵にしているのだが……冥花はそういう恋愛感情には乏しい。
遅すぎる春の到来を待たずに夏を受け入れたというところか。思春期という名の春は好奇心という名の夏に先を越されてしまった。下手をすればこのまま二十歳を過ぎるだろう。
まぁそういう俺は他人の欠点を否定できない。俺も欠けた人間だ。存在理由という意味を、探している。
自分はなぜここいるのだろう? 生きているから。そんなのは自分勝手なバカがほざく解答だ。
必要性。それを人は求め、手に入れる。
だが俺にはそれが見つからない。俺の存在理由という名の方程式はX= という形にはまだならないのだ。それが有限なのか、無限なのか知らないが。
ホームルームを告げる鐘が鳴る。冥花は俺との短い話を切り上げて自分の席へつく。最近の俺の異常は、それにあるのだろうか……
◇ ◇ ◇
今日という日は実に面白い。そう感じてしまう知らせが入った。
「今日からこのクラスに転入生が入る事になった。比島君、入ってきなさい」
抑揚の無い担任に促され、教室に入って来たのは男。
肩まで伸びた髪は雪のように白く、金属のように鋭い。そして日光を受け、白銀の光を放つ眼。身長はこの際関係ない。その男は異質。そいつの頭上から日光とは違う別の輝きが降り注いでいると錯覚するほどだ。
圧倒的な存在感。俺が――今一番欲しているもの。
意味もなく唾を呑み込んだ。
組んでいた指の力がスッと抜ける。
瞼が閉じるという行為を忘れる。
俺は生まれて初めて、人に見惚れた。
――この感情は、昔体験した事があった。だがまだ思い出せない。――
「今日から皆さんと学校生活を共にすることになる比島幸祐です。一身上の都合によりこの学校に転入してきました。どうかよろしくお願いします」
ありきたりな挨拶でさえ神のお言葉と間違えるほど神々しさ。絶対的異質者。
俺の心には希望と憧れと驚きと、恐怖が生まれた。
彼は自分がひた隠しにしている事を白日の下に晒すのではないだろうか。その不安だった。
背筋を悪寒が走る。蜘蛛が歩いていくような、八本の足が背中の脆い部分を突き崩していくような感覚。
……隠したいこと。それは自らが――人殺しだという事――