第一章【殺人依存】・十話:邂逅
深夜十二時を指す時計の針。それを一瞥して、一回深くため息をついた。
今日は6月23日。と言っても日が変わり、正式には6月24日で僕がこの町に来てから三週間近くが経とうとしていた。
……ここまで手こずるとは思いもしなかった。
学校から帰って、黒崎さんから拝借した書類を丹念に読み直したが、犯人の目星なんてものはまったくつかない。学校での聞き込みもしたが、まともに聞き入ってくれる人は誰もいなかった。
少し冷たいな……。そう感じた。
「今夜は徹夜かぁ。――コーヒーでも買ってくるかな」
決断すれば実行だ。ハンガーに掛けてある深緑のジャンバーをはおって、玄関から外に出る。ジャンバーは防寒対策だ。夏も近づくこんな時期に何故? と質問されると僕が特殊だからとしか答えようが無い。
――熱と言うものをあまり感じないなんて、誰が信じるのだろうか。
◇ ◇ ◇
深夜の外灯と月光だけが照らすアスファルトの道を、悠然と歩いていく。夏の外気が肌に纏わりついて来て、肌着が汗で濡れる。暑くは無いがさすがに気持ちが悪い。
いくつかの角を曲がり、自動販売機でコーヒーを購入する。
そして帰り、少し細めの路地に進入したときだった。
――ポツン――
生暖かい何かが、頬に落ちる。雨なんて降っていただろうか。そう思い、指でそっとなぞって見ると、赤い赤い雨が、指先に付着した。
それを見た瞬間から硬直した体。そんな状態でもどうにか視線を前に移す。
首の部分から血を噴出す噴水のような物体に馬乗りになっている男は、こちらの存在に気づいたようでゆっくりと振り向く。それは見知った顔だった。
「富原……くん?」
愕然とした表情でこちらを凝視する人物は、間違いなく彼だった。 その大柄な体つきも特徴的な結った黒髪も、僕の頭の中にある彼と言う名の人物像に当てはまる。
彼は血のにおいが充満したこの空間に座っていた。 傍らに肉片と化した死体を添わせながら。 妙にそんな光景が普通に見えてしまう。
「ひ……しま? 何で……こんな所に……」
向こうも僕が誰か気づいたらしく、そう問いかけてくる。 こんな状況でコーヒーを買いになんて、言えないな。 そう思い、適等に流すことにした。
「別に理由なんて無いよ。 君こそ、そんな場所で血まみれになっているのは何故かな」
「――!」
そんな僕の詰問に対して、彼は小さく歯軋りする音で答えた。 ――苦しく、寂しげな音だった。
「それにしても願ってもない邂逅だな。 まさかこんな形で出会うとは夢にも思わなかった。
はじめまして。 連続猟奇殺人犯さん」
冷静に、言葉を選択して使用する。 相手の能力が分からない以上、出来るだけ神経を逆撫でして瑣末な形で初見を迎えたい。
だがそんな僕の考えは、儚くも通じなかった。
静かに、緩慢な動作で彼は立ち上がった。 片手は真紅の長爪めいたナイフを握り締める。
表情はいたって理性的だった。 それを見て僕はたくらみが失敗だったことを悟る。
「仕方ないな。 お前は冥花とは違うみたいでよかったよ。 ――遠慮なく、殺せる」
そう呟く彼の瞳は、充血していて痛々しい。 すでに狂っているとしか思えない。
しかし遠慮とは舐められたものだ。 僕としては殺意を持ってもらったほうが気が楽なのだ。
そう考えれば遠慮しないと言っている彼を殺すのはとても気が楽だ。
「それは、こっちの台詞でもあるね」
ひとまずそう呟いてから、ベルトに付けていたファイティングナイフをさっと抜く。 特注品なのだろうか、その刃は市販のナイフより遥かに鋭い。
それを見た彼は僅かに顔をゆがめる。考え込むような表情の後、すっとこちらに向き直り斜めに構えた瞳でこちらを見つめた。
――どこか、救いを求めるような表情だった。
「お前だって俺と同じじゃないか。 なぁ、比島……」
言葉は余韻を持って打ち消された。後に続く言葉を発さず、彼は駆け出す。その姿は獅子のように力強く威厳があり、少し圧倒された。
……彼の言った事は否定しない。それはまがう事なき事実だから。認めよう、でも何も苦ではない。彼と同じ殺人鬼でも、僕は当の昔に依存できる誰かを探し出しているから。
缶の中のコーヒーを飲み干し、彼の顔めがけて投げた。それが、戦闘の合図。
――彼が、言葉を何て続けようとしていたかは、少し先の未来で分かる。