5.「そのまえに、クロマグロの切り身をもらってくれないか」
「めったに船なんか、乗らないもんでね」
「じきに顔が青いのも、もとに戻るさ。で、名前はなんていうの?」
平泉は悉平島のおおかたの男同様、漁師として生計を立てているのだろう。まんべんなく日に焼けた骨太の六十前後で、柔和な笑いのなかに処世術に長けた図太さが見え隠れしていた。この男はボクサーがクリンチするように他人の懐に入ってきて、胸中を見透かしてしまう敏腕営業マンを思わせる人種だ。油断してはならないと、交野は本能的に胸に手をやった。
「交野といいます。お察しのとおり、咲希の恋人ってことで。……えっと」
「こちら、平泉さん。島の網元であり、葬儀にかかせない職人さんなの」
と、咲希が硬い声で言った。
「交野くんというのか」平泉は取りかえたばかりの電灯みたいな歯をこぼした。「失礼だが、名前からして平氏の末裔だったりするのかな。かくいうおれの先祖もそうらしい。そもそもトカラや奄美には、平家の落人伝説がゴマンとある。ほんとうかどうか、眉唾ものだがな。これもふしぎなめぐり合わせだ。しかもあんた、なかなかの好男子ときてる。こいつあ、気が合いそうだ」
「それはどうも。血筋の件ははっきり知らないけど」と、交野は苦笑いしながら頭をさげた。「ところでさっきのご婦人方に、咲希が標的にされるいわれが?」
「こういう狭い島だと、島民は密な関係になる。あることないこと、口走る奴がいるもんだ。島にゃ娯楽がないから、よけい暇を持て余しちまう。女どもはそんなもんさ。どこだってそうだろ?」
「その点についてはあとで説明するわ」と、咲希はそっぽを向いたまま、低い声で言った。「いつまでも隠し立てしててもしかたないですものね。でもいまは、家に向かうのが先決だと思う」
「そのまえに、なんだ」と、平泉は恐縮しいしい二人のあいだに割って入り、たがいの肩を抱いた。八月の炎天下にさらされた男特有の汗臭さがした。「早いとこ、おふくろさんや友之さんと対面したいのはやまやまだろうが、よかったらクロマグロの切り身をもらってくれないか。さっき、おれんとこの若い衆が沖から帰ってきて、大物の一群を水揚げしたばかりなんだ。おおかた市場に出しちまったが、記念に数本、仲間内でわけてたんだ。今日は咲希が久しぶりに里帰りしたことだし、大盤振る舞いしたい。これはおれからの気持ちだ。なに、手間はとらせない」
咲希は一刻も早く家路につきたい様子だったが、彼が気を利かせてくれている手前、むげに断れないようだった。口ぶりから察するに、友之とは深い付き合いだったらしい。
交野はそっと咲希の背中を押した。
「長居はしないだろ。ご厚意に甘えよう」
「決まりだな。悉平漁港は、ほれ、すぐそこだ。ついておいで」