表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/37

28.「いずれにせよ、現代の姥捨て山か」

「隠語」

 どうにか丘を越えたあと、平泉は手近の岩に腰かけ、小休止させてくれと言った。

 平泉がかたわらの岩をあごでしゃくった。交野も納骨袋をおろすと、へたりこむように座った。


「むごい話さ。明治二十八年ごろだ。悉平島のみならずトカラ列島一帯に伝染病が猛威をふるった。コレラだ。当時の致死率は五割。症状が末期になり、医者にサジを投げられた患者が、人知れずここに置き去りにされた。当時の猿どもはいまより飢えていた。生きたまま猿のえじきにされたこともあったらしい。考えてもみろ。生きたままガブリとやられるんだぜ。……おおこわ!」


「コレラにかかってるからって、そんなことがゆるされたのか? 法もクソもないじゃないか」

「当時はあまりにも患者の数が多すぎて、倫理を謳ってる余裕はなかったんだろ。現実はこんなもんさ。弱者は淘汰される」


「待て待て……。島に置き去りにされた人間が、一方で猿に食われ、もう一方でどうやって生き延びられたんだ?」

「なかには反対に猿を手なずけ、同胞となった者もいた。同胞というより、猿どもに服従を誓って、生を勝ち取ったというべきか。その末裔こそ、奴らの正体さ。猿どもに囲まれて生きてきたため、ろくに言葉もしゃべることができん」


 交野はうなって首をふった。

「荒唐無稽もいいところだ。島で生まれただと? 物理的にそんなことが可能なもんか。抗生物質もない島だぞ」


「しっかと見たじゃねえか。あれが動かぬ証拠さ。あれこそ現実だ。認めたくないのはわかるが」と、平泉は辛抱強く言った。「もっとも、病気に対する免疫はあるはずもない。ちょっとした感染症になっただけで、イチコロになるにちがいない。が、ごくまれに生命力の強い奴だけが、ああして生きながらえてるわけだ」


 交野は烈しく頭をふった。

「そんなことって、あるはずが」

 平泉はてのひらにこぶしを打ちつけた。乾いた音に、交野は尻が浮きあがる思いがした。


「それだけじゃないんだ。コレラによる患者だけのみならず、ここ近年だって、連れてこられた事例もあるらしい。『らしい』っていうのは、おれは部外者だからだ。ひそかに聞いた話だと、悉平島に流れてきた素性の知れんやくざ者や、働きもせず親の年金を食いつぶしてる穀潰し、あるいは町で悪さばかりして、どうにもならんガキなんかもひっくるめて、ここに捨てた歴史があるそうだ」

「……むちゃくちゃだ」


「誰に拉致らちされるかまでは知らん。堅気の人間のしわざではなかろうよ」と、平泉は言い、ブッシュナイフの刃先をかたむけて陽光を反射させた。刃は念入りに焼き入れされ、紫色を帯びていた。「そんな奴らを捕え、泳いで逃亡しないよう、おれの親父や、そのまた先代は、足首を切り落とすのに一役買ったとのことだ。とは言っても、不衛生な場所柄、たいていは破傷風をこじらせたりして、長くは生きられんかったろうが」


「鬼畜もいいところじゃないか。いくら悪さするからって」交野は声を荒げ、眼を見開いた。「まさか、こんなタブーが隠されていたなんて夢にも思わなかった。……ひょっとして、それを知ったおれは消されるんじゃなかろうな?」


 平泉は下からにらみあげ、クスクス笑った。「心配しなさんな。おめえが秘密を知ったところで、おなじように置き去りにするつもりはねえさ。だいいち、咲希たちになんて説明すりゃいい。真っ先にサツに疑われるわな」


「冷汗をかかせるな。口ぶりから察するに、あんたは手を染めていないわけだな。あんたはそこまでやる人じゃないと、信じてるつもりだ」


 平泉は口を開けたまま、拍子抜けしたような表情を見せ、

「信じてくれるってか。都会もんのおまえさんが。ありがたくて、涙がチョチョ切れるね」と言い、ひとしきりカラカラと大笑した。

「物騒なものはおろせよ。そいつは生きた人間相手に使うべきじゃあない」


「しかも駆け引き上手ときた」と言って、立ちあがった。ふたたび獣道にふさがるイバラを払いはじめた。刈らずに強行すれば、たちまち二の腕やふくらはぎが傷だらけになるだろう。「おれもこんな稼業を続けてると、悉平島の人間のなかにゃ、あることないこと陰口叩く奴がいるもんでね。つい疑り深くなるってもんよ。我慢してるつもりだが、こちとら血の気が多くてかなわん。『おまえは遺体をさばくのに慣れてるんだから、どうせ生きた人間だって手にかけたこともあるんじゃないか』とね。いらぬ想像をされがちだ」


「職業差別だな」

 交野の方をふり向き、真顔で、

「おれはあくまで死体解体人であり、猿葬師にすぎん。この件についてはノータッチだ。親父や、そのまた先代こそ『狒々もどき』に関わってきたらしいがな。さっきも言ったように、秘密裏に島へ捨てにくる『業者』が別に存在した。くわしく説明するまでもあるまい。それはおれの関知するところではない。『狒々もどき』に関しては、深入りするなという暗黙の了解があるほどだ。誰から?なんて野暮な質問はなしだ」


 交野は長いあいだ、うなった。

「いずれにせよ、現代のうば捨て山か。ことが明るみに出たら、えらい騒ぎになるぞ」

「だろうな。人権問題で報道陣が殺到する。悉平島も好奇な眼で見られ、思いっきり叩かれるだろう。そうなったら、この風習もおしまいだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ