17.猿葬現場にて
「さ、あとは我々が階段をテクテクのぼってくだけだ。お手々つないで一緒に行きたいところだが、おれはだいじな支度がある。悪いが、あんたらは先にあがっててくれ。なに、待たせはしない」平泉はよく通る声で言うと、手をふりながら小屋へ入っていった。
咲希を先頭に石段をのぼり始めた。苔むしり、ところどころほころびが目立つ頼りなげな足場だ。
清彦が妹に続き、交野もおくれてそれにならなった。
「あの人はなんでまた、ここにきて別行動を」
「言ったでしょ。平泉さんはブッチャーとしての役目があるから。その準備」
「ブッチャーって……昨日も言ってたな」
「解体人のことだ」のろのろと清彦が言った。「誰かが率先してやらないといけないんだ、この島では。彼はまだ元気だからだいじょうぶだが、いずれ子供が引き継がなければならない。あの仕事は世襲制でね。と言っても、あの人には娘しかいないんだっけ。将来、この風習も消えてしまうかもしれんな。……ま、おれたちが心配する必要もないんだが」
「解体人」と、交野は眼をまるくし、わが身を抱いた。「イヤな予感がしてきたなあ。おれ、帰ってもいいか?」
「ここまで首を突っこんでおきながら、いまさらあとに退けないじゃない。ちゃんと見届けないと。無理やり引きずりこんでしまった、わたしにも責任があるけど」
「咲希の夫になる以上、避けては通れんこともあるさ」と、清彦が息をはずませながら言い、真横にならんだ交野の肩に手をおいた。「ようこそだな、義弟よ。まずは通過儀礼の第一歩だ。君なら耐えられると信じてる。むしろ耐えてもらわねば困る」
「だといいんですが」
清彦は交野よりも三つ上のはずだ。しかしながら、髪には白いものが多くまじり、二十代のころはさぞかし神経質だったであろう細面には、人をゆるすこと憶えた柔和さが溶けこんでいた。眼は鹿のそれのように穏やかだ。
先頭を歩く咲希が二人をふり返り、うすく笑った。
三人は息を切らし、汗にまみれながら、ようやく上に着いた。
そこはちょっとした広場になっていた。直径三〇メートルほどの円形の空間が広がっているのだ。端の方こそ雑草が茂っているものの、中央の地面はきれいな一枚岩で覆われ、中心に向かうにしたがい、わずかに傾斜して窪んでいた。そのど真んなかには、意味ありげなアンカーボルトみたいな鉄の杭が一本、打ちこまれていた。
広場のまわりは背丈の低いビロウやタブノキに囲まれており、南国の様相を呈している。その太い幹のすき間から、灰色の海が見渡せた。ベタ凪のなか、右手に椀を伏せたような形の悉平島が見えた。
空は淡いすみれ色をしており、蒸し風呂のような湿気が広場にたちこめ、清涼な風が吹きわたるなどは望むべくもない。
いましがたのぼってきた石段から左奥は、樅や椎などの巨木がそびえる原生林となっているようだ。手前は小高い丘となっており、獣道らしき細いそれが裏山に続いていた。
一方、反対側にはレールが伸びており、すでにモノレール上に固定した棺が到着していた。どうりでかすかなエンジン音が聞こえたはずだ。
「ゆうべ、おまえが言ってた伝説のほら穴は見当たらないんだな」
「伝説? まさか猿噛み島の発祥伝説とやらか」と、清彦がネクタイをゆるめ、一枚岩の方へ歩きながら言った。「そんな話なんて、島に近づけさせないために作られたおとぎ話にすぎないだろ。まさか巨大な猿の妖怪だなんて」
「兄さん、馬鹿にして」咲希は不満げに抗議したが、すぐに、「それより、お父さんの棺桶、様子を見てくるね」と言って、モノレールの方へ向かった。
そのとき、背後で気配がした。
「まんざらそうでもないさ。伝説はほら話なんかじゃねえ。れっきとした猿噛み島の歴史でもある、とおれは信じてるがね」交野がふり向くと、平泉がケロリとした表情で立っていた。「だらしねえ奴らだな、おい。着がえに遅れをとって、待たせてるかと思いきや、もう追いついちまったじゃねえか。さ、内輪の話はあとまわしだ。奥へ行った行った」
着がえというのは、平泉はワイシャツ、スラックス姿の上に、緑色の防水エプロンをつけていたからだ。
しかも手には物騒なものが握られていた。ブッシュナイフだ。刃渡り四〇センチはくだるまい。




