10.続・猿神伝説
猿噛み島には『続・猿神伝説』がまことしやかに残されている。
はるか昔、悉平島の沖合で網を引いていた二人の漁師たちに、なんの前触れもなく嵐が襲いかかった。
荒波がうねり、烈しい雨が叩きつけ、貧相な舟を暴風が木っ端のようにもてあそんだ。
漁師たちは陸へとって返すまえに、当時、名もないその無人島に避難することにした。
雨風をしのぐことができる場所を探す二人。そのうち島の中腹にほら穴を見つけ、これ幸いともぐりこんだ。
ほら穴は予想以上に奥深く、複雑に入り組んでいた。
奇異に思いながら穴を進むにしたがい、獣臭い臭気が鼻をつきはじめた。おそるおそる先へ進んだ。
ついに二人は大空洞にたどり着いた。
漁師たちは思わず仰天した。大空洞の玉座には、身の丈三メートルはあろうかと思えるほどの大猿がうずくまっているではないか。
大猿ははじめのうちこそ威嚇するものの、はったりにすぎないことがわかった。漁師の二人は、反対に化け物じみたこの大猿を追いつめた。
すると驚くべきことに、大猿は人語を話したのだった。
「よせ、わしは年老いた狒々にすぎん。抵抗はせぬと誓う」見れば、大猿の身体には無数の切り傷が稲妻のように走っていた。どうやら手負いのようだ。「見てのとおり、傷が障り、余命いくばくもない。死が訪れるのをここで待っておっただけじゃ」
漁師たちは顔を見あわせた。たしかに狒々の化け物の話は耳にしていた。
なんでも堺の一村落『野里』、別名『泣き村』で人身御供を要求し、さんざん人々を苦しめた数匹の妖怪がいたところを、武者修行中の岩見 重太郎によって退治されたうわさが流れていたが、まさかその一匹がこんな僻地に落ち延びていようとは。
「おまえはかつて村の娘たちを贄とし、食らってきた妖怪だな。ここで会ったが運の尽き。隠れきれると思うか。おれたちがしとめてくれる」と、血気盛んな漁師の一人が言うと、もう一人が手にしていた櫓をふりかぶり、
「おまえとは縁もゆかりもない関係だが、殺す動機はあるぞ。都で悪事をはたらいていたらしいな。むざむざと逃しはせん」と、言った。
狒々が待ったをかけた。「後生だ。もう過去のあやまちは悔いた。心を入れ替えようとしていたところじゃったのだ」
「この期におよんで命が惜しいか!」
「ちがう。わしの余命、せめて贄にしてしまった娘子の供養になればと、ここで祈らせてくれ。いままでそうやって罪を償ってきたのだ」狒々はそう言って、両手をあわせた。醜く凶暴な顔には、たしかに哀願の色をおび、眼にも策を弄しようとする濁りがない。
けれども漁師たちは、「問答無用!」と言い放ち、櫓をふるって狒々を打ちすえ、頭を砕いてしまった。妖怪はほどなく息絶えた。
するとどうだ。
飛び散った血肉の破片はむくむくと動き出し、無数の子猿に変化したではないか。おびただしい猿は一目散にほら穴を飛び出していく。
そしてどこからともなく、大空洞にいましがた殺したはずの狒々の声がこだました。
「……性急な人間どもだ。わしの誠心誠意の言葉に耳をかさぬとは……。よかろう、死してわしの心を証明しようではないか」と、姿の見えざる狒々は朗々たる声で説くのだった。「ここいらの島民が死んだとき、この島に遺骸を運んでくるがよい。遺骸はわしの分身たる猿どもが食い尽くしてきれいにしてやろう。同時に安らかな昇天を約束しようではないか。晴れて、来世は幸せな人生を送れるよう、取り計らおう。かつては神々の眷属たる一族のわしにはたやすいこと……」
二人はこの言葉を信じ、島へもどって伝えた。そして特殊な葬送儀礼が習いとなったわけである。
いつしか人はこの島を、『猿噛み島』と呼ぶようになった。




