1.この傷はスティグマにほかならない
そこは墓所のようにひっそりとしていたが、多くの熱っぽい視線が一点に集まるのを交野は感じた。
そびえる杉の大木の上には、ニホンザルの群れがうずくまっているのだ。それもおびただしい数。
――ここは猿たちの聖域だ。
視界が赤く、渦をまいていた。まるで洗濯機に放りこまれ、撹拌されているかのようだ。
自身が自身でなくなっていく感覚に捉われていた。
こんなことはありえない。どこか別世界で起きた事件なんだ、これは。
しかしながら、噛まれた人差し指の疼きが、現実逃避をゆるさなかった。
なんてことだ……おれは選ばれちまった。愕然たる思いで頭上を見あげたまま眼をそらすことができない。
ペチペチペチと、気のない乾いた音が鳴り響いた。
異様に赤い顔の猿たちが交野を見おろし、なんと手を叩いているのだ。祝福しているつもりなのか。
交野は傷ついた人差し指を見た。ゆるゆると血が流れてきた。心臓の鼓動と同じリズムで真っ赤な血があふれ出てくる。
血だ。
血は流れるがままにしておいてはいけない。血は生命の源と言ったのは誰だったか。
そう、血は絶やしてはいけない。親から子へ、その遺伝子は受け継がれる。人は死ぬべくして生まれてくるが、どんな形であれ、後世にその血をつないでいかなくてはならない。
たったいま交野は、洗礼を受けた。もはやこの運命から逃れられない。疑いようもない実感があった。
平泉は草の根わけてでも追うと自信たっぷりに言った。一億二千万超いる日本人のなかから、はたしてピンポイントで捜し出すことは容易なことだろうか?
東京へ戻り、雑踏のなかに溶けこめばなんとか逃げおおせられるような気もした。大手興信所じゃあるまいし、おいそれとは見つけ出せないはずだ。
だが、この印を受けたからにはそうは問屋が卸すまい。
なぜなら、この傷は聖痕にほかならないからだ。
交野には手に取るようにわかる。
そう遠くない将来、平泉が鹿児島の僻地からやってくるのが見えるようだ。あれは老いてもなお、有言実行の男だ。あらゆる手段、独自の包囲網を使って見つけ出すと言っていたから、彼ならやってのけるだろう。
渋谷のスクランブル交差点。行き交うさまざまな人々。川の流れのような群集の向こうに佇む平泉の姿が見えた。
平泉はご多分に漏れず、緑色の防水エプロンを身につけているにちがいない。手にはブッシュナイフが握られているはずだ。刃渡り四〇センチ前後を誇り、そんな得物を手にしていれば銃刀法違反ですぐさま手錠をかけられるだろうに、誰も関心を示さない。
そしてニカッと快活に笑い、よく通る声で言うのだ。
「交野さんよ。はるばる、おめえを迎えにきたぜ。さ、そろそろ本題に入ろうじゃないか。島が島であるための存在意義を、とっくり聞かせてやるからよ」