第一幕“静かな開幕„
冷たく吹き荒れる冬の風が都心部から離れたのどかな空気が広がる静かな街へと流れていく。その夜の静寂に包まれたこのいつもの通学路にはどこにでもある様な、でもどこか雰囲気のある寂れた神社が存在していた。神社の正面にある緑々しいコケの生えた鳥居下から伸びる石畳の道からは今日に限って誰かの歌声が響いていた。
「遠い…遠い~、大空へ~」
掠れた特徴的な声とどこかで聴いたその音程と歌詞。いつもならば神社なんて素通りして見ないふりをしていた祐兜だったが足は自然と止まっていた。
「この歌は…」
どこかで聴いた、そんなものではない。いつも聴いている曲じゃないかと自分に祐兜は問い詰める。何か苦しいことや悲しいことがあれば聴いていた今は無き音楽グループの曲ではないか、と。その時、自然と視線と興味は石畳の先の歌声の持ち主へと向いていた。
『あっ…』
丁度良いタイミングで祐兜とその歌声の持ち主の視線がかち合う。その掠れた声で歌っていたのはサラサラの黒髪ショートで毛先近くにばってんにした髪留めをした大人びた風貌の普段は居ない巫女さんだった。
「その歌って…」
気になった祐兜は思わず口に出す。
「ああ…これね? この歌は私の好きな歌なの」
「でもこの歌どこかで…」
祐兜は解せなかった。それは何故か、何故ならその音楽グループは大人気であったのにも関わらず数年前に解散し、もうそのブームは去っている忘れ去られた音楽グループであるはずだからだ。その様な音楽グループの一曲が好きであるとなると何かがあるはずなんだと勘ぐり始める。
「この曲って今はもう、皆に忘れ去られてしまっている…skepticっていう人達の曲ですよね?」
「えっ…覚えてくれている人なんて…居たんだね…」
彼女は驚きの表情を浮かべてから後、どこか物悲しげな表情をする。祐兜は今一度彼女の顔を見やった。歌声だけじゃない、この面影…見たことがあると祐兜は心に思った。
「もしかして…ボーカルの?」
skepticボーカルの那須野黒雨は黒のセミロングでいつもはポニーテールがトレードマークの活発でもその中におしとやかな面が見える様な人だった…言われてみれば俺の前にいる彼女と一致していると祐兜は考えた。
「ふふっ、良く分かったね? そうだよ…私が今は無きskepticボーカルであり、この代々受け継いできた那須乃神社の巫女、那須野黒雨だよ? …そういう君はなんていうのかな?」
「僕は梔…梔祐兜」
「梔祐兜君かぁ…ふーん…おっけい、覚えたよ?」
「そりゃどうもです…ところで那須野さん」
「黒雨でいいよ」
「えっと…じゃあ黒雨さん、質問一つ良いですか?」
「一つだけね…?」
「いつもならば居ないはずの巫女さんが、なぜ今日に限って居るんです?」
「うーん…っと、いつもというのはどういうことかな?」
「僕、この辺に住んでて…それでいつもこの神社の前を通るんですよ。それでいつもならば巫女さん…つまりは黒雨さんは居ない…から、何でかなぁって」
「ふふっ、なんだ…ご近所さんだったのか…ぁ。なら疑問に思っても不思議じゃないよね、いつもなら寂れて人一人いないこんな神社にいきなり巫女さんなんかが居たらさ」
「そういう意味じゃなくて…なんて言うか…すいません、いきなりこんな失礼な事」
「いや、良いの。でも聞かれたからにはこの神社に居る巫女としてお答えしなきゃだからね」
黒雨はそう言うと手にしていた薄汚れた庭箒を灯篭へと立てかけ、鳥居から正面にある拝殿の方へと一歩ずつ踏みしめるかのように腰に手を当て歩いてゆく。
「最近…この辺りに出るんだよ…幽霊みたいなものが…さ」
幽霊、と聞いて一瞬戸惑ったがここの地域の高校生たちは皆、口を揃えてその幽霊の噂を言っていた記憶がある。
「それってもしかして…魂狩りとかいう馬鹿げたやつのこと…?」
「そう、その魂狩りという馬鹿げてないけど…それなの」
「馬鹿げてないってどういうことだよ…あんなの流石に噂話に決まってるでしょ」
「噂なんかじゃないよ…っ! 現に私の仲間が…だからっ、私はこうやって戻ってきて…」
先ほどまで流暢に話していた黒雨の様子は一転し、言葉を荒げた。
「…ごめん、そういうつもりじゃなかったんです」
「うん…じゃあお詫びとして…私の話を聞いてくれる?」
その後、美しく輝く月の下で黒雨と神社の石畳の脇にあるベンチで祐兜は話し込んだ。黒雨はskepticとして活動していた頃は都心の方で生活していたが元々はこの都心から離れた場所で生まれ、生活していたという。だがskepticを解散して以来、メンバーがこの地を訪れては謎の死や失踪を遂げるという事が多発していてもたっても居られなくなった黒雨は都心の家を売り払い故郷であるこの地に…そして実家であるこの神社へと戻って来たのだという。
「んで…その謎の死や失踪に魂狩りが関連しているという事です?」
そしてその魂狩りというものについて。魂狩りと呼ばれるこの地で噂される、夜に現れる大男の話でその背中には大きな風呂敷を抱え、手には人間が持てる大きさ、重さには見えない薙刀を持ち、出会った者をそれで切り裂き、粉砕する警察でも手に負えない切り裂き魔が関連しているというのだ。
「そう…恐らく始まったのよ…おばあちゃんが言っていたことが現実に」
「おばあちゃんが言っていたこと…?」
「ううん、今はいいの。でも私はその魂狩りに会って確かめなきゃいけないの、何が何でも」
「会うって…どうするんですか…?」
「祐兜くんって今、高校生だったよね…?」
「はい、すぐそこの高校ですけど…というか黒雨さんも同じくらいの年でしたよね?」
「そうだよ? そしてそれなら話が早いよ、最近高校の生徒会長が交通事故で亡くなられてない?」
確かに高校の生徒会長が最近、交通事故で亡くなられて先生たちが落ち込んでいたのを覚えている。どの生徒が引き継ぐのだとかこれからの生徒会はどうしていくのだとか。先生からの信頼も厚い人だったと祐兜は耳にしていた。
「ええ、彼は先生とかからの信頼の厚い良い人だったらしいですけど」
「実はそれ、交通事故とは思えない状態で発見されたらしいの。そしてその目撃者が君の高校に居るらしくて…そして丁度良く、明日からその高校に編入することになってさ」
「つまり、黒雨さんが僕の高校に来る…ということですか?」
「そういうことになるね。だけど生憎ながら君の一つ上の学年だから同じクラスにはなれないね? …ふふふっ」
ひんやりとした静かな夜に浮かぶその笑顔は月より美しく、祐兜をからかった。
「さて、と。君…祐兜くんとはもう少しお話していたいけど…もうこんな時間だしさ。…いい加減帰った方が良いんじゃないかな?」
黒雨はそう言うとベンチから立ち上がり、くるっと回って巫女服の袖を揺らしながら祐兜に催促した。
「そっか…もうそんな時間なんだね…じゃあお言葉に従う事とします…」
「…明日からは君の先輩になるんだからね?」
「ええ、頼りにしてますよ黒雨先輩…そして元ボーカルの黒雨さん?」
「またそうからかって…」
「お互い様ですよ…?」
祐兜は黒雨にそう告げると神社の鳥居を潜り抜け、那須乃神社を後にしては再び暗い帰路へとついた。那須乃神社からそう遠くないはずの帰路ではあったがその暗い帰路にある交差点で祐兜は噂をすればなんとやら、先ほどまで話していた噂の大男を目の当たりにする。
「な…なんなんだよ…これは現実に引き起きている事だって言うのかよ…っ」
いきなりのことで噂話と思っていた祐兜は慌てて、地に尻をつく。祐兜の前には二メートルはあるだろうか、背中にはゴツゴツした何が入っているのかが分からない風呂敷を抱え、その大男の手にはその二メートル程度の身長と同等の大きさの薙刀を持ち合わせている。
「ちくしょう…なんで俺が…」
祐兜がそう言ったタイミングと同時に、その薙刀は地面を突き刺していた。その剣先には人間だろうか…何かが突き刺さって貫通している。その後ろ姿からはとても言葉では表現できない黒いオーラが満ち溢れていた。
「早く…この場から…去らないと…」
祐兜はどうにかして重い腰を上げて命からがらこの場所から去ろうとしたが、それはもう遅かった。二メートル程度の大男、噂話と信じていた魂狩りと呼ばれるその切り裂き魔は標的を既に移していたのだ。魂狩りとはその名の通りに人間とは思えない奇声を、雄叫びを上げて薙刀を大きく振り上げて…振り下ろした。
「邪魔だ、…失せろ」
その時、思わず目を覆ってしまうほどの金色の光とともにドスのきいた男の声が祐兜の元に聞こえてくる。覆っていたその手を顔から離すと先ほどまで目の前に居たはずの魂狩りは一歩退き、金色の光り輝く二本の刀を手にした黒いマントの男が対峙していた。あの眩い光の正体は手に持っているそれぞれ形が違うようにも見える二刀で、対峙し、その二刀を持つ黒マントの男は魂狩りに比べ体型も劣っている。
「Arrrrr…!!」
魂狩りが黒マントの男が現れたかと思うと今まで以上の雄叫びを上げ、薙刀を地面に突き刺し、肩に背負った風呂敷から大きな木槌を手にし地面に突き刺さる薙刀ごと叩きつけた。すると黒マントの男の居るそのアスファルトだけが勢いよく崩れ落ちる。
「なんだってんだよ…っ!」
祐兜は目の前で起きる超常的な出来事を受け止めるのに必死だった。
「おい、そこのお前…何故逃げない? お前も選ばれたのか?」
黒マントで顔も見えない男は祐兜にそう告げる。
「選ばれた…って何なんだよ…俺は…別に…」
祐兜は意味が理解できなかった。しようとしても分かる筈がなかった。それを察した黒マントの男は飽きれ声で言う。
「そうか…じゃあ逃げるなり、ここから少し離れるなりしてなさんな…こっから先は少しばかり危なっかしいからね」
黒マントの男はそう言うと手にした二刀を頭上でこすり合わせ、共鳴させる。そこには再び金色の光が集まる。祐兜はその光に夢中になっていた。
「…へえ、逃げずに現実を見るのか。なら丁度良いさ、見学するといい…行くぜ…ッ!」
黒マントの男は金色の光を集めた二刀を勢いよく振り下げ、魂狩りとの距離をそのままの如く光の様に詰め寄り、肩から腰までをばってんに勢いよく切り裂いた。
「Gaaaaaaaaa…!!」
魂狩りと呼ばれるその大男は地に膝をつけて、体勢を崩す。そして背負っていた風呂敷も地面へと叩きつけられた。その風呂敷からは大太刀をはじめ、刀や鉞、熊手や棍棒といった武器がゴロゴロと地面に転がる。
「ちっ…こいつは影武者か…」
その様子を見た黒マントの男はそう呟いた。
「影武者って一体…」
黒マントの男にその言葉の意味を確認しようと祐兜はしたがそこで言葉が詰まる。何故なら地に膝を着いたその魂狩りの体は地面のアスファルトに吸い込まれる様に、黒い影として消え始めたからだ。
「…さぁて、社会勉強は終わりだそこの少年」
黒マントの男はそう言うと金色の二つの刀を腰にあるその鞘に納める。
「…あのこれは一体なんなんですか」
祐兜は目の前で起きた非日常すぎるその光景の意味を理解できていなかった。
「奴…巷では魂狩りとか呼ばれてたっけか? 奴の風呂敷の中をよく見ていなかったのか? 奴の風呂敷の中には大太刀、刀、鉞、鎌、熊手といったかの歴史上の人物…武蔵坊弁慶の道具を持っていたじゃないか。奴はその化身で本体では無かったがな。そして奴の風呂敷には武器だけじゃなく君の持っているであろうスマートフォンや誰の物か分からない財布や金品、ネックレスやゲーム機、部活で使うような道具といった…人間が大切とする物を持っていた。これの意味が分かるか…?」
淡々と黒マントの男が話すが祐兜にはまだ分かる筈もなかった。
「…意味が…分からないです」
「まぁ…選ばれていない者なら仕方ない、か。でもこれも何かの縁だ。簡単に話してやるよ」
黒マントの男はマントのフードに手を当てて近くの電信柱に背を預けた。
「今、この地では様々な事件が起きているよなぁ? 生徒会長?が亡くなったりだとか。だがそれに警察は手が負えないでいる。それは今この地ではある伝統の、だが一般には知られていない儀式が行われているからだ。その儀式には自らの夢を叶えるべく望んで参加している奴も居れば、過去…つまりは前世との因縁で参加したり、あとは偶然参加してしまった奴もいる。さっきの大男、魂狩りはその一人だったんだが手にした武器の強力さに自らを飲み込まれてしまったんだ。だから今では流浪の切り裂き魔と化している。だから俺みたいな良心的な儀式の参加者が退治してやろうって話さ」
その話を聞いた祐兜はただ茫然としていた。ここ最近、この地での異常な出来事の裏にはそういう事があったのだと心に刻んでいた。
「まぁ…俺にも時間がない。お話もここまでだ、続きを聞きたいのなら戦う覚悟をしろ…そして自分の本心からは逃げるな。あとはまぁ…そこの神社、那須乃神社に最近現れた巫女に話でも聞くといいさ…。じゃあな、少年…次は敵として会わないことを祈るよ」
黒マントの男はそう言うと人間離れした跳躍で一軒家の屋根に飛び移ってはその場から姿を消していった。
「戦う覚悟…自分の本心から逃げるな…か。僕はいつも逃げてばかりだ…」
祐兜の脳裏には自分の中学時代の記憶が焼き付いていた。ひどく過酷ないじめの日々…体育館履きを隠されるなんてやわなもんじゃない、半殺しにだってされかけたこともある。祐兜はそして今のこの地に尻をつけては何も出来ずにあの黒マントの男に助けてもらって命拾いした情けない姿を見て自分の事を自分で傷つけていた。
「僕は弱い…何もできない。僕は弱い…底辺の人間…か」
そう呟いた時、携帯のアラームが鳴り響く。そのアラーム音は自分で設定したskepticの曲だ。
「この曲…。そうだ…僕はこの曲で…」
この曲で、心が救われた。この曲を歌っていたskepticがあったからこそ僕は乗り越えられたと祐兜は思い直す。そしてそのボーカルであった黒雨さんと話す事が出来た。ただそれだけで過去の自分とは違ってどこか強くなれた気がした。そういえばあの黒マントの男が最後に那須乃神社の巫女に話を聞くと良いと言っていた。そして当の本人が何か…始まってしまったのかと意味がある様な事を言っていた。黒雨さんもその選ばれた者なのか?と祐兜は彼女の事を想った。
祐兜は重かった腰を冷たいアスファルトから離すと、流石にもう今日は疲れたのだろう、足を引きずる様に今再び帰路へと着く。そしてその帰路の終点に付くとそこは寂れた公園横にある空き地に置かれたキャンピングカーだ。祐兜には家族が居ない。正確には祐兜の両親は亡くなっているのだ。親父は会社でのうつ病で自殺。母は祐兜を生んだ時に。だから住むところがなかったのだが両親が残していた遺産で少しの空き地と中古のキャンピングカーを買って生活しているのだ。
「今日は色んな事がありすぎた…もう疲れたよ…」
祐兜はキャンピングカーの中にある固いベットの上で無地の金属の天井を見てそう呟いた。そして心の中にあるこの霧の様なもやもやを消したい、と決心する。
「明日朝一番で那須乃神社に…」
そこから先は言葉にならなかった。そして祐兜はそこでふと、思い出していた。キャンピングカーの倉庫部分の奥深くに眠る黒く錆び付いたなまくら刀の存在を…。