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見えない彼女  作者: やまもと ゆりな
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出会い

部活の時間が終わり、人影のなくなった校庭に静けさが戻る。俺は、二階の窓から、ぼんやりと外を眺めていた。5月下旬、日差しも、日に日に強さを増す。カーテンをふわりと揺らす風が心地よい。不意に、グラウンドのほうから、テンポの良い、軽快なリズムが聞こえた。俺は、音のするほうに目をやる。グラウンドの奥の木の下、使い古したような、ぼろぼろのサッカーボールと、セーラー服。ボールを足で捉えてあげ、落ちてきたボールをまた捉えて、あげる。そのたびに、スカートと、高い位置で結ばれた髪が揺れた。洗練された、無駄のない動きに、思わず見とれてしまう。

「女子なのに…」

 言葉が口をついた。刹那、カーテンが風でさぁっと舞い上がり、視界を覆う。慌てて、カーテンを手でのける。しかし、小気味よいリズムはもう聞こえなかった。グラウンドを見回してみても、誰の姿もない。カーテンに邪魔をされたのは、ほんの、数秒だった。そんなに校舎に近い位置でもなかったから、その間に帰ってしまうことなんて、できないはずだ。

「おい、達也、行こうぜ」

階段の下から、自分の名前を呼ぶ声に、ふと我に返る。声の主は、おそらく遠藤章介だ。俺は、自分の机の上に置いていたバッグをつかみ、階段を駆け下りた。

「お、今日は降りてくんの早いな」

章介が、感心したような口調で言う。

「なんだよ、いつも早いだろ」

「そうか?5分ぐらい待たされてる気、するけど」

章介は、背が高く、歩くスピードも速い。俺は、置いていかれないように、速足で並ぶ。

「ところでさ、うちのサッカー部に、女子とか、いたっけ」


章介は、サッカー部の、マネージャーをしていた。小中学校のころは、サッカー部の中でも特に上手で、先輩をしのいでレギュラーを取っていたようなプレイヤーだったが、中三の夏のある試合の時だった。引退前、最後の公式試合。雨上がりの人工芝。前半15分を過ぎたころ、仲間のパスが、章介につながり、相手が、章介のボールを取ろうと仕掛けに来る。それをかわそうとフェイントをかけたとき、すべってバランスを崩し、右足が変な方向を向いたまま着地してしまった。そのころ、章介と一緒にサッカーをしていた俺は、試合後、章介が運ばれた病院にかけ付けた。病室から出てきた章介が口にした症状の名前は、俺には難しくて、どのような骨折なのか、よく理解できなかった。

「足の着き方が悪かったらしい。激しい運動はもうできない、と言われた」

「おいお前、じゃあサッカーも…」

章介は黙って首をたてに振り、声を立てずに泣いた。一応、日常の生活に支障がない程度には治るが、激しい運動をしたら、二度と歩けなくなる。サッカーなどはもってのほか、と告げられたそうだ。幼稚園の頃からずっと一緒にいたけど、いつも明るく、リーダーシップもある章介が、泣くのを見たのは、おそらく初めてだったと思う。高校に上がってからは、俺は帰宅部となり、章介は、サッカー部以外に入りたい部活なんてない、と、マネージャーとして、携わる道を選んだ。


「うん、一応な」

そんな章介の口から飛び出したのは、意外な答えだった。まさか、うちのサッカー部じゃないよな、校外の、クラブチームなどで、サッカーをしているんだろうな、と軽い気持ちで聞いてみたことだった。毎日ぼーっとグラウンドを眺め、章介を待っていたのだから、あんな髪の長い選手が混ざっていたら、気づかないわけがない。

「うそ、まじで?そいつ、最近入部した?」

「いや、いっこ上の先輩だからね。俺が入る前からいるよ」

俺は、ますますわからなくなり、首をかしげる。章介が少し笑う。

「それにしても、どうしてそんなこと、急に聞くわけ?お前、女子サッカーとか興味あったっけ」

「残念ながらそうじゃないんだけど、さっき、奥の木の下でリフティングしてる女子、見たんだよ。すごく上手だなって思って」

章介は、怪訝そうな顔で、下駄箱から靴を出す手を止めた。

「あの先輩が、リフティングとかしてるとこ、見たことないな。大体、今日は練習来てなかったし」

今度は、俺が訝しげな顔をしてみせる。

「その先輩って髪が長くて、高いとこで結んでる先輩だろ?俺、絶対見たって」

「いや、ベリーショート。ぱっと見、男って感じ」

章介は、こんな感じ、と、自分の髪の毛を引っ張って、長さを示そうとした。

「え、じゃあ俺が見たのって、その、お前が言う、女子の先輩じゃないってこと?」

俺は、靴に足を突っ込んで、正面玄関を出ようとする章介の後を追う。

「そうじゃないの?ま、どうでもいいじゃん」

章介が、振り返って言った。

「なんか、ひきつけられるっていうか、見ていたいっていうか、そういう力があったんだよな。お前さ、よかったらその女子の先輩に、リフティングしてたのが誰か知ってるか、きいてくんない?」

「いいよ、なんか分かったら教える」

二人は、並んで校門を出た。風が、二人の背中を押して、通りすぎていく。

「風、強いな」

「ああ」

どちらからともなく、そんな言葉が出た。一列に並んだ街路樹が、さわさわと心地の良い音を立てる。

しばらくふたりで歩いて、俺の家につながる曲がり角についた。章介の家は、まだまっすぐ進んだところにある。じゃあな、とお互いに手を挙げて、別れた。


「ただいま」

ドアを開けて、誰もいない家に、毎日の習慣であいさつをする。

空っぽの部屋に、自分の声だけが響く。小さいころは、それに寂しさや、時には恐怖を覚えたりもしたが、今はもう、慣れてしまった。靴を玄関で乱暴に脱ぎ、肩からおろしたバックを床に放る。居間への戸を荒く開け、ソファーに倒れこんだ。そして、大きく息を吐いた。ごろりと寝返りを打つ。両親は共働きで帰りが遅い。身の回りのことは、すべて自分でやってしまわなければならない。もういちど大きく息を吐き、勢いをつけて体を起こす。重たい体を引きずり、台所へと向かった。


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