<9> 苛立ち。
反射的に立ち上がって、ナナエはキーツから距離をとるようにして後退る。
それをキーツは面白そうに顎を上げ、再び長いすに腰掛け、意地の悪そうな笑顔で見ている。
この状況でハイヒールは不利だ。
キーツから視線を外さずにそっと靴を脱いで手に持つ。
いざとなったら武器にもなるし丁度いい。
「それ以上近寄ったら、魔法ぶっ放すから」
ピンヒール部分をキーツに向けてとりあえず威嚇してみる。
相変わらずキーツは長いすに座ったままだ。
「魔法……っかぁ。だからそんなに落ち着いてるのかなぁ?」
「いっとくけど、怪我じゃすまないと思うからね」
自分でも制御できないからね!
自慢じゃないけど!
「うん、いいよ」
「……は?」
「いや、だから魔法使ってみてよ」
ニヤニヤと笑いながらキーツは言う。
その意図が理解できない。
ナナエが魔法を使えないと踏んで、からかっているのだろうか。
「一応、言っておくけど。本当に使えるんだけど、魔法」
「うん。いい匂いプンプンさせてるから、そうじゃないかな~とは思ってた」
「じゃあ、なんで」
「話の流れから、わかってくれたと思ってたけど?」
「何を?」
「俺、この話乗り気じゃないんだよ。大体に嫌がってる女の子となんて萎えるでしょ~…」
「でも雇われてるんでしょ?」
「そそ、だから怪我して帰れば”抵抗激しくて無理でした~テヘッ”で終わるかと思って」
「怪我どころじゃ済まないかもよ」
「ん~…まぁ、大怪我するほど弱くも無いから、多少のことは大丈夫」
そう言ってキーツはさぁさぁ早く!どうぞ!と言わんばかりに手を広げて、笑ってみせる。
その仕草には悪意を感じず、ナナエは困惑する。
手に靴を持って構えたまま逡巡していると、不意に目の前のキーツの姿が消え、瞬く間にナナエに距離を詰めてきていた。
「ねぇ、早くしないとほんとヤっちゃうよ?」
突然のことに反応できないで居ると、キーツはナナエのアンダードレスの胸元に爪を引っ掛け、ニヤリと笑った。
(…えっと、と、とりあえず魔法!!あんま怪我しないヤツ……!)
「そ、そよ風っ!」
ゴウンっと地鳴りのような音を立てて、テーブルが二つに割れる。
おお!部屋をふっとばさないあたり、制御できてる気がする!!!
「……遠慮してんの?お人よしだね。俺に当てて良いよ?」
呆れたようにキーツが言う。
──いいえ、100%本気です。
ふと、その時部屋の隅にあった観葉樹が目に入った。
これだ。
何も傷つけなくても、キーツを拘束できればいいのだ。
「枝、ちょっとだけ伸びろ!!」
ドーーーン!
派手な音共に観葉樹は砕け散る。
キーツの視線が痛い。
「ちっちゃい衝撃波、こいっ!」
ドンッ!
窓ガラスが窓枠ごと吹っ飛んだ。
キーツの視線が痛い。
「グラス1杯分の水!!!」
バシャーン!!!
部屋中水浸しになった。
もちろんキーツもナナエもびっしょりだ。
「よしっ!」
水が滴る前髪をキーツは髪をかき上げるようにして払う。
若干首を捻っている気がするが気のせいだろう。
「……遊んでんの?」
幾分苛立った口調である。
失礼です。100%本気です。
不機嫌そうに体の水を払うキーツから急いで離れ、ナナエはバルコニーに向かう。
制御不能の魔法じゃ、どうやっても逃げ切れそうもない。
なら、物理的に逃げ出すのみだ。
「そっち、出口ないよ」
浅はかだとでも笑っているような声でキーツは特段慌てたそぶりも見せずにゆったりとした足取りでナナエの後を追う。
ええ、知ってますとも!
ホントの貴族の娘ならアウトだったでしょうとも!
ナナエはバルコニーの傍まで寄るとそのままバルコニーの手すりに足を掛け、乗る。
すると、キーツは驚いたように慌てて駆け出した。
躊躇している暇は無い。
ここからなら下の草地がクッションになるはずだ。
ナナエはぎゅっと目を閉じてそこから飛び降りた。
「………なんてこと、すんの。アンタ」
間近から酷く呆れた声が聞こえて、ナナエはそっと目を開けてみた。
目の前には酷くかったるそうに髪をかき上げるキーツが仰向けに寝転んでいる。
「おおぅ……人間クッション。いや、猫クッション」
「クッションじゃねぇし」
すんでのところでキーツが追いつき、クッションになってくれたらしい。
……意味不明な行動だ。
「怪我は?」
「ない、けど」
「けど、なに?」
「危害を加えようとしてる人間が、その相手に”怪我は?”なんておかしいでしょ」
「……あー、そだな」
ナナエが上からどくと、キーツは半身を起こし、バツが悪そうに視線を逸らしながら頭を掻いた。
イライラしたように、尻尾をタンッタンッと草地に叩きつけている。
「じゃ、仕切りなおし」
「せんでいいわ!」
持っていた靴をキーツに叩きつけようとするも、キーツはスッと体を反らせて何事もないようによけてみせる。
そしてそのままキーツは左手でナナエの右手首を掴み、右手を腰に添えるとグッとナナエを抱き寄せた。
「本気でやんなよ?……それとも本当は俺とヤりたい?」
そして腰に当てていた手で左手も押さえ込む。
草地の上に簡単にナナエを組み伏せると、その顔を覗き込むようにしてキーツは笑う。
「ちっちゃい爆発!」
ナナエが小さく叫ぶように言うと、近くの木の枝が音もなく弾け飛ぶ。
それをキーツは横目でチロリと見ると、更にナナエに顔を近づけた。
「人、傷つけるの怖いの?それとも魔法を使うのが怖い?そんなに気が強いのに、さっきから何かするたび一瞬躊躇してる」
「してない。本気でやってるし!」
「じゃあ、自分で気づいてない?……そんなの結局、損して泣くだけだと思うけど」
「いいから、離してよ!」
組み伏せられながらも、体を懸命によじって逃げようとするナナエをキーツは不機嫌そうに見る。
ナナエを押さえながらも、それ以上はせずにナナエをじっと見つめ、そして眉間にくっきりと皺を刻ませた。
「……苛々してきた」
「イライラしてるのはこっち!!」
「そうできる能力があるのに、……俺を憐れんでんの?」
「は?」
「むかつく。……本気にならないなら、本気にさせてやるよ」
「本気だって……んっ、んんんーーーー!!!」
キーツはナナエの体をより一層強く草地に押し付けると、荒々しくその口を塞いだ。
そして強引に舌をねじ込むとナナエの口内を貪る様にして蹂躙する。
体中の力を込めるようにしてキーツから逃げ出そうと体をよじっても、その腕は力強く、少しもびくともしない。
足をじたばたさせても、己の足で挟み込むようにして押さえつけられた。
抗議の声を上げようにも、唇は塞がれたままだ。
んーんーーっと情けない声を上げることしかナナエにはできなかった。
そしてキースの右手は乱暴にナナエの着ていたジュストコールを肩から引き剥がし、アンダードレスを引きちぎるようにして破った。
「お嬢様から離れていただけますか」
突然涌いたように降ってきた酷く冷ややかな声に、キーツは驚いたようにナナエから飛びのく。
そして飛びのいた先に放たれた小刀を避けて、更に飛びのき、そこで初めて武器を構えた。
夜の暗さでわかりづらいが、恐らくは鞭なのだろう。
「うっはー。気配全然読めなかった!姫さんの護衛怖えぇぇーーー」
会った時と同じく、どこまでも軽い調子のキーツが驚いたように言う。
その表情からは先ほどまでの苛立ちがすっかり消えていた。
そのキーツとナナエの間に、ナナエを守るようにして割り込んだのは小さな金髪の男の子。
「シャル…」
「遅くなって申し訳ありません。お怪我は?」
「だ…い、じょうぶ」
ナナエはのろのろと体を起こし、自分の姿の酷さに慌ててジュストコールを胸の前で引き合わせる。
その姿を視界の端に捉え、シャルは、そして何故かキーツも眉を歪めた。
「死ぬ覚悟は、おありですよね?」
再び小刀を数本放ちながら、恐ろしく淡々とシャルが言う。
シャルは明らかに怒っていた。
普段の温和な顔立ちからは想像もできない程の冷たい表情をしている。
そして、キーツはその言葉を受けても動じず、小刀を紙一重で鞭で弾きながらもニヤリと微笑み返した。
「すごいな。その幼さでその動きか。まともにやっても勝てる気がしねぇよ」
「お褒めに預かり光栄です。では、死んでいただけますね?」
「イヤに決まってるじゃん。勝つ自信は無いけど、逃げる自信はあるんだよね~」
「ほう。……では、私からも、逃げてもらいましょうか」
ギクリとしてキーツはゆっくり背後に顔を向ける。
すると、そこには抜き身の剣を持ったルーデンスが居た。
丁度ナナエが逃げ出してきた部屋の窓から出てすぐ下の所だ。
おそらく、ナナエを探しに来て部屋をみつけ、慌てて飛び出してきたのだろう。
バルコニーからはリッセとナテルが心配げに覗き込んでいる。
「へ……陛下」
「私の顔を知っているなら話は早いですね。私の婚約者に手を出して、よもや無事で帰れるとは思っていませんね?」
「いやいやいやいやいや!陛下とやりあうつもりは無いっす!命がいくらあっても足りないって」
そう言うとキーツはさっと木に飛び移る。
シャルはその場所へ向かって問答無用で次々と小刀を投げた。
それを危なっかしい動作で避けると、キーツは更に奥の木に飛び移る。
そんなキーツをルーデンスが逃すまいと後を追い始める。
「シャル、ナナエのことは任せました。私は後を追います」
シャルは一瞬だけ追いかけようとしたけれど、ルーデンスの言葉でナナエの方をチラリと振り返り、その足を止めた。
そして、キーツの気配が完全に消えたのを確認すると、近くの茂みからフード付きのケープを拾い上げる。
ナナエが着ればくるぶしまで隠れるほどの長衣だ。
「すみません、こちらしか手に入りませんでした」
「ううん、助かったよ、ありがとう。ほんと、シャルが来てくれてよかった」
ナナエがケープを羽織り、ほっと胸をなでおろしたように言うと、シャルはなんとも複雑な表情をする。
未だ年若いシャルにとってはショッキングな出来事と言えばそうなのかもしれなかった。
「えっと……お騒がせしました?ごめんね?」
「いえ…早くと言われていたのに僕が急げなかったから…」
「いやいやいや。シャルのお陰で助かったし、ホントありがとう」
お互いに遠慮した雰囲気のまま、何も話題を見つけられずに居た時、ふとナナエのすぐ傍に降り立った影があった。
「トゥーヤ」
その姿に安心して、ナナエはトゥーヤを見上げながら口元を緩めた。
トゥーヤが居るときの安心感は異常だ。
緊張の糸がやっと少しだけほぐれる。
だが、トゥーヤは何故かいつも以上に無表情だった。
「髪が……濡れていますね」
「うひひ。魔法、失敗したぁ~」
「窓枠が下に落ちてたのですが」
「……それも、魔法失敗して」
「そこの木の枝が幹の半分ぐらいから吹っ飛んでるのは…」
「それも……」
「目的は屋敷破壊とか」
「違うわよ!なんでそうなんのよ!必死だったんだってば!」
「また請求書回されたらどうするんですか…」
「……っぐぐぐ!」
おかしい、普通、女子がこんな目にあえば皆腫れ物扱いな筈……!
なぜに修繕費の心配をせねばならないのだ……!!!
心配の度合いが
修繕費>越えられない壁>ナナエ
になっている現状は主人として憂慮すべき問題である。
「そ、そんなのは諸悪の根源のルディに払わせれば無問題でしょ!」
「……ま、そうですね」
そう言うと、トゥーヤは短くため息をついて肩をすくめてみせた。
「じゃあ、そろそろ帰りますか?」
「ん」
「……立てますか?」
「トゥーヤぁぁ、すっごい疲れたぁああ」
甘えたようにそう言うと、相変わらず座り込んだままのナナエをトゥーヤはさもなんでもない事のようにスッと抱き上げた。
それはとても自然で、そんなトゥーヤの腕の中で、ナナエはだるいだの疲れただの不平をもらす。
トゥーヤはトゥーヤで、それを「はいはい」と軽く受け流す。
そんな2人をシャルは微妙な表情でみつめていた。