<7> 覆面希望です。
夜会へ行く準備をあらかた終えると、同じく準備を終えたルーデンスが部屋にノックもなしに入ってきた。
それを横目でジロリと睨みながら、シャルが入れてくれたお茶を口に含む。
だが、ルーデンスは肩を一度微妙にすくめただけで平然としている。
それがナナエにはあまり面白くない。
トゥーヤにノックなし入室を許しているのだから、ルーデンスもと言うことなのだろうが、なんとなく釈然としない。
……ああ、わかった。
信用問題なのだ!
着替えようかなっという段階になると言わなくても居なくなるトゥーヤと、じっくり見物に入ろうとするルーデンスの違いなのだ!
毎回追い払う方の身にもなれ!
エッチなのはいけないと思います!
夜会用にとルーデンスが着た服は以前の晩餐会の時のような立派なものだった。
襟や袖口にはふんだんにレースが使われ、かつ豪華な銀の刺繍が入った白いジャケット。
そして、落ち着いた深みのある赤のジレに、白のキュロット。
爽やかなイケメン王子様といった出で立ちだ。王様だけど。
「準備は大体出来たようですね」
「うん」
「今日着けていくアクセサリーを用意しました。これを着けてください」
そう言ってルーデンスが差し出したのは小さな薔薇をかたどったガーネットがいくつも付いた首飾りだ。
おそらくアクアマーケットのあの人気宝飾店の物だろう。
「耳飾りと合わせて作らせました。……ん?」
不意にルーデンスはナナエの顔を間近で覗き込むように見る。
その表情は微妙に困惑しているように見える。
ナナエはそのルーデンスの行動に同じように困惑の顔を向けながらも、その距離の近さに少し背を反らせた。
「…なによ?何かついてる?」
「……逆です。着いていません」
「………?」
「なぜ、両方つけないのですか?」
「何を?」
「私の贈った耳飾りです」
「……あ~…」
その理由を思い出して、ナナエも微妙な表情になる。
下手なことを言えば面倒そうだ。
「色々ありまして」
「こっちの月の耳飾りはトゥーゼリア様とお揃いなんですよ!」
ぬわっ!!!
シャルがにこにこしながらチクった!!!
それをいうと面倒だから言葉を濁したと言うのに!!
げに恐ろしきは無垢な子どもの発言よーーー!
「ほぅ……」
「まぁ、その。…行きがかり上そうなったわけで」
「なるほど」
そんな微妙な雰囲気の中、トゥーヤがドレスの上に羽織るショールを持って部屋にやって来た。
そして、その微妙な雰囲気を感じたのか、訝しげな顔をしている。
その姿をルーデンスもチロリと横目で見て、唇を引き結んだ。
「ナナエ」
「ん?」
「残りはどこにあります?」
「ああ、ここにあるよ。なくしちゃいけないと思って」
ナナエが小さな皮袋をテーブルから取り上げると、ルーデンスはそれを受け取った。
そしておもむろに中を開け、そこにある耳飾りを確認すると、そのまま自分の左耳につける。
それを見てナナエは何とも言えない表情をするしかなく、トゥーヤは明らかに眉間に皺を刻ませた。
シャルは訳も分からずきょとんとしている。
「ま、これで良しとしましょう」
「全然良くないけどね……」
──胃が痛い。
ナナエはそっと胃の上を押さえてみる。ナテルの気持ちが少し分かった気がした。
チラリとトゥーヤの表情を伺い見ると、既にいつもの無表情に戻っていて、表情が読み取れない。
トゥーヤはこういうところで出張ってくるような人物では決して無いが、その分気持ちが読めなくて困惑する。
そんなナナエを気にもせず、ルーデンスはナナエの後ろに回ると、手早く首飾りをつけた。
白いドレスに赤い石が映えてとても綺麗だ。
右手で鏡を持ち、首飾りに左手を添えいじりながら、いろんな角度でその首飾りを見てみる。
薔薇の形に加工されたガーネットの間にはダイヤモンドがまるで花の雫のように散らばっていた。
「これ、可愛いねぇ」
「ナナエに似合うように作らせました。本当は収穫祭最後の晩餐会で渡そうと思っていたのですが、渡しそびれていました」
「ああ、そっかぁ」
そしてふと、再びルーデンスが困惑した表情で首飾りを見ているのが分かった。
顎に左手を当て、右手はその肘を押さえるようにして考え込み始める。
「どうかしたの?」
またやぶ蛇にならないといいなと思いつつも、ルーデンスに尋ねる。
するとルーデンスはチロリとナナエを見て、ため息をついた。
「その銀の指輪。アマークの王子に貰いましたね?」
「……」
やぶ蛇だった!!!
慌てて鏡をテーブルに戻し、左手を隠すように右手を重ねる。
「なっ……なんの、ことかなぁぁああ?」
「誰彼構わず贈り物を受け取るのはどうかと思いますが……面白くなってきましたね」
「ディレック様をいじめないでよ?」
「人聞きの悪い……丁重におもてなしをさせていただいてますよ」
そう言ってルーデンスは口の端をあげてニヤリと笑う。
もうその顔は、上品な王様というよりはどこぞの黒幕の悪い微笑にしか見えない。
(ごめんなさい、ディレック様……)
ナナエは心の中で謝りつつ合掌するしかなかった。
ヤボラの領主の館は、それはもう立派だった。
まぁ、王城に比べるとこじんまりとした感じは否めなかったが、それでも十分すぎるほどの広さと華美さを併せ持っていた。
馬車が付くとすぐに領主自らが迎えに出てきて、下にも置かない歓迎っぷりだ。
その連れであるナナエにも非常に丁寧に礼を尽くしてくれる。
…領主の娘以外は。
──睨んでる、睨んでる!わかり易す過ぎだ!
私のルーデンスから離れなさいよ的な物凄い熱い視線を受けて、ナナエはげんなりする。
よくよく考えてみれば、ルーデンスはこれだけの美形な上に、有能な国王。
しかもこの国は一夫一妻制。
イケメンな上に結婚すれば最高権力、しかも寵愛争いが無いと来た!
おまけに魔力もエーゼル最高レベル。
超絶優良物件といっても過言じゃないのだ。
そんなルーデンスと連れ立って来れば、一寸先は闇ならぬ、気ぃ抜けばフルボッコの世界だ。
ああ、失敗した…とナナエが後悔しても仕方がない。
とりあえず刺激をしないようにルーデンスから3歩ほど離れる。
「何をしているんですか。はぐれますよ?」
ルーデンスがそんなナナエの腰に手を当て近くに引き寄せた。
(あああ、私の気遣いがぁぁぁぁああああ)
ヤボラ侯爵令嬢はまるで呪い殺さんばかりにナナエを睨む。
「ルディ」
扇を口に当てながら小さくルーデンスを呼ぶ。
ルーデンスはその声に振り向き、非常に難しい顔をしているナナエをみて怪訝そうに首をかしげた。
「どうかしましたか」
「急用を思いついたので帰りたいでぃす」
「…………」
物凄く呆れた目で見られた!
急用があるから帰りたいって言ってるのに!酷い!
ルーデンスは問答無用でナナエを半ば強引に歩かせた。
大広間のどでかい扉が着々と近づいてくる。
悲愴な面持ちで居ながらも、何とか回避方法を探る。
「ルディ、ルディ!」
「……何も思いつかなくていいです」
「まだ何も言ってないじゃん!!」
「どうせろくな事じゃありません」
「敵をこれ以上作ったらトゥーヤに怒られるんです!」
「作らなければ宜しいでしょう」
「無理なんです!既に作成中なんです!目下絶賛ing系になってるんです!進行形です。わかりますか?現在進行形!ルディのせいなんです!」
「……人のせいにしないで下さい」
酷く迷惑そうな顔でルーデンスはナナエを見た。
だが待ってほしい。
迷惑を被ってるのは今回に限ってはナナエだ。
すぐそこの侯爵令嬢の視線に気づかないのか!
あの背筋が凍りそうなほどの黒々としたオーラをしかと見よ!
広間へ続く扉の向こうにはそれと同じ視線が何倍待っているかわからんのだぞ!
「ああ、地獄絵図が見える……屠殺場へ放り込まれる子牛の気分だ」
「それを言うなら、普通子羊じゃないんですか?」
「ドナドナの気分だってばサ……」
青い顔をして呟くナナエを、相変わらずルーデンスは呆れ顔でみる。
ここまで来ていまさら何を、といった心境なのだろうが……諦めたらそこで試合終了なのですよ?
「ああそうだ!2人とも覆面で登場とかどうかな!ルディがルディとわからなければ無問題なはず……」
「……遠慮します」
「じゃあ、せめて私だけでも覆面で!」
「何がしたいんですか、あなたは……」
「せめて私がタイガーマスクで登場すれば、ヘイトが逸らせるかと思いまして」
普通に傍に居るから私もついつい忘れてたけど、あなたが無駄に高スペックなのが悪いのですよ!
「私でなくて、侯爵令嬢様をエスコートしたらどうだろう?」
「往生際が悪いですね」
「今、激しく私の迂闊さを後悔してるのよ」
とうとう、大扉の前まで来てしまいました。
嗚呼、なんかさっきまで聞こえてた音楽がぴたりとやんだ気配がする。
ざわざわとした人の話し声も聞こえなくなり、しんっと静まり返っている。
横のルーデンスを見やれば、なんとも澄ました表情だ。
プレッシャーなど何も感じていないらしい。
──ああ、胃が痛い……。
こんな場に慣れているルーデンスのアイアンハートと違うのですよ……。
騙された……!
広間に入場するなり、ルーデンスの婚約者のギーヴ伯爵令嬢エリザベスとして紹介されるという苦行が待ってました。
もうこのヘイトはタイガーマスクぐらいでは逸らせそうもありません。
紹介に次ぐ紹介でナナエがげっそりになった辺りで、ルーデンスがお偉いさんたちに政務の話を交えたあいさつ回りを始めた。
のでので!当初の目的であったマカロンを食べようと料理が乗ったテーブルへふらふらと歩み寄る。
取りあえず、嫌なことは食べ物で紛らわそう……。
流石に侯爵主催の夜会だけあって、どの料理も、どのスイーツも見事な出来栄えで、ナナエは並べられた料理の数々をうっとりと眺めた。
肉料理に魚料理、オードブルに酒にデザート。
どれも種類が豊富で、彩りも鮮やかに並べられており、見た目からして物凄く楽しませてくれる。
さて、最初はなににするか。
「シャンパンだ!」
「……言うと思いました」
聞き覚えのある声に振り向けば、苦笑したナテルの姿。
その横にはにこやかに笑うリッセがいた。
「あぁぁ!2人とも来てたんだねぇ」
「ルーデンス様が夜会に出るからと呼ばれてきてみれば、婚約発表とか……やられました…」
「ナテルも知らなかったの?」
「ディンの皇女との婚姻の話が進んでたんですよ?知ってたら止めましたよ」
「きっと、あれが狙いですわ。ほら、あそこにいらっしゃるデルス公爵。あの方の妹君がディンの皇女のお母様なのですわ。確実にディンまでこの情報は届きますわね」
「それが狙いか!急に夜会なんて誘うからおかしいとは思ってたんだ……」
「デルス公だって今日は参加の予定はなかったはずなんですよ。……そういう根回しは上手いんです、ルーデンス様は」
ナテルは、はぁぁぁっと大げさに長いため息を吐く。
それを見ながらナナエも同じように、はぁぁぁっとため息を吐いた。
「どうしてくれるのよ、一気に私アウェーだよ……」
「お姉様、ファイトですわ!愛があれば障害は乗り越えられます」
「………取りあえず今日はお酒とマカロンで乗り越える」
王弟として挨拶に回ると言うナテルと、”虫除けをしないと!”っと張り切るリッセの2人と別れた。
考えてみれば、魔力は無いもののナテルも王弟という立場にあるわけだから超優良物件に違いない。
リッセは気が気ではないのだろう。
だがそんなリッセの気持ちにナテルは気づいていないようだ。
あんなに一生懸命アピールしてるのにね……。
ナテルをみてると言いたくなる。
おまえ、どこの鈍感ヒロインだよ……と!
さて、改めて料理に向き直る。
食う、食う時、食うならば!
給仕から受け取ったグラスを一気に飲み干し、マカロンタワーから目的のマカロンをとって、一口齧る。
期間限定ベリーミックスマカロン。
生地からほのかに苺の甘酸っぱい香り。
そしてさっくりしっとりもっちりな生地の間にはラズベリーのゼリーソースとクランベリー風味の生クリームが層を織り成すように挟まれている。
流石は期間限定スイーツ。いい仕事をしている。
口に入れればもちっとした生地からゼリーソースがホイップクリームと共にはみ出て、口の中を甘酸っぱい爽やかさでいっぱいにする。
生地からも苺特有の甘酸っぱい香りと優しい甘さが広がる。
これを食べれただけでも、来た甲斐があったと言うものだ。
「給仕も介さず食事を取るなど、どこの山猿が紛れ込んだのかしらぁ」
鈴を転がすような可愛らしい声が後ろから突き刺さる。
きたか……とナナエはげんなりした表情でゆっくりと振り返った。
そこにはお姫さま、といった感じの可憐な少女が居る。
何となく見覚えがある。
先程紹介の時にあった、何処かの領主のお姫さまだろう。
意中の相手に婚約者が出来るとそれをいびりに来るのはもはや定番だ。
セオリーを頑なに遵守するお姫さま、萌え。
「……ご、ごきげんよう」
優に一拍、考えに考えた挙句、返せる言葉がこれしかありません。
ギブミー、ボキャブラリー。
するとその少女は扇で口元を隠しながらナナエを小馬鹿にして笑った。
「私は公爵家の娘ですのよ?たかが伯爵家の娘が同じ目線でいいと思ってらっしゃるのかしら?随分とわがソミア公爵家をバカにしてくれますわね」
「……もうしわけありません」
同じ目線も何も、そっちの方が背が高いんだけどな~とか微妙なツッコミを頭の中で入れつつ、ナナエは大人しく膝を折って礼をする。
それを面白くなさそうに公爵令嬢は横目でチラリとナナエを見た。
そして不意に面白いことを思いついたようにニヤリと笑う。
「エリザベス様、でしたわね?そちらのシャンパンがいたくお気に入りのご様子。もっとお飲みになります?」
令嬢は急ににこやかになり、給仕を呼び寄せる。
「エリザベス様は、それと同じシャンパンでよろしくて?私は……ケーキでも頂こうかしら」
と公爵令嬢はシャンパンのグラスと小さなチョコレートケーキを皿を給仕から受け取った。
ああ、攻撃態勢に入っている。
もはや様式美だ。
【シャンパンでよろしくて?=シャンパンかけてもいいわよね?】
デスヨネー。
ぶっ掛けられる準備をせねばならぬ。
「はい、どうぞ。エリザベス様」
そう言ってグラスをナナエに向って差し出した。
断りたい気持ちは満々だったが、恐らく爵位が上のものからのもてなしなのだから、断ることは失礼に値する筈だ。
断れば、十中八九揉めるだろう。
「……ありがとうございます」
とても慎重にそのグラスを受け取る。
意外にも何も仕掛けてこないのかな?っと思った瞬間だった。
ソミア公爵令嬢が突然よろめいた。
そして、持って居たケーキの皿をナナエの顔に向けて放り出す。
──そっちかよ!
てっきりシャンパンをかけられると思ってた分、少しだけ反応が遅れる。
「まぁ、どうしましょう?…申し訳ありませんわ」
これでもかと言うぐらいワザとらしく令嬢は頬に手を当て首を傾げる。
幸い、とっさに身をよじったのでそこまで酷くは無い。
……こともないか。
左頬にはチョコクリームがべったりくっついているし、そのまま落ちたチョコケーキは白いドレスにチョコレート色のシミを派手につけている。
警戒してただけに広範囲ではない。
だが、目立つ。
(おおぅ!これを理由に帰ればいいじゃない!!)
ピコーンとひらめき、ナナエは満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫ですので、お気遣いなく!全然無問題です!むしろグッジョブです!」
早口にまくし立てて、早々に令嬢の元を辞そうとすると、公爵令嬢はナナエの右手にさっと己が両手を添えてうな垂れてみせる。
どこからどう見ても悲しげなお姫様っといった雰囲気だ。
こやつ、できる……!
「わたくしのせいで……。申し訳なくて胸が張り裂けそうですわ」
「むしろ助かりました、ありがとう」
「……そうですわ!着替え用のドレスがございますの。どうぞ、そちらをお召しになって?陛下の婚約者様にそのようなお姿をさせるなんて申し訳ないですわ」
「”大丈夫だ、問題ない”ってヤツです。すぐに帰りますので」
「いいえ!エリザベス様をそのようなお姿でお帰ししては陛下の恥ですわ」
ナナエの返事を一切聞かないうえに、”ルーデンスの恥”と言われれば引き下がりようが無く、ナナエは渋々頷く。
それをさも当然と言わんばかりに、令嬢は再びニヤリと笑った。
そして、ナナエの手を引き、「こちらにおいでになって」と広間の外へ誘導する。
──人目の無いところで殴られるとか、罵られるとか…そんな感じかなぁ……
相手は自分よりは背が高いとは言えども、お姫さまなだけあって華奢である。
早々簡単にやられはしないとは思うが……と、この先を考えて憂鬱になりながらも黙って従う。
いざとなったら…魔法でもぶっ放してでも逃げようと覚悟を決めながら。