<60> 錯誤の昼 (6日目) -2-
丁度昼を少し回ったぐらいのツォルグの町は、行きかう人で活気に満ちていた。寒さが身に染みるのは今朝までいたディリスにすっかり体が慣れきってしまったからだろうかと、シャルはかじかむ手を軽く擦り合わせる。
朝一番にリリンを伴って森に行き目的のものを回収すれば、穏やかに、解けるように春の暖かさがだんだんと弱まり、村に再び戻るころには冬の寒さとはいかないまでも、すっかり春の様相は消えていた。村の大人たちは戻って来た寒さにいささか不満げではあった物の、昨日の様な脅威にさらされることを考えれば普通の村でいることの大事さの方が優ったようで、文句を言う者はいなかった。お蔭でトラブルもなくすんなりと村を後にすることが出来たのだ。
ルーデンスと約束した洋菓子店の扉をくぐれば、見目の良い青年が上質なお仕着せを着たまま腰を折る。その動きはとても洗練されたもので、このような町で働く平民とは到底思えなかった。その店員を少し横目で見たあと、店内を軽く見渡す。物販スぺースにも飲食スペースにも目的の人物の姿は無い。
この店で本当に良いのかどうかシャルは不安だった。入った洋菓子店の店員は全員見目良い上品な青年であるのに対し、客はほぼ全員女性である。数少ない男の客と言えばシャルと母親に手を引かれている幼い男の子のみだ。
妙な居心地の悪さを感じながらも、シャルは飲食スペースにへと足を運ぶ。椅子に心もち膨らんだバッグを置き、その隣に腰を掛ける。そうすると、程なく店員が水をもってやって来た。
「メニューはこちらでございます。お決まりになりましたらお呼びくださいませ」
「ああ、決まってる。期間限定のマカロンとバラのキャンディ1つ、それと水ね」
「……承りました」
シャルが間をおかずして注文をすると、店員は一瞬目を細めて口角を上げてると仰々しく一礼をした。水を持って来たらマカロンとキャンディ、そして水を注文というのはルーデンスの指示である。テーブルに肘をついて窓の外を眺める。王都から近くもない町にしてはこのツォルグの町は綺麗に整備されていた。港町であるならばある程度分かるのだが、港町でも重要な拠点と言うわけでもない。そんなたかが郊外の町だというのに、道は綺麗に舗装され、街並みも区画整理されたと分かるような外観だった。時々帯剣をした兵士が見回っているのを見るとある程度の治安も維持しているように見えた。
「なかなかいい町でしょう?」
「そうですね」
涼やかな声に振り向きもせずにシャルが答えると、その声の主は対面の席に座った。シャルが横目で見れば想像通り、この国の王の顔がある。何故か髪の色が茶色で、着ている服もいつもより数段質の劣る下級貴族のソレであったことを除けば、いつも通りの姿だった。
「首尾よくいきましたか?」
「ええ、ちゃんと手に入れてきましたよ。陛下の情報通りでしたね」
「それは良かった。時間を余り無駄に出来ないですからね」
お待たせしました、と言う声と共に、テーブルの上にサンドイッチやサラダ、スープと言った簡単な軽食が並べられる。ルーデンスは無造作にサンドイッチをつまむと躊躇なく食べ始める。
「もっと上品に召し上がるのかと思いましたよ」
「ナイフとフォークを使って、ですか?」
「はい」
「ははは、まさか。非効率すぎます。何のための携帯食ですか」
「オラグーン国王はナイフとフォークで召し上がってたので」
シャルがそう言うと、ルーデンスは何か面白い物でも想像したのかプッと小さく噴き出して破顔した。その表情にシャルは驚き、瞠目したまま口を引き結ぶ。するとルーデンスは一瞬だけジロリとシャルを見て、そしてすぐににこやかな顔をした。
「ああ、そうだ。言っておくことがあります。色々と事情が変わりました。なるべく目立たないよう移動します。そのつもりで」
「はい」
「食事が終わりましたら、裏に馬を繋げてありますので一旦移動します」
シャルは小さく頷くと、先程までのすまし顔をすっかり隠した笑顔でサンドイッチに齧り付き始めた。シャル自身も朝村を出てから何も食べていない。ルーデンスの食事だからと手を付けずにいたが、目立たないようにするのであれば大人であるルーデンスだけ食事をして、少年であるシャルが食事を摂らないのは些か不自然だった。だからこそ、まさに渡りに船と言った感じで、大義名分を手に入れたシャルはルーデンスが食べている皿からサンドイッチを拾い上げたのだ。
「この店は今配下の者しかいませんが、外は違います。窓の外から見えている事を考慮して動いてください」
「承知しています」
あくまで笑顔で、お互いに目を合わせながら軽口をたたきあっていると言った素振りをする。そうやって何口かサンドイッチを齧ると、ふと口の中に苦いものが広がり、シャルは眉間にしわを寄せた。そして、サンドイッチの齧った後からその正体を見つけると、器用につまみだして皿の端に置く。緑色の薄くスライスされたソレはシャルの嫌いな野菜だった。
「行儀が悪いですね」
ルーデンスが眉をひそめて人差し指で皿の端にある野菜を指し示す。だが、シャルの方は満面の笑みで少し首をかしげながらすっ呆けて見せた。それをルーデンスは半眼で呆れたように見返した。
「ソレは食べ物じゃありませんし」
「ナナエの好物ですよ、それは」
シャルが再び手を伸ばしたサンドイッチから無造作に引き抜いたピーマンを、ルーデンスはひょいと摘みあげて口に入れる。そうして咀嚼しながらルーデンスはとても穏やかな笑みを浮かべた。
「うん、美味しいです」
「……お好きなんですね」
「ええ」
シャルは”ナナエが”とも”ピーマンが”とも聞かなかったが、ルーデンスはさも当然だと言うように頷いて見せる。その答えにはやはり”ナナエが”と言う言葉が含まれている気しかしなくて、シャルは微妙な気持ちで水を一口飲んだ。
ナナエはオラグーンの王子が妃にと望み、トゥーゼリアがその愛を乞い、エーゼルの国王までもが妃として欲している。当初は奇妙な言動をする一貴族の娘だと思っていた。貴族の子女が持つ上品さはほぼ持ち合わせていなかったが、労働を知らない手、平民では持ちえない知識の豊富さからそう判断したのだ。
そのナナエがアマークの王女だと言う。女王制をを取っているアマークは王位継承順位は男性よりも女性の方が高い。つまり前アマークの女王が亡くなってる今、ナナエは即位していないと言うだけでアマークの女王という事だ。
その2国の王から妃にと望まれているアマークの女王をイェリア家は害した。それはイェリア家は3国に剣を向けたのと変わりない事で。それを考えると、シャルは眉間が痛くなるような錯覚を覚えた。考えれば考えるほど、イェリアの未来など無いに等しい。それこそどんなに嫌でも、勝機が見えずとも、バドゥーシに寝返りを考えなければならない程には。
そんなイェリア家をルーデンスは拾い上げたくれた。正確にはシャルのみではあったが。その温情には何としてでも応えなければならないと思う。だが、一方でナナエとの関係を考えると気軽にルーデンス側につくことも出来ず、今のように柔らかな気持ちを垣間見てしまうと、どうしようもなくむず痒い気持ちになった。
「で、なぜ馬なんですか?」
今のところ解決策を見出せない不毛な思考を振り払うように、シャルは大きな耳をブルルルっと一回振ると、口を開く。時間が無いのならば来た時と同じように転移の魔法を使って2人一緒に移動すればいいだけだ。もし追手があったとしても、それで簡単に撒くこともできる筈だ。このエーゼル国内で、国王が移動できない様な結界など無い筈であったし、先日別れた時と違って今のルーデンスはかなりの魔力が回復しているように見えた。
「嵌められて転移が使えません」
「えっ」
「転移どころか、魔法が使えません」
「……」
苦虫をかみつぶしたような顔でルーデンスは言う。こめかみのあたりが少しヒクついているのは気のせいではないらしい。
「陛下を手玉に取れるような者がいるんですね」
「ええ。国一番の文官と、弟と弟の婚約者にすっかり嵌められましたよ」
そう言ってルーデンスは少しだけ襟元を緩めて首元をシャルにこっそり見せる。そこには繋目の見当たらない皮の黒い首輪があった。その首輪にはまるで刺繍のように銀で文字が書かれており、一目見るだけでも何かしら高度な魔法がかかっているのがわかる。
「それは……」
「魔獣用の魔封じの首輪です」
「……」
「国王に首輪を掛けた事、後悔させてやりますよ」
満面の笑みを浮かべながらも、ルーデンスが恐ろしくどす黒いオーラを放っているのにシャルは苦笑した。
「確かに、国王がポンポン魔法で姿をくらましたら首輪の一つぐらい付けたくなるかもしれませんね」
「いいますね、あなたも」
ルーデンスは黒いオーラを纏って笑ったままナプキンで口元を優雅に拭った。それを合図にしたかのようにシャルも横の椅子に置いた鞄を肩に下げ立ち上がる。
「ああ、一つ言っておきますが、私も色々人気が高くてですね、この先襲撃があるかもしれませんが、自分の身は自分で守ってください。何かあれば一応助けはしますが」
「……はぁ。僕を誰だと思ってるんですか」
「可愛らしい子供ですね」
「子ども扱いは止めてください」
少し強めの口調で言えば、ルーデンスは一瞬だけ目を細めて薄く笑った。
「事実を否定しても意味のない事です。実力は大人並みにあっても、あなたは庇護されるべき子供の年齢を越えてはいません」
「……」
「あなたの実力は認めていますよ。でなければ、一緒に連れて行きませんし、自分の身は自分で守れなどとは言わないでしょう。ただ、あなたが子供なのは事実として受け止めなさい。体格や体力などで不利な点があるのも事実です。背伸びするのは結構ですが、自分の欠点をきちんと把握できない様な無能はいりません」
「陛下、イジメるのは程々にお願いしますよ?」
黙っているシャルの後ろから近付いてきた店員はルーデンスに向かってニッコリと笑ってテーブルの上の食器を片付けだす。するとルーデンスは肩を少しすくめて見せる。その顔には全く悪意はみられなかった。
「そうだ、薔薇のキャンディを1袋とマカロン限定パック1袋貰っていきます」
思い出したようにルーデンスが言えば、店員は頷いて物販コーナーへと移動していく。そうして、店員が用意した品物を包装するのをほんの少しだけ楽しそうな表情で眺めていた。
「ナナエ様にですか?」
「ええ。ナナエの好きな物です」
「シャンパンもご一緒の方が喜ぶんじゃないでしょうか」
「そうしたい所ですが、流石に酒瓶は嵩張ります。今回はこれだけで」
「ですね。では、ナナエ様にも是非よろしくお伝えください」
可愛らしい色の紙袋に青いリボンを添えて差し出すと、ルーデンスは満足気に頷きそのままその紙袋をシャルに渡す。シャルがキョトンとした顔をしていると、ルーデンスは小さくため息をついた。
「シャル、あなたが持っていてください。私は鞄を持っていません」
「あ、はい」
「潰さないように気を付けてくださいね。最優先事項です。あなたの命よりも」
「……マカロンより軽いのか、僕の命」
「潰しでもしたらナナエが暴れますよ?」
「あ、ハイ」
ルーデンスが苦虫をかみつぶしたような顔をしながらも、どこか楽しそうなのは気のせいなのだろうか。そう思いならシャルも笑って頷く。
ルーデンスにしてもシャルにしても、ナナエの喜ぶ顔が見たいのは間違いがないのだから。




