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<59> 錯誤の朝 (6日目)    -1-



 朝の光が薄暗い部屋に差し込んだ。いつの間にか机に付して寝てしまったナナエはその光の眩しさに、眉間にしわを寄せ、瞼をこすりながら体を起こす。無理な姿で眠ってしまったためか、体のあちこちが痛かった。

 ぼんやりとした頭で部屋の中を見回す。ランタンの火は消えていて、暖炉の火は辛うじて小さな炎を残していた。机の上には散らばったの薬草や実の欠片などが雑多に置かれている。少し離れた長椅子にはニケが顔の上に本を開いて置いたまま、横になっていた。どうやら寝入っているようである。


 ナナエはストールをきちんと掛けなおすと暖炉に近づき、火かき棒を手に取って未だ弱く燃えている薪をつつくようにして崩した。そうして暖炉の中央に崩した薪を丁寧に広げると、ふんわりと暖かさが広がった。その上に比較的小ぶりな薪をおき、火が少し大きくなった所で太めの薪を何本かくべる。空気の通り道を気にしながら丁寧に積み、しばらくすると火の勢いが増した。それを確認すると、ナナエは火かき棒を横に置き、その炎を見つめながら、ぺたんと暖炉の前に座り込む。そうして暖かな炎を眺めているだけで心なしかほんわりと心が温かくなっていくような気がした。


 あのあと、ニケは半刻ほどで戻って来て、手のひらサイズの革袋いっぱいにカガミシの実を拾ってきた。それをナナエに渡すとすぐに薬学の本を睨みながら薬草を次々にピックアップして刻んだりすり潰したりと、調剤に必要な下処理を黙々とこなしていく。その態度にはナナエも首をかしげるしかなかった。マリーもトゥーゼリアも薬の作成には酷く消極的だ。お願いをすれば手伝ってはくれるが、基本はエナを助けるつもりはないというスタンスだ。ナナエが薬を作ること自体にも反対していて、そんな余裕があるのだったら少しでも多く休んで回復してほしいと訴えてくるほどだ。そんな中、突然やって来たニケと言う文官だけはナナエの調剤に積極的に関わってきた。その意図は測り兼ねてはいたが、取りあえず便利ではあるのでナナエはあえてその理由を何も聞いていない。

 そうして関わりを持っていく中で、文官というものの仕事をナナエはよくわからなかったが、これほど知識が深いものなのだろうかと正直舌を巻いた。一人でああでもないこうでもないと薬草の掛け合わせ、調剤について悩んでいたが、ニケの知識でより高度な調剤の仕方、効果的な薬草の組み合わせなどを知ることが出来た。だが、一方で細かいことが苦手と言う本人の言葉通り、ニケは手先が酷く不器用であるようだった。

 暖炉の上に置きっぱなしである、昨日部屋の隅で彼が作っていた毒薬らしき(・・・・・)ものの入った瓶を、ナナエは手に取って眺める。これは暗殺にも使われるという、ごくごく一般的な製法の毒薬で、特徴は仄かに甘い香りがする程度の筈だ。まぁ、この何だか甘ったるくて青臭いどろりとした液体がは果たして同じ物かどうかは甚だ怪しいものだが、レシピは一緒だった筈である。


「服毒自殺ですか?迷惑だからお止めになってくださいね」


 声の方に顔を向ければ、顔からどかした本を手に長椅子の背もたれから覗く様にして見るニケの姿があった。眼鏡から覗く目は相変わらず厳しい。ナナエは肩をすくめて、その小瓶を再び暖炉の上に戻した。


「何故毒薬を作ったのかを考えてたのよ」

「毒薬の使い道など一つしかないでしょう」

「まぁ、そうよね」


 それ以上話していても生産性は見込めないと踏み、ナナエは机に戻る。


「進み具合はどうですか?」

「恐らくこれでいいとは思うのだけど」

「何か問題でも?」


 肩をほぐす様に軽く回しながら、ニケはナナエの元へと歩み寄る。ナナエは振り返りもせずに、少し身を引いてテーブルの上にある丸薬と小瓶に入った液体を見せた。そして同時にシャーレを一つ引き寄せ、その中央に魔種を一つ置いた。


「こっちの液体は丸薬を砕いて液体にしたものね。これを……ほら」


 ナナエが魔種にその液体を掛けてみると、明らかに魔種は今までとは違った反応をしてみせた。ドクンと一回大きく波打ったかと思うと、瞬時に表面が鈍い鉛色になり、硬質化したように見える。それをナナエはピンセットでツンツンと叩いてみると、明らかにカンカンと金属のような音がした。


「死んだのですか?」

「ううん。被膜を作っただけ。これに水を掛けて薬を流してやると……ほら、元通り」


 ナナエが水を掛けて薬を洗い流すと、魔種は再び何事もなかったように元の姿を取り戻した。その変化に流石のニケも気味悪そうに魔種を見ている。


「これでは効くかどうかわからないのでは?」

「これだけだったら、ね。でも、これもみて?」


 ナナエはそう言うと今度は丸薬の方をピンセットで崩した。そしてピンセットの先で極小さめの欠片をつまむ。それをニケに見せびらかす様にして見せると、おもむろに魔種へと無理やりズブリと埋め込んだ。

 すると、先程と同じように魔種はドクンと大きく波打った後、一瞬鉛色へと表面を変化させた。が、すぐに黒い靄の様な煙を出しながら赤黒く仄かに明滅を繰り返し、30秒ほどでドロリと液体になった。そうして黒くなった液体はさらに黒い靄を吐き出しながら消滅したのである。


「ね、効くでしょ?」

「……刺したから死んだだけでは?」

「疑り深いわね。じゃあ、こっちの魔種、まだ何にもしてない奴。これ、刺してみるわよ」


 そういい、ナナエはピンセットの先を軽く布で拭うと躊躇もせずに魔種にプスリと突き立てた。すると魔種は一度大きく明滅するとぐにゃりと形を変えてまるでスライムの様な物質に変化する。そして、ピンセットを避ける様にして再び元の姿に戻った。


「生きているのですか、これは……」

「虫だしね……まぁ、一般的な虫とはかけ離れてるみたいだけど」


 苦笑いしながらナナエが言うと、ニケは小さく頷く。

 色々な書物を読み、キャリバの知識を受け継いだニケにもこの魔種と言う存在を見るのは初めてであった。だからこそ、その未知の物への探求心がニケを突き動かしている。そして、その未知の生物を知るのにナナエは大いに役に立っていた。

 ニケから見て、ナナエは到底頭の出来が良いとは言えなかったが、その調剤のセンスは別格であった。本来ならば、ニケ自身が調剤にチャレンジするところではあったのだが、ニケには知識があってもそのセンスが無かった。レシピがあるものであれば一定のクオリティの物は作ることはできる。が、元来調剤には気温や湿度によっての微量な配分の加減と、魔力の加え具合によってその効果が全く変わってしまうものが多かった。ナナエはそれを無意識のうちにいとも簡単に調節してしまっていたのだ。だからこそ、ニケはあえて何も言わずに補助に徹していたのである。ニケにはナナエに無い知識があり、ナナエにはニケに無い天賦の調剤センスがあった。


「これで、ナナエ様の調剤した薬が効くことがわかりましたが、何が問題なのですか」

「ところが、大アリなのよ」


 ナナエが忌々しそうに頭をかき大きくため息をついた。その様子にニケは首をかしげる。ニケの知識を多分に貸したとはいえ、たった一晩でここまで完成度の高いものをつくれている。これならば、ほぼ問題ないとニケには思えた。あとは人体にどの様な影響があるか調べて使用するのみの段階に思えた。だが、ナナエの表情は冴えない。

 

「ここまでできれば十分でしょう。解析魔法にかけて人体にかかる影響を微細に調べる段階かと思われますが」

「それが――」


 その時、カキンと金属をはじくような音と人の声、そして派手な足音が、ナナエとニケの耳に届いた。窓の外から聞こえたその音の正体を確認するため、ナナエが窓に近寄ろうとするのをニケが腕を強くつかんで押し留める。


「私が先に確認します。窓に不用意に近づかないようお願い致します」


 再び厳しい視線を向けるニケに、ナナエは昨晩のやり取りを思い出してぎこちなく頷いた。ニケは壁際から隠れるようにしてカーテンの隙間から外を覗き、そして安心した様に小さく頷いた。


「大丈夫なようです」


 ニケのその言葉で、ナナエは小走りに窓に近づいてカーテンを開けた。そして、その下の光景に息を飲む。

 何人もの男達が倒れ、血を流しており、その近くには白い手袋を血に染める青年が一人立っていた。その青年は窓から見下ろすナナエたちに気付いたのか、視線を上げた。ナナエはその青年と目が合うとビクリと体を震わせた。人を殺したばかりだと言うのに何も感情を見せない彼の表情に恐怖を感じたのだ。ふと見れば、その少し離れた場所には背を向けて立つマリーがおり、その周りにも同じように何人もの人間が倒れている。青年の方は手にしたナイフを一度、血をはらう様にして大きく振り、布で拭うとマリーの方へと歩き出した。


「だ、大丈夫じゃないじゃない!」


 ナナエは焦ったようにガタガタと急いで窓を開けると身を乗り出す様にして叫ぶ。その突然の事にニケは驚き、いまにも窓から落ちそうな勢いで身を乗り出すナナエの体を支えた。


「マリー!」


 ナナエが大きな声を上げると、マリーは振り返り、ニコニコと笑ってナナエに向かって手を振る。一方青年の方は歩みを止めると、ナナエの方を振り返り軽く眉間を抑えているようだった。マリーはその青年に駆け寄ると、何か言葉を交わし、大きな耳をゆらゆら揺らしながら急いで屋敷の裏手の方に走って行った。その様子に、ナナエはキョトンとした表情になって首をひねった。


「何をなさっているんですか、あなたは」


 酷く冷たい声が頭上からするのに気づいてナナエは首を回して見上げる。すると、そこには予想通りの厳しい目をしたニケの顔が間近にあった。


「何って、あの男の人がマリーを襲うんじゃないかと思って……でも、違ったみたいね。見かけないけど、ニケの仲間?」

「……なるほど」


 ニケは抱きかかえるようにして支えていたナナエの体を、ぽいっとぞんざいに長椅子に放り出す様にして、窓を閉め、カーテンをもきっちりと閉めた。


「どうしたの?」

「下にいた男、連れてきましょう。ですから私がいない間、窓には近づかないように」

「あ、挨拶?いや、いいよ。なんかあの人怖いし……」

「……ふむ。なぜでしょうか」

「うぅ~ん、いや、助けてもらっていてこう言うのもなんだけど、人殺してるのに全く無表情だったのがちょっと怖くて……」

「そうでしょうか」


 ナナエの意見には同意しかねると言った様子でニケは顎に手を当てる。ナナエは先程の外の様子を思い出し再びぶるりと体を震わせた。人を殺すことに何の感慨も見せず、一切表情を動かさないその様は、見ているだけで次は自分が殺されるのではないかと言う恐怖が湧いた。


「淡々と人を殺してるのって普通怖いでしょう……?」


 ナナエが同意を求める様に言うと、ニケは眉間に深くしわを刻んで中指の腹で眼鏡を押し上げる。


「私には人を殺めた直後に満面の笑顔で手を振るマリー嬢の方が恐ろしい」


 その言葉を聞いてナナエは不思議な物を見る様な目でニケを見ると、ニケは苦虫をかみしめたような顔をしていた。その意外な表情にナナエがぷっと吹き出すと、ニケは煩わしそうにナナエを半眼で睨んだ。


――コンコン


「どうぞ」


 ノックの音に、ニケが素早く入室の許可の返事をする。すると静かに扉が開き、先程下に居たあの青年が一礼をして入って来た。ニケが窺うようにナナエを見れば、ナナエは緊張した様に身を固くしている。青年の方はと言えば、そんなナナエを見て一瞬戸惑ったような表情を見せた。


「ナナエ様、どうかなさいましたか?」


 青年が落ち着いた声で話しかけると、ナナエは一瞬ビクリとして、そしてそれを隠すかのように慌てて背筋を伸ばして座りなおした。そのナナエがちらりと視線をやった青年の服の裾へ彼が視線をやれば、そこには先程の事を思い起こさせるような血痕がついている。


「申し訳ございません。すぐに着替えてまいります」


 それを青年はスッと手で隠す様にして頭を下げ、踵を返した。


「いえ、少しお待ちになってください」


 急いで退室しようとした青年を止めたのはニケだ。ニケは彼の前に回り込むと、ナナエの方に向き直るように促す。不審に思いつつも青年がナナエを振り返ると、ナナエは相変わらず長椅子に座って硬い表情をしていた。


「ナナエ様、さっきのはこの男の事ですよね?」


 ニケがそう問うと、ナナエは気まずそうに視線を反らすと小さく頷く。それを見てニケはにこやかな笑顔を見せて頷いた。


「ご紹介させて頂きますよ」

「えっ、あっ、いや……あ、はい」


 ニケの不可解な言動に青年は首を傾げ、ナナエは緊張した面持ちで膝の上にのせていたてをぎゅっと握った。


「こちらがナナエ様の護衛兼ご側近のトゥーゼリア・ファルカ殿です」

「……嘘でしょ?」

「陛下だけでは飽き足らず、ご側近ですらもお忘れになった、ということですね」


 ナナエは呆然として右手を額に当てる。どう考えても、どういう角度から見ても、目の前の青年がトゥーゼリアだとは思えなかった。そして、トゥーゼリアがどんな顔であったかを思い出そうとする。すると、ルーデンスの時と同じようにもやがかかったようになって思い出せないのだ。その事にナナエは酷くショックを受け、青ざめた。


「なんで……」


 一瞬、ナナエは本当にニケの冗談かと考えた。しかし、先程の光景の中でマリーがこの目の前の青年に向ける表情はとても気安い物であったことを思い出す。という事は、やはりナナエはトゥーゼリアの事を忘れてしまっているとしか考えられなかった。

 思い出そうとして、じっとその青年の顔を見つめてみるが、その顔からは何も思い出すことが出来ない。全く親しみを感じないのだ。それどころか、先程の光景がフラッシュバックするように蘇って来て、恐ろしさしか感じない。簡単に人を殺せる、いつ自分が殺されてもおかしくない、そんな風に思わせる無機質な表情。それに恐怖しか感じないのだ。

 今現在、怖いと思ってしまっている彼が本当にトゥーゼリアであるという事がナナエにはどうしても信じられなかった。

 

「と、言うわけです。トゥーゼリア殿。ナナエ様はあなたを怖いと思っておられるようですのでマリー嬢と交代なさっと方が良いかもしれません」


 ナナエが小さく震えているのを見て、トゥーゼリアは何も言わずに小さく頷き踵を返した。ほんの一瞬だけ、その瞳が悲しそうに見えたのはナナエの気のせいだったのだろうか。それでも、ナナエは彼が怖く感じてしまっているのも、彼が部屋を出ていくのも止めることが出来なかった。










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