<58> 混乱の夜 (5日目) -3-
ソレはおかしいと、早く問いたださなかったのはナナエの手落ちかもしれない。ただの言い間違いだと特に気を留めることもなく、尋ねることもなかった。ニケがこの場に来ていなかったら気付かないままだったかもしれない。
昼食の後、ひと悶着あったことは取りあえず水に流したふりをして魔種の除去法をニケと探ってみることにしたのだ。ナナエは薬学についてはかなり深い知識まで得ることはできていたのだが、そのほかに関することはからきしであった。その点をニケならばそれを補えるのではないかと思ったからだ。知識だけあっても、上手く活用することが出来ないナナエよりも、多方向に知識の深いニケにアドバイスを求めるのが最も効率が高いと思えた。
だが、ニケは何故かナナエに辛辣に当たることが多く、たった一つの事を聞くのに銃も遠回りをしなければいけないことが多かった。それにナナエがだんだん苛立ちを隠せなくなっていたのは言うまでもない。
その時ナナエは口の減らないニケを鬱陶しく思い、彼が口にした間違いを訂正することで少しだけでも気分をスッとさせたいと言う意地悪な気持ちがちょっとだけ沸いた。だからコレは不本意ながらもそう言う気持ちにさせたニケの手柄と言っても良いだろう。
「さっきから、卵、卵って言ってるけど、魔種は種だから」
幾分睨むようにしてナナエが言うと、ニケは一瞬ハッとしたような表情をして顎に手を置き、何やら考え込んだ。
「ナナエ様、魔種は植物です、よね?」
そうして少しの沈黙の後に彼が言った言葉に、ナナエは再び眉間にしわを寄せるようにして首を傾げた。
「種だし、植物でしょ?……じゃないの?」
「私も魔種という事で植物だと思っていました。その反面、虫だとも思っていたのでソレを卵だと言いました」
「意味が分からないんだけど」
「私と陛下は魔種を最初に見た時に、卵だと思ったのです。何故なら、あの方が陛下に、ナナエ様の体に巣食う物を"虫"だと言ったからです」
「え?」
「しかし、同時に根を下ろすそれを植物だとも思った。加えて、他の者はみな”種”だと言うので植物だと納得してしまった。虫だと認識したまま、植物だと納得したのです」
ニケの話にナナエは混乱した様に頭を軽く振った。そうして思い出したのだ。確かにあの種は、ナナエの血を吸った時にドクリと脈打って見せた。それは植物の動きだったのだろうか。
そしてなぜ自分はあのとき魔種に血を与えたのか。
意味のない行動だったはずは無い。普通に考えれば、種に血をやろうなどと思うわけがなかった。ナナエは自分が本能的に魔種が飢えていると感じ取っていたのではないだろうか。だから無意識のうちにソレに血を与えることを思いついた。つまり、ナナエは魔種が生き物であると思っていたはずだ。
「私、あの時、何て言ったんだっけ……?」
ボソリと呟くようにしてナナエは軽く額を抑えながらぺたんと絨毯の上に座り込んだ。そんなナナエにニケは訝し気な視線を送る。魔種で記憶を失う前後、その辺りの記憶がナナエは曖昧だ。記憶を失う前、ナナエは何かに気付いてたはずだ。それを思い出そうとナナエは必死だった。
青ざめて座り込むナナエを心配したのかニケが近づき、ナナエを助け起こそうと手を伸ばす。それをナナエは開いている手で静止をした。そうして記憶に集中する。あの時、確かにナナエは何かに気付いて独り言を漏らしたのだ。それは――
――やっぱり、除草剤じゃダメだったみたいね。出来ればそうであって欲しいと思ってたんだけど
その言葉を思い出した時、ナナエは瞠目して固まった。そうして、みるみる眉尻を下げ、べそをかきそうな顔でニケを見上げた。
「虫だったわ」
「はい?」
「……モイ」
「はい?」
怪訝な顔で見返すニケ気にも留めず、ナナエは顔を両手で覆うと、絨毯に突っ伏した。不審に思ってニケが覗き込むように様子を伺うと小さく「ううううぅぅぅぅぅ」という呻き声にも似た声が聞こえる。
「……あの方が虫と言うなら虫だと思うのですが。何か問題でもございましたか?」
「大アリよっ!」
噛みつくようにナナエが返すと、ニケは珍しくビックリしたようだった。半分口が開いたままキョトンとしている。
「虫、っつーか寄生虫じゃないのよぉぉぉ!そんなのの卵を自分から食べて死にかけてたとか、マジ死ぬ。無理無理無理」
「意味が分かりませんが」
「ああああああーーーもう、超キモイ、キモイ。吐く、マジ死ぬぅぅぅ」
そう言って絨毯の上をドレス姿で頭を抱えながら転げまわる姿を、ニケはそれこそ気味の悪いものを見ているような視線で傍観していたのをナナエは気づかない。ナナエにとってはそれどころではないのだ。もしかしたら、この種は種ではなくて卵ではないのかとナナエは何となく思っていた筈だ。だから除草剤まで飲んだのだ。それは、虫であって欲しくなかったからだったのだ。昔、寄生虫博物館に行った後吐いた記憶がよみがえる。そんなナナエにとって、寄生虫はまさに最も避けたいものだったのだ。
ひとしきり騒いで、力尽き、ナナエはようやくヨロヨロと立ち上がった。疲労感が凄かったが、それよりも精神的ダメージが酷かった。
気付けば先程まで近くで立っていたニケは、部屋の隅の椅子に座って本を読んでいる。
「気が済みましたか。時間を無駄にするのはご遠慮いただきたいのですがね」
近寄ったナナエに、どう見ても馬鹿にしたような眼差しを向けながらニケはそう言った。まぁ、薬剤作成中に突然奇声を上げて奇行に走ったら多少なりとも皆同じ反応をするかもしれない。
「……取り乱して悪かったわよ」
ボソッとナナエが小さな声で言うと、ニケは首を少し傾げた。何と言ったのか聞こえなかったのだろう。ニケに頭を下げたくない気持ちでいっぱいのナナエからしては、聞き逃されたことにイラつきを覚えて小さく舌打ちをする。それでも、そっぽを向いたままもう一度ナナエは言う事にした。
「取り乱して、迷惑かけて悪かったわね」
「……?なんですか?聞こえません」
「だからっ!悪かったって言ってんのよ!何で聞こえないのよ!」
「……ああ」
ナナエが怒鳴る様にして言うと、ニケは何かに気付いた様に手の上に拳を打ち付けて声を上げた。
「余りにも奇声がうるさいので耳栓をしておりました」
そう言ってニケはニッコリと微笑みながら両手を両耳に当てて、スポンッと耳栓を取って見せる。その笑顔が黒いのはナナエの気のせいだろうか。
「あんた、わかっててやってるわね?」
「はて、何のことでしょう?気が狂わんばかりの奇声と、正視に堪えぬ程おかしな奇行を前にして、正気を保つための自衛の策でございましたが……ご不興を買ってしまったようですね?真に心外です」
「ぐぬぬぬ」
申し訳なさそうな表情を作ってみても、しれっとナナエをディスることを忘れない。流石である。
「と、兎に角。方向性が代わったから急がないと。駆虫方向で作り直すわ。エナさんを早く治してあげないと……」
「ああ、ナナエ様の寄生虫仲間ですか」
「……寄生虫仲間とか言うな」
「どこかお間違いでも?」
「ぐぬぬぬぬ」
唇をかみしめるようにして、ナナエは再び大きなテーブルの前に戻る。そこには先程まで試行錯誤して作っていた除草効果の丸薬がいくつか置いてあった。ナナエはそれを全てくずかごに乱暴に入れ、ルーデンスに貰った薬学の本を引き寄せて、難し顔でパラパラとページをめくる。
ニケの方はと言えば、部屋の隅に置いてあるテーブルの上に乱雑に置かれた数十種類の薬草や毒草を一つ一つ取り分けて綺麗に並べたり、すり潰したりして、何やら作り始めていた。
「何作ってるの?」
「大したものではありません。ただの毒薬です」
「……私に使わないでよ?」
「……善処します」
「ちょ、善処するって何よ、善処するって」
「そのままの意味ですが?使いたいけど我慢しますってことです。もしかして言葉の意味が分かりませんでしたか?ああ、申し訳ございませんでした。善処とはですね」
「知っとるわ!」
「なら問題はありませんね」
そうして再びゴリゴリとすり潰し始めたニケを見て、ナナエは深いため息をついた。この男相手にルーデンスはいつもどんな風にあしらっているのだろうと不思議でならない。ヒトコト言えば、少なくとも二言、三言の棘が返ってくる。今まで周りにはそんな偏屈な男が居なかったために、ナナエはその対応に困っていた。が、そんな事を気にして手を休めるのは無意味だという事に気付き、再び本のページを繰る。
除草効果が高い薬であれば、基本的な虫にも影響があったはずだ。だけれども、魔種は取り除くことが出来なかった。つまりは、その辺の成分には耐性がある虫と見るべきなのだろうか?それとも、何らかの要因があって効かなかったのか。それは重要なポイントだと思えた。だが、その点をクリアしたとしても、効果の高い薬は、得てして人体の影響、副作用も大きい。ナナエが口にしたアミケラス草も副作用があった。眩暈・吐き気・頭痛。今考えてみれば、あの時の記憶が曖昧なのもアミケラス草の成分が悪い方向に働いていたからかもしれない。
ふと、ナナエはページを繰る手を止めた。何故なら横から伸びた手が薬草の一つを指さしたからだ。
「まず、これを作った方がよいかと」
ニケが指を指したのはガカミシの実。一般的でよく見る素材ではあるが、精製が難しい素材の一つだ。小さな実を炒って熱を加え、表面が鈍く光ったらすぐに取り出して潰す。そして出来た粉をさらに炒って緑色になったら水に30分晒して、絞る。その残りカスを再び炒ると綺麗な青色になる。それで素材として完成するのだが、その加減が難しいのだ。カガミシ粉の効果は薬効の増幅。大量に摂取すると中毒を起こしてしまう薬草を使った製剤に重宝するのだ。簡単に言えば、癖のある薬草の効果をふんだんに使いたいが、大量摂取するわけにいかない時にブースターの役割をするのである。便利な分、精製が難しい。だから手に入る場所も限られている。ルーデンスに買ってきて貰えばよかったと後悔はするものの、ナナエ自身がルーデンスがいる時にカガミシ粉を使う事を想定していなかったので、今更どうすることも出来なかった。幸い素材だけは直ぐに手に入るのだ。窓の外を見れば、あちこちにカガミシの実が落ちている。
「取ってくれば精製出来る?」
「自慢ではありませんが、細かい作業はあまり得意ではありません」
「わかったわ。私がやってみる」
「では、私が実を集めましょう」
そう言うとニケはナナエの返事も待たずにスタスタと扉へ向かって歩き出した。その後ろをナナエは慌てて追うと、ニケは少し立ち止まり振り返った。
「外には出ないでいただきたい。余計な手間が増えるだけですので」
「実を拾うぐらい私だってできるわ」
「……バカですか?」
ボソリと呆れるように呟かれた言葉をナナエの耳はしっかりと拾い、眉間にしわを寄せてナナエはニケを睨む。するとニケはこれ見よがしに肩をすくめた後、眼鏡を中指で押し上げ大仰にため息をついた。
「いつ狙われるかわからないのに、ホイホイ外に出てどうするおつもりですか。家の中に居れば、何かがあっても、護衛が来るまでの間の時間を稼ぐ方法がいくらでもあります。ですが、身を隠すようなものが無い場所で襲われた時に、どのようにして時間を稼ぐおつもりかお伺いしたいですね。あなたに何かあった場合、陛下のお命が危ういとどうしてお分かりにならないのですか。いい加減甘い気持ちはお捨てになってください。私が好もうと、好まざろうと関係なく、私はあなたを守らねばなりません。それが陛下を守ることにつながるのですから当然です。でもそれは私の手間を掛けさせているだけとお気づきになられませんか?……迷惑ですので、室内でお待ちください」
一つの甘さもなく、ピシャリと厳しい言葉を放つニケの態度に、驚いた様にナナエは一歩後ずさって手を握りしめた。普段ナナエの周りに居る者たちは皆、ナナエにそんな態度を取った事は無い。ナナエの認識が甘いことをわかっていながら、甘やかしたまま、ナナエにそうと気づかせないまま守っていたからだ。
「……ごめん、なさい」
ナナエが絞り出すようにしてそう言うと、ニケは何も言わずに踵を返し部屋を出て行った。ニケの言葉の意味がわかっていながらも、無性に腹が立った。と、同時に自分の認識の甘さを指摘され、悔しかった。
俯きながらテーブルの側に歩み寄り、椅子にドスンと腰を掛ける。そうして薬学の本に覆いかぶさるようにして突っ伏した。腹が立って、悔しくて、悲しくて涙が出そうになる目を乱暴にごしごしとこする。
ニケの言葉は恐ろしいぐらいに正論だ。頑張ればいいってものじゃない。気を付ければいいってものじゃない。今の自分の状況と力を正確に自覚し無ければならないのだ。
甘えてはいけないと思う事が、甘えなのだ。
努力は後でいくらでもできる。今、その環境に甘えることがナナエにとって最善なのだ。甘えてはいけないと思って取る行動全てが、周りの人間の負担になる。それをハッキリと突き付けられたのだ。
それでも、いつも側で認めてくれる誰かが側に居ないことを寂しく思い、ナナエは涙を一つこぼした。




