<55> 迷走の夜 (4日目) -3-
R15タグ付けました。
いい加減した方が良いかなぁと。
念のため、です。
ルーデンスが王都へと戻った翌朝。
ナナエはベッドから離れられずにいた。身体は多少だるいものの、そこまで体調が悪いわけではない。ただ、なんとなく眩暈がする。そして中々何かに集中するという事が出来なかった。お蔭でベッドの上で懸命に医学書・薬学書・図鑑などを漁ろうと努力はしてみてはいたが、全く集中できず無為に時間を過ごしていると言っても過言ではなかった。
「ナナエ様、少し休憩なさったらどうですか?お茶、用意しましたよ~」
努めて明るくマリーがナナエに声をかけると、ナナエは難しい顔をして頷いた。明らかにその顔は不本意と言った感じだ。
「集中できなさ過ぎてイライラする。なんかこう目がパッと覚めるような楽しいことはないかね」
不機嫌オーラを隠そうともせずにナナエは唇を尖らせつつカップを口元に運ぶ。たかだか眩暈ぐらいで、ナナエの小うるさい執事はベッドから起きることを禁止した。その事にナナエは不満いっぱいだったのだ。前から過保護気味なところはあったと思うが、今のトゥーヤは異常と言ってもおかしくはないほどの過保護っぷりだ。先程もトイレ位一人で行かせろとナナエがキレたばかりだ。
「あ、このお茶おいしい。何のお茶?」
「ん?昨日もお飲みになりましたよ。ラトーナの花茶です」
「あれ?こんな味だったっけ?」
「ん~……入れる人が違ったから味が違うように感じるのかもしれませんね」
マリーの言葉にナナエは微妙に納得がいかない様に少しだけ首をかしげた。それでも、すぐにそのことを考えるのをやめたのか、再び本に目を落とす。エナのことも有ったし、3日後までに一つでも多くの手札を用意したかった。ルーデンスを認識できなくなった理由はわからない。思い出そうにもルーデンスの記憶はちゃんと全部覚えている。ただ、ルーデンスとあの金髪の王子風イケメンとをつなげることが出来ないのだ。それは通常で考えてありえないことだ。脳の一部にどこか障害が生じてるのかもしれない。だが、それを直す手段などナナエにはわからなかったし、どれだけの期間が必要かも不明だ。そんな不確かなものにルーデンスの命を掛けることは出来ない。ならば、少しでも多く手札を用意して賭けの内容を変える変えたり、賭けを無効にできないかを考えるべきなのだ。そのために一つでも多くの手札が欲しかった。場合によっては、ナナエ自身があの少女と交わした賭け(それが何だか記憶があいまいなのだが)を反故にして新しく賭けをするつもりだった。それこそ、ルーデンスの命を賭けて。
「にしても、なんか集中できないなぁ」
「とにかく、ナナエ様は魔力の回復に努めて貰わないと……。また、魔力が薄まってるように感じます」
「ん~……やっぱり?」
マリーに指摘されるまでもなく、ナナエにもその自覚はあった。ルーデンスに貰った魔力はそれこそ初日はナナエの体を元気にさせてはいたが、時間がたつにつれナナエの体から逃げるように少しずつ抜けていく。その間に自分の魔力は少しずつ回復してはいたのだが、やはり足りない。だから、眩暈で足元がふらついたりしてしまうのだろう。このままルーデンスの魔力が全て抜けてしまったら、果たしてナナエは起き上がっていることが出来るのだろうか。
「かといって……」
みなまで言わず言葉を飲み込むナナエを見て、マリーも少し渋面になった。再び魔力を補給した方が良いというのは言わなくてもわかっていることである。だが、その為には再び……まぁ、アレなわけで。その為には再びルーデンスをあの青白い顔に追い込まなければいけない。それに、あれは不可抗力だと思いたいナナエにとってはちょっといたたまれない。あまつさえ、今ルーデンスのことをルーデンスと認識できないナナエにとっては、それはよく知りもしない男性と閨を共にする事になってしまう。八方ふさがりのような思考にナナエは頭を抱える。いまだにトゥーゼリアのことも気になっているという自分勝手な気持にも整理がつかない。
―― 別の男と寝ておきながらほかの男のことも気になるなんてどんだけ……!
ナナエは深くため息をついて頭を軽く抑えた。本を読むことに疲れたのか、瞼が少し重い。体がだるいせいもあって、ちょっと手を休みめて考え事をしたりなどといった事ですぐに眠気を感じてしまう。今も急に襲ってきた眠気を必死でこらえる。時間が無いと言うのに、そう度々寝入ってはいられない。眠気を振り払うように頭を振ると、マリーが慌ててナナエが持つカップを受け取った。
「ご無理なさらずにお休みになられたらいいと思いますよ?」
「でも……」
「集中できずに同じところでグルグル考え込むよりは、一度寝てスッキリした方が新しい考えが浮かびますよ」
マリーの意見の方が正しいことはナナエにもよくわかっていた。だが、その寝てしまって無為に過ごしてしまった時間のせいでルーデンスを助けることが出来なかったらと考えると、素直に頷くことが出来ない。そうやってナナエが眉間に皺を寄せて変な顔で考え込んでいるのを見て、マリーは呆れたように笑った。
「マリー。もういい、下げてくれ」
不意に後ろから掛けられた言葉にいささか驚いて、マリーは軽く振り返る。もちろん、その声の主をよく知って居た。ただ、気配に気付かなかったので驚いてしまっただけなのだ。その声の主、トゥーゼリアの方を見たのはちょっとした確認のようなものだった。そうして、姿を確認したのち、小さく頷いて茶器をを手早くまとめてマリー部屋を退出した。
マリーが部屋を出ていくのを確認すると、トゥーゼリアはベッドの上に散乱していた本を丁寧に片づけ始める。ナナエが不満そうに抱え込んでいた薬学書も、半ば強引に取り上げた。
「ナナエ様、お休みになってください」
「寝るにはまだ早いじゃない」
無駄と分かりつつもトゥーゼリアにナナエは抗議してみる。だが、”やはり”と言うぐらいトゥーゼリアのスルーっぷりが半端ない。とは言う物の、ナナエは確かに眠気に勝てそうもなかった。ちょっと目を閉じただけでも頭がガックリと後ろに引っ張られるように落ちる。少し呆れたようなため息とともに、トゥーゼリアはナナエの背中にある枕とクッションを移動させ、寝やすく整える。そしてナナエの肩を支え、横にならせた。トゥーゼリアのその表情は普段よりも幾分柔らかい。
「明日は早めにご起床されれば問題ないでしょう」
「……ん」
トゥーゼリアの返事もそぞろにナナエは目を閉じた。やはり体が相当睡眠を欲していることは間違いが無いようだった。すぐに緩やかな呼吸に変わり、うとうとするのを確認すると、トゥーゼリアは小さくため息をついてベッドのすぐ脇の椅子に腰を掛けた。そうしてナナエをじっと見つめ、わずかに眉を寄せた。
ナナエは明らかに魔力が足りていない。普段あれだけの魔力を持っていたということはもちろんナナエの潜在的な魔法の能力が優れていることには他ならない。だが、それだけではないのだ。魔力をたくさん持つということは、それだけ生命の維持に魔力が必要だったからだとも考えられる。後どれだけ魔力を補給すべきなのかは定かではない。だが、今のままではまたついこの間のように寝台から起き上がれずに過ごさなくてはならないはずだ。
人間の感覚はトゥーゼリアたちワードックに比べると遥かに劣っている。ナナエの魔力の状態をルーデンスは把握しきれていないのだろう。だからこそ、こうもあっさり王都へ行くことが出来たのではないかと思う。本当ならばナナエの状況をわかっているトゥーゼリアが状態を報告し、ルーデンスに対応を決めてもらわねばならなかったはずだ。だが、トゥーゼリアは何も言わずにルーデンスを送り出した。ルーデンスに報告をして、再びナナエがルーデンスと閨を共にするかもしれないと考えただけで言葉が出なくなってしまった。ルーデンスの従者になったというのに、一族を召し抱えてくれたことに感謝せねばならないのに、と思ってもどうしても口を開くことが出来なかったのだ。
それだけでも十分に不敬に値するというのに、だ。先ほどもルーデンスを助けようと躍起になって無理しているナナエを止めた。もちろん、ナナエの体調が心配であったのは言うまでもないが、その行動の奥底にルーデンスを思い出してほしくないという感情があったのをトゥーゼリアは否定できなかった。
「んんっ……」
ナナエが少しだけ眉根を寄せて体の向きを変えると同時に枕やクッションを押しやる様にして位置を動かす。どうやら少し寝苦しい様だった。トゥーゼリアはそんなナナエに毛布を掛け直す。
「寝苦しいですか?」
静かな声で問いかけてみるも、ナナエの返事はない。半分覆いかぶさるような体勢で、押しやられたクッションに手を伸ばしつつナナエの様子をうかがうと、ナナエは薄っすらと目を開いていた。その視線はぼんやりと天井の方に向けられていたが、ごく間近にあるトゥーゼリアに気付いたのかその瞳がゆっくりとトゥーゼリアに向けられた。
「申し訳ありません。枕を……」
そうトゥーゼリアが言い終らぬうちに、ナナエの右手がトゥーゼリアの首の後ろに絡みつくように伸びる。左手はスッと背中へと回され自然とナナエに抱きつくような、そして密着するような形で引き寄せられた。
「ナナエ様?」
何の脈絡もないナナエの行動に、幾分訝し気にトゥーゼリアは小さな声で声をかけた。密着した体を少し引き離す様にしてナナエの顔を覗き込むと、ナナエはトゥーゼリアに蕩ける様な笑みを向けた。
「トゥーヤ……大好き」
上目遣いに潤んだ瞳でそう言うと、再びナナエはトゥーゼリアにギュッと抱きつくようにその細い腕に力を込めた。そのナナエの仕草に、トゥーゼリアは何故かパッとその体を放し上半身を起こした。その乱暴な動作にナナエは少しも驚くことなく、半身を起こし、トゥーゼリアにしなだれかかる様にしてその胸に頭を擦りよせる。
「……ナナエ様」
戸惑うようにトゥーゼリアから発せられた言葉にナナエはトゥーゼリアの胸にすり寄り、その手をトゥーゼリアの首元に寄せながら小さく「なぁに?」と答えた。明らかに動揺しているトゥーゼリアをからかう様に、ナナエはトゥーゼリアの襟元のボタンを躊躇もせず外し、肌蹴た首元をペロリと舐めて見せた。
「ねぇ、トゥーヤ?」
トゥーゼリアの耳元で甘く名前を呼び、耳朶を軽く舐め上げ、いつの間にか大きくはだけた胸元にナナエは手を当てる。トゥーゼリアはと言えば、ナナエが名を呼んだ時に一瞬だけピクリと体を震わせ、その後は硬直した様にされるがままになっていた。そんなトゥーゼリアの様子をまるで愛でるかのようにナナエは触れるか触れないかの微妙な加減で首筋を撫で、唇を寄せて甘く噛む。再びビクリとした身体にナナエは小さく笑ってトゥーゼリアの頬に手を当て、視線を合わせ、もう片方の指先で唇を優しくなぞる。
「ねぇ……魔力、ちょうだい?」
――――パチン。
しっとりと絡みつくようなナナエの声と同時に小さく音が鳴り、その途端、トゥーゼリアは急に思考が混濁とするのを感じた。まるで酒にでも呑まれているかのようなくらくらとした浮遊感。集中しようとすればするほど遠のく意識。
「キスして?トゥーヤ」
そう言いながらナナエが誘う様にトゥーゼリアに口付けると、トゥーゼリアの腕がためらいがちにナナエの背に回された。そのままナナエが少し唇を開き、彼の唇をなぞる様に舐め上げると、それに応えるようにしてトゥーゼリアの舌がナナエの口内に割って入った。その途端、魔力が一気に抜かれる感覚にトゥーゼリアはゾクリと背中が震えた。それでも何度も角度を変え、貪る様にトゥーゼリアが口づけを深めると、ため息にも似た甘い吐息がナナエの唇から漏れる。それに煽られるかのように、トゥーゼリアの手がナナエの体の上をまるで壊れ物を扱うかのように動いた。その動きに呼応するようにナナエは更に吐息を甘いものへと変化させる。身体を支えていることが出来ないようにナナエが寝台に身を投げ出すと、トゥーゼリアはその首元に顔を埋め、夜着の袷にあるリボンをスルリと解いた。そうして露わになった胸元にトゥーゼリアは唇を寄せ、強くそこへ印をつけた。
――――パチン。
再びその音が小さく聞こえたとたん、崩れ落ちるようにトゥーゼリアは意識を失った。そのトゥーゼリア下からスルリと抜け出したナナエはそのまま半身を起こし、トゥーゼリアの髪を戯れにそっと指で梳いてみる。細い髪がパラパラと指から離れていくのをナナエはそのままの姿勢で無表情のまま眺めた。
「随分と、その姫に入れ込んでるようで。それは、依代ってだけなんですかね?」
「……騒々しい小娘の子飼いか。我にかまうでない。小娘のようになりたくなければな」
腕を組みながら部屋の隅の壁に寄りかかって居る眼鏡の男、ニケの姿をチラリと一瞥してナナエは興味を亡くした様に再びトゥーゼリアへと視線を戻した。その指先は相も変わらず、トゥーゼリアの髪をもてあそぶように動かされている。
「我が主との契約を破棄していただければすぐにでも退散しますよ」
「ならぬ。愛し子のため。ひいてはお前の大事な主の為さね」
「陛下の為?どうみても不利な賭けではないですか」
「買いかぶりすぎておったようじゃの。……そこまでは見抜けなんだのか。お前の主は、何もせずとも死する」
何の感情も浮かんでいない瞳を真っ直ぐとニケに向けて、ナナエの姿をしたそれは淡々と告げる。その言葉にニケは訝し気に眉をひそめた。
「我が干渉してやらねば、とうにのうなっておったわ」
「……どういうことです」
「贄が我に捧げられておる、と言えばわかるじゃろう?」
「馬鹿な。あの呪はたかが一貴族が知って居る様な物では……」
「お前が何と思おうとも、現にあの者には死する呪いがかかっておった。賢し過ぎる王など望まぬ、とな」
「愚かな……」
信じられない様な顔をして、ニケが拳を額に当てるのを横目で見ながら、ナナエの体は不意に意識を亡くした様に、そのままトゥーゼリアの横に倒れこんだ。そして、ふと気づくと、その傍らには美しい少女が立っていた。
「呪は契約。生きながらに死した贄の苦しみと痛み、心の臓と瞳。それが捧げられた時点であやつの死は決まっておった」
少女が両手を広げてニケの方に差し出す様にして伸ばすと、その手の内に赤黒い肉の塊と、小さな玉が浮かび上がった。そのグロテスクなモノをニケは青ざめながら凝視する。贄となったソレは、ニケが数日前に見た、あの小柄な女性のソレであるともはや疑いようもなかった。なぜ、あのような凄惨な殺され方をしたのか。その答えがここにあった。
「契約を違えることは叶わぬ。なれば、と、同じ対価のより上位の契約で上書きしたのじゃ」
両手を握りこむようにして腕を引き寄せると、目をそむけたくなるようなソレは瞬時に消えた。そうしてポスッと軽い音を立てて、眠るナナエのすぐ横に少女は腰を掛ける。寝台に横たわるナナエもトゥーゼリアも静かに寝息を立てていて、起きる気配もない。
「それならばなぜ、陛下の記憶を消したのです?明らかに不利ではないですか」
「記憶などさしたる問題ではない。……お前に言うたところで詮無き事か。大人しく見てるが良いわ」
「納得などできるわけがないでしょう!」
「まぁ、好きにするが良い。……早うこの部屋から去ね。ほんに無粋な男じゃ」
パチンと小さな音が鳴ると、まるで突風でも吹いたかのように大きな衝撃を感じて、ニケは数歩よろめいた。少女は話はもう終わりだとでもいう様に、既にニケからは視線を外して、ナナエの頭をそっと撫でる。
「われはもう行くが、2人の眠りを邪魔するでないぞ?……愛し子を、ナナエを頼んだぞ。危害を加えようと近づいてくる者たちがおろう?もし命を失うようなことがあれば……わかっておるな?ゆめゆめ忘れるな」
念を押す様に少女は言い、そしてまるで霞のようにその姿を消した。寝台で静かに眠る二人を見ながら、ニケは何か考え込む様に顎に手を当てる。
ともかく、ニケは考えを整理しなければならなかった。もしかしたら”いる”かもしれないと当たりを付けてここまできた。本当にいて、しかも言葉を交わせたことは僥倖と言えよう。ニケが手にしたルーデンスの記憶と、あの少女の言葉。贄に捧げられたフィリナのこと。呪を使ったと思われるそミア公爵について。その情報の出所について。考えなければならない事は多すぎるぐらいにあった。その一つずつ、全てを精査して、必要な情報を抽出し組立て、解を導き出さねばならなかった。そうして、ふと思い出したようにニヤリと笑う。
「ともかく、手始めにまずは廊下でへたり込んでる王弟殿下と、その婚約者殿をどうにかしないとですね」
眼鏡を右手の中指で押し上げ、ニケはそう呟きながら歩き出した。何を優先すべきか迷う時には、出来ることからこなして問題の数を減らす。それが最も最善に近づく方法であると、ニケは確信していた。




