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<53> 迷走の朝 (4日目)    -1-

「この村は、とても穏やかですね」


 早朝の水汲みに行くリリンの横を歩きながら、シャルは不思議そうに言った。

真冬の寒さを感じず、そこかしこに小さな花が咲いている。

同じように水汲みに集まってきている村の女たちは誰も薄着で、どうみても春のいでたちだ。

表情は明るく、みな穏やかに笑っている。

平和な村、まさにそれを具現したような村だった。


「それが良いこととは思わないけどね」


 井戸の水をツボに移しながらも、シャルの素直な感想にリリンはピシャリと釘を刺す。

村中が穏やかだと言うのに、リリン一人が眉間にしわを寄せて難しい顔をしていた。


「……そんな顔をしてると一人だけ早く老けますよ」


 シャルが自分の眉間を指先でトントンと叩いて見せるとリリンは右手で軽く眉間を擦るようにしながら半眼で睨む。

その顔にはありありと”このクソガキが……”という感情が見て取れた。

シャルはおどけたように小さく肩をすくめてみせると、水で満たされたツボをひょいと抱える。

リリンの家に厄介なっている分、多少は貢献したいといったところなのだろう。


「水汲みは女の仕事よ」


 憮然とした面持ちのリリンは、そんなシャルから奪い取る様にツボを引き寄せた。

シャルに手伝われるなど心外と言った様子だ。

だが、シャルもそれを黙って見ているわけでもなく、すぐさまそのツボを奪い返す。


「女性に重たいものを持たせて、僕が手ぶらとかありえませんから」

「それを言うなら、子供に重たいもの持たせて年長者が手ぶらってありえないんだけど」


 そう言いながら再びリリンがツボを引き寄せようとすると、シャルはスルリと身をかわした。

そのままバランスを崩したリリンは勢いよく地面に倒れこむ。


「服、汚れますよ」


 にっこりと笑ってシャルが片手を差し出しながら言えば、リリンはこめかみをヒクヒクさせ、口角を上げて笑った。


「そんな、か弱そうな手に助け起こしてもらうなんて尚更ありえないわ」


 リリンがスカートをパタパタと叩きながら自分で立ち上がれば、今度はシャルの方がこめかみをヒクヒクと言わせている。

12才のシャルは決して背が低い方ではなかったが、流石に16才のリリンとの身長差は頭一つ分近くあった。

リリンはその身長差を生かして、心持ち顎を上げて鼻でシャルを笑う。

そんなリリンをシャルはひと睨みすると、フイと顔をそむけて歩き始めた。

そうしてリリンも勝ち誇った顔をしながらシャルの隣を歩く。

結局、水の入ったツボはシャルが離さなかった為手ぶらではあったが、リリンはそう悪い気はしなかった。

幾分機嫌を直してリリンは表情を和らげて歩く。


「なんでお貴族様はたかが水汲みをそんなにやりたがるのかしらね」

「あなたが僕の家の使用人なら手伝いませんよ」

「なんでよ」

「使用人にはその対価を給金として与えているからです」

「私はお金をもらってないから手伝うのは当たり前だってこと?」

「世話になってるのだから対価を支払うのは当然です。宿や食事を提供してもらった対価とでも思って下さい。もちろん、今からでもお望みなら金銭的な対価でも構いませんが」


 酷く大人びたシャルの口調に、リリンは再び眉間にしわを深く刻んだ。


「僕にお手伝いやらせてって普通に言えば?お坊ちゃま」

「は?あなたは僕を馬鹿にしてるんですか?」

「子供は子供らしくしなさいって言ってるのよ」

「はぁぁ???」

「リリン!」


 珍しく大きな声を上げて不快を露わにしたシャルの声を遮るようにして背後から掛けられた声に2人とも険しい顔つきのまま振り返る。

するとそこには大人しそうな美青年が立っていた。

その姿を確認するや否や、リリンはコホンと一つ咳払いをして姿勢を正して首を小さくかしげて見せた。


「サリュエル様、来てくださったんですね。リリン、嬉しい……」


 そう言って胸の前で軽く手を合わせる乙女チックなリリンと、目を点にしたまま呆然とした顔をするシャルはある意味対照的と言っても良かった。


「リリンが村の入り口まで目印を置いてくれたからやっとたどり着けたよ。お爺さまはどこかな?挨拶しないと……」


 胸の前で合されたリリンの手を包み込むようにしてサリュエルと呼ばれた青年が手を握れば、リリンはポッと顔を赤らめて見せた。 

サリュエルはそのままリリンの肩を抱くとリリンの案内された方へと向かって歩き出す。

シャルの存在はすでにリリン頭の中から消え去っている様だった。


「リリン姉ちゃん、今度は騙されないといいけどなぁ……」

「いやぁ。リリン姉ちゃんの男運の悪さは筋金入りだから」

「何にもないといいけど……」


 ふとシャルが後方を見れば、小さな子供たちが固まってヒソヒソと話していた。

男の子たちはみな呆れた顔、女の子たちは心配げな顔をしている。

シャルは気になってその子たちの方へとゆっくりと近づいて行った。


「何を話してるの?」


 にっこりと笑ってみせると、女の子たちは恥ずかしそうに顔を赤くして笑った。

男の子たちもシャルの年齢や容姿の為か、全く警戒した様子もない。


「あっ、お前。昨日リリン姉ちゃんのトコに来た、姉ちゃんの新しい彼氏だ」

「え~……そうなの?とうとう年下にまで手を出しちゃったの??」


 からかうように男の子が言えば、さっきまで顔を赤らめていた女の子が少し警戒するようにシャルを見た。


「……違うから」


 冷たい視線で睨みながら幾分低めの声で呟くように言えば、男の子は「冗談だってば!」っと慌てたように言い訳した。

それを見て、女の子たちはホッとしたように表情を再び緩めた。


「リリンお姉ちゃんはいつも悪い男の人に騙されちゃうのよ」


 女の子の中でも一番年上らしき少女が腰に手を当てながらやれやれといった感じでため息をついた。

それを聞いて他の子どもたちもうんうんと言ったように頷く。


「そうそう。町に行っては男引っ掛けてきて、その男が仲間連れて村にやってくるのがいつものパターン」

「なんで?」

「姉ちゃんに掛かった接待費用払えだの、姉ちゃん捕まえて身代金払えだの。姉ちゃんは村長の孫娘だし、この村では一番裕福っちゃー裕福だからね。よく狙われてる」

「でもこの間は驚いたよね~。まさか人攫い集団が村を襲ってくるとは思わなかったし」

「あれも元凶リリン姉ちゃんなんだろ?」

「どうもそうっぽいよ。おばちゃんが話してたし」

「ほんと困るよなぁ」


 困る、という割には楽しそうに子供たちは話す。

口々にリリンの男性遍歴を暴露していく様子に、流石にシャルも居たたまれない思いをした。


「でも……次何かあったらどうするんだろ」


 一番大人しそうな女の子がポツリとそう呟くと、とたんに皆一斉に口を閉ざした。

そして少女の不安が伝染したかのように皆一様に不安げな顔になる。


「コルレ兄ちゃん戻ってこないかな」

「コルレ兄ちゃん?」

「うん、リリン姉ちゃんの後始末はいつもコルレ兄ちゃんがやってた。無口で愛想ないけど、いざという時いつも追い払ってくれたんだよなぁ」

「この間みたいに運よく騎士様達が来るとは限らないし……」


 さっきまではワイワイと楽しげであったと言うのに、いきなりお通夜モードになった子供たちを見てシャルは小さくため息をついた。


(まぁ、来れないよね。……そのコルレ兄ちゃんとやらは僕が閉じ込めてしまったし)


 偵察の目的で派遣されていたコルレがまさか村でここまで目立っていたとは、シャルには予想外のことでもあった。

本来派遣された土地でトラブルがあっても、あたりさわりが無いよう目立たず行動をすることになっている。

その決まりを破って村人のトラブルの処理に介入していたというから驚きだ。


「まぁ、さっきのお兄さんは悪い人そうには見えなかったし、起こってもいない事を心配することないよ」


 シャルがそう言うと子供たちは少し不安げな表情をしながらも小さく頷いた。

そのままシャルが小さな男の子の頭を撫でてやると、男の子は気持ちよさそうににっこりと笑う。

すると、再びその感情が伝染したかのように子供たちも表情を和らげた。


「ちょっと、そこのお坊ちゃま!なに油売ってるのよ」


 シャルが子供たちにつられて笑顔を浮かべた瞬間、少しだけ偉そうな声が飛んでくる。

その声を聴くや否や、シャルは眉間にくっきりと皺を寄せて振り返った。


「なんですか、一人だけ早く老けそうなお姉さん」


 シャルがありったけの嫌味を込めて笑って見せると、その視線の先に腕を組んで仁王立ちしていたリリンの眉がピクリと動く。


「アンタが、っていうかツボが帰ってこないとサリュエル様にお茶が入れれないじゃないの。さっさと運んでよ。だいたいね……」

「水汲みは女の仕事よ」


 文句を言い連ねようとしているリリンの声を真似てシャルが言うと、先程のやり取りを見ていたらしい子供たちがドッと笑った。

その声にリリンの機嫌は更に急降下したようで、拳を握りしめブルブルと震わせている。


「ぶわはっはっはっは。兄ちゃん、リリン姉ちゃんの真似うめぇ」

「リリン姉ちゃんももう一回言ってみてよ。”水汲みは女の仕事よ”ってやつ」

「全く、リリン姉ちゃんもよくそんなこと恥ずかしげもなく言えるよなぁ」

「そうそう、いつも水汲みルツ兄ちゃんに押し付けてたのにな」

「ルツ兄ちゃんが”水汲みは女の仕事だろ!”って怒ったらルツ兄ちゃん女装させられて泣いてたこともあったっけ」

「そのリリン姉ちゃんが”水汲みは女の仕事よ”キリッ」

「「「マジうける~~~」」」


 子供たちはよほどツボに入ったのか口々にリリンの悪行をばらしながらお腹を抱えて笑っていた。

その悪行の数々は逆にシャルを感心させたほどだ。

主に虐げられていたルツと言うリリンの弟に対する同情の声も後を絶たない。

ふとリリンに視線を戻してみれば、リリンは既に沸点に達していたようで、顔を赤くしながらも頬をヒクヒクさせて笑って見せた。


「あ~ん~た~た~ちぃぃぃ~~」


 そして。

地を這うような低さのリリンの声を聴いた子供たちが「やべっ」っと雲の子を散らす様に楽しそうな声を上げながら逃げ出す。

それは、先程までと全く違った晴れやかな笑い声だった。





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