<51> 忘却の夜 (3日目) -2-
瞼を開けると柔らかな西日が照らしているのに気づいた。
冬だと言うのに肌寒さを感じることもなく、むしろコートを羽織った体が仄かに汗ばみ、重くなったとさえ感じる。
「あのクソ陛下、無理やり飛ばしやがって……」
まるで眩暈のようなふらつきを我慢しながら半身を起こし、シャルは頭を軽く振り、普段は殆ど使うことのないような乱暴な口調で悪態をついた。
転移魔法で強制的に跳ね飛ばされたのは朝方の事だったから、彼は随分と長く気を失っていたらしい。
そもそも術者本人の同伴もない転移魔法などどれだけの負荷がかかるか、そして危険なのかは想像に難くないはずだ。
それを全く意に介さず、ルーデンスはシャルをつまみだす様に弾き飛ばした。
これぐらいの悪態はむしろ可愛い方だと言っても過言ではない。
それでも、シャルに転移魔法を使う時のルーデンスを考えれば、この選択は仕方が無いものであったのは確かだ。
それをわかっているからこそ、この程度の悪態で済んでいるのだ。
同伴しなかったと言うより、同伴できなかったのだ。
ナナエの為にほとんどの魔力を使った後、ナナエを助けるためだとなけなしの魔力でシャルを転移させたのだから。
「それにしても、参ったな……」
ルーデンスの命によりやってきたシャルは煩わし気に髪をかき上げた。
ディリスに来ればわかる筈だと聞いていたのに、そのあては一目見ただけで外れていることが分かったからだ。
これでは、折角転移魔法でここまで飛ばされてきたと言うのに、期日までにソレを持ち帰ることが出来るかどうかわからなかった。
途方に暮れたようにシャルはあたりを見回す。
シャルが転移したのはディリスを取り囲む森の中だ。
その村からほど近い森の中、春のように暖かな空気と生気にあふれた場所で、ナナエが残してきたであろう魔力を回収する役目を担った。
与えられた情報によれば、ナナエが残してきた魔力、そうナナエ自身の手で切った彼女の髪はこの森に眠っている筈だった。
この冬の森の中でただ一角だけ春の場所、そこにあるのではないか。
そういう推測の元、捜索を任されたのだ。
本来、髪には多くの魔力が宿るものである。
強力な術者の髪は魔除けや媒体になるほどの力がある。
だからこそ、魔術師の多くは髪を切らず、髪に魔力を蓄え、己の魔力を高める物なのだ。
たとえを出すと言うならば、リフィンが典型的な術士のスタイルと言えるだろう。
気にせず髪を切るような魔力保持者など、それこそ他に類を見ないほどの魔力の持ち主か、武術に自信のある者か、よほどの危機意識が薄い、所謂愚か者だけであろう。
シャルは小さくため息を一つ吐くと、気怠い体をほぐす様に肩を回し、周囲をゆっくりと眺め見た。
一角だけ、と聞いていた冬なのに春の様相を呈した森は、今ではかなりの広範囲に渡っているようであった。
森の奥深さを眺めながら、シャルは再びため息を吐く。
間に合うのだろうか。
そんな思いが何度も頭を掠める。
だが、それを見つけること、ひいてはナナエを救う事はシャルの贖罪でもあった。
そもそも、イェリアが起こしてしまった事のケリをつけるのは当主として当然なのだ。
これはシャル自身が己を当主と自覚するために己自身に課した使命でもある。
だから何があっても諦めてしまうことはできなかった。
ふと、人の気配を感じてシャルは耳をピンっと立てて様子を窺った。
テンポを崩さず草を踏み、軽やかな足運びの音はこの森を歩きなれている事を表している。
重量感を感じさせないその音は、年若い女性か、子供の物と言ったところだろうか。
その音がだんだんと近づいてくるのをシャルはゆっくりと待った。
シャルはこの地に明るくない。
目的の森がこのような状態である以上、この土地に明るい者の協力は必要不可欠である。
コソコソ隠れたり、警戒させたりするのはデメリットしか生まない。
それをシャルはよく理解していた。
少しずつ近づいてくる足音を聞きながら、しばらくボーっとして座り込んでいると、やっとその足音の持ち主はシャルの存在に気付いたのか、緊張したような様子で真っ直ぐとシャルの方へと歩み寄ってくるのが分かった。
視界の端、遠くにやっと見えてきたその足音の主は、その背格好から女性であることが分かった。
まだ少女と呼んでも差支えが無いぐらいの年頃の健康そうな女性だ。
柔らかそうな栗色の髪を揺らし、何事もなさそうに装いながら慎重に歩み寄ってくる。
そうして、森に居る不審人物、シャルの姿を確認した後、少し安堵したように歩みが再び軽くなった。
どうみても子供のシャルに、警戒心を解いたことが手に取る様に分かった。
「なにしてるの?」
その姿をはっきりととらえることが出来るようになるぐらいまで歩み寄った彼女は、少し心配げにシャルに声をかける。
明らかに貴族の子供と分かるような上質な洋服を着た子供が、こんな森の中でポツンと座り込んでいたら不思議に思うのは無理もない。
「途方に暮れてました」
そんな彼女に特に媚びたり人懐こい様子も見せないようにして、シャルは静かに答える。
こんな場所で初対面の人間相手に媚びたり、愛想よく振る舞うのは自分が怪しいものだと自己主張するのに他ならない。
普段ならその容姿や年齢をフルに活用して媚びて見せるところだが、時と場合を考えた場合、それは今最も適さないものだった。
そうして口から出た答えは、特に嘘でもなんでもなく、シャルの心情を的確に表していた。
「まぁ、そりゃそうよね。こんな森の奥に貴族のお坊ちゃまが一人じゃ途方に暮れるしかないか」
そう勝手に納得したように言うと少女はシャルのすぐ横にしゃがみ込み、手のひらに顎を預けた。
彼女は特にシャルを見るでもなく、シャルと同じように遠くに視線を投げている。
その対応に、逆にシャルの方が奇妙な感じを覚え、警戒心がむくりと沸き上がった。
普通はもっと根掘り葉掘り聞いたりとかするもので、突然隣にしゃがみ込むなんて想定外だったからだ。
「なにを、してるんですか」
多少身を引きつつ、警戒心丸出しでシャルが問うと、少女はプッと軽く噴き出す様にして笑った。
「別に取って食いはしないわよ。誰かとはぐれたなら、そのはぐれた誰かが迎えに来るまで、頼りなさそうなお坊ちゃんと一緒に居てあげようかと思って」
その余りにも子ども扱いな態度に、些かシャルはむっとした様に一瞬眉をひそめた。
それでも、すぐにその表情を隠す様に薄く笑いを張り付けた。
ここで折角出会った土地の者に悪感情を持たれるのは得策ではない。
足りない情報を補うためにも、このチャンスを逃すべきではないと判断した。
「そうなんですか。ありがとうございます」
「アンタ、今ムカついてたでしょ」
友好的な笑みを浮かべていた筈のシャルを、少女は横目でチロリと見ながら被せるように言い放った。
その口元はまるで面白いものを見つけたかのようにニヤリと口角を上げている。
「えっ……と、そんなことないですよ?」
ともすれば引きつりそうになるのを堪えて、ナナエにも絶賛された天使スマイルを放ってみる。
すると少女は今度はつまらなさそうに鼻をフンっと鳴らした。
「自慢じゃないけどね、私はさ」
再び視線を遠くに投げながら、少女は一つため息をついた。
「イケメンには即騙されても、年下にはどんな美少年にも騙されたことが無いのよ」
「ホント自慢じゃないな」
思わずボソリとツッコミを入れると、その少女が冷ややかな視線をシャルに向けていた。
明らかに気分を害しました、っといった面持ちである。
「なに、貴族って女性を馬鹿にするようにしつけられてるわけ?」
「先に僕を子ども扱いして馬鹿にしたのはあなたでしょう」
売り言葉に買い言葉な勢いで、つい言い返してしまうと、少女はキョトンとした様に一瞬呆けて、それからスグに口元に拳を当て”コホン”と一つ咳払いをした。
「あー、ごめん。自慢じゃないけど、私無意識的にからかったり嫌味を言うのが癖みたいなものと言うか……」
「ホント自慢じゃないな」
再びボソリとツッコミをいれると明らかに少女の頬がひくついているのに気付いた。
当初は上手く丸め込もうと思っていたというのに、気が付けばシャルはついついと余計な一言を言ってしまっていた。
それに気づきシャルは眉をあからさまにひそめ、フイっとそっぽを向いた。
「言いすぎました。申し訳ありません」
横を向いたままそう言うと、少女は少し肩をすくめてみせた。
「まぁ、私も悪かったからいいわ。気にしないで」
そう言うと少女は両手を自分の少し後方の地面につくと足を投げ出す様にして座りなおした。
その様子はすっかりシャルに対して警戒心を解いていると言った感じであった。
「迎えは、きませんよ。一人で来たんで」
取り繕うのをやめ、素のままの調子でシャルが言っても、特に少女は返事するでもなく大人しくシャルの次の言葉を待っているようだった。
そんな感じの彼女に、シャルも警戒するのが馬鹿らしくなったのか、彼女と同じ様に足を投げ出す様にして座りなおした。
「探し物をしに来たんです。どうやって探せばいいのか途方に暮れてたんです」
「へぇ」
「一番最初に春になった場所を探しに来ました」
「ふ~ん」
「でも、この森はどこも春で、どこが最初なのかわからないんです」
「私は知ってるけどね」
サラリと言ってのけた少女の顔をシャルは驚いて凝視するが、少女は何でもない事のように少しも表情を変えなかった。
かといって、教えるつもりもさらさらないように見えた。
「教えて、欲しいんです」
「無理ね」
にべもない、とは正にこのことだろう。
一呼吸すら置くこともなく断る少女の真意をつかみかけて、シャルは唖然とした顔のまま少女を見た。
すると少女は、やっとシャルの方に顔を向けた。
その表情は至極真顔で、しっかりとした信念を感じさせた。
「なぜですか」
何故かその少女に気圧される様に、かすれ気味の声でシャルが尋ねると、再び少女はシャルから視線を外して森の奥の方をぼんやりと眺めた。
「冬の森と春の森、違いはわかる?」
「気温の違いですか?」
「そうね、春は暖かくて、冬は寒い。確かにそれも違うわね。……ううん、それが元になってる」
「?」
「春は暖かく、草木は芽吹き、小鳥が歌い、生命力にあふれている」
誰が聞いても当然の常識をその少女はまるでシャルに教えるかのように言った。
「冬は寒くて、草木や動物たちは春まで眠る。そんなの常識じゃないですか」
続けるようにシャルが言うと、少女は明らかにがっかりしたような顔をシャルに向けた。
「協力はしないわ。でも、諦めそうもないから宿ぐらいは提供してあげるわよ」
そう言うと少女は立ち上がり、スカートをパンパンと叩く。
少女が何を言いたかったのかわからず、シャルは座ったまま困惑した表情で少女を見上げた。
すると、少女は少しだけ困ったように笑った。
「今、お母さんたちも留守だし、おじいちゃんは寝込んでるから、こんなんでも私が村長代理なのよ。だから協力はできない。でも、あなたが勝手に探すなら探せばいいし、それも止めないよ。どっか間違ってるってのは分かってるから」
言い訳するように言った少女の言葉にシャルは更に混乱した様に眉間にしわを寄せた。
その表情が可笑しかったのか、少女はプッと軽く噴き出すと、座っているシャルに向けて手を差し出した。
「貴族のお坊ちゃんを野宿させるほど非道じゃないのよ。村へ行きましょう。粗末だけどベッドもあるし、温かい食事もあるわ。日が暮れてしまう前に移動した方が良いと思うけど?」
その言葉に他意は見られず、シャルはぎこちなく頷きながらもその手を取って立ち上がった。
すると満足そうに少女は頷き、地面に置いた自分の籠を拾った。
「そうそう、名前を聞いても?」
明るく尋ねられた声にシャルは些か納得いかない様な気持ちを抱えながら「シャル。シャル・イェリア」っと、短く答えた。
そんなシャルの様子を気にするでもなく、少女は2,3頷くと笑ってポンポンとシャルの背中を優しくたたいた。
「私はリリン。よろしくね、シャル」
その屈託のない笑顔は、シャルのよく知る人、今一番助けたい人の笑顔と少しだけ似ていた。




