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<5> 渦中

一瞬、風が頬の横を通り過ぎていったのがわかった。

それはナナエの頬を傷つけることは無く、真向かいに居るシャルからナナエの後ろに向かって何かが放たれた名残だ。

瞬時に後ろを振り返ると、何かから飛びのいて逃げたような格好の男が居た。

男はそのままナイフを構えると、躊躇無くナナエに向かって投げる。

が、身動きできずにいるナナエを力強い手が引き倒した。

と、同時にそれを飛び越えるようにして小さな影が転がり出て、そのナイフを叩き落す。

小さな影はそのままその男に瞬時に飛び掛り、何が起きたのかも感じさせぬ内に、男はそのまま倒れ伏した。


「怪我は、ありませんね?」


灰色の瞳がナナエの顔を覗き込み、ナナエは声も出せぬまま小さく頷いた。

するとその灰色の瞳は、すぐに視線を周囲に走らせ、剣を抜き、身構える。


「ナナエ様は、身を低く伏していらしてください」


タバサは優しくナナエにそう諭し、ルーデンスとは逆の方向を警戒する。

──今のは確実に殺そうとしていた。

その恐怖がひやりと足元から這い上がってくる。

このような命の狙われ方は、オラグーンを出たとき以来だ。


宰相の追っ手に見つかったのだ。


ナナエは震える手を押さえるように握り締めながら背中を丸めるように体を低くする。

そして、戦きながらも周囲に視線をめぐらせる。


あの飛び出していった小さな影はシャルだ。2人の大柄な男と対峙している。

その身のこなしは軽やかだったが、ナナエの場所からはシャルが何をしているのかはよく見えなかった。


「タバサさん、シャルは、大丈夫でしょうか」


不安に思ってすぐ横のタバサに聞く。

するとタバサはニッコリと笑って見せた。


「大丈夫ですよ。シャル様は坊ちゃんの次に腕が立つんですから。ここでナナエ様がじっとしていてくだされば、その分自由に戦えます」


タバサはシャルの事を信頼しきっているようだったが、ナナエからすれば自分よりもずっと小さい少年が危険を冒していることが耐え難いように思えた。

しかし、今ナナエ自身が一番の足手纏いである以上、タバサに言われた通りに大人しくしているしかない。


不意に近くで魔力がぶわっと湧き上がるような気配を感じた。

見ると、ルーデンスがシャルが居るところより少し右側、森の奥に向かって軽く手を差し出していた。

その手のひらの上に巨大な岩ほどもある炎の塊が瞬時に現れ、ルーデンスがフッと息を吐くと同時に、物凄い勢いで森の奥に飛んでいく。

そしてそのまま木々をなぎ倒し、目的のところまでたどり着くと、音もなく花火のように弾けた。

目を凝らしてみれば、その炎の消えた痕には人影らしきものがいくつか見える。

それと前後するようにしてシャルが男たちを倒し、ナナエたちのほうに小走りで戻ってきた。

そのいつもと変わらない穏やかな表情に、ナナエはほっとして体を起こし、立ち上がった。


「ナナエ様!」


諌める様なタバサの鋭い声と共に強く体を押された。

小さな影が再び、ナナエを飛び越えるようにして走り去り、ナナエの上には暖かい体が覆いかぶさる。


「タバサ、平気ですか?」


そう言って、ナナエの上に覆いかぶさったタバサをルーデンスが引き起こした。

状況を把握できないまま、ナナエは視線をタバサに向ける。


「ナナエ様。お怪我は?」


いつものようにタバサはニッコリと笑う。

その白いエプロンには赤いシミがポツンとついていた。

そのシミはみるみるうちに花ほどの大きさになり、そうしてすぐにエプロンを大きく蝕んでいく。


──まただ。


2ヶ月前のあの時。

セレンの服が血に染まっていく様がフラッシュバックした。

同じようにタバサのエプロンが血に染まっていく。


──また、私のせいでひどい怪我をさせた。


声が出ず、ナナエは震える両手を握りこむようにして口元に当てる。

体の震えが止まらず、視界がぼやける。


──また、何も出来ない。また、みんなを危険にさらしている。


パニックになりかけていた。

既に潜んでいた者たちを片付け終えたシャルがナナエの傍に戻り、心配そうにナナエの両手に手を添えるものの、ナナエの震えは止まらず、タバサのエプロンを凝視したまま唇をもわななかせていた。

その赤いシミが広がっていく様から眼が離せない。

シャルがナナエの手をゆすり何か話しかけているのに、それは全くと言って良いほどナナエの耳には届かなかった。

白を侵食していく赤。

その赤が告げるのはきっと冷たい体。

どうしよう……赤が……どうしよう、……赤がどんどん広がる──。

その赤はいずれ黒くなり、終わりに近づいていく筈だ。ナナエは何も出来ない。あの時みたいにリフィンは傍に居ない。

どうしよう私のせいだ。どうしよう私のために。どうしよう私が居たから。どうしよう私が──私が──!


パシッ。


頬に鋭い痛みを受けて、ナナエは混乱したまま、その痛みを与えた主を見た。

そこには人形のような顔があり、その意志の強そうな灰色の瞳がナナエを見据えている。


「あ……」

「動揺して、どうにかなりますか?」


頬に受けた痛みと同じ鋭さを持った冷静な言葉がナナエに向けられる。


「タバサを見殺しにしますか?」

「わ…たし……なにも、できな……」

「ナナエにしか出来ないことがあります。やれますね?」


そう言ってルーデンスはナナエにかごを無理やり持たせる。

頭が上手く回らずに、緩慢な動作でそのかごを覗き込む。

それは、先ほどまで皆で集めていた薬草だった。


「一刻も早く止血の必要があります。ナナエ、できますね?」


ナナエの腕を強く掴み、その灰色の瞳で覗き込んだ。

そして、確認するようにゆっくりと再び尋ねたのだ。

ナナエは未だ混乱からは冷め切ってはいなかった。

しかし、今度はぎこちなくではあるがナナエは確かに頷いた。


──今度は、あの時と違う。私にも出来ることがある。


震える手でタバサの腹に刺さるナイフを確認する。

ナイフには目立った特徴は無い。

毒が塗られた形跡も無い。


ならば、次は消毒だ。

ナナエは震える右手を叩き、己を叱咤しながら薬草の入ったかごを漁る。

そして、消毒効果のある少し匂いのきつい草を取り出す。

それを両手をすり合わせ、もみ込むようにして柔らかくして、その草から滴る汁を白い布に染み込ませた。

そうして、ナイフを一気に引き抜き、傷口を押さえるようにして拭いた。

タバサが少し痛そうに呻く度に、ナナエは泣きながら「ごめんなさい」とくりかえす。

それでも決して手を休めない。


次は止血だ。

血を止める効能がある薬草……。

少し状態は悪いが、これだけの量があれば難しいことではないはずだ。

先ほどと同じように、手をすり合わせるようにして葉を柔らかくし、揉み込む。

揉めば揉むほど、その粘り気のある液体が草同士の隙間を埋めていく。

そうして、すっかり粘度を増した草を平たく伸ばし、そのまま傷口に当てる。

その上から清潔な布を当て、更にドレスの裾を破り、包帯のように巻きつけて固定した。


タバサは微笑を崩さないものの、その顔色は血の気が引いていて青白く、唇は土気色をしていた。

傷口も傷むらしく、身じろぎ一つする度にその笑顔をゆがめる。


かごから小さなオレンジの花を取り出すと、ナナエは花びらの部分だけ取る。

そうしてその花びらをある程度集めると、タバサに口の中に入れるように指示した。

そして良く噛むように言う。

その花びらは麻酔の効果がある。

鎮痛効能のある薬草は今日は手に入らなかった。

ならば、麻酔効果で代用するしかない。

あとは屋敷に帰って備品から薬草、薬剤を取り出すしかない。


「ルディ、転移の魔法、使える?」

「……申し訳ありませんが、4人運ぶのには元々魔力が足りません」

「私の…私の魔力使ったら、いける?」

「それは…おそらく」

「じゃあ、私を使って」


そう言ってナナエはルーデンスの服の襟を半ば強引に引き寄せ、口付けた。

一瞬、ルーデンスは目を見開き、驚愕の表情を浮かべたが、すぐさまその意図を理解し、口付けを深める。

急激に魔力の抜かれる感覚がナナエを襲う。

魔力がたまって発散できなかった以前とは違い、通常状態で抜かれる魔力は体に負担がかなり掛る様だった。

それでも襲うめまいを堪えながら、ルーデンスの服を握り締め、昏倒しないように体を支える。

ごっそりと魔力を抜かれた後、すぐ傍で大きな魔力が湧き上がった。

ルーデンスが一刻を争うように真剣な表情で、魔法を発動させているのがわかった。


景色がぐにゃりとゆがむ。

そうして、視界が狭まるようにして迫る暗闇と浮遊感に包まれた。










貧血のようにくらくらする頭を軽く振る。

その視線の先にはライドンの邸宅がある。

……しかし、その雰囲気の異様さにナナエもルーデンスも一目見るなり息を呑んだ。

玄関は開け放たれており、そこには何人かの見知らぬ男たちの死体が転がっている。

向かって左の応接間の窓は破られ、ガラスが粉々に砕け散っていた。


「……マリー!マリーは!?」


我に返るようにナナエが口を開き、屋敷に駆け寄ろうとするのを、ルーデンスが制してタバサの身をナナエに預ける。

そして、待つように言い、屋敷に警戒しながら入っていった。

シャルは困惑した表情をしながらも辺りを警戒してナナエの傍から離れない。

たった2、3分のことだったと思う。

それでもナナエはとても長い時間だと思った。


しばらくして姿を見せたルーデンスは難しい顔をしながらも、一言「マリーは無事です。とりあえずは」と言った。

その言葉にほっと胸をなでおろし、タバサの身を再びルーデンスに預け、4人で玄関をくぐる。

そのままルーデンスに促されるままに奥のナナエの居室まで移動した。


ナナエの居室の長いすにはマリーが背もたれに寄りかかるようにして力なく座っていた。

その両手は膝の上で硬く握られている。

そして、マリーはナナエの姿を確認すると照れたように笑った。


「ナナエ様、お帰りなさい」


メイド服はボロボロで、ところどころ切られており、エプロンには返り血だろうか、血飛沫が飛んでいた。

一番酷いのは髪で、右側の髪が肩よりも短く切られている。

右耳もその余波を受けたのか大きな傷を受け、血を流していた。


「マリー!!!」


ナナエは急いで駆け寄り、その手を握った。

するとマリーは悪戯を見つかった子供のように舌をぺろっと出して見せた。


「すみません、ナナエ様に頂いた髪飾り、壊してしまいました」


そうして、硬く握り締めて白くなっていた両手を開いて見せる。

そこにはあのガーネットの髪飾りが粉々に砕けてしまった後の残骸が残っていた。

右耳の近くに何時もつけていたから、髪と耳を切られたときに、一緒に切られたのだろう。


「マリーが無事ならそれでいい。耳の傷手当てしよう?」


──今度は泣かない。うろたえない。


ナナエはサイドボードの引き出しから薬品や使い残しの薬剤を取り出す。

マリーが座っている長いすの向かいの長いすにはタバサを横にならせ、2人の傷の状態をもう一度確認する。

マリーの傷は出血の割には余り深くなく、タバサも止血と麻酔が効いたのか容態が安定している。

2人に鎮痛剤を飲ませ、マリーの耳消毒をして包帯を巻く。


「……ここも、襲われたんだね?」


ナナエが確認するように聞くと、マリーは軽く頷いた。


「とりあえず、怪我はしちゃいましたけど、全部倒しましたよ?」


そう言って胸を張ってみせる。

その姿が痛々しく思えてマリーの左手を再び両手で包み込むように握った。


「ナナエ様も、なんですよね?」


少し緊張した面持ちで尋ねるマリーに向かって、ナナエも小さく頷いた。

向かいの長いすではタバサが静かに寝息を立て始めている。

ルーデンスは部屋の入口付近の壁を背にして立ち、シャルは窓際で周囲の様子をつぶさに観察し、警戒しているようだった。


「たぶん、宰相達に居場所が知れたんだと思う」

「そうですね。たかが強盗やゴロツキと言うには手練すぎました」

「ここを……離れるべきだよね?」

「……そうなりますね」

「タバサさんは……」

「大丈夫です。この街にもファルカ家の者が居ますからそちらで治療させます」

「……うん」


泣きそうな顔をしているナナエを宥めるように、マリーは右手でポンポンと手を叩き、苦笑した。

ナナエのほうがマリーよりもずっと年上だと言うのに、今のナナエは酷く不安げな顔で、まるで迷子になった子どものようだった。


こちらの世界に来て、ナナエが一番長く居た場所がこの邸宅である。

自由に出て行って、自由に帰ってくることが出来た場所だった。

たった一月半程の短い期間ではあったが、ナナエにとってここは、この世界に来て始めて落ち着けた、自宅のようなものだったのだ。

そこが安全な場所でなくなってしまった。

それは簡単に元の世界に帰れないナナエにとっては、この世界での帰る場所を失ってしまったことに等しい。


「心配しなくても大丈夫ですってば!私たちも次はもっとゆっくり出来るところを探しましょう」

「……うん」


頼りなげに俯いてナナエは返事をした。

そして、やりきれないように視線を窓の外に投げる。


「ごめんね。私なんか見捨てていいって言えなくて」


その言葉は酷くぞんざいで、苛立ち紛れの言葉だった。

ナナエは自分の不甲斐なさを身をもって知っている。

何度も何度も、何かあるたびに助けられる一方だ。

このまま皆の傍に居ても再び足手まといになるのは確実だった。

それでも、怖くて。

死ぬのが、そして皆から離れるのが。

自分を捨てて行けと言えたらどんなに楽だろう。

そう思っていても、皆と離れるのが嫌なのだ。

死ぬのも怖いのだ。

そんな卑怯な自分が恥ずかしくて、足手まといにしかならない自分が恥ずかしくて。

ナナエは苛立ちを隠せないで居る。


「拗ねている暇があったら、荷物をまとめてください」


突然の声に驚いて振り返ると、トゥーヤが寝室から皆の居る居室へ入ってくるところだった。

その姿は朝と殆ど変わらない。

変わっているとすれば、その手袋に所々赤黒いシミが転々とついているぐらいだ。

この様子だと、おそらくトゥーヤも襲われたのだろう。


……妙な違和感を感じる。


はっきりとは分からないが、ナナエはその違和感がとても大事なことに思えて首をひねった。

何かが起こっている。


───そんな予感がした。


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