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<49> 困惑の昼 (2日目)

 流石のルーデンスも、と言ったところであろうか。

あの日、ナナエと朝食をとった後、青白い顔を曇らせて「少し休みます」といって彼は、気丈にもナナエに気付かせないようにふらつく足を堪え、一人で彼にあてがわれた部屋へと引き上げていった。

そんな彼の様子からだけでなく、ほとんど消えかけていたナナエの魔力を、普通に立って歩けるほど迄回復させるのには、彼がどれだけの魔力をナナエに分け与えたのかは筆舌に尽くしがたい。

ナナエの為だけに己の命を削ったと言っても間違いではないその行為の前で、トゥーゼリアは傍観者に徹するしかなかった。

 どんなにその行為が、自身の心を引き裂くようなモノであろうとも、彼は決してソレを邪魔することはなく、ただただ、いつもよりもさらに表情をなくした能面のような顔で、その時がじっと過ぎ去るのを待った。


――ナナエ様以外、必要ありません


 そう言ったのはトゥ―ゼリア自身であったはずだ。

ナナエが無事でありさえすれば。ナナエが生を得るために必要であるのならば。

己の心すらいらないものだと言ったのはトゥーゼリア自身なのだ。

そう言って酷くナナエを傷つけたトゥーゼリアが、どうして己の気持ちを優先させるためにナナエの命を危険にさらすことが出来ようか。


――人の子の王の命をお前にくれてやろうか


 ふと耳元で、あの少女の声が聞こえた気がして、彼は頭を軽く振った。

聞こえる筈のない声。

トゥーゼリアの目の前では生気を取り戻したナナエがマリーと楽しく談笑をしている。

その光景は、彼自身が望んでいた結果であるはずだ。

過程がどうであろうと。

それでも、その声は纏わりつくように、まるで反芻するかの如く頭の中に響く。


 その声を振り払うかのように、トゥーゼリアは何度も何度も頭を振った。










 その翌日の昼食にもルーデンスはついに姿を見せなかった。

昨日遅めの朝食の後、休むと引き上げてからまだ泥のように眠りについている様だった。

そんな無防備な状態の彼をもちろん放っておくはずもなく、ファルカ家現当主ヒュージィンが直々に護衛の任についていた。

ファルカ家にとってルーデンスは、今や大恩のある主の一人である。

オラグーン王家に牙むくものとして断罪を待つか、一族を率いて逃亡するかと言うところを、セレンの温情と、その願いにより快く他国の貴族であるファルカ一族を迎え入れてくれたのだから。


「兄さん、そろそろ父様と交代してきます。」


 昼食の片づけを一通り終えると、マリーはトゥーゼリアにそう告げた。

ヒュージィンは一昨日から休憩を取らずにルーデンスの護衛に当たっている。

もちろん、バドゥーシに狙われているナナエは危険ではあるが、ルーデンスも決して安全とは言えなかった。

国内外を問わず、ルーデンスには敵も多い。

己の信念の為にはいささかの情も挟まず行ってきた国政。

時にそれは残忍な王の独裁と取られることもままあった。

国の不利益になることには一歩も引かず、時には知略、そして時には武力をもって国内外の敵を退けてきたのも未だ記憶に新しい。

そこまで目立つ王が他国からのみならず、国内でも煙たがる者が多いのは言うまでもない。

本来ならいつ襲われてもおかしくない事を忘れるわけにはいかなかった。


「シャルが戻り次第、兄様と交代するように伝えますね」


 ヒュージィンと同じく、一昨日より一睡もせずにナナエの護衛についているトゥーゼリアを思ってか、マリーが気遣かわし気にそう告げると、トゥーゼリアは小さく首を振る。

マリーは更にきちんと休息をとるべきだと言い募ろうと口を開きかけたが、言ったところで無駄だと思ったのか小さくため息をついて苦笑した。


「そういえばシャルはどこに行ったの?」


 シャルと言う名に反応したのか、今まで黙っていたナナエがキョトンとした顔でマリー達を見やった。

邸内に居るものだとばかり思っていたナナエは”戻ってきたら”という単語に疑問を持ったのだろう。


「ルーデンス様のご命令でちょっとしたお使いに行ってるみたいです。どこまで行ったのかはちょっとわからないんですけども……」

「ルーデンス様のご命令……?」


 そうマリーの言葉をそっくりそのまま繰り返す様にナナエは呟き、少し首をかしげるようにして考え込んでいるようだった。

肩肘をテーブルにつき顎を乗せ、眉間に僅かにしわを寄せて軽く目を閉じ、空いている手を軽く握り額をコツコツと叩いている。

そうしてひとしきり逡巡した後、ナナエは小さく頭を振って瞼を開けた。


「ナナエ様、どうかしました?」

「……ん?なんでもないよ?」

「何か気になることでもあったんじゃ?」

「ああ。う~ん……」 


 そう言うとナナエは少し照れ隠しのような苦笑いをしてみせた。


「なんか引っかかることがあったんだけど、考えてるうちに忘れちゃったんだよね、これが」

「ああ、たまにそう言うのありますよね。言おうとしたこと忘れちゃうの」

「そうそう、最近年でねぇ……朝食べたものすら、もう思い出せなくなってきてねぇ……」

「ちょっとソレやばいですよ、ナナエ様」

「え、やっぱり~?」


 そう言ってナナエとマリーはコロコロと顔を見合わせて笑った。

その様子はまるで気安い友達と言った感じで、久しぶりに感じたその雰囲気に妙な安心感を覚え、トゥーゼリアは少し口元をほころばせた。


「あ、今トゥーヤ笑ったでしょ?」


 その些細な気配に目ざとく気付き、馬鹿にされたとでも思ったのか、ナナエはいささかむっとした表情でトゥーゼリアに向き直る。

マリーはといえば、丁度背を向けていた為全く気付いていなかったようで、ナナエのその態度にキョトンとしながらもトゥーゼリアの方へと体を軽くひねり首を傾げた。


「笑っておりません」

「いんや!絶対笑った!」

「気のせいでは?」

「どーしてトゥーヤはいつもこう主人を小馬鹿にしたような執事しかできないのよ!だいたいね、執事っていったら……」


 プリプリとしながらトゥーゼリアに物申しようとしている途中で、ナナエはふと何かに気がついた様に口を閉じて眉根を少し寄せる。

その様子を見てマリーは、今度はナナエの方を見ながら首をかしげた。


「ナナエ様、どうしたんですか?」

「……ううん、なんでもない」


 そう言ってナナエは気まずそうにティーカップを口に運ぶ。

その唐突な態度の変化に、トゥーゼリアもマリーも困惑したように互いに視線を軽く合わせた。


「ナナエ様?」


 マリーが気づかわし気に声をかけると、ナナエはバツが悪そうにへらっと笑って見せた。


「いや、さ。ほら。ねぇ?」

「はい?」

「マリーも、トゥーヤも、もう私の専属のメイドと執事じゃなくなったんだなぁって思い出して」


 そう言ってナナエは眉を下げて情けない顔でへへへと笑って見せる。

その表情には悔恨の色が濃く見え、酷く寂しそうにも見えた。

そんなナナエの様子を見て、マリーは小さくため息を吐くと”仕方が無いなぁ”といった調子で微笑んで見せた。


「私も兄さんも、元通り、ですよ」

「……うん。元に戻ったんだよね」

「もうっ、私も兄さんも元通りなんです!”ナナエ様専属”なんです!」


 しびれを切らせたようにマリーが強く言うと、ナナエはよほど驚いたのか一瞬硬直したように微動だにせず、マリーをマジマジと見返していた。

マリーが腰に手を当てて再びため息を小さく吐くと、やっとその言葉を受け入れたかのように、次第にゆるゆると表情が緩んでいき、照れたようにエヘヘと笑う。


「そっか。そっかぁ~」


 ニヤニヤとしながら両手で包み込むようにしてティーカップを持つと、ナナエは温くなったお茶をちびちびと嬉しそうに飲んだ。

まるで鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌さに、今度はマリーが苦笑いをする。


「ああ、でもっ。ナナエ様?」

「ん?」

「心配、すっごくしたんですからね?私、すご~~~く怒ってるんですからね」


 片方の手を腰に当てたまま、もう片方の人差し指をピンと立て、全く怒ってるように見えない表情でマリーが言うと、ナナエはそれでも嬉しそうに”ごめんごめん”と言いながらエヘヘと笑って見せた。


「セレンにお礼言わなきゃなぁ~。また、一緒に居れてホント嬉しいもん」

「そうですね~セレン様には頭が上がらないです。拾ってくださったルーデンス様にも」

「……へ?」

「あ、ナナエ様はまだ知らないんでしたっけ?ファルカ家とイェリア家はオラグーンからエーゼル預かりの身となったんです。謀反と取られても文句を言えない状況で、セレン様がルーデンス様に掛け合ってくださって……」


 そう言うとマリーは嬉しそうに、そしてその時の事を思い出すかのように頬に片手を当てて軽く目を閉じ、首を少し傾けた。


「そう……なんだ」

「はい。エーゼルに召し抱えられた以上、ここもナナエ様の体調が戻ったらすぐに引払わなければなりません」

「……ねぇ」

「はい?どうかいたしました?」


 ナナエは少しの間言いづらそうに視線を外したが、唇をキュッと引き結ぶと、思い切ったように口を開いた。


「……エナさんは、どうなったの?」


 この屋敷がエナ、そしてシャルの実家であることはナナエも知っていた。

ナナエはそこで人質として囚われていたはずだ。

その身に魔種を植えられて。

聞くのが怖くて随分と回りくどい方法をとってしまったが、これまでの話でナナエにはセレンが無事であることや、今現在危機的状況と言った感じではないことがわかっていた。

しかし、腑に落ちないことはあった。

囚われている間も何度か見たコルレやエナの姿を全く見ないのだ。

いや。

そうではない。

”イェリア家の者を誰一人として見てはいない”と言った方が正しいだろう。


 ナナエのストレートな質問に、マリーは明らかに動揺し、逃げるように視線をトゥーゼリアへと移した。

それに誘われるようにして、ナナエの視線もトゥーゼリアへと移される。

だが、トゥーゼリアはピクリとも眉を動かさず、ナナエに食後の紅茶を入れながら平然とそんな2人の視線を受け止めた。


「生死を聞きたいと?」


 短く問うトゥーゼリアの言葉に、ナナエはコクリと頷いた。

イェリア家の邸宅に居ると言うのに、イェリアの者を全く見ないことがそもそも異常なのだ。

それでもトゥーゼリアはその異常さもまるで当たり前と言った調子で、湯気の立つティーカップを静かにナナエの目の前に置いた。


「生きております」


 トゥーゼリアのその言葉に、ナナエはピクリと眉を動かした。

チラリとマリーに視線を移し、それから再び直ぐにトゥーゼリアへと視線を戻す。


「それは、今はまだ、って意味かな?」

「わかりかねます」

「誤魔化したってだめだよ。生きてるってただ言うだけなのに、”マリーが困る”ってことは、死ぬかもしれないってこと。そうじゃない?」


 ナナエが睨むようにしてトゥーゼリアに言うと、トゥーゼリアはチラリとマリーを見て小さく舌打ちをした。


「ちょ、トゥーヤ!あんた、今舌打ちしたでしょ!!」

「空耳では?」


 しれっと言うトゥーゼリアに、ナナエはぐぬぬと言いながら紅茶を一口飲む。

マリーはと言えば、微妙に顔を引きつらせて明後日の方向を向いていた。


「……んで?」

「生きております」

「それは聞いたわよ。何故、この屋敷の人間であるエナたちが姿を見せないのか。それと、なぜ命を脅かされているのか。聞きたいのはその2つよ」


 そうして、オーバーリアクション気味に右手の指を立てながら淡々とナナエが言うと、トゥーヤは再び小さく舌打ちをしたのだった。












――――コン、コン。


 控えめに小さく扉をたたく音が聞こえ、コルレは振り返って扉を見やりながら眉をひそめた。

屋敷に戻ってから既に1日以上経過していて、それまで誰もこの部屋を訪れる者が無かったからだ。

部屋、と言うのもおこがましいかもしれない。

確かに椅子やテーブル、寝台にクロゼット等部屋として構成される要因となるものはこの場所にはあった。

しかしながら、部屋と呼ぶには外の光が全く届かない、窓もないこの場所。

そして、コルレと部屋のドアの間に、外界と隔てられるようにして堅固な鉄の檻が存在していた。

貴族用の牢屋。

ここは、イェリア家が邸宅内にいくつも抱えている部屋のうちの一つだ。

表向きは全く普通の居室と変わらないが、扉をくぐればすぐに豪奢な部屋には不釣り合いの武骨な檻がある。


 この部屋にコルレとエナを押し込んだのは、エナの最期の肉親であるシャルだ。

高熱を出し足取りも覚束なくなったエナを全く憐れむ様子もなく、その殺気のみでコルレを従わせる。

年端もいかない子供に見えるその少年は、イェリア家では誰よりも殺すことに慣れていた。

イェリア家にその身を置く者ならだれでも知って居た事だ。

シャルを有無を言わせずに従わせることが出来る人間。

それはイェリア当主とその奥方である夫人。

そして、シャルが唯一自分よりも強いと認めたファルカ家の次期当主だけであった。

その彼が、イェリア当主とその夫人を殺したのだ。

もう、イェリア側に彼を止めることが出来るものなどいないのは明白だった。

その冷ややかな視線の動きのみで気圧されて、促されるままコルレはエナを抱えたまま自らこの部屋へ入った。

カチャリと言う無機質な錠の音、それだけで自分の未来が閉ざされたと確信することが出来た。


だが、恐ろしいとは感じなかった。


 むしろこの部屋に入った瞬間”助かった”と思ったのだ。

牢の中に入れば、背中に感じる冷たい視線と対峙せずにいられる。

その事に何よりもほっとしたのだ。


 コルレが1日前の事を軽く逡巡していると、その控えめなノックが再び扉を叩いた。

その音にコルレは現実に引き戻され、軽く口を引き結んでドアの外の気配を窺う。


――今のところ殺意は感じられない。


 そう判断したコルレは短く「どうぞ」と答えた。

そもそも、閉じ込められているというのに、閉じ込めた側がノックをして入室の許可を求めるなど馬鹿げた話である。


 部屋の入り口の扉は、静かに少しだけ開けられ、そこからひょいっと見知った顔をのぞかせた。


「あっ、コルレ。居たんだね、良かった~」


 この場、この牢には不釣り合いな間延びした口調で顔を覗かせたのは、コルレとエナが騙して連れてきた娘、ナナエだ。

その余りにも緊張感のない声と様子にコルレが多少の苛立ちを覚えても無理はないと言ったところだろう。


「この状況でどうやって居なくなれるのか、俺にはわかりませんがね」

「あはは、そりゃそーだったね」


 けたけたと笑いながらナナエは牢の錠前の前まで歩み寄ると、おもむろに鍵を取り出してその扉を開けた。

そうして、躊躇もせずその少し低めのドアをくぐる様にして牢の中へと入ってきたのだ。


「何しに、来たのですか」


 エナが臥せっている寝台をナナエの視線から隠す様にしてコルレが立つと、ナナエはキョトンとした顔でコルレを見上げた。

その顔にコルレは些か肩透かしを食らった様に眉を軽く潜めた。


「”何しに”って、みにきたんだけど?」

「……笑いに来たのか」


コルレがボソリとそう言うと、ナナエはジロリとコルレを一瞥し、フンっと鼻を軽く鳴らした。


「そんなに暇じゃないし、そもそもそんな元気もないわ」


 幾分吐き捨てるように言ったナナエは、微妙に気だるそうな表情をしながらも、コルレの体越しに、寝台に横たわるエナを見つめている。


「言ったでしょ。みにきたの。診察に来たのよ。どいてくれる?」

「誰もそんなことは頼んでません。お引き取りを」

「私も頼まれてないわよ。勝手に来たの。勝手に診させてもらうわ」


 そう言って、スルリと横をすり抜けようとするナナエを、コルレは慌てて押しとどめようとした。

が、そんな彼の手はナナエを捕まえることはなく、瞬時にして後ろへとねじりあげられる。


「……ぐっ」


 低く、そして短く呻きを漏らしつつも、コルレは己が腕を拘束する者へと視線を投げ、そうして諦めたように身じろぎもせずに少し俯いた。

それは抵抗が無駄であるとわかっているからに他ならなかった。


「触れるな」


 首筋に押し当てられた刃先の冷たさと、念を押す様に発せられたその言葉に、コルレは声も出せずに小さく頷く。

無理にその腕を振りほどき、ナナエに一瞬でも触れようものなら腕をねじりあげられるだけで済みそうもないことは考えなくてもわかる。

ナナエがここに来た時点で、共にいるであろう事は簡単に予想がついた筈だった。

それを、ナナエの余りにも緊張感のない態度に思わずソレを失念してしまい、とっさに止めようとしてしまった。

ただそれだけだった。


「トゥーヤ。別にコルレは私を殺そうとしているわけでも何でもないでしょ。大げさすぎだよ」


 少しだけ振り向きながら、ナナエは不機嫌そうにコルレを拘束しているトゥーゼリアに声をかける。

そう、ナナエは不機嫌であった。

ナナエが仮死状態のまま地下のあの部屋で横たわっていた時、ルーデンスやキースたちがエナにしたことを聞いてしまったからだ。


目には目を。歯には歯を。


 そう言ってしまえば、なぜ彼らがその行動をとってのかを想像するのは容易いことではあった。

ナナエを殺すことを厭わなかった。だから、エナを殺すのも厭わない。

それだけの事だった。

だが、ナナエには納得が出来なかった。


だって、ナナエは今生きているのだ。


 綺麗ごとを並べ立てようと思えばいくらでも並べ立てることが出来る。


人の命を何だと思っているのか、とか。

許せないことをした人に、同じことをやり返すのは自分の価値を下げるよくない事だ、とか。



「イェリアの者にはこれぐらいで丁度良いのです」

「イェリアの者には、って、シャルもイェリアじゃない」

「シャルが敵に回るなら同じことです」


 サラリとそう言ってのけるトゥーゼリアに、ナナエはピクリと眉をはね上げて寝台へと向かっていた体の向きをくるりと変え、ツカツカとトゥーゼリアとコルレの元へと歩み寄った。


「そんなこと、許さないから」

「別に構いませんが」


 ビシッっとカッコよく人差し指を差し向けてキメて見せたというのに、全く間をおかずにトゥーゼリアが返した言葉はナナエをさらに腹立たせるのに十分であった。

まるで今にも癇癪を爆発させようとする子供のように、ナナエはダンッっと足を一回踏み鳴らすと眉間にしわを寄せ、腕を組んで仁王立ちをする。


「構うのよ!私が!執事なら主の機嫌を損ねるようなことしないでちょうだい!」

「では、お目に触れたり、お耳に入れないよう処理をさせていただ……」

「ちゃうわ!必要でもないのにそんなことしないでって言ってるの!」

「お約束いたしかねます」

「主の命令は絶対でしょ!」

「主には出来ぬこと、足りないものを補うのも執事の役目です」

「今はそんな場面でもなかったでしょう?人を脅すとか武器を突き付けるとかそう言うのはいらないから」

「そちらも足りませんが、そもそもナナエ様は考えが足りな……」

「異議あり!」


 トゥーゼリアの鼻先にナナエが人差し指を突き付けると、彼は一瞬呆れたように視線を横に反らした。


「人に向けてこう何度も指をさすのは、やはりマナーの勉強が足らな……」

「うっさいわ!あーもう!ああ言えばこう言う!」


 そんな2人の様子を、コルレはポカンとした面持ちで見ていた。

そもそも、トゥーゼリアがここまで饒舌に話すところを見たことが無かったのだ。

しかと表情を窺い知ることはできないが、その声音は微かに弾んでいるようにも聞こえた。


「……騒がしいわ」


 その時、細く小さく聞こえた声にコルレはハッとしたように顔を上げた。

その声の方を見れば、エナが寝台からゆっくりと体を起こすところだった。


「あ、おじゃましてま~す」


 再び、緊張感の欠片もない声が呑気にその声にこたえる。

エナは幾分ぼーっとした面持ちで左手で軽く額を抑えた。


「なにか、御用かしら?」

「診察に来たのよ」

「必要ないわ」

「熱はあるみたいだけど、そのほかの症状はどう?魔力が抜ける感じがするとか」

「お引き取り願えるかしら?」

「ムカムカして気分が悪いとか」

「死ぬところを見に来たの?気が早いわね」


 吐き捨てるようにエナが言うと、ナナエはふむっと考え込む様に右手の甲に顎を乗せてみせた。


「それも、いいかもね?」


 サラリとナナエの口から発せられたその言葉に、エナは返答も出来ず小さく唇を噛んだ。

エナはこの1カ月、ナナエが弱っていく様をあざ笑い、利用してきたのだ。

ナナエのその言葉を責めることなど出来るわけがなかった。


「まぁそれは、エナさんが老衰する時まで取っておいてあげる。取りあえず質問に答えてよ」


 ドスンと派手に音を立てて、ナナエは寝台横の先程までコルレが座っていた椅子へと腰を掛けた。

その様子をエナがキョトンとした顔でながめていると、矢継ぎ早に次から次へとナナエはエナを質問攻めにする。

困惑したままエナがしどろもどろに答え、それをナナエが手元の紙にしたためているようだった。

そうして、エナに遠慮なく質問をぶつけている間に、彼女の右腕の様子を確認し、痛み止めを渡すのも忘れない。


 ひとしきりその質問攻めとメモ書き、そして軽い診察と手当てが終わると、ナナエはすくっと立ち上がりトゥーゼリアの方へ向き直った。


「トゥーヤ」


 一言ナナエがそう声をかけると、トゥーゼリアはコルレの拘束していた腕を放した。

鈍く痛む腕を軽くさすりながら体を起こすと、ナナエは再びエナの方へ向き直った。


「私、薬を作るから。それをエナさんには飲んでもらう」


 酷く厳しい顔でナナエはそう告げた。


「残念なことに、滋養の付く薬、じゃないけどね」

「楽に死ねるなら何でもいいわ」


 強がるようにエナがそう言うと、ナナエは少しだけ眉を歪めて弱々しく微笑んだ。


「毒薬飲む方が、ずっと楽かもね」


 そう言って、ナナエは来た時とはまるで違って張り詰めたような思いつめた表情で少し低いドアをくぐって部屋の外に出て行った。








 「本気で、あの女を助けるつもりですか」


 部屋を出て間もなく、幾分咎めるような口調でナナエの背後を歩くトゥーゼリアは言った。

その言葉をナナエは聞いているのかいないのかわからないといった態度で、無言で廊下を歩く。


「ナナエ様」


 しびれを切らしたようにトゥーゼリアが呼びかけると、ナナエはピタリと足を止め、ゆっくりと振り返って見せた。


「助けられるかどうかなんてわからないよ。頑張るけどね」

「あの女にそんな価値などありません」

「あるよ」

「ありません」

「エナさんを助けることが出来る。それは、この先誰も魔種に怯える必要がなくなるってことだよ。それはとても価値のある事」

「ですが」

「わかる?私はエナさんを薬の実験台に使うって言ってるんだよ。酷いでしょ」


 言い募ろうとしたトゥーゼリアの言葉を遮る様にナナエは言い放ち、自嘲気味に笑った。

そのナナエの表情を見て、一瞬トゥーゼリアも口を閉じたが、思い直すようにして再び口を開く。


「あの女が助かったとて、再び敵に回るやもしれません」


 トゥーゼリアは知って居る。

イェリアと言う家系は基本そう言う家系なのだ。理屈ではないのだ。

用心に用心は越したことはない。

危ないと分かっている芽を摘まずにいること、それは愚かしいことなのだ。

でなければ、血の盟約を使ってまでイェリアとの結びつきを強くする理由などなかったのだから。

 だが、トゥーゼリアのそんな心配もよそに、ナナエはほころぶように笑って見せた。


「だって、トゥーヤがいるでしょ。大丈夫」


 そんな殺し文句を言われてしまえば、それ以上トゥーゼリアには何も言う事が出来なかった。

戸惑った様に押し黙ってしまったトゥーゼリアに満足したのか、ナナエは再び前に向き直ると自室に向かって歩き始めた。


「そういえば、ルディのお見舞い、行った方が良いのかなぁ」


 ふとナナエが自問自答するように小さな声でつぶやいた内容に、トゥーゼリアは一瞬で冷や水を浴びせかけられたかのように表情をなくした。

記憶の隅に押しやり、思い出さないようにしていたエーゼルの国王の事を無理やりに思い出させたのだから。


「それが宜しいかと」


 トゥーゼリアが短くひと言そう返すと、ナナエは一瞬だけびっくりしたような顔をして口元を抑えた。

どうやら、口に出してしまっていたことに気付いていなかったらしい。


「あ、うん。そーする」


 酷くまごつきながら、ナナエは気まずそうに視線を床に落としながら歩いた。

それにトゥーゼリアも黙って倣う。

なんとも居心地の悪い沈黙が数分続き、ナナエがその重苦しさに耐えられなくなりそうな頃、やっとナナエの居室の扉前にたどり着いた。


 トゥーゼリアが先立つようにしてドアノブに手を掛けると、何となくホッとして、ナナエは視線を上げた。

もの言いたげなトゥーゼリアの視線が外れたことに気まずさが和らいだような気がしたからかもしれない。


「どこへおいでだったんです?」


 誰もいないと思っていた部屋の中から急に涼やかな声を掛けられて、ナナエはキョトンとした顔でその声の方に顔を向けた。

そこには居室のソファーに優雅に腰を掛ける一見ネギかと見間違うほどの青白い顔をした青年がいた。

その青年の顔をナナエが眉間にしわを寄せ、幾分首をかしげながら見返すと、青年は呆れたように少し肩をすくめてみせる。


「多少魔力が戻ったからと言って、そうそうフラフラと出歩いていては、また寝台に逆戻りになるわけですが。大人しく寝ているということが出来ないのですか、姫は」

「起き上がれるなら多少なりとも歩かないと、逆に体力が落ちる一方だと思うんですよね。私としては」

「素直に聞けないのであれば、全快するまで私が寝台で離しませんよ」

「それ、セクハラだから。セクハラ、ダメ、絶対!」

「また訳の分からないことを……」


 その青年は大仰にため息をつくと、肘掛けに立てた右手の指の先をこめかみに押し当てた。

日は既に傾いており、窓から差し込む光が青年の髪に優しく降り注ぎ、輝いているように見える。

その姿はまるで絵本から抜け出してきた王子様そのものだった。

呆れたような表情さえ除けば、だが。


「ところで」


 そんな青年、ことルーデンスの表情をまるで気にも止めない様子でナナエは口を開いた。

そんなナナエをルーデンスは半眼したまま見やる。

今度はどんなろくでもないことを言い出すのかと言った面持ちは仕方が無いと言えるかもしれない。


 少し後ろで目立たぬよう控えていたトゥーゼリアを少し振り向きながらナナエは、右手で軽く口元を隠し、左手でルーデンスを指さす。

そうしてコソコソとトゥーゼリアに助けを求めるように小さな声で尋ねた。





「え~っと……、あの人、どちらさまでしたっけ?」





不定期更新ですが、お付き合いくださる方がいればいいな的な。


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