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<48> 目覚めの朝 (1日目)

※ 注意


 ・ものすごく長いです。内容は薄いです。

 ・一応15禁な内容かもしれない。

 ・ルーデンスと仲が良いかもしんない。


以上を踏まえてGOしてください。ダメな方はUターン推奨。






 ――寒い。



 暗闇に沈む意識の中、ナナエはまるで冷たい水底に横たわるような感覚にただ翻弄されていた。

身体は鉛のように重く、指先1本ですら自分の意のままにならない。

今が昼なのか、それとも夜なのか。

たったそれだけの事さえも確認することが出来ないでいた。


 余りの寒さに身を縮こまらせて、己が体を抱きしめようとしても、まるで体が自分の物では無いかのように全くと言っていいほど動かない。


(早まったかなぁ……)


 ちょっとした後悔の念に囚われつつも、ナナエは自分が最後にあった少女の事を思い出していた。


 その少女は、ナナエに自分はナナエの母親代わりであると告げた。

どうみても己よりもはるかに年下である少女にそんなことを突然言われ面食らったナナエは、その時思わず笑ってしまったのは仕方が無いことだろう。

 だが、少女はそんなナナエの態度に気分を害する様子もなく、ナナエから魔種を取り除くことを申し出てくれたのだ。


そしてナナエにある物と引き換えに、なにかを提示してみせた。


 それはどんな契約だったのか。

それが酷くぼんやりとしていて思い出そうとしても霞のように消えて行ってしまう。

だが、その契約はとても重要だった筈で。

その契約に躊躇したナナエに少女は言ったのだ。


「神と人間の契約は対等でなければならぬ。神が強大な力を持ち、その対価を人に求めるは、余りにも酷と言うもの。それ故に神は人と賭けを楽しむ。賭けに勝ち、神を楽しませる事ができれば人の勝ちさね」


そしてナナエは、あの時不安に思いつつも頷いた筈なのだ。

――きっと、大丈夫。

何か決意に似たような感情を伴っての契約を交わしたはずだ。




 あれからどれぐらいの時が流れたのだろうか。

 冷たい水底のような場所でどれぐらいの間微睡んだのだろうか。

1時間。または半日か。

時間の感覚すらも薄れ、今が朝なのか、それとも夜なのか、そんなことさえナナエには見当もつかなかった。

ただ、仄かに暖かさを覚え、その暖かさがじんわりとナナエの体を温めていく不思議な感覚を味わっていた。

しびれてしまった様にして動かなかった指先も、まるで日の光で溶かされてく氷のように自然な動きを取り戻しつつある。

それに気づいて、ナナエは薄っすらと少しだけ瞼を開けた。






 ナナエの今の状態で辛うじて直ぐにわかる情報は僅かで、薄暗い部屋の中に寝台に横になっているということぐらいだ。

視線を少しばかり動かすと、ランプの柔らかな明かりを感じることが出来た。

微かなお酒の匂いにヒクヒクと鼻をひくつかせて初めて、先程まで全く自分の意志では動かせなかった体が、スムーズとまではいかないが、ぎこちないながらも何とかわずかに動かせる事に気付いた。

 そして気持ちの良い暖かさに包まれているのを感じて、ナナエはゆっくりとすり寄るようにしてその暖かさに身を寄せた。


「……ナナエ?」

「ん……」


 気だるげに返事をすると、その暖かさの正体だったものが突然体を起こした。

それによって気持ちの良い暖かさを奪われ不満に思ったのか、ナナエは眉根を寄せて、縮こまる。

だが、それも数秒の間の事だった。

幾分乱暴に体を引き寄せられ、再びナナエは気持ちの良い暖かさに包まれた。


「目が、覚めたのですか……?」

「ん……まだ、ねむい……」


 激しい倦怠感に苛まれながらも小さな声でそう答えると、微かにナナエを抱きしめる力が強まったようだった。

数十秒ほどそうしていただろうか、その人物はそろそろと体が離してナナエを再び横にすると、両手でナナエの頬を包み込み、覗き込むようにした。

薄暗い部屋の中で、温かなランプの光に浮かび上がったその姿はとてもぼんやりと美しく見えたが、その声音はとても困ったようで、それでいてすぐにでも泣き出しそうにも聞こえた。

 それは、今まで聞いたこともないほど弱々しい声で、普段の彼からは遠く及ばないほど儚く思えたのだ。

その、余りにも頼りなげな声に心配になり、ナナエはのろのろと重たい手を少しだけ伸ばし、その声の主の腕をポンポンとと軽くたたいた。


「ルディ……元気、出して」


 かすれた声でそう言うと、一瞬息を飲むような間が空き、まるでそれを隠すかのように彼はナナエの左肩に顔をうずめた。


「……襲っちゃいかんぞ、男の子」


 呟くようにボソリとナナエが言ってみせると、彼は幾分ほっとしたかのように少し笑い声を漏らした。

その声がとても懐かしく、心地よく感じ、彼の頭に頬を擦りよせるようにして軽く目を瞑る。

人の体温とはこんなにも気持ちがいいものだったのだろうかと、ナナエはその気持ちよさにのんびりと浸った。


「何かして欲しいことはありますか?」

「ん……喉乾いたぁ……」

「水を持ってこさせましょう」

「お酒がいい」


 呟くように言うと、呆れたようなため息が一つナナエの上に零れ落ちた。

その柔らかな風が、より一層安心感を募らせ、ナナエはルーデンスにすり寄るようにしてねだる。


「お酒飲みた~い……飲んでたんでしょ?だってお酒の匂いするもん」

「何言ってるんですか。病み上がりです、水にしなさい」

「ヤダヤダ。私の血はシャンパンで出来てるんだから、お酒飲まないと死んじゃう」

「……」


 また一つ呆れたようなため息が零れ落ちる。

その反応が何となく嬉しくて、ナナエはくすくすと小さく笑って見せた。


「一口、だけですよ」


 観念したかのように呆れた声でそう言うルーデンスに、ナナエはコクリと頷く。

そうして、ルーデンスは手元に酒の杯を引き寄せると、軽く口に含みナナエに口づけた。

ゆっくりと流し込まれる少量の酒にナナエはコクンと小さく喉を鳴らす。

久しぶりのお酒は少しだけ喉に熱く感じ、ジワーっと体に染み入る感じがした。


「おいし……」

「元気になれば沢山飲ませてあげます。ですが、今日はこれだけですよ」

「ん……」


 再び目を閉じて寝る姿勢に入ったナナエを見て、ルーデンスは柔らかな笑みを落とした。

そして、そんなナナエの髪を撫でながら小さな声で語り掛ける。


「まだ、日の出までには時間あります。ゆっくり眠りなさい、ナナエ」


その静かに、そして低く澄んだ声と、優しく額に落とされた唇に、ナナエは安心したように意識を再び手放した。







 それから。


 何度かの浅い眠りと軽い覚醒の後、いくばくか経ったのかはわからないが、ナナエは意識を強く揺すり起こすかような窓からの明かりに急かされ、不機嫌そうに瞼を開けた。

渋々窓の方に目をやると、メイド服姿のワードック族の少女が見える。

一瞬眉根を寄せてボケッとした後、ナナエはがばっと体を起こそうとした。

その余りにも急に取った動作に、体がついていかず、よろめいて再び寝台に突っ伏したのはご愛嬌だ。


「マリぃぃぃ~」


 ちょっと情けない格好をしながらも、ナナエがそう呼ぶ。

すると、窓際でカーテンを開けていたその少女はハッとした様に振り返った。

そうしてすぐに、目を潤ませると寝台に飛びつくようにしてやってくる。


「ナナエさま!ご、ご無事でよかったですーーー!」


 そういうや否や、顔をくしゃっとしてしゃがみ込むと、マリーはとうとう泣き出してしまった。

その姿にやっとのことで起き上がったナナエはおろおろしつつも手を伸ばし、マリーの頭を一生懸命撫でた。


「マリー。泣かないで、マリー」

「だって、だってナナエ様。このまま亡くなってしまうのではないかと、マリーは心配で心配で……」

「ごめん、ごめん。大丈夫だから!ほらっ!」


 しゃくりあげるマリーの目の前で、ナナエは腕をブンブンと振り回して元気さをアピールする。

が、どう見ても振り回した腕に振り回されている感は否めない。


「マリーが助けてくれたの?ホント助かった!なんかすご~~く調子いいよ!」


 にっこり笑ってそう言うと、マリーは泣くのをやめ、少しだけ目をそらして微妙な表情をした。


「私……じゃないです。私がお助け出来たらよかったんですけど……」

「そうなの?じゃあ、誰が?キーツ?シャル?」

「……それは」


言い淀んだマリーの奇妙な表情にナナエが首をかしげていると、コンコンと扉をたたく音がした。

そして、誰の返事を待とうともせずにその扉は静かに開け放たれた。


「……目が覚めたようですね。おはよう、ナナエ。朝食はどうしますか?食べれそうですか?」


 東側の窓から差し込む朝日の光を浴びながら、嫌味なぐらいキラキラと輝く金髪を軽く流しながら入ってくる彼の姿をみて、ナナエは一瞬だけキョトンと彼の顔をマジマジとみた。

が、ふと早朝の”アレ”をまざまざと思い出し、瞬時に顔が青くなる。


「お、おはよう……」

「ルーデンス様!お休みになっていてくださらないと困ります!」


 うつむきがちにぼそぼそと返事をするナナエに気付いていないのか、マリーは目の端にあった涙を乱暴に拭うとすくっと立ち上がった。


「十分休みましたが?」

「休んでません!そんな青ざめた顔で、フラフラ歩き回らないで下さい」

「酷い言い様ですね」

「心配してるんです。このままだと本当に倒れてしまいますよ?今すぐお部屋にお戻りになってください」


 畳みかけるようにマリーが言うと、ルーデンスは肩を少しすくめて、困ったような笑顔をナナエに向けて見せた。


「あー……えっと、マリー。ルディにお茶を出してくれると嬉しいのだけど」


 背を向けたマリーにナナエがおどおどとそう言うと、マリーは後ろを振り返り、ちょっと驚いたような顔をしたあと、渋々と言った感じで頷いた。

寝台の横に椅子を一脚用意すると、ルーデンスを促して座らせ、軽く腰を下げて挨拶すると部屋を退出した。

 その様子を見ながら、ルーデンスは少し苦笑いをして椅子に腰を掛けた。


「えっと、えっと」


 マリーが席を外してるうちに事の真相を確かめねばと、ナナエが幾分どもりながら口を開くと、ルーデンスは幾分怪訝な表情を浮かべたままナナエを見た。

その視線をまともに受け止められず、ナナエはサッと視線を下へと向けた。


(私の記憶が正しければ、だけど……)


 早朝の彼の姿をナナエは思い出し、ナナエは軽く頭を抱える。


(……いたしてした、よね?)


 思わずぐぬぬ……とうめき声を漏らして頭を抱え込んでしまい、ルーデンスの不思議そうな視線を後頭部に受ける。

ナナエの記憶にある限り、どう考えても何度目かの軽く目覚めた早朝、あの時。

ルーデンスもナナエも、まぁ、なんというか。


「すっぽんぽーーーん!うわぁぁぁぁぁぁ」


 両腕で頭を抱え込んだような姿勢のまま、いきなり仰け反って上げたナナエの奇妙な叫び声に、ルーデンスは少し面食らった様に目を点にしていた。

だが、今のナナエにはそんな事は結構どうでもいい。

ナナエの人生において結構な重大事件があったと気づいてしまったのだ。

彼の青白い顔を見て、ついそのまま、その裸体を思い出してしまった己の記憶力をナナエは呪った。


「病み上がりで、何暴れてるんですか……」


 呆れたような声音でいても、どこか優し気に話すルーデンスの顔をナナエは顔を覆った両手の指の間からチラリと盗み見る。

何をまかり間違って、彼といたすことになってしまったのか。

そのくだりがどうやっても思い出せずに、ナナエは困惑するしかなかった。


 確かナナエはイェリア家でバドゥーシの策略により毒を飲まされ臥せっていたはずだ。

それが気が付いたら、怠いぐらいで特に体は悪くないし、そこのイケメン王と仲良く?イチャイチャしていたわけで。


「ぐぬぬぬぬ……」

「お茶をお持ちしました。ナナエ様」

「ふあっ!!?」


 気配を感じさせずに現れ、差し出されたティーカップに、ナナエは派手に驚いて仰け反った。

そしてその声の主を思わず睨み、口を尖らせた。

そんなナナエをトゥーゼリアの肩越しに見てクスリとマリーが笑う。


「び、びっくりするじゃないの……!」

「お声を掛けさせていただきましたが、お耳に入ってなかったようですので」

「大体私がこんなに苦悩しているっつーのに、もうちょっと気づかいとかでき……」


 仏頂面でピクリとも表情を変えない彼の顔をみて、ナナエはふと彼の存在を思い出したのだ。


(ああああ、トゥーヤだぁぁぁ……)


 仮にもナナエは」”トゥーヤもルディも選べない(テヘッ”とか思っていたはずなのに、何がどうしてこうなったのかは定かではないが、ルーデンスと既成事実を作ってしまっているわけで。

しかも、致してしまった翌朝にその2人と対面するとかとか……。


「私の寿命がストレスでマッハだわ……」


 ボソリと呟くと、トゥーゼリアからもの言いたげな視線が注がれた。

これは、昨夜だか今朝だかは定かではないが、ナナエとルーデンスの間に起こったことをトゥーゼリアは知っているとみて間違いないだろう。

気まずい思いをしながら、不自然にならぬようにナナエはそっとトゥーゼリアから視線を外した。

そして、気付いた。


(あれ……なんていうか……)


 色々と頭が混乱するような急な展開に脳の回転が全く追いついてなかったのか、それとも病み上がりでボケていたのかは定かではない。

だがしかし。

ナナエは真顔に戻ると、静かに毛布を引き上げ、体に巻き付けた。

普通の夜着を着ているという先入観でいたのに、ふと気づけば大胆に胸元が開いたかなり薄手の……というか透けまくってるいかにもな夜着を身に着けているのだ。

こんなもの人前で着ていたら良くて痴女、悪くて露出狂ではないだろうかと再びナナエは頭を抱える羽目になった。


「……なんていうかね。そう言えば私、寝起きなんですよ」


 突然のナナエの淡々とした口調に、再びルーデンスはキョトンとして軽く首をかしげる。

トゥーゼリアでさえもナナエの真意がつかめていないようであった。


「着替えたりと言うか、色々あるんですよ。そろそろ部屋を出てもらえると、ね?」


 ぎこちない笑みを顔に張り付けて言うと、すぐさまルーデンスはニヤリと何かをたくらんだような笑顔を浮かべて見せた。


「……確かに。部屋を出した方がよさそうですね」

「いや、ルディもでていっ……」

「マリー、トゥーゼリア。下がりなさい」


 困惑した表情を露わにしたマリーや少し眉をひそめたトゥーゼリアを意に介するでもなく、ルーデンスはおもむろに立ち上がると、ナナエに近づき、寝台の縁に腰を掛ける。

そうして、再びマリーとトゥーゼリアへと向き直った。


「下がれ、と言ったはずです」

「……」


 ルーデンスのそんな言葉に、オドオドとするマリーとは違ってトゥーゼリアはまるで何も耳に入ってはいないかのような無表情さを保ったままその場から動こうともしない。

マリーが少し青ざめた顔をしながら、トゥーゼリアの袖を小さく引き、退出を促してみても微動だにしなかった。

そんなトゥーゼリアの様子を見てルーデンスは更に意地の悪い笑みを浮かべギシリと音を立て寝台の上に乗る。

そのままナナエの両肩に手を添えるとナナエの体をぐいと押しやった。

病み上がりのナナエの体は大した抵抗も見せずにそのまま後ろへと倒れこむ。


「ちょ、ルディ!なにやってんのよ」


 押し倒されるような形になり、ナナエは軽く抗議の声を上げた。

そんなナナエにむかってルーデンスは悪戯っぽく笑って見せると、軽く上半身をひねり、ふたたびトゥーゼリアの方を向く。


「見物でもしようと言うわけですか?悪趣味ですね」


 挑発するようにルーデンスが言うと、トゥーゼリアは一瞬呆然としたような表情をした。

そしてすぐにいつもの無表情さを取り戻すと、くるりと踵を返し、彼らしからぬ些か乱暴な足取りで部屋を出ていく。

そんなルーデンスとトゥーゼリアを交互に見ながら、マリーもまた、おどおどしながら部屋を退出して行った。








「意外と簡単に引き下がるものですね。面白くない」

「面白くないのはこっちの方よ!!」


――ガツッ。


 突然わき腹に走った軽い痛みに僅かに顔をしかめ、ルーデンスは再びナナエの方に向き直った。

そのナナエの状況を見れば、毛布からはみ出た彼女の右ひざがルーデンスのわき腹を攻撃したのであろうことは想像に難くない。


「なんなのよ!なんなのよ!なんなのよ!」


 気持ちが高ぶっているのだろうか、微妙に半泣きのナナエが両手を握りしめて何度もルーデンスの胸を打った。

それでも、病み上がりのナナエの力はたいして強くなく、ルーデンスは大人しくされるがままになる。


「落ち着きなさい、ナナエ」

「なんでこんなことになってるのよ。なんで?なんで?」

「落ち着きなさい。疑問に思う部分は私が答えます」


 軽くパニック状態に陥っているナナエを諭すように、ルーデンスは繰り返し言葉を掛けた。

それでも、ナナエは落ち着くそぶりを見せない。


「どうして?どうして私とルディがこんな風になったの?どうして?」

「ちゃんと話しますから、落ちつい……」

「なんであんなことトゥーヤに言うのよ!なんで?なんで?」

「ああでも言わないと彼は部屋を退出しないでしょう?」

「でも、なんで?なんで?あんなこと、トゥーヤが」

「落ち着きなさい」

「あれじゃトゥーヤに嫌われちゃ……」


 興奮気味にナナエがそう口走り、その全てを言い終わらないうちにルーデンスはそのナナエの唇を己の唇で塞いだ。

ナナエが激しく抵抗を見せてもそのまま微動だにしない。

そのまましばらくルーデンスがそうしていると、力尽きたのか、それとも諦めたのか、ナナエは振り上げていた両手を力なく寝台の上に投げ出し、ぐったりと力を抜いた。


「……謝りません」


 静かに唇を離すと、ルーデンスは静かにそう言った。

その台詞にナナエは何を返すでもなく、視線をそらしぼーっと窓の外を見やる。

そうして視界に入った初冬の空の色は、少し物悲しい灰色で。

そのまま視線をルーデンスに戻すと、同じように悲し気な灰色の瞳がそこにあったとナナエは気づいた。


「ごめん。取り乱した」

「……いえ」


 珍しく作り笑いも、困ったような笑顔も見せないルーデンスからは感情が少し欠けてしまったのではないかと言うような寂しさをナナエに感じさせた。


「……喚いても意味がないのに、アホみたい。理性的に、ロジカルにいこう、うん」


 ナナエがそう呟いてニヤリと笑って見せると、やっと気が抜けたのかルーデンスは小さく笑った。


「記憶が無いから単刀直入に聞くわ」

「どうぞ」

「無理やりか、否か」


 ビシッと己の人差し指をルーデンスの顔面に突き付けてナナエは真面目な顔で問いかけた。

するとルーデンスは眉根を寄せ、少し考え込む様に視線をそらす。

そしておもむろに口を開くと……


「……合意、です?」

「首をひねりながら言う奴おるか――!!」


 ナナエが思わずチョップをルーデンスの額に叩き込むと、ルーデンスはさも可笑しそうに破顔した。

今までに見たこともない少年のような笑顔に、ナナエが一瞬目を奪われたのは仕方が無いことだろう。

それほどまでににこやかにルーデンスは笑って見せたのだ。

そうしてひとしきり笑うと、彼は柔らかな表情を見せ、寝台の上に座りなおした。


「今まで何度も拒絶されていますから。今回のようないかにもな据え膳状況になっても……自分でも意外でしたが勇気が出なかったというか」

「ルディに勇気と言う言葉が全然似合わないんだけど」

「まぁ、ナナエに嫌われたくはないですからね」


 少し苦々しげな表情でそう言うルーデンスに、ナナエは先程の失言を思い出す。

 

――『トゥーヤに嫌われちゃう』


 そのナナエの言葉を、ルーデンスはどんな気持ちで聞いたのだろうか。

なぜ、あんな台詞を言ってしまったのだろうかと、ナナエの胸がチクリと痛んだ。


「私がタイミングをつかめず考え込んでた夜中に、ナナエが最初に目を覚ました時の事は覚えていますか?」

「あー……それは、うん。なんとなく」

「私の名を呼んで、幸せそうに寝入られたら余計、です。しかも、”襲うな”とまで言われましたからね」


 薄っすらとした記憶の中で、確かに言った覚えがあると、ナナエは納得しかけ、そして首をひねった。

ならばなぜ、朝方いたしてしまう結果になったのかが、全くピンと来なかったからだ。


「えっと、それでしてしまったなら、合意ではなかったってことになりませんかね?」

「そのままだったら、恐らく何も起きていなかったと思いますよ」

「そ、それから何かあったのか!」


 食いつくようにナナエが言うと、ルーデンスはそっぽを向いたままバツが悪そうに眉根を寄せて口をつぐんだ。

薄っすらと頬に朱が混じっているのは気のせいだろうか。

 あの普段から人形の仮面をかぶった様なルーデンスにこんな顔をさせるとは、いったい何が起こったのか。

ますます混乱する頭を軽く振り、ナナエは体を起こしてルーデンスに詰め寄った。

すると、迷惑そうな顔をチラリと見せて、言いづらそうに口を開く。


「……まれたんです」

「え?」


 彼らしからぬ小さな声でボソリと洩らしたために、よく聞き取ることが出来ずナナエは更に詰め寄って聞き返した。

それにルーデンスは大きなため息を一つはいて見せ、横目でチラリとナナエを見る。


「噛まれたんです」

「は?」


 キョトンとした顔を見せたナナエに、ルーデンスは更に大きなため息を一つついて見せた。


「朝方、再び目覚めたナナエが、自分から私にすり寄って抱きつき、私の首元を噛んだんです」

「へ?」

「痛かったですよ」


 呆れたような口調でと表情でナナエを見るそのルーデンスの態度には嘘はとても含まれていないように思えた。


――だが、まだだ。まだ、終わらんぞ!そこから発展した理由が分からない!


「だ、だからなんだっていうのよ」

「痛さに思わず呻いた私に、あなたは”ごめんね”といい……」

「ごめんねっていって?どうしたん!?」

「私の首元を舐め始めました」

「はぁぁぁぁ????」


 到底理解できない話の展開に、ナナエは素っ頓狂な声を上げた。

そんなナナエの声を五月蠅そうに、ルーデンスは片耳をふさぎ顔をしかめる。


「ですから、それで、そのまま」


 そんな少し硬い表情でも、顔が何となく赤くなっているのは間違いない。

だがしかし、だがしかし!っと頭の中で反芻するも、ぐうの音も出ずにナナエは頭を抱えた。


「なんでしちゃうのよ……」

「男ですから」


 これ以上と言ってないほどの簡潔な答えに、ナナエはがっくりと肩を落とした。

今の話が本当なら、どう聞いてもなるべくしてなった流れである。


「いや、でも!」

「?」

「私全然合意してないじゃん!!!!」


 ナナエが両拳をぎゅっと握ってルーデンスに詰め寄ると、再び彼は迷惑そうに眉をひそめた。


「なぜ、ナナエの合意が必要なんですか?」

「はぁ??普通そうでしょ?女子の合意なしにすることじゃないでしょうが!」

「何か誤解があるようですが。……襲われたのは私の方ですよ?」

「……」

「私が納得すれば”合意”なのではないかと思うのですが」

「!!!!!!!!!」


 声にならない悲鳴を上げ、ナナエは倒れこむようにして、頭を抱えたまま枕に顔を突っ伏した。


「う、うそ。そんな訳ない!」

「”私も痛いからこれでチャラね”とか言って……」

「がぁぁぁぁぁぁ!!!」


 そんなルーデンスの生々しい言葉を、ナナエは奇声を発して皆まで言わせない。

なぜなら、ナナエはサーっと血の気が引くのを感じたからだ。

そう、その台詞に”何となく”覚えがあちゃったりしちゃってりしてたから。

その”なんとなく”がルーデンスの言葉が真実であると雄弁に物語ってるからなのだ。


「う、う、う、うそ!」

「私も誘惑されたことはあっても、女性に襲われたのは初めてです」


 そう言ってルーデンスは照れたように口元に握りこぶしを軽く押し当て、軽く咳払いをした。

経験豊富そうなルーデンスであってさえも、まさか噛まれて舐められたりなんてした経験はなかったのであろう。


「嘘だッ!嘘だと言って!」


 頭を抱えて枕に突っ伏したまま足をバタバタをさせて悶絶するナナエにルーデンスは再び呆れたように大きなため息を吐く。

そして、往生際の悪いナナエを半ば強引に仰向けにすると、自分の首元に人差し指を入れ左右に揺らし、アスコットタイを緩めて見せた。

そのままタイをスルリと抜くと、首元のボタンを外してぐいと左肩口の方まで露わにしてみせる。


「ぐぬぬぬぬ……」


 そこには確かに彼の言う通りに、首元に真新しい歯形が残っているのだ。

微妙に血が滲んでるあたり、痛かったというのは本当の事だろう。

それを目の当たりにして、ナナエはギリギリと歯噛みした。


「納得、しましたか?」

「も、申し訳ない。……せ、責任は取ります」

「チャラにしたでしょう」

「ち、ちがう。私、初めてだったんだから責任取ってよ!」

「責任を取ります。結婚しましょう」

「ちがーーーう!そうじゃなーーーーい!」

「どちらにしても、無かったことには出来ませんし、させません」


 そう平然と言ってのけるルーデンスを、少しだけ頼もしく感じている自分に気付いて、ナナエは小さくため息をついた。

相変わらず気持ちはルーデンスとトゥーゼリアの間をふらふらしているのに、っと自分自身に嫌気がさしたのだ。

こんな状態になってまでトゥーゼリアの事が気になる自分がとても恥ずかしい。


「まぁ……深夜に飲ませた酒が悪かったとも思ってはいますが」

「……へ?」


 感傷に浸ってる間もなく発せられたルーデンスの言葉に、ナナエは再び冷や水をかぶせられたかのように青くなった。

今の言葉には何だか重大なワードが挟まれていた気がしたのだ。


「さ……さけ……?」

「勇気が出なかったと言ったでしょう」

「え……、うん。聞いた」

「悪酔いしてしまえば合意なしでも勢いで行けるかと。なので、悪酔いすると有名な悪酒を飲んでました」

「……それを私に飲ませたと?」

「だからダメだと言ったじゃないですか」


 晴れやかな笑顔でニッコリとして見せるルーデンスを無言で枕で横殴りにしたのは、誰もナナエを責められないだろう。

ポスポスと枕を叩きつけられながらも、彼にしては珍しく明るい表情で、それが何となくナナエの気持ちも軽くさせた。


「記憶が無いのは、お酒で記憶が飛んでただけって言うね……」


 わざとらしくため息を吐くナナエにルーデンスはクスリと笑って見せて、再び横になっているナナエを挟むようにして両手を寝台に置いた。


「今は、記憶がありますよね?」

「……もう、酔ってないわよ」

「それは結構」


 そう言うとルーデンスはスッっとナナエに体を近づけ、ペロリとナナエの首元を舐め上げた。


「うわぁっ……ちょっと!なにすんのよ!」

「今から私の味をちゃんと覚えてもらいましょうか。ね?」

「せっ、セクハラおやじか、きさまはーーーー!」


 両手を突っ張るようにしてルーデンスの顔を上へ押しやると、くつくつとさも可笑しそうな声が漏れ聞こえてくる。

どう見てもその気になったというよりは、からかう気が満々だったようにしか見えない。


「その気も無いのに、ほんっと、悪趣味だわ」

「ナナエ相手ならいつでもその気になれますよ」


 サラリとそう言ったのち、ナナエの手からサッと抜けだすと、ルーデンスは軽く頬に口づけを落とし、笑って見せた。

それとは反対に、ナナエはその頬を軽く手で押さえながら、しかめっ面で睨んで見せる。


「今日はやけに機嫌がいいわね?」

「ホッとしているからですよ」


 穏やかな笑みを見せて、ルーデンスはナナエの皺のよった眉間に再び口づけを落とした。

上機嫌、と言っても過言ではない。


「なにに、ホッとしたの?」

「言ったでしょう?ナナエに嫌われたくないと」

「それは聞いたけど……」

「閨を共にしたことを後悔し、私を恨むのではないかと」

「しょ、衝撃ではあったわよ。でも……そうだね。ルディを嫌いになるとか、そんなのはなかった」


 ナナエがそう言や否やルーデンスは力が抜けたように彼女の横にゴロリと体を横たえた。

そして深く息を吐く。


「……流石に少しきついですね」

「どうしたのよ」

「朝方張り切りすぎて疲れました」

「セクハラおやじかっつーの」


 呆れた口調でナナエが言うとルーデンスは横になったままニヤリと笑う。

ナナエがルーデンスの方に顔を向けると、いつもより数倍青ざめた顔がそこにあることに気が付いた。

彼から聞いた話が本当であるとするならば。

ルーデンスにしては意外な程躊躇して、まんじりとしないまま朝を迎えていたわけで。

つまり、ほぼ徹夜明けに襲われたのだ。

ナナエに。


「ぐぬぬぬ……」


 その事実に気付き、再びナナエは眉間にしわを寄せた。


「す、すまなかったと、思っている」


 ドモリがちにナナエがそう言うと、ルーデンスは一瞬キョトンとした顔を見せてた。

そしてすぐさまプッと吹き出す。


「朝食、一緒にどうですか?」


 くつくつと笑いながら言うルーデンスに、照れ隠しなのか枕を軽く叩きつけ、ナナエはふて腐れたように「食べるに決まってるでしょ」と言った。














お疲れ様でした。

次回更新も未定ですがよろしくお願いします。

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